中学生編(5) ひとときの日常
先生の開けた戸から、開放感が流れ込んでくる。ホームルームが終わり、一日の授業から解放された、至福の瞬間。先ほどまで静まりかえっていた教室に、机と椅子の脚同士が奏でる小気味よい金属音と愉快な話し声とが広がっていった。
「あのさ、アキト」
話しかけるツネオミの声を耳で感じつつも、アキトはそそくさとカバンに物を詰める。この後の用で、頭の中はすでにいっぱいであった。
「悪ぃツネオミ、今日はちょっと用事あるからまた明日」
そう言うとアキトは、先頭集団に遅れまいと勢いよく椅子を机に押し込み教室から駆けだした。
図書室には本棚の他、蔵書検索やインターネットでの情報検索が行えるデバイスが何台か設置されている。その一台の前にアキトは腰掛け、インターネットで検索していた。
「ナツキが撃たれたのは、プログラムや法的手続きに則っていた。法律に照らし合わせ死刑に当たる罪状であり、尚且つ緊急性を要する案件であったためあの場での発砲に至った」
そう書かれていたと、情報開示請求を行ったミフユは言っていた。死刑に当たる罪状って何だ?合法的な発砲って何なんだ?
画面に映し出された検索結果を流し読む。なるほど、死刑となる罪には大きく分けて二種類がある。一つはテロなど組織的な大きな犯罪に関わった場合、もう一つは人を殺した場合。後者では単に殺人といっても一人殺した程度ではそうそう死刑にならず、大勢を殺したり盗んだり脅迫したり残忍性が高いなど殺人に加えて何かをしないと死刑にはならない。
じゃあナツキは?人殺しなんかもちろんしていないはずだ。だとしたら……。
「……アイツがテロリストだったなんて言うのかよ」
そんな馬鹿な。ありえない。
他の人に見られないよう検索履歴を消去すると、アキトは法律関連の本を探し始めた。傾きつつある西日の長い影が、図書室を広く覆っていた。
中学校の図書室に、そこまで専門的な書籍は置かれていない。けれど、中高生向けの簡単な公民の教科書・参考書で十分であった。
三十年前、四十年前の教科書を含め、アキトは様々な本を手に取った。しかしそのどれでも、先ほどのネットの情報以上のものは得られなかった。
一体結局、どういうことなんだ?
アキトは本をパタンと閉じると、集めた本をもとの場所に戻し図書室を後にする。夕闇の溶け込みつつある外の空気はどこか中途半端で、吸ってもすっきりしないもやもやとしたものだった。
チャイムの音を合図に、アキトは大きく息を吐き出す。勉強用の端末を机の中にしまうと、財布を取ろうとカバンのファスナーを開けた。
「ツネオミ、パン買いに行こうぜ」
アキトは財布を掴むと椅子から立ち上がった。ツネオミは、というと、既に立ち上がって歩き始めていた。
「悪い、アキト。カレーパン頼むわ」
「え?いや、ツネオミも買いに行くんだぞ」
「いやちょっと用事があってね、頼むわ」
そういうとツネオミは手のひらをこちらに向け、「じゃ」と言い残して立ち去った。
何だ今日はそっけない。心の中で毒づくと、そこでハッとアキトは息をのんだ。用があるんじゃ、しょうがない。
アキトはツネオミに背を向け、教室を後にする。握りしめた財布が、心なしか、重い。
「あれ、ツネオミは?」
教室に帰ってツネオミの席を見ると、そこには誰も座っていなかった。
「うん、まだお話ししてるみたい」
隣で弁当を広げるミノルの視線の先を見ると、そこには女子三人組と話すツネオミの姿があった。その姿を横目に見ながら、アキトは椅子を引いて着席する。手に提げたレジ袋を机に置くと、パンの袋がくしゃりと音を立てた。
「アイツ、人をパシっておきながら自分は女子と……」
「まあまあ、そういわずに。よろしくね」
ミノルが宥めるも、アキトは忌々しげに焼きそばパンの袋を破く。焼きそばパンにかぶりつくと、何本もの麺が絡まり連なって引っ張られてきた。
「って、あっ!今日日直じゃねぇか」
「ああ、うん。それもそうだね。日誌書かなきゃじゃん」
「そうそう。あっぶねー、日誌書き忘れるところだった。早くしないと午前中の内容忘れちまうよ」
アキトはパンを咥えたまま、ごそごそと机を漁って端末を取り出す。学習用タブレット端末が導入されてから、日誌も専用アプリを介してデジタルデータとして提出するようになっていた。そこには、日誌の記入を催促する通知が大量に貯まっている。
