menu79 大衆食の王様
ディッシュたちがやってきたのは、ネココ亭だった。
ネココ族のニャリスと、ノーラの親子が営む料理店だ。
店の閉店を待つと、ニャリスたちに厨房を貸してくれるように頼んだ。
2つ返事でOKをもらい、早速ゼロスキルの料理人による料理講座が始まる。
ヘレネイとランク、さらにニャリスとノーラが加わって、見守ることになった。
「まずはいつも通り飯を作ってくれ」
「はい。任せてください、ディッシュ先生」
ユルバは腕まくりをする。
エプロンを付け、臨戦態勢に入った。
すると、どこからか大きな肉を取りだす。
神獣特有のスキルだろうか。
その肉を豪快に焼いた。
軽く塩を降って、味付けすると皿に盛る。
肉厚のステーキの出来上がりだ。
試食係のヘレネイたちは、恐る恐る食べてみる。
「うん。うまい!」
程良い噛み応えのある赤身。
脂の質もいい。
もっさりした感覚がなく、舌の上で溶けていく。
味付けは塩だけだが、肉の旨みだけでも十分楽しめるだろう。
シンプルだが、味は悪くなかった。
「他に何か作れるものはあるか?」
「はい。大丈夫です」
またどこからか肉を取り出す。
沸騰した水の中に、肉を沈めた。
塩を入れて、しばらくの間茹でる。
出来上がったものを、器に盛った。
肉の塩茹でといったところだろうか。
「うん。これも美味しいわ」
素朴な味わいだが、悪くはない。
ディッシュはユルバの料理の腕を見るため、どんどん料理を作ってもらう。
そこでわかったのが、非常にシンプルだということだ。
たいてい焼いたり、茹でたり、蒸したりするのが基本で、味付けは絶対に塩。
それが決まっているらしい。
1つハンバーグを作っていたが、ほとんど挽肉だけで作ろうとしていた。
「もう食えないわ」
試食係のヘレネイは、ぽろりとフォークを落とした。
皿には崩れたハンバーグが残ったままだった。
ニャリスもギブアップといって、大きなお腹をさすった。
元気なのは、ランクと、最初から小食だったノーラぐらいだ。
「なんで、こうシンプル料理ニャンだ?」
ニャリスが質問する。
ごもっともというようにヘレネイは頷いた。
ユルバは少し戸惑いながら、理由を説明する。
「えっと……。素材の味を生かそうと思って、味付けはシンプルに塩だけで」
「塩だけだと飽きてしまうニャよ」
「でも、これは『霊獣の聖庭』にしかいないポーンという獣の肉で、とっても美味しい肉で……」
ユルバは説明する。
だが、ヘレネイは納得しなかった。
「そもそもなんでお肉料理だけなの? お野菜とかお魚とか、もっと色々な食材を食べた方がいいと思うけど……」
ガーン……。
ユルバはショックを受ける。
錯覚か。背中の後ろに青い稲妻が走ったような気がした。
「まあ、いいじゃねぇか。問題点はわかったんだから」
「問題点ですか」
「ズバリ。料理のレパートリーを増やすってことだな」
「レパートリーですか……」
「ああ。それで一体何を覚えてもらうかだが……」
ディッシュは顎に手を置き、考える。
すると、ニャリスは勢いよく手を挙げた。
「はいはーい。だったら、悪魔の魚の蒲焼きがいいニャ。それなら、ニャリスも教えられるニャよ」
「却下……」
「どうしてニャ?」
「それだと、蒲焼き一辺倒になるだろう。それに悪魔の魚も季節ものだ。今の時期は、まだ水揚げされないはずだ」
「あー。確かに……」
ニャリスは頭と耳を抱えた。
娘が苦悩しているのを見て、今度はノーラが手を挙げる。
「だったら、薬草汁はどうかしら? ディッシュ君」
「ああ! それ良い案ね!」
身を乗り出し、ノーラの案に乗っかったのは、ヘレネイだった。
横のランクも満足げに頷いている。
ニャリスはピンと耳を立てて、涎を啜った。
1人理解していないのは、ユルバ1人だけだ。
恐る恐る尋ねる。
「薬草汁ですか? なんだか名前からして苦そうですが、そんなに美味しいものなんですか?」
「ああ。特に子どもには大ウケだ」
「それにね、ユルバさん。薬草汁は母親の味ともいわれるんです。今回のお料理教室にピッタリだと思いますよ」
同じ母親として、ノーラが意見する。
「母親の味……ですか」
ユルバは少々複雑そうな表情を浮かべる。
責任感が強いのだろう。
子どもに逃げられ、母親失格と思っているのかもしれない。
「とりあえず作ってみないか、ユルバ」
「あ。はい! よろしくお願いします」
「ああ。頑張ろう。薬草汁――俗に言う」
カレーを作ろうか……。
◆◇◆◇◆
薬草汁ことカレーの発祥は、冒険者たちから生まれた。
長くダンジョンや山に滞在すると、どうしても後半に食糧が尽きてくる。
最終日ともなれば、麦飯だけということは、良くあることだった。
