中学生編(10) 空けて、開けて、明けて

 明けて月曜日。

 教室にはミフユの姿も、アキトの姿も、ない。

「今日もアキトは休み、体調不良だ。それと、進路調査票の提出期限は今週までだから、きちんと保護者の方とも話し合って書いてくるように」

 短期間に教室から生徒が二人も消える。それは担任にとっても辛いようであった。

 それでもそんな担任とは対照的に、今日も教室内は賑やかであった。

「アキトの奴、ミフユのこと追いかけていったんじゃないの?」

「今頃、海外のホテルでアンナコトコンナコトしてたりしてなー」

「くーっ、あいつ、平日の真っ昼間からうらやまけしからん」

 ミフユの海外転校が知らされた翌日から、アキトは学校から姿を消した。

 それからというものの、こういう気分の悪い噂がまことしやかに囁かれるようになった。

「ふざけんな。アキトがそんな訳ないだろう」

 不快な話を止めにいく声に、無意識に力がこもる。とはいえタイミング的にも、程度の差はあれ、この手の噂が立つのも無理の無い話であった。

「じょ、冗談だってツネオミ。でもさ、アキトが休んでるのなんでだろうな」

 むしろ、現実もこのような下らない噂通りならどんなに良いだろうか。そう思うと、ツネオミは表情を緩めた。

「体調不良だ、って言ってるんだから、きっとそうなんだろ」

「まーなー。けど体調不良にしては長すぎね?」

 そう、体調不良にしては長すぎる。それに、本当に体調不良ならもう病院に行っているはずで、担任の話にももっと具体的な病名が出るはずだった。

「……まあ長引いてるんだろうな」

 アキトたちの事情をある程度知っていたツネオミは、アキトが何日も休んでいるこの現状に対していくつかの推論を立てていた。そして、その中で一番つらく悲しいものが、一番可能性が高いことを知っていた。

 校舎にチャイムが響く。

 何が起こったのか、考えるのはもう止めだ。それでも自然と、アキトの心配がツネオミの脳内を占めていた。

 ……こんなときにメッセージ送るのも逆効果だろう。

 アキトから離れたこの空間で、ツネオミにできることは思いつかない。


「ツネオミ、アキトやミフユのこと、何も聞いてないの?」

 放課後、ツネオミが顔を上げると、そこには心配そうな表情を浮かべたミホが立っていた。

「悪い。なにも」

 残念そうにするミホとは対照的に、ツネオミは少し明るい気持ちになっていた。しばらく話していなかった人と久々に話すというのは、こんなにも前向きな気分にさせるらしい。

「そっか……ごめん。……私も、ミフユの家に行ってみた方がいいのかな」

「え?いや、ちょっと待って」

 聞き捨てならないワードに、ツネオミは即刻反応する。

「何で?ミフユの家の人なら何か知ってるかもしれないし。アキトも多分行ったんじゃないかな」

「いやダメだ、それは止めておこう」

 ミホの目に、疑問と不満の色が混ざる。ミフユの家に行かせてはならない。ツネオミが推測する限り、そうであった。しかし、ただ止めるだけではミホは納得するまい。

 この場合、家に行ったところで何も解決しない。海外に転校したことになっている生徒の家に行ったところで、家から出ようとしない生徒の家に行ったところで、中学三年生に何かができるとは思えない。

