中学生編(2) 『そんなこと』
「アキト、アンカーはもちろんお前だよな」
運動会の種目決め、クラス対抗リレーの選手を決めているときだった。
「えっ、あ、ああ。俺で良ければ……」
仮にも陸上部に所属している身。断るという選択肢はない。
男女各二人の計四人で繋ぐ、クラス対抗リレー。ミホ→ダイキ→ミフユ→アキトの走順となった。アンカーは正直緊張するが、陸上部の意地を見せつける他ない。……どうせ他クラスのアンカーも陸上部員であろうが。
「はいじゃあみんな、この後の体育の授業じゃ八の字の練習するから、遅れずに来いよな!」
運動会委員のダイキがそう仕切る。
中学最後の運動会が迫ったゴールデンウィーク明け。教室内にはどことなく、高揚感と緊張感とが漂っていた。
タンッタンッ。
縄の刻む小気味良いリズムに合わせて、中学生達が八の字に縄を跳び越えていく。
「揺れるなあ」
後ろの方で誰かが声を漏らす。それはおそらく、心からの声だろう。アキトも心の中で同意する。
運動会前の練習という、男女合同で体育の授業をする滅多に無い機会だ。中学生男子が興奮するのももっともだろう。少しでも注意を引こうと奇声を上げながら跳ぶ者、後ろ向きに跳んだりと技術を見せる者、様々だ。
「ちょっとダイキー!何やってんの!真面目にやりなさいよ!!」
「わりぃわりぃ」
……失敗してしまっては目も当てられないが。
アキトも周りの視線に紛れて、体操着姿のミフユに目を奪われていた。緑のジャージから伸びる、白くしなやかな四肢。少し荒くなった呼吸に合わせ上下する胸……。いつもは腹立たしい薄い半袖半ズボンに、このときばかりは感謝していた。
「おい、アキト?」
縄を回すツネオミの声で、はっと我に返る。すぐさま慌てて飛び込むも、リズムに合ってないタイミングでは上手く跳べるはずもなく。
「うおっ!?」
アキトの足は縄に絡め取られ、バランスを崩す。流石に派手に転けることは回避したが、それでも上手く続いていた流れを止めてしまった。
「何やってんのよ!アキト!」
ミホに罵られ、ごめんごめん、と謝る。前言撤回。失敗してこうやって言われるのも、悪くはないな。練習中に絡まる人がなくならないのも、分かる気がした。
「あ、もうこんな時間だ。みんなストォップー」
時計を見たダイキが叫ぶ。
「じゃあ今日の練習はここまで。明日もがんばるからな!」
「一番練習すべきなのはお前だろ~」
クラスメイトの野次に、笑いが起きる。
「いやいや俺もがんばってたって。ま、とにかく今日はお疲れ様。あんま遅くまでやるとホームルームに遅刻しちゃうしな」
お疲れ様したー、とみんなが口々に言う。
「あ、そだ。リレー出るやつらは、放課後また練習するから、着替えずに待ってて」
「はいよ」
アキトはそう言うと、下駄箱へと歩き出す。着替えなくていいなら時間に余裕があるはず、水でも飲むか。そんなことを考えながら歩いていた。
何だろう?ミフユの体操着姿を眺めていたら、ホームルームが終わっていた。
今はこうして、暑さ残る放課後のグラウンドに、リレー選手四人が集まっている。
「他の学年も来るはずだけど…まあ先始めてようや」
そう言って、ダイキは前に立った。
「これが、本番で使うバトンな」
ダイキは右手に持った赤色のバトンを軽く持ち上げ振ると、ミホに手渡す。
「じゃーさっそく練習するか……。といっても基本バトン渡しの練習のためでいいよな?流石にみんなコースは分かるでしょ」
クラス対抗リレーでは、グラウンドを男子は一周、女子は半周走る。加えてアンカーは更に最後少し直線区間を走るので、若干距離は長いが。
まあ個々人でできる走る練習は今しなくても良い、バトン渡しの練習をするべきだ、というのはみんな共通の認識らしく、その方針で練習がスタートした。
直線区間をひたすら走り、バトンの受け渡しを練習する。どのタイミングで走り始めるか、どのタイミングでバトンを次の走者に預けるか。
「あっ……」
少しでもずれてしまうと、バトンは乾いた音を立て地面を転がってしまう。本番でこんなことにならないよう、今のうちにしっかりとタイミングを合わせておく。歯車は、かっちり噛み合わないと、最大のパフォーマンスを発揮できない。
「ごめん、少し早かった」「もうちょっと待ってから手はなして」「ちょっとタイミングが遅い」
おそらくこの四人でリレーをするのは、この運動会だけ。全てはそんな一期一会のチームで最高の成績を残すために。
「じゃあ最後一回ガチで走ってみるか」
「おっけー」
「よし、じゃあミホからよろしく」
ミホは軽く屈伸をすると、アンカーのアキトからバトンを受け取る。
