Special menu 2 ゼロスキルの燻製講座(前編)
ヴェーリン家の前に馬車が止まる。
しっかりした作りの客車から出てきたのは、ディッシュとウォンである。
久しぶりのヴェーリン家だが、相変わらずだ。
ディッシュからすれば、目を丸くするほど大きいが、他に並んでいる屋敷と比べると華美な装飾はない。
家主の性格がよく表れた質実剛健な作りだった。
出迎えたのは、アセルスである。
隣にはキャリルがいて、ペコリとディッシュに向かって頭を下げた。
いつも来ると、アセルスはドレスを着てめかしこむ。
だが、今日はパンツ姿でラフな恰好をしていた。
ちなみにキャリルはいつものメイドスタイルである。
早速、屋敷の中に通されると、ディッシュは言った。
「それで俺に相談ってなんだ?」
「うむ。実は、私ではなく、キャリルが相談があるらしい」
「ん? キャリルが?」
「はい」
キャリルは1歩進み出る。
すると、1枚の皿を出した。
載っていたのは、チーズである。
それもただのチーズではない。
周りが濃い飴色になっていた。
「もしかして、これ燻製チーズか?」
「はい。そうです」
キャリルは頷く。
なんだか元気がない。
いつもピンと立っている耳も、心なしか下を向いていた。
見かねて、アセルスが説明を加える。
「前にカリュドーンの燻製を食べた時に話していただろう、ディッシュ。燻製はチーズにも合うって」
「まあ、そうだな」
「私がチーズを好物としているのは知っているだろう。だから、キャリルに頼んで作ってもらったのだ」
「アセルス様からお聞きした通りに作ってはみたのですが……」
キャリルの顔がますます暗くなる。
尻尾がだらりと垂れていた。
キャリルが落ち込むのも仕方がない。
皿に載ったチーズの形は、かなり崩れていた。
美食家王女アリエステルなら、かなり辛口に評価していただろう。
とはいえ、重要なのは味である。
ディッシュは皿の上のチーズを摘まんだ。
「むむ……!」
不味くはない。
しっかりと煙の風味が口の中に広がっていく。
まろやかなチーズの味も申し分なかった。
けれど――。
「うーん。水分が多いな。ちょっとベタッしてる」
風味も全体に行き渡っていない。
味がまばらになっていて、燻製の良さが引き出せてないように思えた。
「私は十分おいしいと思うのだが……」
アセルスはフォローを入れながら、横目でキャリルを見つめる。
なるほどな、とディッシュは思った。
ディッシュが感じたことを、キャリルも考えたのだろう。
キャリルだって料理人だ。
自分が満足できる料理でなければ、たとえ主人が「おいしい」といっても、納得できないだろう。
だから、ディッシュを呼んだのだ。
「うん。確かにこれはダメだな。おいしくない」
キャリルの肩が震える。
スカートの裾を掴み、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
「でも、失敗は成功の元っていうしな。ここからおいしくすればいい」
キャリルが顔を上げる。
やや濡れそぼった瞳で、ディッシュを見つめた。
「それ……。誰の言葉ですの?」
「ん? 俺の言葉だ」
そして、ディッシュはにしし、と笑うのだった。
◆◇◆◇◆
ディッシュ、キャリル、アセルス、ウォンの3人と1匹はヴェーリン家の厨房にやってくる。
早速、ディッシュのお料理講座が始まった。
「燻製ってのは、如何に表面の水分を飛ばして、中に水分を残すかで決まるんだ。その際、中の水分が均一になるのが1番だ。そのためには、どうやって熱を入れていくかが、1つのポイントなんだよ」
「熱ですか……。煙ばかり気にして、熱のことにまで気が回りませんでしたわ」
「うん。それが燻製の難しいところだな。特に普通に網や串に刺して、燻製するのは難しい。ちょっと香り付けぐらいならいいかもしれねぇけど、うまくやらないと肉の旨みが脂と一緒に出てちまう」
「なるほど」
真面目なキャリルは熱心にメモを取る。
一方、横のウォンは興味がないらしい。
厨房の床の上に座ると、大きな口を開けて欠伸をしていた。
