南からの来訪者(2)

 上岡一佐、というか自衛隊の幕僚は、前々から蓬莱村の機密保持について検討を続けていたそうで、その中には今回のようなスパイが侵入してくるというケースも想定されていたらしい。当初は、捉えたスパイにマイクロチップを埋め込んで追跡するなんて案もあったらしいけど、本人の了承も得ないで外科的手術を行うのは、倫理的によろしくないという結論になったらしい。

 そこで目を付けたのが、肌に直接電子回路を印刷する技術。東京大学と理研が研究していた「貼る電子回路」の進化版だ。蓬莱村には、魔石に術式をプリントできないかという研究のために導入した立体物への印刷が可能なプリンタがあったので、人の肌に印刷することもできたのだ。すでに、実験には成功しているらしい。いつの間に。


「え? ちゃんと報告書は出していますよ?」


 スパイの青年が運び込まれたプレハブ小屋で、日野二尉のレクチャーを受けた私は、自分が報告書を見落としていたことに気がついた。……あとでちゃんと確認しておこう。


 目の前の台座には、気を失った青年が俯せになっている。その上半身は裸だ。すでに巳谷先生の診察は終わっていて、特に問題は見つからないとのことだった。今、巳谷先生は青年から採取した血液サンプルの検査を行っている。

 診断の最中も意識を取り戻さなかったスパイは、現在も気を失ったままだ。台座に寝かされ、背中にロボットアームが電子回路を描いているところ。今目を覚まされても困るので、麻酔を投与している。


「これって、違和感とかないの?」

「電子回路プリントですか? そうですねぇ、一~二時間はもぞもぞしますが、あとは気にならなくなりますね」


 そういう日野二尉は、簡易的な受信機を印刷したテストに参加したらしい。性能的には問題なかったという。今回、スパイの背中に印刷している回路は、ある周波数の電波を受けると、決められたシグナルを発信する回路らしい。少なくとも村の中にいるときには、位置を特定できるらしい。


「まぁ、気が付いても何だか分からないでしょうし、二ヶ月ぐらいで自然分解しますから」


 特殊な溶剤を使えば、すぐに落ちるらしい。逆に言えば、それ以外では回路を消すことができないということになる。


 背中への印刷が終了して、動作テストもクリアした。さて、この人をどうしよう? と思っていたら、もう一人運びこまれてきた。運んできた高野一曹によれば、「パワーステーションに侵入して、感電の危険性があったのでやむなく」だそうだ。

 こちらは女性ということで、私と日野二尉ほか女性スタッフのみで、秘密の電子回路を印刷させてもらった。


「ずいぶんと、日焼けしていますね」

「やはり南方は日射量が多いのかしら。もし行くことになったら、日焼け止めをたくさんもっていかないと」


 この時は、ほんと、冗談のつもりだったのよ。


□□□


 残りのスパイ二人は、明け方までに館に戻った。村の中を見た印象を、指揮官と思われる男に説明している。「初めて見る」だの「魔法ではない」だのが多い報告で、中身はないに等しいと思う。知られちゃいけないようなモノは、ちゃんと隠してあるしね。

 報告を受けた指揮官は、表情こそ見えないがいらだっているようで、部屋の中を大股で歩いたり大げさなアクションをしたりと落ち着きがない。二人帰ってこないことも影響しているようだ。


 わが蓬莱村には、王都のように大まかな時刻を知らせるような鐘はならない。みんな時計を持っているから必要ないし。でも、トムの館に泊まらせている彼らはそうじゃない。鐘がならないことに戸惑っているようだ。


「そろそろ、行きますか」

 8時を過ぎた頃、私たちは迫田さんに促されて、トムの館へと向かった。捕まえた二人の男女も一緒だ。まだ目覚めていないから、車いすでの移動だけれど。

 

 館の玄関を開けてすぐの、王国風に設えた玄関ホールで、三人のスパイは待っていた。ホールの奥にある扉を開ければ中庭に繋がる回廊へと出ることができるが、今は人を配置して中からは出られないようにしている。そこまでしなくても、と思ったけど、上岡一佐が「安全のためです」と強く要求したので。

 三人の南方人は、真ん中に指揮官とおぼしき男、その左右に男女がまるで従者のように立っていた。全員が、フードを目深に被っている。フードの下からぎらりと光る目が、こちらを見ている。彼らの警戒している視線が驚きに変わったのは、車いすで連れてこられた仲間を見たときだった。さすがに予想外だったのだろう? あれ? もしかして、車いすにびっくりしている?


「朝食も提供せず申し訳ないが、君たちには直ちにこの村から退去してもらう」


 上岡一佐は冷たく言い放つと、自衛隊医が車いすに乗せた二人を前に押し出した。


「もちろん、彼らも一緒だ」

「なぜだ?」


 中央に立った男が、短く言い放った。昨日、ちらっと見たときは眼光の鋭さしか印象に残らなかったけれど、こうして近くで見るとワイルドなイケメンだわ。顔のあちこちにある傷が、凶暴さを加味している。全身に纏う独特な雰囲気とその風貌では、とても諜報活動には向かないと思うんだけどなぁ……。

 まぁ、いいや。彼の質問には私が答えよう。私は一歩、前に出た。


「私たちは殺人を好みません。好みませんが、こちらが攻撃されれば反撃しますし、その手段も持っています」


 男の顔が、一瞬引き攣った。やっぱり、女ごときが、とか思っているんだろうか。


「ずいぶんと余裕なのだな、異界ニヴァナの者よ」


 立ち直りは早いみたい。


「余裕? そんなものじゃありませんよ。異界人あなたたちには理解できないかもしれませんが。私たちは、あなたたちが穏便に、平和的にここから立ち去ることを願っているだけです」

「……いやだ、と言ったら?」


 男の言葉に、空気が張り詰める。自衛隊員が、ゴム銃やテーザー銃を構える。何かあったら引き金を引いちゃいそう。どっちも相手を殺すことはないが、異界人こっちのひとは、そもそも銃が何かを知らないし、威力も知らないはず。まぁ、危険だとは思うでしょうけど。なのに、銃で狙われている南方人たちは、何にも感じない様子で立っている。


 私は男の目を見据えながら、喉元まででかかった「やれるものならやってごらん」と言う言葉を飲み込んだ。私が煽ってどうすんのよ!


