menu78 ゼロスキルの料理番の弟子

 ウォンの母親ユルバ――。

 唐突な登場に、さしものゼロスキルの料理人も驚いた。


 いや、ごく普通のことかもしれない。

 神狼とはいえ、ウォンもまた生物だ。

 親というものがいても、不思議ではない。


 むしろ人の前に滅多に姿を現さないはずの神獣が、街中にいることの方が異常だった。


 そんな珍しい存在が、同じ視界に収まっている。

 どう反応していいのか。

 戸惑うのも、無理からぬことだった。


「タキオル、さあ……。『霊獣の聖庭』に帰りますよ」


 『霊獣の聖庭』と聞いても、ディッシュはピンとこない。

 ヘレネイもランクも首を傾げていた。

 文脈から察するに、ウォンの故郷のことをいっているのだろう。


 ユルバはウォンの尾を引っ張る。

 タキオルと呼ばれる神狼は必死に抵抗していた。

 明らかに嫌がっている。

 そこでディッシュは、はたと気づいた。


 ユルバとウォンの間に立つ。


「おい! やめろ! 嫌がっているだろ!」


「人間には関係ありません。これは私とタキオルおやこの問題です」


「関係ならある! 俺はウォンの――そのタキオルの飼い主だ!!」


「な――ッ!!」


 今度驚くのは、ユルバの番だった。

 瞬間、ウォンの尻尾を掴んでいた力が緩む。

 するりと抜け出すと、再びお尻を見せて逃げ始めた。

 それは狼と言うよりは、兎のようだ。


 ユルバは慌てて追いかけようとする。

 だが、再び立ちはだかったのはディッシュだった。

 そこにヘレネイとランクが加わる。


 ユルバは一瞬人間に気を取られた。

 気づいた時には、息子の姿はない。

 憤然としながら、目の前の青年を睨んだ。


「あなたたち……」


「どういう理由かはわからねぇ。でも、ちゃんと話してくれたら、あいつが行きそうな所を教えてやる」


「タキオルがいる場所がわかるのですが」


「言ったろ? 俺はウォンの飼い主だって」


「……あなたは一体?」


「俺はディッシュ・マックホーン。ゼロスキルの料理人だ」


「ゼロ……スキル…………。料理人?」


 名乗られたところで、ユルバは首を傾げるしかない。

 頭の上に「?」が並んだ。


 やがて気を取り直す。


「あの子が人に飼われているなど、にわかに信じがたいのですが……。良いでしょう。お話ししましょう」


 ユルバの金色の瞳が光る。

 その色は確かにウォンと瓜二つだった。



 ◆◇◆◇◆



 ディッシュ、ヘレネイ、ランク。

 そしてユルバの4人は、近くの酒場に入る。

 平日の昼とあって、店内はがらんとしていた。

 店主がカウンターに座り、頬杖をついてうたた寝している。


 4人の前には、その店主が入れたお茶が用意されていた。

 熱々のお茶から、湯気がのぼっている。


「改めてご挨拶いたします。私の名前はユルバ。あなた方がウォンと呼ぶ神獣の母親に当たります」


 軽く頭を下げて挨拶をする。

 ウォンの前では随分と興奮しているようだが、今は落ち着いていた。


「私の目的はタキオルを『霊獣の聖庭』に連れ戻すこと。『霊獣の聖庭』というのは、様々な神獣が住む世界です。私たちはそこで静かに暮らしておりました……」


 何の過不足もなく、ウォンはつつがなく暮らしていたらしい。


 だが、突然ウォンはいなくなった。


「初め『霊獣の聖庭』のどこかに隠れ潜んでいるのだろうと思い、探していました。ところが、どこを探してもおりません。もしや、と思い、人間界へやって来たのですが、まさか人間の子供に飼われているとは……」