ある時、とある冒険者は麦飯だと味気ないと、荷物の中に食料がないかと探し始めた。
案の定、食材はなかったのだが、代わりに余った薬草や毒消し草を取り出す。
それを適当に鍋の中に投げ入れ、試しに麦飯にかけて食べてみると――あら不思議、とても美味しかったのである。
それからというもの、遠征の最終日はカレーを食べると縁起がよいとされ(材料の薬草が余ったのは、仲間に怪我がなかったということだから)、冒険者の代表的な遠征食として親しまれてきた。
そうした冒険者が父となり、母となると、家庭でも浸透していく。
特に薬草は時期によっては、野菜よりも遙かに安い。
薬草故に、日持ちもするし、作り置きもできる。
もちろん栄養価も高い。
家事をする主婦の強い味方なのだ。
冒険者の食事から、今度は家庭に広まり、今では万人が食べる大衆食として、不動の地位を確立したのである。
「薬草に、毒消し草、満月草に、覚醒草の種。さらに、胡椒に、赤唐辛子、ドラゴン草の葉に、果実の皮、
厨房に並べられたカレーの材料を見て、ユルバは驚く。
「ここら辺が代表的なカレーの材料だ。別に全部入れなくてもいい。好みによって、調節するんだ。たとえば、覚醒草の種を入れると、甘くなる。一方、満月草を入れると、辛くなるっていう感じだ」
「それぞれの薬草に、カレーの要素となる役割があるということですね」
「そうです」
目を細めたのは、ノーラだった。
「ユルバさん、お袋の味というのはご存じですか?」
「お袋の味……」
ユルバが首を傾げた。
一方で、ディッシュはうんと頷き、ノーラに代わって説明した。
「そうだ。カレーは甘くも出来るし、辛くも出来る。その組み合わせは、無限大だ。だから、作る人間や、食べてもらいたい相手によって変われる料理なんだ」
「だから、家によってほんの少し味が違うんですよ」
「まずは、ユルバがどんな相手に食べてもらいたいかだな」
「私はタキオルに――息子に食べてもらいたい!」
「うん。じゃあ、ウォンの好みを考えて入れる薬草を考えるんだ。俺も、手伝うからよ」
ユルバは並べられた薬草を見つめる。
それぞれの特性をディッシュに教えてもらい、理解した上で、1つ結論付けた。
「タキオルはどちらかといえば、甘いものが好きなので」
先ほどの覚醒草の種、果実の皮、さらに蜂蜜をチョイスした。
ディッシュはそれをメインに、薬草と毒消し草、満月草を少々加える。
後者は薬草独特の臭みを消したり、色づけをするためのものだ。
ネココ亭の鍋を借り、ディッシュは説明をしながら料理を始める。
初めに入れたのは、薬草、満月草、覚醒草の種と果実の皮だ。
薬草は全体の匂いを整える役割。
満月草はカレー特有の匂いを引き立たせる。
そこに甘みのある覚醒草の種と果実の皮だ。
それを鍋の中に油を引き、炒る。
すると、プンと良い香りがネココ亭を包んだ。
癖が強く、独特でありながら、食欲をそそる匂い。
早くも試食係たちのお腹を刺激したらしい。
「このカレーを作る時の匂いがたまらないニャ」
マタタビを与えられた猫のように、ニャリスの顔がトロトロになる。
横のヘレネイも大きく頷いた。
ノーラは「明日のお総菜はカレーにしようかしら」と真剣に考え始める。
ディッシュはそこに玉葱と人参、馬鈴薯、さらにユルバが使っていたポーンという獣の肉を、サイコロ状になったものを入れる。
全体的に火が通ったら、火の勢いを弱めて、ショウガと大蒜をすり下ろしたものを加え、肉や野菜の臭みを抑えた。
さらに、少し舌を刺激する程度に、赤唐辛子、ドラゴン草の葉を少々。
ツンと鼻腔を刺激し、よりカレーらしい匂いになる。
さらに牛乳と水を加え、しばらく煮込んだ。
ぐつぐつ……。ぐつぐつ……。
蓋が踊る。
気泡が浮かび、また消える。
カレーが「早く食べてくれ」と手を挙げているようだった。
この頃になると、店内はカレーの匂いが満たされていた。
警鐘のように腹音が鳴り、もうダメだといわんばかりに、ヘレネイたちはぐったりとしていた。
ユルバの肉料理のおかげで、お腹いっぱいになっていたはずなのに、もうお腹が空いてきたらしい。
一方、ユルバは真剣だ。
秒単位で鍋蓋を開けて、中を見たり、かき回したりしている。
成獣した神狼が、明らかにそわそわしていた。
少し間をおいて、塩を入れ、最後に蜂蜜を加える。
そこからさらに煮込んだ。
表面に気泡が浮かび、ぐつぐつという音が耳を刺激する。
カレーらしい黄土色になっていた。
「よし。そろそろいいだろう」
ディッシュは火を止める。
神獣仕様のカレーの出来上がりだ!
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