2-5 吉野課長、泥酔は危険っす

「平くんって、すごいのね」


 空になったカクテルのグラスをカウンターに置くと、吉野さんは、ほっと息を吐いた。ここは俺の家の近くのバー。社長を論破した記念に(でもないか)、ふたりで飲んでいるのだ。


「相手は社長よ。それなのにあんなにまくし立てて」

「言っちゃえばいいんすよ。会社のための議論だし」


 実際は俺がサボるための議論だったけどな。


「それにしても、私にはあんなの、絶対に無理。だって偉い人に仕えるのが、私の立場だし」


 おかわりのグラスを口に運ぶ。


「もう四杯めですよ」

「平気」


 意外に強いな。かろうじて表情が読める程度の暗い照明でもわかるくらい、頬は赤らんでるけど。もうコンタクトは外しているらしく、眼鏡をかけてる。くいっと直した眼鏡が、灯りを反射した。


「まあうまくいってよかったです。これで当分、無理な要求はないだろうし、俺達のペースで探索できる」

「そうね。それに……」


 またグラスを口に運ぶと、首を傾げる。髪がふぁさっと揺れた。


「それに私と平くん、出世させたし」

「まあ、あれは勢いで。『いつかは』係長とか、あのおっさんがふざけたことぬかしたんで、ムカついたし」


 それが、社長に要求したふたつめの話だった。危険な世界で俺達は励んでいる。しかも新規事業で一番の成長を見せて。ならいつまでも課長級、係長級なんて仮の肩書を止めて、きちんと課長、係長にしろって言ったわけよ。


 責任も仕事も重くなる出世なんてやなこった。だけど今みたいに「サボり放題のまま」って話で肩書が上がるだけなら、給料が増える分だけ得だ。ならそっちのがいいじゃん。


 社長は嫌がったよ、当然。年次がどうのとか役員会議でどうとかとか渋っていたけど、俺が押すと最終的に社長は折れた。なんせ人事担当役員と人事部長を呼んでその場で下命したからな。あとから「社内調整ができなかった。悪い、あれはなかったことに」的展開は、もうない。


 人事部長なんか、落ちこぼれ左遷社員の俺見て、目を白黒してたけどさ。


「でもすごいわよ。そりゃ子会社の肩書だけれど、本社に戻っても職階は受け継がれる。だから私も平くんも、同期で一番の出世頭ってことになったのよ」


 吉野さんはもともとできるタイプだから、そう波風も立たないはず。でも俺の同期全員、ぶったまげるだろうな。なんせ俺が落ちこぼれで社内で浮いてたの知ってるからさ。落ちこぼれと関わって自分の評判下げたくないから、同期なのに誰も近づいてもこないからな、連中。同期飲み会からもハブられてるし。


 まあ俺は妄想時間が一番貴重だから、それで良かったんだけどさ。


「これで会社クビになるまでに、もうちょっと貯金できるかなって」

「あら、クビになんてならないわ。平くん」

「いいんですよ。俺いい加減な奴だし。たまたま得意の妄想力が異世界での力になっただけのラッキーヒットだから」


 まあまだそれは発揮できないけどな。レナが言うように、俺は潜在戦闘力は高くとも、レベルが低い今は「かけるゼロ」で実力ゼロなわけで。


「他の業務じゃあ役に立たない底辺社員だから、クビはなくとも、いずれ辞める方向に追い込まれるかと」

「悲しいこと言わないでよー」

「おわっと」


 急にしなだれかかってきた。


 なんだよこの人、けっこう酔ってるじゃん。強いのかと思ってたけど、無理してただけか。


「だって私、平くんの下で働けて、とっても幸せなんだからー」

「いやそれ、異世界の中でだけで……」

「これまで私、どこの部署でも浮いちゃって。……女の子には陰口叩かれるし」


 そりゃ、実力ある上に真面目でちょっとずれてて、しかも隠れ巨乳でそこそこ美人とくれば、そういうこともあるだろうさ。


「でもここだと、平……様といっしょに冒険できて、私……とっても……」


 平様? いやそれは違うだろ。


「だから辞めるなんて言っちゃ嫌」


 腕を取られた。胸が腕に当たる。


 やっぱり巨乳じゃん。俺、生まれて初めて女子の胸を感じたのは、女子と分類していいのか微妙な四十センチのレナだった。なら今は初体験ってことになるな。


「……」


 そのまま黙ってしまう。上目遣いに俺を見上げると、今度はうつむいて、また俺の腕を強く抱き寄せてきた。


「平様……。ご主人様……」


 うわどうしよ。この人酔って意味不明なこと口走ってるよー。


 それに女子だ。そもそもここ、会社の奴に見られると本音で話せないってことで俺んちの近所まで誘ったんだ。だからこのあとだって……。


 なにこれ、据え膳って奴? まさかの上司と。


 それにしても、人生に三度あるとかいう「モテ期」がこれまで一切なかった俺だぞ。どうしたらいいんだ、こんなとき。


 上司に手を出しちゃうなんて、今後の異世界業務が気まずくなりそうだし、そういう男女の面倒はごめんだ。レナみたいなさっぱりしたサキュバスなら、エロ展開もいいんだけどさ。それにそもそも俺、うまくできるのか? 童貞なのに。


「ご主人様っ」



 ぼわんっ。



 シャツが膨らむと、ボタンを外しネクタイのをはねのけて、胸にレナが現れた。


「うわっと! ……お前、バーテンに見られるだろ」


 思わず小声になる。


「平気。ここ暗いし、服の中だから」

「なんで出てくるんだよ。こっちの世界ではお前、俺んちの中だけって決めたろ。姿を現すの」

「だって今フラグ立ってるもん」

「フラグ?」

「うん。人生失敗の」

「嫌なこと言うなよ」

「この人酔ってるし、レツジョウに身を任せちゃダメだよ」

「劣情ってまたお前、古臭い言葉使うなあ。そもそもお前、サキュバスだろ。ならエッチは得意範囲というか、むしろ勧める立場じゃないか。なんでそれを止めるんだよ」

「だって……」


 ツンと横を向いた。


「ご主人様の初めては、ボクのものだもん。それにボクの初めても、ご主人様のもの」

「はあ? お前レベルゼロでエッチ禁止だろ」

「それは……予約済みってことで」

「そもそもなんで俺が童貞って知ってるんだよ」

「言ったでしょ。ご主人様のエッチな妄想は、全部もう読み取ったし」


 嫌な使い魔だな。もう放り出すぞ。この際ドラゴンロード召喚して、一緒に食い殺されるか。


 なんだか、アホな会話しているうちに、気持ちも醒めてきた。たしかに意識も判断力もない上司をあれこれするってのもなあ……。レナの言う通り、人生失敗のフラグかも。今のサボり放題の地位を失うのだけは嫌だし。


「まあレナ、お前は判断力あるからな。それを信じて、言うとおりにするわ。吉野さんはタクシーに抱え込んで、自宅に送ってもらえばいいし」

「わーいやったあ」


 なんか喜んでるし。


「その代わり今晩はボクが、ご主人様を寝かさないぞっ!」

「なんもできないくせに」

「うんだから、ボクがエッチな話をオールで語ってあげる」

「却下だ」


 あほらしい。妖怪百物語かよ。そんな生殺しみたいなことされても気分悪くなる一方だし。


 レナをシャツに押し込むと、俺は、バーテンにタクシーを呼んでもらった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る