Special menu 2 ゼロスキルの燻製講座(後編)
大きな一塊りのチーズが、あっという間に消えてしまった。
だが、アセルスの胃はまだまだ元気だ。
腹の音こそ鳴らさなかったものの、腹五分目といった塩梅である。
名残惜しそうに氷室を開き、中を眺める。
すると、見覚えのない皿を見つけた。
その上には茶色い塊のようなものが載っている。
試しにくんくんと匂いを嗅いでみた。
料理のことになると、ウォン並の嗅覚を発揮するアセルスの鼻が、おいしそうな匂いを捉える。
微かな煙の匂い。
さらに――。
「もしかして、これは……」
アセルスの口から湧き水のように涎が溢れてきた。
たまらず、了解を取る前に皿を氷室から取り出す。
「ディッシュ、これはなんだ?」
皿を掲げた。
アセルスと違い、ゆっくりと厨房のテーブルでチーズを堪能していたディッシュは、顔を横に向ける。
ジト目でアセルスを見つめると、苦笑いを浮かべた。
「とうとう見つかっちまったか……」
「もしかして、これも燻製なのか?」
「食べてみるか?」
「食べる食べる!」
「うぉん!」
アセルスがうんうんと頷けば、食休み中だったウォンも立ち上がり、大きな尻尾を振った。
一方、キャリルは首を傾げた。
「ディッシュさん、いつの間に燻製を?」
「ああ。これは家から持ってきた俺の新作燻製だ」
「おお! 新作!」
「一体、なんの燻製ですの? 匂いからして、そのぉ……」
「おお! キャリルにもわかるか? これはきっとあれだな?」
アセルスは得意げに笑う。
ウォンもその食材から漂う匂いで気付いたらしい。
ベロリと舌を出し、涎を垂らしていた。
「全員気付いたのか。まあ、いいや。とりあえず食べてみろよ」
ディッシュは包丁で謎の燻製を切り始める。
アセルスたちの前に並べた。
真っ茶色の棒状の物体。
一見、燻製チーズに見える。
ただチーズの時とは違って、若干光沢感が薄かった。
「ただのチーズではなさそうですね」
キャリルは一口摘む。
途端、顔色が変わった。
「おいしい……!!」
舌に感じる独特の甘み、そして塩気。
キャリルの鼻は合っていた。
この茶色の部分は、燻製の色と“ミソ”の色が混じり合ってできたものだ。
確かに燻製と、ミソの香りは合う。
実際、お互いの中にある風味を高め合っていた。
キャリルが思い出したのは、ミソたんぽを食べた時だ。
練ったマダラゲ草の種実に、ミソを付けて食べるあの料理。
火にかけた時、ミソが焦げてしまうのだが、その焦げの苦みと味噌の甘みもうまくマッチしていて、おいしかったのを思い出す。
これはあの時と一緒。
似たような同調を感じた。
「ミソはわかるけど、でも……」
キャリルは首を捻る。
メインとなっている食材はなんだろうか。
チーズと思ったが、たぶん違う。
素朴な甘みはあれど、食材からはチーズの風味を感じない。
だけど、チーズよりもまろやかでしっとりとしていた。
「むぅぅぅほっほおおおおお!!」
「うぉぉぉぉおおおおんんん!!」
横のアセルスとウォンはお構いなく食べている。
2人はおいしければそれでいいらしい。
だが、料理人のキャリルは違う。
真面目な性格も手伝って、なんとか食材を当てようとしていた。
だが、考えてもわからない。
ディッシュの事だから、もしかしたら魔獣の何かかも知れない。
となると、さすがに専門外だ。
しばらく粘ってみたが、キャリルは手をあげた。
「わかりませんわ。ディッシュさん、これはなんですの?」
「む? チーズではないのか?」
そこでアセルスは初めて気付く。
すると、ディッシュは笑った。
あのいつもの笑みである。
「にししし、まあ初めて食べてわかるヤツはいないだろうな」
美食家王女アリエステルですら、この食材を当てられたかどうかわからない。
それほど、このディッシュが作った新作燻製は驚きのものだった。
「答えは……」
豆腐だ。
……。
……。
……。
「「と、豆腐ぅぅぅぅううううううううう!!!!」」
アセルスとキャリルの素っ頓狂な声が、ヴェーリン家の厨房に響き渡った。
「いや……。ちょっと待て! 本当に豆腐なのか? 私はてっきりチーズだと思って食べていたのだが……」
「にしし……。だろだろ? チーズに思えるだろ?」
悪戯成功とばかりに、ディッシュは歯を見せて笑う。
「そうだ。こいつは――――」
ミソ漬け豆腐の燻製だ!
