中学生編(6) どきどき修学旅行
途切れることなく来る電車、見上げるとあらゆるところにぶら下がる発着案内のディスプレイ、足下には乗り換え順路や広告が投影され、ホームは沢山の人で賑わっている。
流石は日本の首都、東京。東京以外では滅多にお目にかかれないものが、平然とそこかしこに溢れている。こんな刺激に溢れる首都が、あくまで通過点どころか出発点に過ぎないというから修学旅行は恐ろしい。
先生の誘導に従い、乗り換え改札を通ってさらに地下へと潜る。壁に埋め込まれた光源は地下の薄暗さを感じさせず、煌々と進む先を示して人々を乗り場へと導く。こんなに長いエスカレーターって存在していたのか。周りのクラスメイトも同じことに驚いたらしく、下手なテーマパーク以上にはしゃいでいる。そのはしゃぎ声も、壁に反響しながら都会の喧騒にかき消されていった。
「はいはい静かに静かに。ここは一般の方もいて、学校の中とは違うのだから、立ち振る舞いには気をつけるように」
そんな先生の言葉は聞かずとも、目の前に広がる重厚感溢れる乗車ゲートに自然と言葉が途絶える。リニア新幹線。それは地元で見る電車とは、明らかに異なるものと感じられた。ミノルはカメラ片手に、他のクラスの人と一緒に車両の写真を撮りまくっている。
「テレビとかで見たことあったけど……リニアってすごいんだな。飛行機みたい」
「むしろ飛行機より最新かもしれないね……。もしかしてアキトはリニア初めて?」
先生の指示に従って、事前に決めた座席に対応した乗車ゲート前に二列で並ぶ。ドアが開くまですることはないから、こうして感想を口々に言い合う生徒は珍しくなかった。
「ああ、もちろん。普通の新幹線になら乗ったことあるけど……。ツネオミはあるのか?」
「うん、僕は何度か。こういうものには目がないからね」
そう誇らしげに語るツネオミも、やはりリニアを間近に見ると何度でも興奮してしまうらしい。どことなく落ち着かないツネオミと会話しながら、アキトはゲートが開くのを待った。
揺れることなく列車は品川駅地下を滑り出す。トンネルの中なので外はよく見えないが、それでも加速度はしっかりと身体に感じられた。
「なあツネオミ」
暗い窓に映る世界で、ツネオミがアキトの方に視線を向ける。それを確認して、話を続ける。
「ツネオミとこうして一緒に学校の行事に参加するのも、今年で最後なんだよな」
「そうだね、アキトは県立行くんでしょ。どうした?寂しい??」
「いや、そうじゃないけど……。小中と、ツネオミとも長い付き合いだったなあって」
「どうしたの?死ぬの??」
人の死に人一倍敏感なこの少年に、「死」の冗談を言える者は数少ない。それでもツネオミは、ニカリと笑った。
「……いや、死ぬ訳じゃないけど」
「じゃあいいじゃん。生きてりゃまた会うこともあるよ」
「まあそうだけどさ」
空気の塊が車体を打つ重い音が車内に充満する。トンネルの構造変化に応じて、列車がすれ違うのに応じて、その音は重みを変えて時折車体を揺らした。
「…………ミフユは、どこの高校行くんだろう」
飛行機ほどではないにしろ、音に満ちたこの車内では隣の人以外の声は聞こえない。
その中で、耳につく風切り音が、焦燥感を誘う。
「それは、直接本人に聞いてみたら?」
そう言ってまたしてもツネオミは笑みを浮かべる。しかしその笑みは、先ほどとは異なる種類のもののように見えた。
徐々に差し込んだ光がツネオミの笑みを薄め、やがて窓にはごく薄くアキト自身の顔が映り込むだけとなった。
神奈川を出て山梨に入り、多少飽きはじめてきたトンネルともようやく別れを告げる。待ち焦がれた外の光と、想像を絶する速度で流れる景色とに、一同は目を細めつつも思わず感嘆の声を上げた。