 それでもミホは、ミフユもアキトも心配して、動こうとしている。……なら、いっそのこと。僕も安全地帯から前に進むべきではないか。

「それよりさ、僕はアキトの家に行くつもりなんだけど」

 その発言を聞いていたのか、そばに居たミノルがこちらを見る。

「えっ、これから行くの?」

「うん。それで、ミノルも、ミホも、一緒にどうだい?」

 いろいろ考えるものがあるのか、少しの間静寂が訪れる。

「僕は行かせてもらうけど……」

 そう答えるミノルは、視線をミホの方に向けた。

 二人の視線の中で、やがてミホは小さく頷くと口を開いた。

「うん、私も行かせて」



 アキトの家の前に立つも、誰かが出てくる気配は無い。仕方がないので、ツネオミは呼び出しベルのボタンを押すことにした。

 ドタドタと慌ただしい音が漏れてきた後、ドアから姿を見せたのはアキトの母親だった。

「……あら、ツネオミ君。お久しぶりね。えぇっと……」

「お久しぶりです。今日はアキト君の様子を見に来ました。こちらの二人もアキト君のクラスメイトです」

「初めまして。ミホです」

「み、ミノルと言います。初めまして」

 自己紹介して軽く頭を下げる二人を、アキトの母親は穏やかな表情をたたえて見ていた。

「あらあら、ツネオミ君の他に二人も……。わざわざありがとうね。でもアキトは……」

「お話させて、もらえませんか」

 そう言ってツネオミはアキトの母親を見つめる。母親は、困惑した表情を浮かべると、やがて何かを考え込み、穏やかに笑った。

「……そうね、せっかく来ていただいたんですもの。ぜひ話してやってください。それに、あの子もみなさんと話せば何か……」

 やはり、ただの風邪ではないな。

 ありがとうございます、と頭を下げながら、ツネオミは確信した。

 手招きされて三人は玄関をくぐる。

 靴を脱いで、一歩、また一歩と、他人の領域に足を踏み込む。見慣れない廊下は、どこが何と繋がっているのか全く見当もつかない。

「アキトー!お友達がいらしたわよ!!」

 ドア越しに、母親が声をかける。廊下に反射した自身の声を耳にし、母親は苦しげに顔をツネオミの方へ向ける。

「ごめんなさいね。アキト、ずっとこんな感じなんです」

 そう言うと、母親はぐっと力を込めて、ドアを開いた。

 電灯も日射しもない部屋。廊下から漏れる光でかろうじて、ベッドの上にある布団に覆われた塊を視認することができた。

「アキト、だ、大丈夫!?」

 すぐさまミノルが駆け寄る。しかし、影の塊は何も語らない。

「ジュースでも、お出ししますね」

 そう言って母親は、その場を離れた。


「ミフユのこと、先生に聞いたんだろ」

 返事をしてくれ、ツネオミの願いも空しく、何の応答もない。最悪の推論への自身が、確信に変わった。

 アキトがこうなる理由は、他にもう考えられなかった。

「……ミフユは、死んだんだね」

 アキトを見ていたミホやミノルの視線が、突如としてツネオミの方を向く。その瞳は、動揺に震えていた。

「ばッ…どういうこと?バカなこと言わないでよ!」

 思わず声を荒げたミホも、ツネオミの表情に冷静さを取り戻す。ふざけている訳ではない、真面目な表情。そもそもツネオミがこんなところで趣味の悪い冗談を言うような人間ではない、という事実がミホを襲った。