まだかな、という感じで尻尾をひらりと翻す。
「だから、高温の火力よりもなるべく熱を抑えて、じっくり燻すのが、燻製の秘訣だ」
ディッシュの説明に、アセルスもうんと頷いた。
「確かに……。前にカリュドーンの燻製を食べた時も、ディッシュは随分長い間、燻していたような気がする」
「ああ。割と燻製って我慢の料理なんだ……ってわけで、チーズの燻製を作ってみようか。その前に――」
ディッシュは1度腕をまくった後、アセルスに振り返った。
「なあ、アセルス。お前、使わなくなった鎖帷子とかないか?」
「鎖帷子? あるにはあると思うが」
横を見る。
キャリルはうんと頷いた。
「できれば、編み目の小さいヤツが良いんだけど……」
「はい。ございます」
キャリルはこくりと頷くと、1度厨房から出て行った。
しばらくして、斬られたりして痛んだ鎖帷子を持ってくる。
ディッシュはそれを見て、感心する。
「へぇ……。上等な鎖帷子だな」
鎖帷子もピンキリだ。
網の目が細かいものほど、値段が高い。
SSランクの冒険者でもあるアセルスは、防具に強いこだわりを持っていた。
生死に関わるからだ。
「ちゃんと洗ったよな?」
ディッシュはあろうことか鎖帷子に鼻を近づける。
くんくんと匂いを確かめた。
「だあぁぁあぁあ!! ディッシュ、やめろ!! 嗅ぐなぁ!」
情けない悲鳴が厨房に響いた。
アセルスは真っ赤になりながら、ディッシュから鎖帷子を取り上げる。
自分で匂いを確認した。
「うん。大丈夫だ、問題ない」
「当たり前です。痛んでいるとはいえ、部分部分ではまだまだ使えますから。ちゃんと洗って置いておいたのです。それよりも、この鎖帷子をどうするのですか?」
「ああ……。こうやるんだ」
ディッシュはもう1度鎖帷子を受け取る。
それを鍋の底に広げた。
さらにディッシュは、自分の背嚢を開く。
中から取りだしたのは、木くずだった。
刹那、厨房に芳しい香りがふわりと広がる。
「ディッシュ、なんだその木くずは?」
「ん? 嗅いでみるか?」
ディッシュは木くずを差し出す。
アセルス、キャリル、ウォンの2人と1匹は鼻を近づけた。
「うぅぅぅんんん。良い香りだ」
「はい。心が落ち着く香りです」
「へっくし!」
アセルスとキャリルが香りに酔う。
2人して恍惚とした表情を浮かべていた。
ウォンは鼻を利かせすぎて、木くずを吸い込んでしまったらしい。
盛大にくしゃみをぶちまける。
鼻の頭を前肢で掻いていた。
「嗅いだことがない木の香りですね」
「そうだな。これは何なのだ、ディッシュ?」
「マーダーウッドの木くずだ」
マーダーウッド!!
怨霊が棲みつくような森にいる――その名の通り、木の魔獣である。
ディッシュが住んでいる山にも棲息しており、見た目は普通の木にしか見えないため、よく冒険者が待ち伏せを食らって殺されてしまうケースが後を絶たない。
そのため『
「まさか……。その木くずなんて……。信じられませんわ」
「ああ。どうして、こんなに良い香りを魔獣が放つんだ」
「木の匂いってのは、木の中に微量に含まれている油の匂いなんだ。その油がマーダーウッドの持つ魔力に反応して、強くなってる。前に属性によって、味が変わるって話しただろ?」
「ああ。火喰い鳥の時のことか」
アセルスは思わず涎を拭った。
今でも、脳を直撃するような辛みは忘れられないらしい。
「マーダーウッドは土属性だ。土属性の魔獣の魔力は、香りを強くする性質をもっている。だから、木の香りが他の樹木と違って、とても強く感じることができるんだ」
以前、ディッシュが調理したウィスパーマッシュも強い芳香を持つ魔獣だった。
マーダーウッドも例に漏れず、強い香りを放つのだ。
「確かに植物系の魔獣の中には、香りを使って冒険者を眠らせたり、混乱させたりするものもいるな」
アセルスはポンと手を打つと、横のキャリルもうんと頷いた。
ディッシュは鍋に張った鎖帷子の上に、マーダーウッドの木くずを入れる。
その上に、網を置き、さらに蓋をした。
火の付いた窯に、鍋を設置する。
キャリルは「なるほど」と顎を動かした。