「ミソ漬け……」
「豆腐の燻製……」
2人は呆然とする。
キャリルは早速、ミソ漬け豆腐の燻製を頬張った。
「なるほど。確かにこれは豆腐ですわ」
言われてみて、初めてわかる。
チーズにはない
キャリルもそう何回も豆腐を口にしてるわけではない。
が、間違いなくこれは豆腐だった。
「わ、私はてっきりチーズと思っていたのだが……」
「アセルス様が勘違いするのも無理もありませんわ。ミソが風味を引き立てて、豆腐がそのまろやかさを演出している。多少の水っぽさも、そういうチーズだと思えば、全く気になりませんわ」
「しかし、驚いた。豆腐の燻製とは……。それにミソ漬け……」
アセルスは頬張る。
しっとりとしたミソの味が口の中にふわりと広がっていった。
紅潮した顔はとても満足げだ。
また酒が進んでしまう。
「前にも言ったけどよ。燻製は何でもいけるぞ。他にもこういうのも燻製にできるんだ」
今度は、ディッシュが氷室を開ける。
キャリルが知らないところで、様々な燻製を冷やしていたらしい。
現れたものを見て、今度はアセルスにも食材がわかった。
「あ! 卵か!」
「ああ。煮卵の燻製だ」
「煮卵!!」
早くもアセルスは興奮気味だ。
ふんふんと鼻を鳴らす。
横のウォンはいつでも準備OKとばかりに、厨房の床を掻いた。
表面が茶色っぽくなった卵が、アセルスたちの目の前に置かれる。
まるで別の生き物の卵のようだ。
アセルスは何度も唾を飲み込みながら、手を伸ばす。
口を開け、かぶりついた。
「ぬほほおおおおおおぉぉぉぉ!」
悶絶した。
うまぁい!!
おそらく魚醤でつけ込んだ煮卵だろう。
そこに燻製と魚醤の風味が合わさって、綺麗なハーモニーを生んでいる。
さらに、白身のプリッとした歯ごたえも最高だ。
よく魚醤が染みこんでいるが、決してしょっぱくない。
たぶん、ディッシュが味を抑えたのだろう。
おかげで、しっかりと魚醤と燻製の味を同時に感じることができる。
極めつけは、とろっとした黄身だ。
見た目も殺人的においしそうなのに、食べるとコロッと倒れたくなるほどうまい。
燻製の風味、魚醤の塩気。
そこに黄身のまろやさが加わり、味全体を巻き込んで、舌の上に押し掛けてくる。
結果、ふわっと味が脳髄にまで広がり、えも言わぬ多幸感に襲われた。
気が付けば、燻製煮卵はこの世から消えていた。
「はにゃ……。おいしかった……」
アセルスはテーブルに頬を付ける。
酒とおいしい料理で熱くなった顔を冷やした。
その顔は、黄身のようにトロトロだ。
「アセルス様、そんなところで寝たら風邪を引きますよ」
キャリルは忠告する。
だが、アセルスはすでに瞼を閉じ、幸せな夢を見る準備を始めていた。
キャリルは1つ息を吐く。
ディッシュの方に向き直った。
「ディッシュさん、昨日今日とありがとうございました」
「こっちこそ世話になったな、キャリル。お前のチーズもおいしかったぜ」
「あ、ありがとうございます」
「アセルスの腹を満足させるのは大変だけどよ。まずはお互い料理を楽しもうぜ。料理にスキルは関係ない。1番は楽しむことと、食べてもらう人を思いやる心なんだからよ」
ディッシュは「ここ!」というように、自分の胸を差した。
キャリルはハッと顔を上げる。
「はい。その点だけは、今も負けてませんから」
まるでディッシュのお株を奪うように、キャリルはにしし、と笑うのだった。
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