中学生編(3) なんにもない

「おいアキト。お前、ミフユと何かあったのか?」

 教室で着替えているとき、ダイキがアキトに話しかけた。

「……何も無い」

「うそつけ、絶対何かあっ…」

「話すことは、何も無い、ってさ」

「えっ、あー」

 アキトはきっぱりと答えるが、思いの外深刻な返答で、ダイキは戸惑う。

「そっか……。まあ、リレーは頼むぞ」

「ああ」

「……」

 アキトの弱々しい返事にダイキは不安を感じたが、しかしできることは何もない。近くの人と顔を見合わせると、ダイキはパンを買いに購買部へと向かった。


「なあ、ツネオミ。アキトとミフユさんってどういう関係なの?たしか二人と同じ小学校だったんだよね?」

 二人の会話を隣で聞いていたミノルは、気になってツネオミに小声で尋ねる。

「ああ、そっか。ミノルは知らないんだよな。うん、確かに僕は二人と同じ小学校出身だ。だけどあの二人はもっと前。幼稚園、それこそ生まれた頃からの付き合いなんだよ」

 なるほど。ミノルは深く溜息をつく。

「それで実は……」

「なあ、ミノル」

「わっ、何!?アキト君!?」

 不意に当事者に声をかけられて、ミノルは取り乱す。ツネオミは何か話そうとしていたが何だったんだろう?気まずそうな顔をして立ち去ってしまった。

 いや、それよりも。二人のことを聞き出そうとしていたのがバレたのだろうか?だとしたらマズい、クラスの中心人物の一人の恨みを、買うわけにはいかないのだ。ミノルの脳内にアドレナリンが広がる。

「ドローンに撃たれた人のこと、どう思う?」

「えっ?」

 突然何を言い出すのだろうか、この人は。聞き間違いだろうか?

 しかし、こちらを振り向いたアキトの目は、真っ直ぐにミノルを見つめていた。

「どう、って……。考えるもなにも、何か重罪を犯したに決まってるじゃん。急に撃たれるなんてそうそうないよ」

 小学校でも習う当たり前の質問に、動揺しながらも答えを絞り出す。沈黙を、続ける訳にはいかない。

 それを聞いたアキトは、安心したような笑みを浮かべた。

「だ、よ、な、……。悪いミノル、突然変なこと聞いちゃって」

「えっ、ああ、うん……別にいいけど……」

 アキトは前へ向き直ると、また何かに悩んでいるようだった。


「はいじゃあ運動会前で悪いけど、この進路調査票を来週までに提出ね。期限が短いだろうけど、この後も修学旅行の班分けが控えてるし、今しかないのよ。まあまだこれで確定じゃ無いけど、それなりにしっかり考えるんだぞ」

 帰りのホームルーム、タカハシ先生は小さな紙を配布するとそう言った。高校の無償化がされた現代では、ほとんどの生徒が高校に進学する。とはいえ市立、県立、国立、私立、一口に高校といっても様々だ。

 僕なら県立を志望してもバチは当たるまい、配られた調査票を眺めながら、そうミノルは思った。生物部に所属する彼は、勉強はできる方である。……まあトップではないのだが。

 教室を見渡すと、体操着姿の者が四名。今日もリレーの練習だろうか。しかしその空気があまり良くはないのは、端から見ても明白だった。


 ミフユがコーナー中盤にさしかかる。あまり見ているのも癪だから。アキトは前を向き直る。

 目を合わせられないけれど、そろそろか。アキトは走り始めた。今までの練習通り、いつものペースで。……いつも?

 かみ合わない歯車。ささいな歪みで、さっきまで助け合っていた歯車は互いを傷つけ合い、軋み、空気のように振る舞っていた歯車は途端に大きな音を立て、揺れ、全体は、崩れ落ちる。

 咄嗟の声もむなしく、バトンは地球に引かれていく。バトンが弾む、空洞特有のやけに明るい音が、よく鳴り響いた。

「悪い」

 ダイキの方を向いて、アキトはそう言う。

「次いこ次……はと、また受け渡しの練習やります?」

「嫌」

 ダイキの提案を、ミフユは突っぱねる。

「……もう明日本番でしょ、みんなで練習しなくちゃ」

 ダイキもミホも、逆らいはしなかった。


「じゃあ、今日の練習は終わり。明日、頑張ろうぜ!」

 無理に明るくしようとしてくれるダイキに、アキトの心はちくりとする。バトンが地に着いた回数は数え切れない。バトンに付いた汚れがアキトを責めている、そんな気がした。けど。

