高校生編(3) 記憶の中の

「なあアキト。食堂行ってみないか?」

 数学の授業が終わり、みんな待ちかねた昼休みが訪れる。

 まだ知り合ってから間もないというものの、みんな周りの生徒と話に花を咲かせながら、持ってきたお弁当を広げたり買ってきたパンを開けたり、各々の昼食を楽しんでいる。

 そんな中、「食堂」という中学には無かった魅力的な二文字が、ツネオミの食欲と好奇心を刺激してやまなかった。

「ああ、いいよ」

 机の上に広げた教材をまとめながら、そうアキトは答える。

「よっしゃ、じゃあ行ってみようぜ」

 二人で教室を抜け出すと、廊下は教室以上に賑やかさに満ちていた。

 廊下で談笑する人々の間をすり抜け、ツネオミは階段を目指す。その後ろを、アキトがついてくる。

 こういうの、いつも率先して連れ出す側はアキトではなかったか。ふと頭に浮かんだ違和感も、食堂の賑わい、見慣れぬ食堂のシステムに、押し流されていった。

 食券販売機の前に出来た行列に気圧されながらも、二人はその最後尾に並ぶ。まだこの学校自体に慣れていない人が多いからか、他の一年生の姿は少なく見えた。

 前の人々は流れるように食券を手に、配膳口へと向かう。前の人に続いてスムーズに食券を買おうと券売機の前に立ったツネオミは、しかしその場で息を呑むこととなった。

「な、なんだこれは……」

 予想の遙か上を行く、食堂のメニューの数。人差し指だけを立てた形をした右手が、自然と宙を泳ぐ。

 今日はどれを食べようか。高速で空回りを続ける脳の一方で、背中に冷たい視線をひしひしと感じる。もうかれこれ何分悩んでいるんだろう、早く決めないと後ろの迷惑になるのではないか。首筋を撫でる冷たい汗が、ツネオミの焦りに拍車をかける。

「電情丼」

 ふと目の端に映ったそのボタンが、ツネオミの注意を引く。その三文字は、「早く決めなきゃ」と焦る脳内を瞬く間に支配していった。

 機械から吐き出された食券を手に取ると、ツネオミはいそいそと配膳口へと消えていく。アキトもすぐさま食券を買うと、ツネオミの後に続いた。

 ハンバーグ、目玉焼き、唐揚げ、いろいろ載ったどんぶりをひっくり返さないようにしながら、ツネオミは空席を求めて歩く。何席かまとまって空いている一角を見つけると、そこに素早くトレーを置いた。

「アキトはカレーにしたのか」

 椅子を引きながら、隣に置かれたトレーを見てそう口にした。

「うん。安いし、最初に目についたものだから」

「ふーん」

 適当に会話を持たせながら、ツネオミは箸を握る。

「いただきます」

 小さく手を合わせ、そう口にすると、ツネオミは箸で、まず一番上にあるハンバーグに挑みかかった。


「えっ、もしかしてそれが、電情丼?」

 意識外からの声に、少し身体を強ばらせながらツネオミは顔を上げると、そこにはトレーを抱えたノリコの姿があった。大事そうに抱えたそのトレーの上には、真っ白なプレートと湯気を立てたチキンのソテーが載っかっていた。