電柱、民家、田んぼ……あっという間に流れ去ってしまう人工物たちに対し、進行方向左手には富士山はどっしりと奥の方に構えている。このルートができてから、「表富士」「裏富士」問題が再燃化したらしい、というのをそういえばバラエティー番組でやっていた。
「ミフユはさ、小学校の頃もアキトと一緒だったんでしょ」
「ん?うん。物心ついたころから、ずっと、一緒」
「小学校の頃のアキトってどうだったの?」
「んー、今とそんな変わらないかな」
「じゃあさじゃあさ、小学生の頃から勉強もできて、足も速かったわけ?」
「そう。……あーでも勉強に関しては今ほどじゃなかったかも。最近、勉強も頑張ってるよね、アキト」
足も頭も、ナツキを想う心も。アキトはやっぱり変わってなかった。そう心の中で呟き、ミフユはほんのり笑みを浮かべる。
でも、だからこそ、アキトに迷惑をかけてばかりではいられない。
「そうなんだー、さすが!…………やっぱ幼馴染みだね」
新幹線では、基本的に男子はAB席、女子はCD席となっており、女子は男子の姿ごしにしか富士山は見えない。特にD席のミホからは、山を拝めるには一苦労であった。
歓声の中、ミフユをくぐり、窓に目を向ける。淡い水色を区切る富士山、その上に重なる男子の輪郭。その山頂は、雲よりも高く。
「え?」
「いやいや何でもないよ。いやーでもアキト、足速いよ、リレーのアンカー凄かったし。小学校でもトップだったんじゃない?」
「ううん。もう一人、もっと足の速い人がいたよ」
「え、そんな人いたの!?いやーそんな逸材、是非ともうちの中学の陸上部に入って欲しかったね」
「うん、うちの中学に入ってたら、ね……」
二人の間に、ちょっとした沈黙が漂う。なんとなくその沈黙を持て余して、ミホはペットボトルのお茶を口にする。
ゴクリ、と喉が大きな音を立てた。
「でさあ、結局ミフユとアキトは付き合ってるわけー?」
「っえぇ!?」
本当に驚いたのか、ミフユが柄にもなく素っ頓狂な声を上げる。その反応に、ミホはニンマリと口角を上げた。
「いやさー二人、仲いいじゃん。もういくとこまでいっちゃってるってウワサだけど、実際のところどうなの?」
「な、なにそれ!つ、付き合ってるわけないじゃない!!」
「ほんとぉー?」
「ほんとのほんと!」
「……そっかあー」
富士山に歓声を上げ写真を撮るのもつかの間、列車はすぐさま再びトンネルに入る。鋭い流線形の先頭車両が、ドロッとしたトンネル内の空気の塊を切り裂く。
「…………じゃあ私、どうしたらいいんだろう」
少女の小さな小さな呟きは、空気が車体を叩く轟音にもみ消され、人の鼓膜を揺らすことはなかった。
桁違いな明るさの太陽光は山体に吸われ、車内は再び、頭上LEDのか弱い光が支配する。その弱々しい輝きを、暗闇のトンネルは必死に車内に閉じ込めていた。
隣席の友達とのとりとめのない会話を楽しめる中学生にとって、四十分・一時間はあっという間である。気がつくと列車は、名古屋・大阪へと到着していた。
一般客の邪魔にならないよう、先生の指示に従いワンテンポ遅れて、きちんと整列してゲートをくぐる。
日本第二の都市、大阪。そこは東京と同じ日本であり、それでいてどこか東京とは違っていて。その微妙な異国感は、まずエスカレーターでまざまざと見せられることとなる。
「やっ、ツネオミ、アキト」
「おう、ミノルじゃん。写真は順調かい?」
「まあ、うん。でも修学旅行はこれからだから」
そう言ってミノルは、首から提げた一眼レフを手に取る。このような大きなカメラを持つミノルは、この修学旅行中は写真撮影係となっており、行きの新幹線は離れた席に座っていた。ミノル曰く、小さなデジカメがどこかしこにある今も、レンズを向けシャッターを切る、という行為が大事らしい。