 タイミングが、掴めない。

 最後、アキトは受け取るときのスピードを落とすことにしたが、誰も何も言わなかった。

「今日も俺ら委員は仕事だけど……」

「私も手伝うよ」

 ダイキはミホと顔を見合わせると、困惑した目でこちらを見つめる。申し訳なさで、アキトは目を逸らす。

「俺は、先に帰るよ。で、近所走り込むわ」

 いいのか?そう、目で言われた気がしたが、アキトは気にせず教室へと歩みを進める。むっとする暑さが、喉の奥にまで入り込んでいた。


「ツネオミは進路、どこだっけ?」

 着替えたアキトは、下駄箱にツネオミの姿を捉え、尋ねた。

「ああ、僕は電情高を目指すよ」

「で、電情高?あそこ偏差値めちゃくちゃ高いんだよな!?さすがツネオミ!」

「ちょっ、アキト、声大きいって」

 ツネオミが迷惑そうな顔をして手を振る。

『国立 電気情報通信高等学校』

 発達するIT技術に対応できるこれからの若者を育てるために、国を挙げて建てられた高校だ。数年前までは『ITハイスクール』と身も蓋もないネーミングだったが、流石に改善された、という笑えない話もあるのだが。

「んで、電情高ってどんなことすんだっけ?」

「まあ、いろいろあるけど……今アツイのは、情報心理学かな」

「情報心理学」

「まあ、端的に言うと、AIとかがどうしてその答えを導き出したのか、その過程を理解することかな」

「なるほど……」

 AIに限らず、人が何を考えているのかも理解できれば良いのに。そうアキトは脳内で呟く。

「そんなことより、アキトは進路なんか考えてる場合じゃないんだろ?」

「え?いや一応県立受けようと思ってるけど」

「いやそうじゃなくて」

 恥ずかしそうに志望校を打ち明けるアキトに、呆れた口調でツネオミは言う。

「ミフユと、何かあったんじゃないの?」

「あっあー。……まあ」

「大丈夫なの?それ」

「……どうだろ、分からん」

 今まで聞いたことのない、友人の弱々しい声。ツネオミの動きが一瞬止まる。その声が、余りにも普段とかけ離れているものだったから。

「……まあ、頑張れよ。二人にはこのクラスを引っ張っていってもらわにゃいかんから」

 バンッとツネオミの手の平が、アキトの背中を打つ。体の中に散らばってた何かが一斉に集まって固まるのを、アキトは感じた。

「……ああ、ありがとな」

 ニッ、とアキトが笑う。


「アキトと何かあったの?」

 ミホの瞳が、ミフユを覗き込む。

「んー?」

「いや、ミフユ見てれば何かあったのは明白だから」

「なんにもないよ、なんにも。……なんにも、なかったんだ」

 冷たい風と共に、闇が夕陽に溶け込み始める。その中を、ミフユとミホは並んで歩いていた。

 軽い気持ちで手伝ったら、かなり時間を取られてしまった。……気が紛れたから良いのだけれど。ミフユはミホが目で話の続きを促すのに気づいていたが、それでも無言で数歩進んだ。

「私達、共有するものが無かった。それに最近、気づかされてさ」

 ミフユは自嘲気味に笑う。隣を、原付が軽い音を鳴らして通り過ぎていった。

「馬鹿だよね私。私もあいつも、同じものを大切にしてるとばっかり思い込んじゃってさ。私とあいつは、別な人間なのに」

 別な人間。そう、ミフユは心の中で繰り返す。

「そんなことないよ!」

 ミホの大きな声に、ミフユはたじろく。冷たい風が、髪をたなびかせた。

「いや、だって」

「だって、二人はずっと昔から一緒に居たんでしょ?それならきっとお互いの大切なものくらい分かるし、相手にとって大切なものも自分のことのように大切にするはずだよ!絶対!!……幼馴染みって、そういうもんでしょ?」