「ああ、うん。ノリコのそれは?」

「これ?日替わりランチってヤツ。おいしそうでしょ。今日のはアタリだと思うんだ~」

 そう嬉しそうに言いながら、ノリコはツネオミの向かいの椅子を引いた。

「いっただっきま~す」

 そう嬉しそうに呟くと、ノリコはナイフとフォークを手に取る。

 なるほど、日替わりランチ。そんなものがあったのか。次回はこれにしよう、とツネオミは鶏肉にナイフを突き立てるノリコを見ながら決心する。

「そういえばさ」

 ナイフとフォークの小気味よい金属音の中で、ノリコは口を開く。


 ***

 そういえば。

 向かいで仲良くご飯を食べるツネオミとアキトの二人を見て、ノリコの頭に一つの光景が思い出された。

「……そういえば、流石にミフユは高校まで一緒じゃないんだね」

 思い出の中のアキトは、いつもミフユと一緒に居て。中学でも同じ学校に進学して仲良くやっていたであろうことは、容易に想像できた。

 しかし、目の前のツネオミの表情は、想像とはかけ離れていた。

「…………?」

「えぇーっと……その……」

 説明を求めるノリコの視線と気まずそうなツネオミの視線とが交わる。

「死んだよ」

 瞬間、二人の視線がアキトに集まる。

 聞き間違い、だろうか。

 その口から発せられた小さな言葉は、にわかには信じがたいものであって。

「おい……アキト……」

「え……ちょっと………つまらない冗談は止めてよ」

 思い出の中の彼は、こんなつまらない不快な嘘をつくような人間ではなかった。だからこそ、妙に信憑性があって困る。

 しかし、ノリコの冷たい視線に返ってくるアキトの目は、全く笑ってはいなかった。

「冗談な訳あるか。殺されたんだよ、ミフユは。ドローンに」

 ゆっくりと、自分に言い聞かせるように、アキトは言葉を紡ぐ。

 何をそんな馬鹿な。そうは思いつつも、その瞳には、声には、凄みと説得力があった。

 ドローンに殺された?そんなの……それってつまり…………。

 遠い遠い、小学生の頃の、社会科の授業の記憶が甦る。何故かはっきりと覚えている、遠い昔の授業の記憶。

『特例で、大変な罪を犯した人間は、その場でドローンに裁かれることがあります』

 ツネオミの手が、アキトの肩を掴む。

「いいのか?アキト。そんなこと軽々しく言っちゃって」

「事実なんだから、構わないだろ」

「でもドローンに、って世間的には……」

「何か問題でも?ミフユは悪いことはしていない」

「それは、そう、なんだけど……」

 きっぱりと言い放つアキトに、ツネオミは諦めたかのように肩に置いた手を下ろす。対してアキトは、その瞳で大きな大きなものを見据えているようだった。

 ――そうだ。この瞳だ。

 小学三年生の時。授業中にクラス内でちょっとした揉め事があった。

 当時クラス委員長だった私は、一応止めようとはしたものの、男子達を敵に回したくなくて、強くは言えなかった。

 そんな私の、ちっぽけでつまらない悩みを吹き飛ばしたのが、この瞳だった。

 守るべきものは守ろう、戦うべきときは最後まできちんと戦おう、その強さを教えてくれたのは、この瞳だったのだ。

 そうしてまた、この瞳に会えた。

 未だ混乱する頭の中で、そのことだけはすんなりと心に沁みた。

「……それは、本当なの?」

 呼吸を整えて、改めて尋ねる。二人の真面目な表情を前にして、それでもノリコは聞かざるをえなかった。

「ああ、本当だよ」

 そう答えるツネオミの表情にも、もはや困惑の色は無かった。

「そう……」

 頭がまだ追いついていないノリコには、かけるべき言葉が思いつかなかった。

 アキトは何ともなかったかのように、スプーンをカレーに突き刺す。

 ミフユは死んだ。きっとそれは事実なのだろう。二人を疑うつもりはない。

 それでも、そのことは依然として信じがたいものであった。大体、アキトはどうしてああも平然と言えるんだ?ミフユとの思い出がたくさんあったんじゃないのか?そもそもなんで……?