「手を下したのは、警察用ドローンかな?ナツキ君と同じように」

「え、ちょっと待って、何言ってんの?ツネオミ」

「嘘……警察ってそれ……。きょ、ミフユが何か罪を犯したってこと……?」

「そんな訳ないだろ!!」

 そんな荒々しい声は、ベッドの上から発せられていた。

「人の部屋に勝手に入って、人のこと勝手なこと言いやがって……。ナツキもミフユも、犯罪者な訳ねぇだろ!」

 アキトを覆っていた布団が地面に投げ捨てられる。重い掛け布団は、どことなく間の抜けた音を立てた。

「僕たちも、そう思う。そう思いたいよ」

 ミホとミノルは、二人の会話を不安げに見守る。ツネオミはアキトが落ち着いたのを確認して、話を続けた。

「でもね、二人の無実を本当に知っているのは、みんなに示せるのは、アキトだけなんだよ。アキトがいなきゃ、みんなの中で二人は犯罪者のままだ」

 アキトの顔が、悔しげに歪められる。その握られた拳が、強くベッドを叩いた。

「じゃあ……どうしろって言うんだよ……」

 打って変わって、絞り出すかのような弱い声に、ツネオミはたじろぐ。

「……学校に、来いよ。みんな、心配してる」

「みんなって誰だよ!そこにミフユは居るのか!?」

 アキトは忌々しげにツネオミを睨み付ける。

 あまりに弱さを剥き出しにした威嚇に、ツネオミは言葉を詰まらせた。


 ……やっぱりミフユには敵わないんだなあ。

 ミホはそう思わざるを得ない。ミフユという、ぽっかりと大きな穴が空いたアキトは、あまりにも弱々しくて。

 ミホは意を決して、ツネオミの前に出た。

「アキト……。アキトはミフユのこと、好きなんでしょ」

「何だよ突然。今関係な……」

「好きなんでしょ!?」

 そう言うミホの表情は、真剣そのもので、ツネオミもミノルも、口を挟める雰囲気ではなかった。

「……ああ、好きだったよ」

 その台詞は、ミフユに言うべきものではなかったか。ミホは顔をしかめる。

「じゃあ、そんな好きなミフユが突然奪われて、それでいいの!?」

 アキトが突然いなくなったら。

 私だったらそんなのは嫌だ。許せない。

「良いわけ……ないだろ」

 当たり前じゃないか。そう、アキトの目は訴える。

「じゃあいつまでこんなところでくすぶってるのよ、あんたは」

 私の知ってるアキトは、もっとミフユを守るために必死で、全力で。ミフユの思いを握り走るアキトは、何よりも輝いていて。

 こんな目の前に光無く座り込む、暗いアキトは違う。

「そんなこと言われたって……。所詮中学生なんだ。ミフユが死んだ理由についての詳しい情報も得られないし、無実を示す力も無い。こんなの、どうしようもないじゃないか……っ」

 行き場の無い熱を、ミホは感じる。光ることがなくたって、いや光ることがない分、熱は溜まっているのかもしれない。

 ドロドロと熱いマグマのようなものは、アキトを内側から焼いていっているようだった。

 ……きっと、この熱を光に変えることができるのは、ミフユだけなんだろう。

 心の内で呟いた言葉が、針となってミホの胸を刺す。

 いやダメだ。今日はアキトを見舞いに、励ましに来たのだ。ここまで来て、ミフユに丸投げするわけにはいかない。

「今はそうかもしれない。けど、この先そうとは限らないわ」

「そうとは限らないって、そんな不確定性なものに……」

「不確定だから、できる。今、情報を入手できないなら、将来入手できる立場になればいいじゃない。勉強して、良い大学入って、総理大臣になって」

「なに小学生の夢みたいなこと言ってるんだ!そう簡単に言うけど、なれる訳ないだろ!!」

「アキトなら、なれる!」

 力強く言い切った台詞は、アキトを黙らせた。

 そうあの輝いてるアキトなら。ミフユのためならなんだってやってのけちゃうんだ。

「何のためにあんたは身体鍛えて、勉強してきたの?己を磨いてきたの?ミフユの側にいるためじゃないの!?」

 清々しいほどに、心からの言葉だった。嘘偽りのない、本心からの言葉。

 偽りの無い、清く純粋なものはとても弱くて、脆くて。

「だから、この先も頑張りなさいよ。ミフユに近づくために」

 そう言って、ミホは俯く。最後の方の、湿り気を帯びた声に、アキトは何も言い返せなかった。

「ごめん。私、先帰るね」

 ミホの目に浮かぶ小さな小さな光の粒を見て、声をかけられる者はいなかった。


 残された男三人は、女々しく押し黙っていた。

 何を思ったのか、アキトは立ち上がると、机の電気を点けた。

 いつもなら大した明るさじゃない光が、目に刺さる。

「なあツネオミ、学校は今どんな感じだ?」

 アキトはそのまま机の前にある椅子に座って、尋ねた。

「え……さっきも言ったようにみんなアキトを心配してるし、ミフユが居なくなって困惑してる。ミフユの分の机も、まだ残ってるんだ」

「そっか……他には?」

「えー、あ連絡としては、進路調査票の提出は今週まで。授業は…小テストが終わってそろそろ新しい範囲かな」

「……じゃあ明日からさ、勉強とかいろいろ聞いてもいい?」

「え、ああ。もちろん」

 突然のお願いに、困惑しつつもツネオミは答える。

 アキトはくるりと椅子の向きを変え、ツネオミとミノルの方を向いた。

「ツネオミも、ミノルも、今日はありがとな。……また、明日」

 その言葉に、ツネオミの顔にもミノルの顔にも笑顔が宿る。

「うん。また明日!」

「また明日な。絶対だぞ」

「おう。もちろんだ。……本当にありがとう」

 そう言ってアキトは、二人に軽く手を振っていた。

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