 ディッシュはウォンと出会った時のことを話しした。

 食糧がなくてディッシュが倒れていたこと。

 そこにウォンが現れたこと。


 とりわけユルバが驚いたのは、例の件だった。


「あ、あめぇぇえええええ!!」


 さしもの神獣もこれには驚いた。

 まさか飴という小さなお菓子で、我が子が懐柔されているとは……。

 思いも寄らなかったらしい。


「なるほど。確かにあの子は少し食にうるさいところがありますからね。それほど、その飴が美味しかったのでしょう?」


「食べてみるか、あんたも」


「今、あるのですか?」


「ああ。腹が減った時とかにな」


 ディッシュはポケットに手を突っ込む。

 丸く青い飴玉が出てきた。


「ね、ねぇ、ディッシュくん。私にも1個ちょうだい」


 ヘレネイもまた瞳を輝かせる。

 ディッシュの料理がうまいことは知っている。

 きっと美味しいに違いない。

 何せ、あの神獣ウォンを手なずけたのだ。


 しょうがねぇなあ、とまたポケットに手を突っ込む。

 もったいぶってる割りには、ディッシュは嬉しそうだった。


 ユルバとヘレネイは同時に口の中に入れる。

 舌の上で転がした。

 唾液が飴玉を溶かす。


「「あ、あまぁぁぁあぁあぁあぁあぁああああいいいいいい!!」」


 2人の女性は絶叫した。

 うたた寝していた店主が驚く。

 何事かと慌てて周囲を伺った。


 まろやかな甘味と、かすかな苦味。

 食べたことのない味に、神獣も人間も関係なく魅了される。


 ユルバも驚いていた。

 コロコロと舌で転がしながら、感想を漏らす。


「初めて食べました。こんなに美味しい飴とは……」


「だろ? 俺の自慢の料理の1つだ」


「なるほど。あの頑固なタキオルが大人しく従っている理由がわかったような気がします」


 ユルバは居住まいを正す。

 すっと背筋を伸ばすと、「聞いて欲しいことがあります」と改まった。


「実は、タキオルは私の初めての子供なのです」


「は、はあ……」


「私はそれまで子供を育てたことがありません。神狼は神獣界でも僅少な生物です。その中でも私は若い方で、今まで自分より若い神狼と接したことはありませんでした」


「なんか随分と人間っぽい話ね」


 ヘイリルはランクに耳打ちする。

 相棒はうんと相づちを打った。


 ユルバ曰く、神獣の生活も人間界の生活もそう変わらないらしい。

 朝起きて、ご飯を食べて、必要であれば年少者に知識を授け、陽が沈めば眠りにつく。

 人間から見ても、ごく当たり前の生活を営んでいるそうだ。


 ユルバもまた例に漏れず、神獣界で暮らしていた。

 懸命になんとかウォンを育ててきた。

 けれど、ウォンは何も言わず、いなくなってしまった。


「タキオルを探しながら、私は理由を考えました。何か母親として、不手際があったのではないかと。そして、ふと思ったのです」



 もしかしたら、私の料理に不満があったのではないか、と……。



「先ほどもいいましたが、ウォンはとても味にうるさいのです。もしかしたら、息子は私の料理に嫌気が差したのではないか、と思うのです」


「そ、それは考えすぎじゃないかな?」


「う、うむ。そもそも子供って、親の料理が基準になるんだし」


 ヘレネイとランクがユルバを励ます。

 恋人同士の2人も時々、料理の味で意見が分かれたりもする。

 他人事ではないような気がしたのだろう。


 だが、ユルバは首を振った。


「いえ……。きっとそうです。だから、どうかお願いします」


 突然、ユルバは頭を下げる。

 ウォンとは違う。

 成獣となり、人間に化けることすらできる神獣が、何の能力を持たない青年に向かって頭を垂れていた。


「お願いします、ディッシュさん。私に料理を教えていただけないでしょうか?」


 ――――ッ!!


 横で聞いていたヘレネイとランクが息を呑む。


「「ディッシュが神獣に料理を教えるぅぅぅうううううううう!!」」


 一体どうなった。

 どうしてこうなった。

 自問したが、ヘレネイたちでは答えを出せそうになかった。


 しかし、当の料理人はというと。


「いいぜ!」


 飴玉が欲しいといった時と同じ調子で、了承する。


 慌てたのはヘレネイだ。


「い、いいの? ディッシュくん。そんな軽いノリで受けちゃって」


「別にかまわねぇよ。そりゃあ滅茶苦茶強い魔獣を倒してくれっていわれたら、俺も困るけど、料理のことなら大丈夫だろ」


 にししし、と満面の笑みを浮かべる。

 やがてユルバに向き直った。


「その代わり1つ条件がある」


「いいでしょう。出来る限りのことにお応えするつもりです」


「あんたが料理を作れるようになったら言うよ。条件を呑むのも呑まないのも、その時決めてくれればいい」


「わかりました。よろしくお願いします、ディッシュ先生ヽヽ


 再び神獣ユルバは、頭を下げるのだった。

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