menu77 神獣の母
ある日のこと。
ヘレネイとランクは、ギルドに向かっていた。
ランクはいつも通り選ぼうとした感じだが、ヘレネイは上機嫌だ。
時折、鼻歌を唄ったりしながら、街の通りを歩いている。
空は快晴。
陽が大地を照らし、ポカポカ陽気である。
風こそまだ肌寒いものの、春を感じさせた。
家の軒先には、黄色い春花が揺れている。
「ご機嫌だね、ヘレネイ。そんなにディッシュくんに会うのが楽しみなのかい?」
「もちろんよ!」
今日は20日ぶりにディッシュに会う日だ。
ゴブリン退治のクエストの後、ヘレネイとランクは今後もディッシュとパーティーを組むことになった。
故あって、毎回クエストに参加できるわけではないのだが、定期的に会うことにしたのだ。
それが今日だ。
本日で2回目。
20日経ったものの、未だに舌にはあのグローブ揚げの味が残っていた。
ぺろりと舌を舐める相棒を見て、ランクは「クスクス」と笑う。
「ヘレネイ、あれからちょっと唐揚げにうるさくなったよね。おかげで、体重が――」
「こら! ランク! それ以上言ったら、ただじゃおかないわよ」
ギロリと睨まれる。
ランクの顔がたちまち青くなった。
つと足を止める。
何かを見つけ、呆然と視線を送った。
何事かと思い、ヘレネイは相棒の視線を手繰る。
人がいた。
美しい女性だ。
肩まで伸びた銀髪。
すっと通った長い鼻。
同じく長い睫毛は、動くたびにひらりと跳ねる。
金色の瞳は超然と輝き、細い肢体ながら、出るところは弾けんばかり大きく魅力的だった。
春先とはいえ、レースで包んだようなゆったりとした不思議な着物を着ている。
雑踏に紛れたところでその美貌は、否応にも目を引くだろう。
そんな彼女だが、さらに目を引く行動を起こしていた。
おかげで人だかりができ、見せ物みたいに人が集まってくる。
女性は地面に這い蹲り、何かを探しているようだった。
そこまでなら、指輪か何かを落としのかと思うのだが、時折彼女は地面スレスレまで鼻を近づけ、くんくんと何かを嗅いでいる。
もちろん、淑女がやることではない。
控えめにいっても、野良犬のようだった。
「あの……。何をしてるんですか?」
ヘレネイは思い切って声をかけてみた。
何か抵抗されるだろうか。
そう思ったのだが、女性はすっくと立ち上がる。
思ったよりも大きい。
見上げるほどではないにしろ、完全にヘレネイを見下げていた。
「ふむ。お主……」
女性はヘレネイに近付く。
ほぼ無造作に、彼女の首筋に鼻先を向けた。
くんくん、と匂いを嗅ぐ。
たちまちヘレネイは顔を赤くした。
「やめてください、変態!!」
ヘレネイは反射的に突き飛ばす。
割と思いっきり力を入れたつもりだ。
だが、女性はたった2歩よろめいただけだった。
「これはすまない。何か不作法をしたようだ。人間界には不慣れでな。容赦いただきたい」
女性は頭を下げ、非礼を詫びた。
先ほどまで這い蹲っていた人間とは思えない。
その動作から何か高貴な匂いがした。
ランクはヘレネイを守るように前に出る。
「あんた、うちの相棒に何をするんだ?」
「失礼をした。少々私が探している者の匂いがしたのでな」
「誰かを探しているのか?」
「私の名前はユルバ。お聞きしたい。これぐらいの大きさの
ユルバと名乗った女性は、自分の肩口ぐらいまで手を挙げる。
もちろん、そんな大きな狼など普通いるはずがない。
だが、ヘレネイたちには、1つ心当たりがあった。
2人は思わず顔を見合わせるのだった。
◆◇◆◇◆
ディッシュはウォンと一緒にヘレネイたちを待っていた。
場所はギルドの前だ。
当然、人の目があるのだが、山育ちの少年には関係ない。