 そう言ったミホの顔に影が落ちる。

『幼馴染み』その言葉が、ミフユの脳内に鳴り響く。

「でもまあもっと、大切なものがあるんだろうね」

 ただでさえ暗い夕暮れ時、俯いたミホの表情はよく見えない。

「じゃあ私、こっちだから」

 十字路。ミホは立ち止まってそう言う。

「私はこっち」

 ミフユは別な方向を指さす。

 ばいばい。ばいばい。

 二つの手の影が揺れると、二人は別々の方向に歩き出す。すっかり陽は建物の奥へ隠れてしまっていた。

 ナツキよりもっと大切なもの?そんなもの、あるわけ無いじゃない。カバンの持ち手が、より強く手の平に食い込む。

 影が世界の大部分を占めていたところに、パッパッパッと街灯が一瞬にして灯る。LEDのやけに青白い光に照らされて、ミフユは顔を上げる。

 明るさを認識して点く街灯。それがドミノ倒しのように、次から次へと点灯する。そのドミノの先端を追いかけるのが、そういえばミフユは好きだった。

 青白い光がミフユを誘う。別について行かなくても街灯は点く、そうは頭で分かっていても、ミフユは駆け出さずにはいられなかった。

 目の前がどんどん明るくなっていく。ミフユの身体が、闇を切り裂いて、青白く灯していく。そうだ、この感覚が好きだったんだ。

 闇に光を灯して回っていると、いつの間にかミフユは、明るく開けた場所に出た。夜の雰囲気は明るいときのそれとは異なり、ミフユはここがどこだか気づくのにいくらかの時間を要した。

「ここ……か…………」

 忘れもしない、思い出の公園。それに気づいたミフユは、苦々しく笑った。

 空では、翡翠色と藍色とが喧嘩をしている。その下を、ミフユは足音を溶け込ませながら、歩く。しんとした静けさの中、佇むシーソーを、ミフユは見つけた。

 そういえば。ミフユはシーソーの高い方に身体を預けながら、ふいに小学三年生の頃を思い出す。シーソーはギイと音を立て、少しずつ地面に引かれていった。

 そう、あの日は、社会の授業のあった日だった。「特例で、大変な罪を犯した人間は、その場でドローンに裁かれることがあります」そう教えた先生に、納得できずにいくつか質問したのが、事の発端。食い下がり質問を続ける私に、授業時間を延ばされた男子が反感を持ったのだ。

「ちょっと男子、いい加減やめときなさいよ!」

 そう止めるクラス委員長の女の子の声も、何にも届かない。ミフユと男子たちの間で、彼女の短く揃えられた黒髪が虚しく揺れた。一度切れた男子の堰からは、不満が止まることはない。

「親かなんか犯罪者だったんじゃねーの?」「はーんざーいしゃ!はーんざーいしゃ!」「おまわりさーん!」

 馬鹿にされて、悔しくって、ムキになって、反抗して、叫んで、泣いて。

「おいお前ら、悪く言うのは許さねーぞ」

 そういって嫌がらせをする男子達に立ち向かったのは、幼い日のアキトだった。

 なんで今、こんなこと思い出すんだろう?ミフユは苦笑する。ふと顔を上げると、半分だけの月がこちらを見つめていた。

「俺だって、ナツキのこと悪く言われるのは許せない」

 助けてくれたお礼を言ったミフユに、アキトはあの時そう答えた。そのときの嬉しさを思い出して、ミフユの顔には自然と笑みが生まれていた。

 今ならアキトは、どう答えるだろう?そんな疑問を、ミフユは慌てて頭から追い出す。明日が本番なんだ、早く帰らないと。立ち上がったミフユの瞳が、公園内を走る人影を捉える。

「あっ」

 むこうも気づいたのか、一瞬足を止めた。

 アキトだ。暗くて顔が見えなくても、ミフユには分かる。あの輪郭、あの歩き方、あの仕草……間違えるはずがない。

 ミフユの周りから、音が消え去った。冷たい感覚だけが、ミフユの首筋を刺激する。

 影の人物はすぐに、くるりと身体の向きを変えて走り去っていった。

「ちょっ」

 追いかけようとするミフユの身体を、理性が引き留める。

 追いかけて、呼び止めて……何を話すの?どうするの??だいたい、話すことは何も無いんじゃなかったの?そもそもどうして呼び止めようとしてしまったの??

「ああああっ、もうっ」

 追いかけるのを止めたことで行き場をなくした脚の力を、思いっきり地面にぶつける。じんわりとした痛みが、混乱した脳内に染みこんでいく。

 分からない、どうしたら良いのか分からない、けど。

 今はとにかく走りたい。

 ミフユは冷たく少し湿り気を帯びた空気を大きく吸い込むと、前を向いて走り出した。

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