Special menu 2 ゼロスキルの燻製講座(中編)
その日、ディッシュはヴェーリン家に泊まり、翌朝を迎える。
昼になり、いよいよ氷室から燻製チーズを取り出すことになった。
網から取り上げた後、しばらく風に通して乾燥させた後、半日寝かせたチーズがいよいよお目見えする。
その姿を少しでも早く目に焼き付けようと、氷室の前にアセルス、ウォン、キャリルが待機した。
ディッシュは氷室の扉の取っ手を掴む。
やや重い音を立てて、開いた。
氷属性を持ち、それそのものが巨大な魔導具である氷室から、白い冷気のようなものが吐き出される。
涼しげな空気が3人と1匹を包む。
同時に反応したのは、アセルスとウォンだった。
「うーん。いい匂いだ」
「うぉぉぉおおおぉぉんん!」
アセルスは鼻の穴を広げて、漂ってきた香りを吸い込めば、横のウォンは何か甘えるような声を上げる。
犬獣人であるキャリルも頻りに鼻を動かし、尻尾を振っていった。
冷たくなった皿を掴み、ディッシュはテーブルの上に載せる。
銀の蓋を開くと、現れたものの姿に、一同は息と涎を呑んだ。
「おおおおおおおおお!!」
「うぉぉぉおおおんんん!」
「綺麗ですわ……」
それは濃い飴色をしていた。
角が取れて、つるりとしており、厨房の燭台の光を反射させている。
長方形のチーズに、まるで食パンの耳のような色が付いていた。
けれど、漂ってくるのはパンの香ばしい匂いとは、明らかに違う。
脳をとろかすようなチーズと燻製の香りだった。
ディッシュはスッと包丁を入れる。
やや硬めのチーズをカードサイズに切り、アセルスたちに並べた。
「よし。まずはそのままで食べてみろよ」
ディッシュは手で促す。
濃い飴色になったチーズを、アセルスは目を星のように輝かせながら、まず匂いを堪能した。
「うーん」
高原の空気を味わうように、アセルスは瞼を閉じる。
おいしそうな煙の匂いが頭の裏まで広がっていった。
さらに、そこにキャリルが手塩にかけて育てたチーズの匂いが加わる。
今回は特に匂いの強いチーズをチョイスしたらしい。
燻製の匂いに負けないぐらい鼻腔の中を刺激する。
ぐごごごごごごご……。
アセルスの腹が鳴る。
1日お預けを食らい、香りの挑発をうけたのだ。
腹が空くのは当然だった。
いよいよチーズを摘まんだ。
「いただきます」
パクッ!
「んんんんんんんんっっまぁあああああいいぃぃいいぃぃ!!」
アセルスは絶叫した。
ウォンやキャリルも、オーバーなぐらいリアクションを取る。
おいしい!
まず噛んだ瞬間に襲いかかってきたのは、燻製の強い風味だった。
漂ってくる香りだけでお腹いっぱいなのに、噛むとさらに強く感じる。
口の中に広がっていくというよりは、まるで暴風のように暴れ回るといった感じだ。
その風味のおかげで、チーズの味が倍加している。
本来ある旨みやまろやかさの中に、常に燻製が寄り添うような感じだ。
しかも、決して邪魔になるわけではない。
まるで意志を持っているかのように、チーズをおいしく感じさせてくれる。
元々旨みが強いチーズゆえだろうか。
後味がずっと喉の手前で残り続けている。
それがまた何か小憎い。
風味が倍に感じられるから、喉にチーズがずっと引っかかっているみたいだった。
たまらずアセルスは、キャリルに注文する。
勿論、葡萄酒だ。
慌ててキャリルは持ってくる。
ワイングラスに注ぐと、アセルスはチーズの味が充満した喉に流し込んだ。
「はわわわわわわ……」
ぽやっとアセルスは頬が赤く染まる。
興奮した気持ちが、酒を呑んだことによって逆に落ち着いた。
「いかがですか、アセルス様?」
気になったキャリルが、主人に尋ねる。
アセルスは若干ぼんやりとした瞳で、一言呟いた。
「いい……」
葡萄酒が、口の中いっぱいに広がったチーズの味を鎮めてくれる。
それはチーズの味に反発するものではない。
葡萄酒の渋みが燻製の風味に、酸味がチーズの中の酸味に反応し、逆に強い一体感を生み出していた。
そこに来て、酒精である。
燻製チーズの味をすべて引き連れ、酒精が身体を巡っていく。
「まるで自分がチーズになったようだ……」
トロンとした目で、アセルスは天を仰いだ。
「おいおい。これぐらいで満足したらダメだろう、アセルス。食べたいんじゃなかったか?」
トロトロの燻製チーズを……。
アセルスの瞼がカッと開く。
まるで百年の眠りから覚めた魔王の如く、椅子から立ち上がった。
「食べたいぞ、ディッシュ」
「そういうと思ったよ」
すでにディッシュは用意していた。
一口サイズのチーズを鉄串に刺す。
竈の残り火を使って、ゆっくりとチーズを溶かし始めた。
やがて燻製チーズが串に沿って垂れてきた。
「はわわわわわわ……」
アセルスは変な声を上げる。
チーズがとろけていく様を見て、興奮していた。
頃合いを見計らい、2人と1匹にチーズを差し出す。
「うまいぞぉ」
ディッシュはにしし、と笑う。
そりゃうまいだろ……。
というように、アセルス、キャリル、ウォンは頷いた。
ディッシュから串を受け取る。
先にはトロトロのチーズが、黄金色に輝いていた。
これこそ神の食べ物ではないかと思うほど、美しい姿をしている。
「いただきます」
本日2回目の「いただきます」。
改めていわないと、罰が当たるのではないかと思ったからだ。
慎重に唇を近づける。
「「熱っ!!」」
アセルスとキャリル――主従揃って、声を上げた。
その点、ウォンは勇敢だ。
ディッシュから差し出されたトロトロ燻製チーズをパクリと頬張る。
「うぉぉおおおおぉおぉおぉおぉおぉおぉおんんんんん!!」
少し硬めだったチーズが、一転して生クリームのように軟らかくなっていた。
熱で温められたことによって、チーズの味がさらに強く感じる。
チーズの熱さとともに口の中で膨張し、広がっていった。
トロトロに溶けたチーズはふわりとなくなり、ただ風味だけを残していく。
その不思議な感覚が堪らなく癖になった。
何度も大きな口を開けながら、ウォンは牙の裏に残ったチーズを舐め取る。
アセルスとキャリルは、ウォンの口の中で糸を引くチーズを見つめる。
堪らず、息を吹きかけ、熱々のチーズを冷ました。
願わくば、氷に付けて冷やしてやりたいぐらいだ。
何とか適温にすると、アセルスとキャリルはいよいよ頬張る。
「むほほほほほほほほ……!」
「はぐうぅぅぅぅううぅ!!」
主従共々悲鳴を上げた。
口の中で膨張していく熱々チーズに、2人は腰を抜かしそうなほど感銘を受けていた。
その後、黒胡椒や蜂蜜をかけたりして、チーズを楽しむ。
アセルスはあっという間に、葡萄酒を1瓶開けてしまった。
それでも満足できず、チーズを頬張る。
キャリルはハムを持ってくると、チーズに巻いて食べた。
これがまたおいしい。
ただ巻いて食べるのもいいのだが、ちょっと火に炙って焼くと、ハムの中から脂が出てきて、それがまた最高だった。
脂とトロトロのチーズが絡まり、さらにまろやかさが増す。
アセルスたちの舌の上は、この時常に驚きに満ちあふれていた。
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