「木くずを直接燃やすのではなく、温められた鍋の熱で燻すのですね」
「そうだ。直接火で炙るよりも、これなら鍋の熱でじんわりと火を通すことができる。煮込み料理と一緒だ」
「鎖帷子は鍋を焦がさないためなんだな」
キャリルと一緒に、アセルスも感心していた。
「相変わらず、人が思いつかないような調理方法を知ってますわね」
「湯煎って方法でスライム飴を作った時に、一緒に思いついたんだよ」
「確かに……。熱を間接的に得るという意味では、湯煎と似ていますわ」
キャリルはメモを取る。
先ほどまで落ち込んでいたメイドはいない。
真剣にディッシュの話を聞いていた。
主人であるアセルスにおいしい燻製チーズを届けたい……。
ただその一心なのだろう。
キャリルの心意気はディッシュにも伝わっていた。
だから、どんな些細な質問にも、ディッシュは丁寧に答えていく。
しばらく待っていると、鍋から煙が出始めた。
ディッシュは蓋を開ける。
爆発的に香りが広がった。
マーダーウッドの木の香りと、煙の匂いが混じり合う。
ふっと肩の力が抜けてしまうような良い香りが、厨房に漂い始めた。
「いい香りですわ」
「うぉぉぉぉぉおおおおんんんん……」
「うー。煙だけでお腹が空いてきたぞ」
食いしん坊なアセルスは早速涎を垂らす。
アセルスは気付いてなかったが、あの火喰い鳥を呼び寄せたのは、この煙の香りだった。
「キャリル、チーズをくれ」
いよいよ網の上にチーズを載せる。
棒状のチーズが煙を浴び始めた。
ディッシュは窯の火力を弱める。
しばらく待っていると、チーズに水分が浮かび始めた。
それを布巾で、丁寧に拭っていく。
「地味だけど、この工程がとても重要なんだ。しっかりと表面の水分を取らないと、キャリルが作ったようなべたっとした燻製チーズになっちまう。焼き色も美しくないしな」
水分を取ると、蓋をする。
定期的に蓋を取り、表面についた水分を拭う。
これを何度か繰り返した。
「燻しているうちにチーズが溶けてくるから、火を緩めるか、鍋を窯から外せばいい。一旦温度が下がってきて、煙があまり出なくなったら、また窯に入れればいいんだ」
「熱管理が重要なんですね」
「チーズを溶かしちまうと、旨みも風味も全部逃げちまうからな」
「え? 今、食べたらダメなのか?」
「うぉん!」
絶望した顔を向けたのは、アセルスとウォンである。
もうこの時、チーズは少し溶けかかっていた。
角の部分が飴色に染まり始め、トロッとした部分が網に引っかかっている。
それを見て、アセルスとウォンは同時に唾を呑んだ。
「ダメだ。おいしい燻製チーズが食べれなくなるぞ」
「ええええええええええ!!」
「うぉぉぉおおおんんん!!」
聖騎士と神狼はよろよろと倒れる。
お互いの身体を支え合いながら、よよよっと泣き始めた。
「悲しいな、ウォン。あんなトロトロのチーズが食べれないなんて」
「うぉん!」
「なあ、ディッシュ。燻製チーズはいつになったら食えるのだ」
「んー。今日1日氷室の中で冷やすから、明日だな」
「明日! 明日だとぉぉぉおおおお!! やだやだやだやだ!! 今すぐ食いたい!!」
アセルスはバタバタと足を振って、駄々をこねる。
そこに聖騎士としての威厳はどこにもなかった。
「子どもかよ……」
ディッシュは頭を抱える。
横のキャリルも苦笑いを浮かべた。
「わかったわかった。他にうまいもん食わせてやるから」
「本当か?」
アセルスは、ウォンと共に立ち上がる。
1人と1匹は瞳をキラキラと輝かせていた。
息がぴったりすぎて、まるで姉弟のようだ。
「現金なヤツだな……。まあ、アセルスらしいけど」
「一体、どんな料理を作ってくれるのだ、ディッシュ」
「あー。まー、それは今から考える」
「うーん。今から楽しみだぞ」
アセルスは辛抱たまらんとばかりに、生唾を飲んだ。
隣のウォンも「うぉおおおおんん!」と遠吠えを上げて催促する。
さしものゼロスキルの料理人も、1人と1匹の食いしん坊の前ではタジタジだった。
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