中学生編(9) バトン・パス・アウェイ

「先生!本当のところ、ミフユはどうなんですか!?」

 職員室への道中、アキトは必死な様子で、何度もそう聞いた。

「だから、言ってるだろ。海外に転校だ」

 そんな生徒の必死の表情を見ているのはつらくて、アキトに目を合わせられずにいた。

「そんなはずは」

「アキト、ちょっとそこで待ってろ」

 そう言って、担任は職員室のドアを開け、中へと消えていった。

 唐突に海外に転校?あり得ない。そんなことミフユに言われなかったし、そんな素振りも見せていなかったじゃないか。

 しかし職員室まで連れてこられたのだ、何かしらの情報は得られるのだろう。そんな期待を込めて、アキトは職員室の中の担任を見守る。しかし職員室の扉から現れたのは、封筒と謎の手提げ袋を抱えた担任の姿であった。

「先生。何ですか、それ」

 その手に抱える物体に、訝しげな視線を送って言った。

「この封筒は、休んでいた分のプリント。この封筒は、緊急連絡先や模試・授業の成績、志望校などの個人情報だ。開けて見るんじゃないぞ」

 そう言いながら、封筒をアキトに手渡していく。封筒を渡し終わると、手提げ袋の中を探り始めた。

「これはー……何だったかな。そうだ、学校に置いてあった上履き。あと……」

 掴み上げた担任の手に、懐かしいものが握られている。

「これ。お前らのリレーのときのバトンだ。きっと、大事な思い出だろ」

 手渡されたバトンを受け取りつつも、アキトは困惑の色を隠せずにいた。懐かしい感触が、手のひらに広がる。

「他にもいろいろ入ってるから、これ」

 そう、アキトは差し出された手提げ袋を受け取る。思いのほか、重みのある袋であった。

 受け取るも未だ困惑して立ち尽くしているアキトに、担任は声をかける。

「何ぼーっと突っ立ってるんだ。俺の口からは、海外に転校としか言えない。だからな、それ持って行ってこい。多分口であれこれ説明しても、しょうがないはずだから」

 本気の窺える、低く芯に響く声に、アキトは我に返る。手に抱えるものが、ずっしりと重たい。

「こういうのは良くないことだとは思う。けどな、先生は、アキトにキチンと現実に向き合って欲しいんだ。そして、どう生きるかを考えて欲しい。先生は信じてるからな、アキトは強い生徒だって」

 そう言って、先生はアキトを送り出した。

 正直、何を言ってるのか分からなかった。分かりたくなかった。考えたくなかった。

 その言葉の解釈をある程度のところまで進めると、そこから先の考えに踏み込むことを脳が本能的に拒否した。立ち入り禁止。そこから先に思考が立ち入ることは、ない。

 それでも、何かしら異常事態であることは容易に理解できた。とりあえず、確かめねば。ミフユの家に行かねば。

 ミフユの家までの道は、頭に入っていた。幼い頃から何度も通った道。そして今後も何度も通るであろう道。忘れるはずが、なかった。

 近づくにつれ、アキトの心臓の鼓動は速くなる。雨粒の地面を打つ音が、より激しく感じられた。


 ミフユの家の周りは、不思議と静かだった。

 このあたりでは決して珍しくない、普通の一軒家の一つ。こういう家の場合、たいてい家の前のセンサーによって自動的に来客が知らされるのだが、敢えてアキトはインターフォンのボタンを意思を持って押した。