一限は何をやったっけ。パンを片手に、アキトは一日の内容を記していく。全く、昨日も今日も似たようなことをやっているから、今日やったことがすぐわからなくなってしまう。だからこそ、わからなくなる前に記しておかないといけないのだろうけど。
チャイムの音が、休息の終わりを告げる。名残惜しそうに余韻を廊下に残しながら、騒がしさは教室内へとその場所を移した。
「さて、じゃ続けてホームルームやるぞ」
六限目の教師はクラス担任であり、授業が終わるやそのままホームルームへ突入した。
「じゃあ日直からの連絡」
「はい、特にありません」
毎日繰り返される、いつも通りのやりとり。だがそこでアキトが帰りの号令を言う心の準備をしていたとき、いつもとは違う一言が告げられた。
「うん。……では、いよいよ前から言ってた修学旅行の班分けを始めるぞ」
『修学旅行』『班分け』そのワードに反応しない中学生なぞいないだろう。期待や不安に沸き立つクラスを制止して、担任は続ける。
「はいはい騒ぐな騒ぐな。というわけで、二日目の自由行動の班を組んでくれ。知っての通り人数は五~六人、男女混合可だ。ああ、もちろん夜の部屋割りとは別だからな」
あっ、と声が漏れる。
しまった。これがあった。何も考えていなかった。
この学校では、夏休み最終週に二泊三日の修学旅行に行くことになっている。修学旅行までまだ一ヶ月ほどあるが、夏休みを挟んでしまうので夏休み前にいろいろと決めておかねばならないのだ。
先生の話もロクに聞かずに、仲良し同士声を掛け合うクラスメイトたちの光景が目に飛び込む。
とりあえずツネオミに……。とツネオミの肩へと伸ばした手がここで引きつる。
今日のツネオミは冷たい。きっと昨日のアキトの振る舞いに起こっているのだろう。こんな気まずい状況で班を組もうと馴れ馴れしく話しかけるのは……。
逡巡するアキトの目の前で、ツネオミの顔がくるりと振り向く。
「いろいろ悩んでる?ごめんアキト、もう班は決まってるんだ」
「え……」
なんて情けない声だろう、とアキトは自分でも思う。ただ反射的に漏れてしまった声は、自分の意識ではどうしようもなかった。
「そ、そっかあ……」
突然の出来事に、目の前が真っ暗になる。せめてこんな姿は誰にも見られるまいと、アキトは精一杯下を向く。そんなアキトを余所に、ツネオミは嬉々として語り出した。
「一班五~六人といっても、中途半端だよね。仲良しグループ一つにしては必要人数多すぎるし、二つ合わせるには足らない。必然的にどこかのグループは解体せざるを得ない」
「……ああ、そうだな」
「だからさ、大変だったよ。人数を範囲内に揃えるの」
「そうだったのか……」
得意げに語るツネオミに、何と返せば良いのだろう。ダイキの班はまだ入れるだろうか、アキトは話半分にそんなことを考えていた。
「僕とミノルと、ミフユとミホと。……アキトも来るよね?」
「え」
なんて情けない声だろう、とアキトは自分でも思う。ただ反射的に漏れてしまった声は。
「いいのか?」
「もちろん。アキト忘れてだろコレ。全く、班の人数苦労したんだぞ?今日の昼休みまでずっと決まらなかったんだから」
「ああ、全然覚えてなかった。助かった、ありがとう!」
「よろしく」
声をかけるミノルに、アキトも「よろしく」と返す。
ふと前を見ると、ミフユとミホは既に担任に班員を報告しに行っていた。
「お礼はたこ焼きな」
「何のお礼?」
ツネオミの言葉を聞きつけて、質問してくるミフユに、二人は慌てて手を振る。
「何でもないよ」
「そ、そう!何でもないって」
「本当に?……まあいいわ、私は狐のお守りね」
「ああ、そういえばミフユはキツネが好きだったな……昔から。いや、お礼渡す義理もなにもないから、あげないけどね」
「なんでよ、いいじゃん!」
ミフユは頬を膨らませると、傍にいたミホに狐の魅力を語り始める。それを見て、アキトはツネオミと顔を見合わせた。
この他愛ない会話が、こうしてみんなで笑顔を浮かべる時間が、アキトにはとても愛おしく思えた。
この修学旅行が終わると、もうあっという間に高校入試だ。みんなは進路調査票に、何て書いたのだろう?前に立つ担任の顔を見て、ふとこの前配られた、あの小さな紙を思い出した。
大阪・京都、二泊三日の修学旅行。中学生最後の、このメンバーで最後の、大きなイベントは、もう目前に迫っていた。
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