大きな銀狼に寄りかかりながら、その毛の柔らかさを楽しんでいた。
「今日のウォンの毛は、モフモフというよりホカホカだな」
本日はポカポカ陽気である。
こういう時、陽がよく照る場所でウォンの毛の中に埋もれると温かい。
こうしてディッシュは時々、モフモフを補充するのである。
ウォンもご機嫌だ。
何故ならば、こうやって外に連れ出す時は決まって、主人が何かご馳走を作ってくれるからだ。
今日の料理はなんだろう。
ウォンは舌で牙を研いだ。
すると、そのウォンが反応した。
くん、と鼻の頭を動かす。
「うぉん?」
おかしい。
けれど、懐かしいような……。
それでいて、危険な香りがする。
相棒の様子の変化に、ディッシュも気付いた。
立ち上がると、同時にウォンも立ち上がる。
「どうした、ウォン」
「うぉん!」
「ん?」
ウォンが視線を向ける方向を見つめる。
すると雑踏の中から現れたのは、ヘレネイとランクだった。
「ディッシュくん! ウォンちゃん!」
ヘレネイは手を挙げている。
ランクは相変わらず起きたばかりのようにぼうとしていた。
「なんだ、ヘレネイとランクじゃねぇか。おーい」
ディッシュも手を振る。
だが、ウォンは警戒したままだ。
吊り上がった金色の瞳で、油断なく周りを見渡している。
ヘレネイたちに連れがいた。
一言でいうなら、不思議な女性だ。
綺麗と表現できるのだが、とにかく雰囲気がただ者じゃない。
山で磨き上げられたディッシュの勘が、油断するな、と強く警告する。
何よりもウォンが震えていた。
モフモフの毛が、槍のように逆立っている。
ウォンはどんな魔物の前でも勇敢だ。
これまで武者震いすることはあっても、怯えることはなかった。
「一体どうしたんだ、ウォン?」
落ち着かせるように顎の辺りを撫でてやる。
それでもウォンの身体は微妙に震えていた。
すると、美しさと厳しさを兼ね備えた声が飛んでくる。
「見つけたぞ、
びぃくん!!
反応したのは、ウォンだった。
辛抱溜まらん、とばかりにお尻を見せる。
そのままダッと走り出した。
「ウォン!!」
逃げた!
ウォンが逃亡した。
風のように。
だが――。
「どこへ行くのですか、タキオル?」
逃げるウォンの尾を捕まえたのは、あの不思議な女性だった。
ウォンの脚力は凄まじい。
【光速】というスキルを持つアセルスと同等のスピードを持つ。
地形をものともせず、山の中で自由自在に動き回る能力があった。
いわば、大地の王者だ。
しかし、女性は容易くその尾を掴んだ。
まるで散歩をする感じで。
あっさり、かつ一瞬で。
「観念なさい、タキオル」
力も強い。
ウォンが全速力で離脱しようとしているのに、女性は細腕1本でウォンの動きを止めていた。
ウォンは神狼だ。
その力の強さはいわずとも知れている。
なのに、女性は逃げる狼を軽々と引き留めていた。
まるで
「おい。ちょっと、あんた! 何者かは知らないが、ウォンが嫌がっているだろ」
「タキオルが逃げようとしているからです」
「そもそもその“たきおる”ってなんだよ。そいつの名前はウォンだ。あんた、一体何者だ?」
「ああ……。申し遅れました」
わたくし、タキオルの母でございます。
「た、タキオルの
ディッシュは息を飲む。
一部始終を見ていたヘレネイたちも同様だ。
「それって……。ウォンちゃんの――」
「母親ってことか?」
――――ッ!!
ウォンの母親ぁぁぁぁぁぁぁあああああああああ!!
いつもは驚かせる側のディッシュの絶叫が、街にこだますのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます