高校生編
高校生編(1) 第一物理室
本当に大切なものは、傷まないように、壊れないように、大切に包んで宝箱にしまって。
ガチャリ、と鍵をかけた。
ぬくまっていない少し冷ややかな空気が胸を満たす。朝だからか人影は少ない。上がりかけの陽もまだ効率的な地面の温め方を知らないのか、射し込む光はどこかぎこちない。
とはいえ駅に着く頃には人の数も多くなり、電車の中はそれなりに混雑していた。窓には、あっという間に流れ去る外の景色が映っている。
県境を越え都内奥深くに入ると、地下鉄跡地を転用した電気自動車専用道路へ向かう。青白い光のトンネルの中を、何台もの車が風切り音を立てて通り過ぎていった。
『電気情報通信高等学校』そう車体に書かれた車を駐車場の中から見つけ出すと、近寄ってドアの指定された位置に学生証をかざす。ピッ、と無機質な音の後、ロックが解除されると同時に室内灯が点灯した。
車内に乗り込み座席に深く座ると、カードリーダーに学生証を差し込みシートベルトを着用する。モニターに表示される目的地が学校であることを確認してから、発車のボタンを押した。
一人乗りの小型電気自動車は軽快に発進し、滑らかに自動運転で駐車場から本線へと合流する。
本来、未成年だけでの自動運転車の走行は認められていないが、実証試験ということでこの電気情報通信高等学校への通学区間に限り特例で認められていた。国の最先端の技術を担う高校だということを、はっきりと主張する必要もあったのだろう。
通勤には少し早いせいか、道路の交通量はまだ少ない。この実証試験の安全確保・及び一般の交通に迷惑を掛けないよう、車通りの少ないこの時間に通学することになるように敢えて始業時刻が一般的な高校より早めに設定されているのであった。
やがて車は左側に分岐した道に入り、ゲートへ向かって直進していく。カードリーダーに挿入した学生証の情報が無線で送られ、それを受信したゲートは車が衝突する前に開いた。
ゲートを超えると車は速度を落とし、エントランスとおぼしき場所の前にゆるやかに停車した。
「目的地に到着しました。今日も一日、頑張ってください」
無機質な音声と共に、カシャンとカードリーダーから学生証が飛び出した。それを忘れずに回収すると、車を降りてドアを閉める。すると車は音もなく走り去っていった。
『国立 電気情報通信高等学校』
ガラス張りのドアの横には、そう刻まれた銅の看板がでかでかとはめ込まれていた。
「おう、アキト」
靴を履き替え、靴箱に外履きをしまっていると、ツネオミが手を振りながら声をかけてきた。
「ああ、ツネオミ」
言葉を返すと、アキトはこちらに手を振るツネオミへ近づいていった。
「ところでアキトはクラス確認した?」
「うん。三組」
ニヤニヤと笑みを浮かべるツネオミに、アキトは素っ気なく答える。
「僕も三組なんだ。今年もよろしくな」
そう言ってツネオミはアキトの肩を叩く。
「うん」
とだけ、アキトは返した。
「教室はこっち」
そう言ってツネオミが階段へと歩みを進めると、アキトは何も言わずについてきた。それを確認してから、ツネオミは階段を上る。
中学と違って窓や照明が散りばめられた階段は薄暗くなく、最近の建物という印象を受ける。こうした小さなことでも、中学から高校に上がった、ということをツネオミに実感させた。
三階へ着き廊下へ出ると、そこには何人もの新入生がうろうろとしていた。動きがどことなくぎこちないのは、単に制服の糊が取れていないからだけではあるまい。
三階は高校一年生のフロアであり、未だ馴れず戸惑う者、僅かに見つけた知り合いと再会の喜びを分かち合う者、様々であるが、それでも皆共通して表情の端に緊張の色が見て取れた。
新入生の人混みの隙間を縫って、ツネオミは廊下の奥へ奥へと進んでいく。
「ここだよ」
そう言ってツネオミはアキトに微笑みかける。
一年三組。そう書かれたプレートの下にある扉の前に、ツネオミは立っていた。
アキトが十分近づいてきたのを確認し、ツネオミは扉に手を掛ける。
その瞬間、ツネオミが力を入れようとするよりも早く、扉とともにツネオミの腕は横へ流されていく。
扉の隙間から目に飛び込んできたのは、これから一年過ごすこととなる教室の内容と、一人の影。
突然の出来事に半歩退きながら視線を下ろすと、短く切られた黒髪が揺れる。
そのショートカットの少女と目が合うと、彼女は目を見開いた。と同時に、ツネオミの脳内の神経回路が繋がる。
とっさに出そうになった「ごめん」という言葉を飲み込むと、ツネオミは脳内に浮かび上がった一人の女の子の名を口にした。
「君は…もしかして……ノリコ……?」
にわかに、少女の瞳に光が射した。
「ツ、ツネオミ……!」
思いもよらぬ久々の再会に、ついツネオミの顔が綻んだ。
「やっぱりノリコかぁ!……ノリコだよ、ノリコ!」
何のことだか分かっていないのか、アキトは無表情のまま立ち尽くしていた。
ツネオミの横に人が居ることに気づいたのか、ノリコは教室の扉からひょいと顔を覗かせた。
「ツネオミと一緒に居るのはもしかして……アキト?」
「そうそう、あのアキトだよ。おい、アキト。気づいてないのか?ノリコだよ。小学校で一緒だった」
ノリコもまた、ツネオミやアキトと同じ小学校に通っていた。中学に上がるとき、家庭の事情といって東京に引っ越してしまったが、またこうして再会できるとは。
「ああ、あの。ノリコ、久しぶり」
ツネオミの説明でアキトも思い出したのか、そう言って手を振った。
「まさか……こんなところで会えるなんて。ね、もしかして二人とも三組?」
「うん。その、まさかさ」
「本当?じゃあおんなじクラスだね!じゃあこれからもよろしく!」
ノリコは嬉しそうに笑みを浮かべる。それを見てると、つられてツネオミも笑い返した。
「そうだ、私、手を洗いに行こうと思ってたんだった。じゃ、また後でね」
「そうだったのか、悪い、引き留めて。じゃ、また」
ノリコが手を振るのに合わせて、ツネオミも手を振る。
ふっ、と息を吐くと、肩の力が抜けていた自分に気づいた。自覚していなかったが、何だかんだ新しい環境で緊張していたんだな、とツネオミは思わされた。見知らぬ新世界に居る知り合いというのは、思っている以上にありがたいものなのだ。
「じゃ、アキト。僕たちも入ろう」
開けられた扉から流れ出る空気は、緊張と期待の香りがしていた。
既に一度教室を訪れていたツネオミは、自分のカバンの置いてある席へとまっすぐに向かった。朝来たときは誰も居なかったが、流石にこの時間にもなると人が多い。
教室の構造自体は中学とさほど変わりないが、設備はまるで違っている。机には学習用タブレットをはめ込む窪みが設けられており、床に見られる切れ込みをスライドさせるとUSB端子が顔を出す。天井には無線通信のアンテナや三次元プロジェクターが吊り下げられていた。
自分の席に座って、周りのクラスメイトと「どこから通っているか」「何が好きか」など他愛ない自己紹介をし合っていると、前方の扉から、スーツに身を包んだ三十代の女性が入ってきた。その姿でみんなが察したとおり、彼女はこのクラスの担任である。
「はいじゃあもうすぐ時間なので、皆さん講堂の方に移動してください。着席箇所は、後ろの画面に表示してあるので確認してください。……ツネオミ君はこちらへ」
一人だけ名指しされた生徒に対し向けられる驚きと好奇の目線に苦笑しながら手で制すと、ツネオミは「はい」と答えて担任の先生の元へと歩いて行った。
「お前、新入生代表だったのか。すげーな」
「いやー、先生に呼ばれてて何事かと思ってたけど、ツネオミ君代表だったんだね」
入学式が終わり、ホームルームが終わり。ようやく自由な時間となると、待ってましたと言わんばかりに、ツネオミは名前を覚えたてのクラスメイトに取り囲まれた。
「ははは、そんなことないよ…たまたまで……」
誰も口には出さないが、入学式での新入生代表は入試の首席合格者だ、とまことしやかに噂されていた。もちろんあくまで噂の域を出ないが、もしそうだったら嬉しいな、とツネオミは思う。
自己紹介を聞いたところ、堅そうな人、不真面目そうな人、様々であったが、日本屈指の難関高校なだけあってか、誰もが皆実力者揃いのようであった。担任のフジサワ先生の言っていた通り、「切磋琢磨」という言葉が似合いそうな学校である。
ちなみにこの担任のフジサワ先生、可愛らしい見た目とは裏腹に厳しいときはかなり厳しい先生らしい。ただ逆に敢えて怒られたがる男子生徒もいるとかいないとか……。そんなムダ知識が早速流れるあたり、何と言ってもみんな高校生、という気がする。
「じゃあ、また明日。これからよろしくね」
カバンに荷物を詰めながら周りのクラスメイトとの会話を終えると、そう言ってツネオミは一人帰ろうとしているアキトの元へと駆け寄った。
「おい、アキト。部活の見学しにいかないか?」
何故?と目で訴えかけるアキトに、ツネオミは畳みかける。
「見に行きたいところがあるんだ。ちょっと付いてこいよ」
そう言うと、有無も言わせずツネオミは歩き始めた。
入学式の日。授業こそないが、上の学年の大抵の人間は所属する部活動への勧誘のために、準備をして当日に挑む。人工芝のグラウンドでは、運動部による苛烈な部員の奪い合いが繰り広げられていた。
そんなグラウンドの人集りを横目に、ツネオミは角を曲がり、薄暗い別棟へと歩いて行く。
『第一物理室』
その看板の下で、ツネオミはようやく足を止めた。
室内を覗き込む人影に気づいたのか、中から一人の男子生徒が顔を出す。スラッとした長身に、糊の取れた制服がよく馴染んでいた。
「おっ、見慣れない顔だね。もしかして新入生?」
黒縁眼鏡のレンズを通して、先輩と思しき人は物珍しそうに二人を見つめる。
「はい。見学に来ました」
物怖じしないように出来るだけ堂々と、ツネオミは答えた。レンズの奥で、嬉しそうに目が大きく開かれる。
「そうかそうか。では、ようこそ!我が機械情報部へ!!」
そう言うと、彼は長身を大きく広げて、二人を室内へと招いた。
「ロボットを作ったり、プログラムを組んだり、そして、AIをいじったり。……アキト、興味があるだろ?」
そう言ってツネオミが振り向くと、アキトはこくりと頷く。その瞳に、光が宿った。
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