ヘルスタット王の来訪

 ヴェルセン王国国王、来訪――。


 詩たちが新婚旅行から帰ってきてすぐのこと。先触れによってもたらされたその報に驚いたのは、我々日本人よりも王国から村に移住してきた異界人たちだった。考えてみれば、彼らは王国を捨てて来たわけで、王国からすれば裏切り者──と、呼べなくもない。


「ヘルスタット王は、そなたたちを罰せぬ」


 使者として蓬莱村に来た役人が、彼ら移住者の前で宣言するまで混乱は続いた。一部にはその言葉すら疑う者もいたが、村の住人、すなわち日本人の声明財産は日本政府が守る、と上岡一佐が諭してくれた。……私の存在意義とは。


 要するに、ヘルスタット王が村に来る、ということなのだけれど、この場合「来訪」でいいの? 彼らからすれば他国――厳密に言えばだけど――だから、来訪でいいんだよね? それとも、王や王族が他国を訪問する際の特別な言い方がるのだろうか? それは日本語にあるのか? ……なんて細かいことをウジウジと考えていたら「陛下はそのような細事を気に病む方ではない」と、ヴァレリーズさんに怒られてしまった。ま、いっか。知らない仲じゃないし、王都や王宮じゃなくて、私のホームグラウンド、日本国内なんだから。もちろん、失礼がないように気は配るつもりだけど。


 そもそも、王がなぜわざわざこんな辺境の果て(彼らからすれば、の話よ)まで来るのだろう? 使者が運んできた親書には、「蓬莱村を見て、肌で感じたい」としか書かれていない。うーん。どのように歓待するか。


「村の中を見学してもらうとして、あとはどうしたらいいと思う?」

「そうねぇ。予定では滞在は四日間だから、村の見学だけってのもねぇ」


 今、私は詩――音川=ジョイラント=詩と顔をつきあわせて、ヘルスタット王のスケジュールを決めようとしていた。


「あちらからは、ざっくりとした話しか来ていないから、迷うわよねぇ」


 詩が天を仰いで愚痴をこぼす。異界人こっちのひとは、なんにつけアバウトだ。暦や時刻がきちんと決められていないことも一因なのだろうか? 普段、秒刻みで仕事に追われていた日本人としては、理屈では理解していても不安を覚えずにはいられない。きっちりとしたスケジュールを組んでしまいたくなるのだ。


「その場で、陛下にお伺いしてはいかが?」


 打開策を教えてくれたのは、新妻の様子をうかがいに来たダニーさんだった。


「それだわ! やーん、もぅ、ダーリンったら頭いいっ!」

「そんなことないよ、少しでもしぃちゃんの役に立てたらうれしいよ」


 あ“―、もぅ。新婚カップルのイチャイチャは、他所でやってください。


 ともあれ、ダニーさんの進言を受けて、村側としては看て貰いたいもの、見せたくないものをリストアップし、大まかなスケジュールを立てるだけにした。あとはいきあたりばったりで行く。

 ちなみには、すでに日本あちら側に退避済みだ。


 そんなこんなでバタバタしながらも、ヘルスタット王を迎える当日になった。


□□□


 ヘルスタット王は、総勢五十人程度を引き連れて蓬莱村にやってきた。異界こちらとしては、大規模な訪問団と言えるだろう。こんな時のために建設していた迎賓館は完成しているし、百人程度なら余裕で受け容れられる施設もある。この施設は、いざという時に辺境伯マーグレイヴ領の人々を避難させることができるように、と考えて作っていたものだ。ちなみに、食費などの滞在費諸々は、蓬莱村こちら持ちだ。予算がぁ~! と詩は叫んでいたけれど、迫田さんに手を回してもらって外交名目から費用を捻出してもらう予定。新婚気分で浮かれている詩には、終わった後に教えるつもり。私って、いじわる?


 蓬莱村のゲートを潜って現れたのは、騎馬に乗った騎士団だった。十騎の騎士は、村に入ると左右に分かれて待機し手にした槍を掲げた。騎士が作るアーケードの中を、豪華な四頭立ての馬車がゆっくりと進み、私たちの前で止まった。後ろに続く馬車から、数人の小姓達が飛び出して、馬車の横に踏み台を置き、その前に赤い絨毯を引いた。流れるような動作で、相当に訓練を積んでいるようだ。単なる儀礼、と言ってしまえば身も蓋もないが、こうした大仰な儀礼ひとつにしても王族の権威を知らしめるために必要なのだろう。考えてみれば、私たちの世界だって(これだけ大げさではないにしろ)儀礼は行われている。特に外交の場面では。

 二分もかからず、準備ができたらしい。馬上にいた騎士達のうち四人が、いつのまにか馬から下りて馬車の横に立っている。そして、小姓が馬車の扉を開けると、馬車の中からヘルスタット王が現れた。ゆっくりとした動作で馬車を降りると、私たちに向かって歩き始めた。その足下には布の靴。そうか、絨毯を引いたのは、王の足を守るためでもあったのか。


 ヘルスタット王が、我々の前に立った。王宮で面会したよりも小さく感じるのは、あの謁見の間に王を大きく見せる工夫がされていたのだろう。

 そんなことを考えていたら、後ろから迫田さんにツンツンと背中を指で刺された。あぁいけない。私は、王の前に深く頭を垂れた。


「ようこそ、ヘルスタット王。我が国へのわざわざのご訪問、誠にいたみいります」


「日本の方々、お出迎えかたじけない」


 これは、側仕えの人。謁見の間ではなく、平民(といっても王国の人間じゃないけど)がいるところでは、王が言葉を発することはあまりない……らしい。そういえば、王宮以外でヘルスタット王と会うのは、これが初めてだわ。