「じゃあ俺あっち側行ってくるから、アキト、テキトーにスタートよろしく」
ダイキに頼まれたアキトは、ああ、と承諾する。
大体向こう側に着いたのを確認して、アキトはミホに目で合図を送る。
「じゃあいくよ……よぉい、スタート」
走り始めたミホを見送って、アキトは軽く準備運動を始める。ミホの短く揃えた髪が、風にたなびいていた。
やがてミフユが走り始めたのを見て、アキトもコースに立つ。そしてバトンを受け取ると、アキトは思いっきり走った。
「じゃあとりあえず今日はここまで。……俺とミホはこの後運動会委員の仕事あるから、先、帰っててくれ」
走り終わった後みんなで集まり、ダイキはそう言う。
「感謝しろよ?」
ダイキはアキトに歩み寄ると、そう、耳打ちした。
「バッ、何を!」
反論の機会を与えられなかったアキトは、ただただダイキの後ろ姿を眺めているしかなかった。モヤモヤしながらもアキトは、水道の蛇口をひねり喉を潤す。
教室で着替えてから下駄箱に向かうと、そこにはミフユの姿があった。
「あっ…ミフユ」
速くなった鼓動を悟られないよう、気にしてない体を装って早足で靴箱の前へ向かう。
「ちょっとね……待ってたの」
「えっ……」
思わずアキトはミフユの方を振り向く。気にしてない体?そんなの無理だ。汗が流れるのを感じる。
「ちょっと、早く靴履き替えちゃいなさいよ」
「あ、ああ……」
心地よい音を響かせながら、外履きが床を跳ねる。アキトは転がった外履きに足を突っ込むと、上履きを靴箱へしまった。
「ごめん、待たせたね」
汗ばんだ身体に纏わり付くような暑さの中、二人は並んで歩く。歩幅の違いを少し感じながら、アキトはミフユの半歩後ろをついて行く。アスファルトの凹凸が、やけに目についた。
「ちょっと話があって、待ってたの」
「うん、話って?」
暑い。暑い。汗が止まらない。心臓の鼓動が耳に響く。頭がぼんやりする。
「昨日、開示請求の返事が届いたの」
「……へ?」
我ながらマヌケな声だと、アキトは思う。だけど、話の流れが掴めない。
カイジセイキュウ?何の話だ??
「だから、ナツキの」
分からないの?そう言いたげな、少し苛立たしげな口調でミフユは答える。
滴る汗が突然冷たくなるのを、アキトは感じた。
は?何だ、それ?
肺の辺りがすごく重く感じる。
震えないよう、声を必死で絞り出す。
「……そんなこと、今言うこと?」
「『そんなこと』……?」
ミフユの眉間に皺が寄る。
ただでさえ重く感じるアキトの肺に、より重く冷たい空気が流れ込む。
「アキトにとっては、『そんなこと』なの!?」
ミフユのものすごい剣幕に、アキトは気圧されるというよりは、少し痛みを感じた。
言いたいこと、言わなきゃいけないことが頭の中で大洪水を起こす。けど、このまま濁流に呑まれて、何も言わずじまいになるわけにはいかない。
「そんなこと、とは思ってないよ。……だけど、今、この時期にその話をしなくたっていいじゃないか!それに!!」
お前はいつまで、ナツキを見ているんだ。今は、クラスで運動会のことを考える時期じゃないのか?
振り向いたミフユの瞳に、アキトは映らない。
「それに、ナツキのお母さんだって、嫌がってたじゃないか。その……過去の犯罪の話をされることが」
「私はナツキが犯罪者だなんて思ってないよ」
冷たい声が、空気を打つ。
何を言ってるんだこいつ。そのくせなんて、確信に満ちた声なんだ。
「いや……小学校の社会で習っただろ?『重罪を犯した者は、即座にドローンにより無力化される』って。それで安全が保たれてるとか何とかでさ」
「知ってるわよ、そんなこと。だから?」
「だから?って……。だから、あの時ドローンに撃たれたってことは、その……そういうことだろ?」
「本当にそう思ってるの?」
ミフユが、呆れた口調で言う。
「あっそ。もういい。あなたと話すことは、何も無いわ」
そう言って、ミフユは前を向き直ると、すたすたと歩いて行く。
「ミフユ!!」
呼びかける声もむなしく、ミフユは歩調を速める。
追いかけようとするアキトの行く手を、無情にも点滅した信号機が遮った。
沈みゆく陽に、黒く、不安定に引き延ばされた自分の姿が、地面に貼り付けられる。
『本当にそう思っているの?』
ミフユの言葉が頭の中でこだまして、周りの音はアキトの耳に入らない。
……何を言っているんだ?
あいつこそ、何をどう思っているんだ?
「クソッ」
アキトは目の前の小石を蹴飛ばす。飛んだ石は、悲しげにアスファルトを転がった。
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