「それはお互いのためにならないと思いますが?」


 自衛隊員たちを腕で制止しながら、私は冷静に言った……つもりだ。


「やってみなければ、分からないだろう?」


 男は挑発を続けてきた。なんなのよ、もう!


「帝国の方は、そんな単純な計算もできないのですか?」


 私の言葉に、男はニヤリと笑う。尊大な笑いだ。まるで、自分たちの……いや、自分の方が優れていると思っているようだ。


「そこまでにしましょう」


 迫田さんが割って入った。私を庇うように、迫田さんは男の目の前に立った。


「お仲間と共に、直ちに退去しなさい」


 男が迫田さんを睨む――が、すぐに驚いた表情を浮かべた。


「ニヴァナには、化け物もいるのか」

「ば――っ! 失礼でしょっ!」


 私が怒って前に出ようとするのを、迫田さんは片手を挙げて止めた。なんか、所作が優雅になってない? なんだかむかつく。

 迫田さんは、男に視線を合わせたままだ。


「世の中には、貴方の知らないことがたくさんあるんですよ。あまり高望みはしないことです」


 そういって、館の玄関を指し示した。


「玄関は、あちら。あぁ、心配なさらずとも、村の出口まではちゃんとお送りしますよ」


 数秒の後、指揮官らしき男が他の二人に指示を出して、車いすの上で気を失っている仲間を回収させて、そのまま玄関から館の外に出て行った。緊張感が緩んだ。


「気を抜くな! 村から出るまでは注意しろ!」


 上岡一佐の檄に、その場にいた自衛隊員が気を引き締めた。


 五人の男女を、武装した自衛隊員を含む十人以上で取り囲みながら、村の玄関口まで歩いた。その間、口を開くモノはひとりとしていなかった。村の玄関に着いたあとに、五人分×三日分の水と食料を渡した。途中で行き倒れになっても困るしね。


 帝国のスパイ(と思われる男女)は、今だ意識を回復しない仲間に肩を貸しながら村のゲートを潜った。そのまま、五メートルほど進んだところで、一人が振り返る。あの指揮官とおぼしき人物だ。彼はフードをとって、素顔を朝の光に晒した。金髪だ。

 そういえば、あの男、村に来てからずっとフードを被っていたわね。


異界ニヴァナの者よ! また、会おう!」


 はぁ? 何言ってんの、この人! ……と、皆が呆れているうちに、男は踵を返した。


「なんだか……ずいぶんと芝居がかった人ですね……」


 日野二尉の言葉に、その場にいた全員が頷いた


□□□


 一時間後。


 危機管理センターのモニタールームで、私たちはスパイたちの足取りを追っていた。村を出た彼らは、森の出口――砦に向かって歩いていた。気を失っていた二人も意識を取り戻したようで、自力で歩いている。ちょっとふらついているみたいで、全体の歩みは遅い。

 異界こちらの人間である彼らは、上空百メートルから自分たちが監視されているなんて、考えてもいないだろう。周囲を警戒しながら進む彼らも、上空までは見ていない。そんな彼らの姿をモニター越しに眺めていた上岡一佐が呟く。


「どのようにして帝国からここまで来られたのか、その謎がもうすぐ明らかになるかな?」

「どんな魔法ですかね? 私も少し興味があります」


日野二尉の言葉は、元の世界では比喩表現だが、魔法がある異界こちらでは正しい意味になる。ややこしいわ。


「お? 彼らが脚を止めました」


 いよいよ何か始まる、部屋に居る全員がそう思ったとき、急にカメラの画像がた!


「UAV、アンコントロール!」

「何が起きた!?」


 モニターの中で、風景がものすごい勢いでグルグルと回っている。そして、一瞬暗くなったかと思った次の瞬間。


「信号途絶……ロストしました……」


 UAVのオペレーターをしていた寒川一曹が、消え入りそうな小さな声で報告した。


「何が、起きたんだ?」


□□□


 後日、UAVが墜落したと思われる場所で、無残な残骸となったUAVが発見された。機体の残骸には、魔物クリーチャーズのものと思われる爪痕や噛み跡がいくつも見つかった。墜落後に、魔物クリーチャーズが破壊したようだ。


「燃えたような跡もありませんし、魔法での攻撃ではないようです」


 伏兵の可能性は捨てきれないが、上空を飛ぶUAVを撃ち落とすほどの魔法なら、何かしら痕跡が残るはずだ。


「魔法じゃないとすると……魔物クリーチャーズ?」

「まさか。空を飛ぶ魔物クリーチャーズし、もしもそんな都合良く現れてUAVを破壊するものでしょうか?」


 そうなのだ。帝国のスパイを監視していたUAVが壊されたのでなければ、帝国は魔物クリーチャーズを、それも空飛ぶ魔物クリーチャーズを自由に操れるということになってしまう。そんなことがあるのだろうか?

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