 私はゆっくりと頭を上げる。ありゃ。いつの間にか、カイン王子がヘルスタット王の後ろに立っているじゃない。しかも、その口元は笑いを堪えているかのように、ムズムズと動いている。カイン王子のことだから、派手な登場をしたかったのだろうけれど、王の前だから我慢しているのね。

 側仕えの人が、王に代わって口上を述べようと、一歩前に出ようとした。でも、ヘルスタット王自らそれを制して、私たちに話しかけて来た。


「一度、お主達の村も見ておきたかったのじゃ。それに、いろいろと話合わねばならぬこともあるからの」

「……あ、ありがとうございます」


 王国側から言われていた儀礼プロトコルを王自身がすっとばしてきたので、一瞬トンでしまったけれど、なんとか持ち直した。


「長旅でお疲れでしょう。王宮には及びませんが、心よりの歓待をご用意させていただきました。どうぞ、こちらへ」


 こういうとき、すばやく状況判断して動ける迫田さんが、私に変わってヘルスタット王一行を迎賓館へと誘った。はぁ、私もあのくらいスマートにできればいいのに。


□□□


 私たちの迎賓館は、ヴァレリーズさんだけでなく王都の建築家の意見も取り入れたものなので、王族を受け容れても失礼がない程度の格式はあった。迎賓館には、王と王子、幾人かの貴族、官僚、そして警護の騎士たちが宿泊する。それ以外の人は、迎賓館に連なる別棟の建物に泊まってもらうことになっている。王国であれば、貴族と平民に大きな格差をつけるところだけど、ここは日本領なので荷物運びや御者の人もそれなりの部屋を用意した。

 村のゲート近くには、臨時の馬小屋と馬車置き場を作った。必要だって事、二日前に思い出して急ごしらえで作ったから、掘っ立て小屋みたいになっちゃったのは少し残念。馬の世話係の人たちが、そこに泊まろうとしたので上岡一佐たちが慌てて止めていた。別に宿泊施設を用意してある、と言ったらびっくりしていたそうだ。


 王を迎えての晩餐は、村で採れた野菜を中心にした和食でもてなした。メニューは詩とダニーさんが中心で考え、足りない食材は日本から取り寄せたらしい。異界こちらでは、魚を生で食す習慣がないので、寿司は無理でしょうねと詩が言っていた。今回の晩餐では、お造りや酢の物など生もの全般は避けた。ちなみに、ダニーさんは新婚旅行で行った日本で、さばの押し寿司にはまったらしい。おいしいよね、鯖のお寿司。

「生ものが酸っぱいといえば、危険の合図でしたから、酸っぱくても美味しく食べられる寿司は驚きですよ」とダニーさん。でも、蛸はダメだったらしい。


 異界こちらの食事では、基本的にフォークのように突き刺す食器とスプーンのように掬う食器しかないため、まず、お箸の使い方と簡単なマナー(お箸でツンツンしちゃだめよ、とか)を説明するのは少し骨が折れたが、ヴァレリーズさんのヘルプもあってなんとかなった。

 「ニヴァナのやり方を押しつけて、王族に恥をかかせたな!」と怒る人もおらず、皆、慣れない箸と慣れない食材を相手に悪戦苦闘しつつ、晩餐は終始和やかな感じで終わった。正直に言うと、良い雰囲気で終わったのは同席したマルナス伯爵夫人によるところが大きい。トラブルの芽を、話術でさっと反らしてくれた夫人の能力は、迫田さんが褒めるほどだった。その伯爵夫人は、今、デザートのアイスクリームに舌鼓を打っている。


「ねぇ、サクラ。これすごくおいしいわ。王都でも食べることができるようにならない?」

「そうですね、材料は牛の乳と砂糖、それに香料ですから、作る機械と保存する設備があれば、王都でも振る舞うことができると思いますよ」

「そうなの! ぜひ、お願いしたいわ。資金とか人材は相談して。なんとかするから」


 そういう夫人の瞳がキラーンと輝いたように見えたのは、目の錯覚だろうか。


「はっはっは。マルナス伯爵夫人はいつも目敏いですな」

「うむ。これを商売にするのであれば、是非我々も参加させていただきたいものだ」

「いや、これほど美味なものを国民たちに食べさせたいと思ってですな……」


 こりゃ、王都にアイスクリームショップを開かないといけない流れか。素材の方は、尾崎さんに相談してみるかな。あ、屋台みたいなので良ければ、夏までに準備できるかも。辺境伯領で乳牛を飼うことができれば、地元の特産にすることも……。


「アサミ卿、よろしいでしょうか?」

「えっ? あ、はい。なんでしょう?」


 考え事をしているところに話しかけられたため、びっくりして変な返事をしてしまった。私に声をかけてきたのは、アレグラスさんという官僚の人で、ヘルスタット王が連れてきた側近の一人だ。


「申し訳ありません。陛下が内々でお話ししたいと。できれば余人交えずに」


 何だろう? 正式な会合は、明日の午後に設定されていたはず。


「分かりました。部屋を用意させましょう。ただ、こちらからは私ともう一名、迫田を同席させます。よろしいですか?」

「構いません。ありがとうございます。では、準備ができましたら、わたくしに声をお掛けください」


 こうして、晩餐後に急遽ヘルスタット王と面会することとなった。良かった、食事中にアルコール飲まないでいて。


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