担任に率いられ、クラスは地下鉄のホームへと向かう。大阪の地下鉄の路線図を見て、その路線網の発達ぶりに何人かは驚きを漏らす。
東京では自動運転付き電気自動車の発達により、その地下鉄はほとんど役割を終えていた。広大な地下空間は電気自動車専用道路やその他の用途に転用され、営業運転が残されているのは日本最古の銀座線と、私鉄同士の連絡線の役割が強い浅草線・副都心線程度である。それらからすると、これだけの路線がこれだけの密度で運行する大阪の地下鉄は、物珍しくて当然であった。
「なんで地下鉄なのに地上なんだよ」
「大丈夫、もうすぐ潜るから」
そう自信げなミノルの言うとおり、電車はやがて地下にトンネルに突入する。何が面白いのか、生徒たちは、暗い地下でも加減速を繰り返して駅に止まるたびに歓声を上げる。
「やれやれ……地下鉄で珍しがるなんて田舎がバレる」
「そういうアキトだってそんなに地下鉄乗ったことないでしょ」
「……まあ東京のに何回かだけだな」
まあみんなが騒ぐ気持ちも分かる。こういう地下鉄も珍しいし、それに黙ってると地下を電車で走ることへの恐怖心が出てきそうだ。湿っぽい臭いが不安を煽る。
地下鉄を降り、地上へ上がり、ひときわ目立つ、歴史を感じるタワーを目指す。
アキトはちらりと目を向けると、女子同士楽しげに話すミフユの姿があった。カツン、と道の脇にある金属製のアミの部分の上を歩くと、アキトの心はざわつく。はあ、とついた溜息は、深い深い穴に消えていった。
顔を上げると、そこには大きな塔がそびえ立つ。通天閣。現代的な建物の中で、前世紀的な佇まいを残すその塔からは、大阪の愛の歴史が感じられた。
大阪の街についての展示や独特の内装を感じながら、塔を上る。その展望台からは、大阪の街が一望できた。
眼下に広がる街で日々を生きる人々に、思いを馳せる。張り巡らされたインターネット、手持ちの情報デバイス、空を舞うカメラ付きドローン。コンピューターは、今では日常のあらゆるところに浸透している。
……これらのコンピューターができる前はどうだったのだろう?どのように生きていたのだろう?今更、想像もつかない。だけど、何だかんだみんな今とさほど変わらないような生活を送っていたのだろう。表面は変われど本質は変わらない、そんな人々の生活を、この通天閣は見守ってきたのではないか。
「これからも、きちんと見守っていてくれよ」
呟いた言葉に、返事はない。
昼食にお好み焼きを頬ばり、貸し切りバスで大阪城やら観光地を巡る。アツアツのお好み焼きは美味しかったが、店内でのミノルの「焼きそばが入ってない」発言にはヒヤヒヤしたものである。
外の暑さ、歩いた疲労、そのうえ興奮しっぱなしだったこともあってか、ホテルに着く頃にはみんなヘトヘトになっていた。
ホテルは一部屋四~五人。もちろん男女別々なので、必然的に翌日の自由行動の班とは異なる部屋割りとなる。アキトたちの部屋には、ツネオミ・ミノルの他、サッカー部のダイキ・ショウマがいた。
食事までの時間に、順番に部屋のシャワーを浴びる。交代しながら、残された四人は大富豪を楽しんでいた。
七時になると夕食会場へ。クラスごと指定された何卓かに分かれ着席する。湯上がりの部屋着の女子たちは、どことなく色っぽく思えた。
「明日も早いから、消灯時刻となったらさっさと寝ること。部屋移動なんてもっての外だからな」
「はーい」
「では、ごちそうさまでした」
「ごちそうさまでした」
先生の連絡の後、夕食会場から部屋に戻る。アキトたちは消灯時刻までの間、携帯で翌日の自由行動について連絡を取り合いながら、部屋でババ抜きを楽しんでいた。