 静寂に割り込む呼び出し音。アキトは真面目な顔でカメラを見つめつつも、息を整えた。

 カチャリ。これまで無言を貫いていたドアが、ついに音を立てる。開かれたドアの隙間から、ミフユの父親が姿を覗かせる。その身は、なぜか畏まった黒色の服に包まれていた。

「……やあ、アキトくん」

「え、あ、お久しぶりです」

 予想もしなかった人物の登場にアキトは困惑しつつも、丁寧にお辞儀をする。とりあえず用件を伝えなければと、アキトは袋や封筒を差し出した。

「これ、担任の先生から持ってくように言われまして」

「まあ外は雨だし、とりあえず入りなさい」

「じゃあ…お邪魔します……」

 穏やかな表情に促されて、アキトは傘をたたむと家に上がった。

 ミフユの父親が、そっとドアを閉める。傘立ての場所を指差すミフユの父親の顔を見て、アキトは聞きたいという欲求を抑えることはできなかった。

「あの。ミフユはどうなったんですか」

 父親の穏やかな表情に、哀しみの色が混ざる。









 あれ以降のことは、よく思い出せない。

 気がつくとアキトは、家の自室で丸まっていた。

 正確に言えば、何があったか、は覚えていた。しっかりと記憶されている。ただそれを思い出すという行為を、いやに拒絶していた。

「アキトー、アキト!ご飯できたわよー」

 ドア越しに、母親の呼ぶ声が聞こえる。しかしアキトには、動く気力は無かった。

 下手に頭を働かせると、そのふいに記憶を掘り起こしてしまう。アキトは何かを考えることすらしたくなかった。

 ノックの音。一向に返事をしない息子にしびれを切らしてか、母親はアキトの部屋まで来ていた。

「アキト!入るわよ」

 そう言ってドアを開けるも、そこで言葉を詰まらせる。

 真っ暗な部屋。カバンは床に転がり、アキトは力なくベッドの上で丸まっている。

「何してんの!?」

 母親は我に返ると、部屋の明かりを点ける。何度も息子の名を呼ぶが、反応は無かった。

 肩に手を掛け、何度も我が子を揺さぶる。

「ご飯よ、ご飯。何してるの!」

 つい、そう呼びかける声が大きくなる。

「う……。まぶしい!うるさい!!」

 かすかな衝撃とともに、息子に掛けた手が振り払われる。

 母親は一瞬何が起きたか分からなかったが、耳に手を当て顔を膝に埋める息子が視界に入り、何か尋常ではないことは察した。

 何を、どうすれば良いのだろう。

 息子の部屋で、母親も呆然と立ち尽くしていた。

 小さくなって微かにうめき声を上げる息子がどうしようもなく可哀想で、見ていられなくて、母親はそっと明かりを消し、壁に手をつきもたれかかる。

 時間の滞留した空間に、鍵の開く音が切り込む。

 はっ、と母親が顔を上げると、そこには帰宅したアキトの父親の姿があった。お手上げだった母親は、たまりかねて父親に駆け寄る。

「お父さん!アキトが!アキトが!!」

 父親は、指差された先の真っ暗な部屋を見つけて、表情を険しくした。

「そうか……アキトは、聞いたんだな」

「え?」

「……とにかく、今はアキトはそっとしておこう。それよりも母さん、こっちだ」

 悲しげな視線をアキトの部屋に送り、父親はそっとその部屋のドアを閉めると、母親の手を引きリビングへ連れて行く。

「一体、何があったの?」

「とりあえず、これを見てくれ」

 父親は、タブレットに送られてきたメッセージを表示させると、母親に手渡した。

「えっ」

 小さな叫び声の後、母親の目は確かめるように、もう一度画面上を走る。

 何度も見直してメッセージの内容を飲み込んだのか、母親は震える声で内容を再確認した。

「ミフユちゃん……亡くなったの……?」

 そのか細い声は、ドアを、耳を覆う手を掻い潜って、アキトの鼓膜に突き刺さった。



 カーテンの隙間から、太陽光が細く射し込む。

「アキト、朝よ。起きなさい!今日も休む気!?」

 母親は、アキトの部屋のドアノブに手を掛け、奥へ押すように力をかける。その感触は、ドアというよりは暖簾のようであった。

「昨日休んじゃったんだから、今日は学校行かないと。もう受験も近いんでしょ。アキト?アキト!」

 呼びかける母親の声だけが、アキトの部屋にむなしく響く。

 その横を、ワイシャツにネクタイを結びながら父親が通った。

「お父さん、今日もこんな感じなのよ?」

 あなたからも何か言ってやって、そう言外に響かせる。

「まあ……母さん、そっとしといてあげなって」

「そうは言うけどね、この子は受験も近いし、先のことも見据えないといけない時期なのよ?」

 誰々はもう塾に通い始めている。あそこの子ともはあの塾に行って少し嫌がっていた。そういった話題は、この一年ほどなんども食卓に上ってきていた。

「そう。未来はまだまだ決まってない。これから頑張ればなんとかなる。だけど、過去はもう確定してしまっているんだ。今更どうしようもない」

 そう言って、父親は仕事へ出かけていった。

 協力を得ることに失敗した母親は、不満げに口ごもる。

「……はあ。アキト、サンドイッチここに置いてくわよ。お腹すいたら食べなさい」

 根負けしたのか、母親は息子にそう語りかけると、机にサンドイッチを置いて、部屋を後にした。

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