 いろいろと浮かんでくる疑問を押し込め、ノリコは一つ尋ねる。

「じゃあさ、その、原因というか、理由は分かったの?」

「いや、まだ分からない」

「まだ」、アキトはその二音を力強く発したような気がして、ノリコは力強く立ち上がった。

「なら私も手伝う!」

 カレーを掬うアキトの手が、一瞬止まる。

「いや、別に……」

「大丈夫、足手まといにはならないから!二人は知らないだろうけどこう見えても私、中学では優秀だったの」

「……」

「まあ、いいんじゃないか、アキト」

 スプーンを握ったまま沈黙を続けるアキトに、ツネオミが話しかけると、やがてノリコの方に顔を向けて続けた。

「とはいえ、今すぐ何かをしよう、って訳じゃないからさ。何かあったら協力を頼むよ」

 そう言ってツネオミは笑顔を見せた。その横で、アキトは難しそうな顔をしていたが、やがて小さく頷いた。

「ま、とりあえず、席について続き食べようよ。昼休み終わっちゃうよ?」

 ツネオミの言葉に、ノリコは再び椅子に座った。




「僕はこのあと物理室行くけど、アキトは?」

 放課後、ツネオミはアキトを誘い、機械情報部へ向かう。

 第一物理室の扉の前で深呼吸すると、ツネオミはガラリとドアを開けた。

「こんにちは!」

「こんにちは……ってあれ、またこの二人か」

 机の前でパソコンに向き合っていたソウジはそう言うと、こちらに歩み寄ってきた。コウスケは奥で手を振っている。

「また来るとは熱心だねぇ……。どうだい?もう入部届出しちゃえば??」

「いいんですか?僕、今日もう持ってきてたんです」

 そう言いながら、ツネオミはカバンから、クリアファイルに挟んだ一枚の紙を取り出す。

「おいおいマジか……。別にそんな焦らなくても、もっと待ってからで大丈夫だよ?」

「いえ、今日もう出しちゃいます。その代わり、今日からいろいろ教えて下さい」

 ツネオミは、グッと入部届を差し出す。それを見てソウジは、一瞬険しい表情となった。

「あー、そう……?……分かった、では受け取ります。ツネオミ君ね……よろしく」

 いつも通りのにこやかな表情を浮かべて、ツネオミの入部届を受け取る。

「え、もしかして君も?」

「いえ、俺はまだ書いてきてないです……」

「うんうん、それが普通さ。別にここにこだわらず、もっといろんな部活を見てきてもいいし。視野は広く、選択肢は多く持っておくことが大事だよ」

 そう言ってソウジはアキトの方をポンポンと叩いた。

「まあでもせっかく来てくれたんだ。今のうちにこの部活のシステムを説明しておこうかね、ツネオミ君も入部したことだし。……どうだい、君も聞いてくかい?」

「はい」

「よしきた」

 ソウジは、ツネオミとアキト率いて部室の中を案内する。

 部で使えるパソコン・工作機械・測定機器のこと、活動日や一般的な活動時間、部費や長期休暇中の活動期間など、これからこの部として活動していくに当たり重要そうなことを、ソウジは説明してくれた。

「最初のうちは、危ないからひとりで工作機械とか使わないようにね。先輩に声をかけて。……まあツネオミ君は大丈夫だろうけど、一応、ね」

「はい、分かりました」

 機械に対して人が多すぎるという訳でもなく、一年生のうちから機械にも触れられそうで、ツネオミは心を躍らせた。

 というかむしろ、人が少ないのではないか……?

「あの、ソウジ先輩」

「ん?」

「ここって、高二で引退なんですか?」

「いや?高三夏の大会に出て、そこで引退かな。どうした?受験が心配かい?」

「いえ、そうじゃなくて……」

 ツネオミは、部室内を見回す。やはり高三生の姿は、どこにも見当たらなかった。

「高三の先輩の姿を、見ないな、と思って」

「そういう人なんだよ、あの人たちは」

「え?」

 ソウジの冷ややかな瞳が、そこにあった。

「どうせやる気ないんだから、来なくたっていいさ」

「おい、ソウジ!」

 コウスケが慌てて駆け寄ってくる。

「新入生の前でそういうこと言うのやめなって」

「いいじゃん、事実なんだから」

「だからってねぇ……」

 そしてコウスケは、ツネオミに視線を合わせた。

「ごめんね、突然。ソウジ、大会への方針で先輩とちょっとケンカ?しちゃってて……」

「あ、いえ別に……」

 二人の会話にデジャヴを感じつつ、ツネオミはコウスケの心労が少し分かる気がした。

「ケンカはしてないよ?ただあいつらが」

「はいはい、分かったから。後輩を巻き込まない」

「……。ま、部活に毎日来なくてもやっていける、ホワイトな部活ってことだな」

 悔しそうに言うソウジを追い払って、コウスケは続ける。

「まあ、心配しなくても大丈夫。すぐに解決しとくからさ。それに、僕もソウジも、後輩に迷惑かけるようなことにはしない」

 コウスケの真剣なまなざしに、ツネオミは頷いた。

 ただ、この部で最初に直面する試練は、大会ではないのかもしれないな。

 多少他人事のように、ツネオミは心の中で呟いた。

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