ノックの音に気づき、ドアを開けに行くと、そこには見回りの先生の姿があった。
「こんばんは。じゃあもうすぐ消灯時刻だけど、寝る準備はできていますか」
そう言いながら、先生の目は部屋全体を見回している。
「はい」
「よろしい。明日は七時半朝食なので、遅れないこと。ではおやすみなさい」
「おやすみなさい」
丁寧に挨拶して、音を立てず、しかし素早くドア閉める。
ドアが完全に閉まったのを確認して、「四〇三、見回り完了」と、ダイキはクラス全体に情報を流した。
修学旅行第二フェーズに突入したのを感じ取ってか、ゴソゴソと布団からショウマが立ち上がる。
「じゃ、俺たちは別の部屋行くけど、アキトは?」
「あー、まだババ抜きの途中だから、ここに残るわ」
「そっか、じゃあな」
小声での会話も、どことなくテンションを高める。
「よし、もう先生は五階に上がったらしい」
クラスメイトの情報を確認すると、ダイキはそっとドアを開け、二人は他の部屋へと旅立っていった。
カチャリ、とオートロック付きのドアが閉まる音が響く。
ミノルは真剣に、ツネオミの手札のうちどちらを取るか、を悩んでいるようだった。別にどちらもジョーカーではない。だけど、どちらを引くかでミノルの運命は変わる。
何を選ぶか。
何の情報もないまま、理不尽な二者択一を押しつける。そういうゲームである。
やがてミノルは何かを決心したのか、向かって右側のカードに手をかけ、その正体を確認する。
ミノルの表情は明るくなり、ペアとなったカードを捨てる。残された最後の一枚をアキトが引き、ミノルはゲームから勝ち抜ける。ダイヤの七だったか。ツネオミは心の中で舌打ちした。
アキトもペアを一組捨て、究極の二択合戦の始まりである。アキトは後ろを向き、念入りに二枚をシャッフルする。そのうち一枚を、表情を注視しながらツネオミは引く。カードに描かれたピエロを恨みながら、ツネオミも同様に念入りにシャッフルした。
暗い部屋の、無言の熱戦の中、ふとミノルが口を開く。
「で、アキトの好きな人は誰なの?」
「は?」
アキトの顔に動揺が走る。まんまとジョーカーを引かせたツネオミも、表情は硬いままだった。
「なんで突然」
またしてもシャッフルしながら、アキトは平静を装って言う。
「いいじゃん、やっぱ修学旅行だしさ」
「そういうのならツネオミの話も」
「いや、アキトの話が大事だね」
そう言いながら、ツネオミは引いたカードの絵を見つめて悲しげな表情を浮かべる。ピエロはいつ来ても、陽気に笑みを貼り付けている。
「やっぱり、ミフユさんが好きなの?」
ミノルの言葉を最後に、暗い室内に静寂が訪れる。
どちらのカードを引こうか、そう思考しようとするアキトの脳内に、ミノルの言葉が何度も繰り返される。
この沈黙は、もうどうしようもない。アキトははあ、と息を吐くと口を開いた。
「さあな。……そうなのかもしれない」
シュッとツネオミの手からカードを引く。ハートのエース。アキトは最後の二枚を、中央に投げ捨てた。
「最後まで残るのは、僕か」
「は?いいからおまえらの好きな人も発表しろよ」
「いいからいいから、もう一戦やるよ」
「あ、じゃあ僕はカード切っておくわ」
残ったジョーカーをミノルに差し出す。それを受け取り、ミノルはカードをシャッフルし始めた。
「おい、ずるいぞおまえら……」
「アキト、消灯過ぎてるんだから静かに」
「ぐ……」
世の中には、公開しない方がいい情報だってある。
その夜は、もう二戦やってから、みんな眠りについた。
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