menu76 あじフライ定食と秘密のソース
その音は気持ちよく、ネココ亭に響いた。
まるで目の前で魔獣が斬り裂かれたようだ。
ぴんと空気が張りつめたような気がする。
だが、決して気のせいではない。
一瞬、ネココ亭が静まり返ったのだ。
サクッというおいしそうな音……。
その音を間近で耳にし、脳髄に直撃したディッシュは――――。
「うぅぅぅぅうんんんんんんんん!!」
むふ~、と息を吐き出した。
心地よい四重奏を聴いた後のように、満足げな表情を浮かべる。
「どうにゃ、ディッシュ。ママのあじ定は?」
少し急かすようにニャリスは尋ねた。
ノーラは次の料理にかかっていたが、内心では少し気になるのだろう。
横目でチラリとディッシュの方を見つめる。
すると、ディッシュは言った。
うまいっ!!
と――――。
それを聞いたニャリスは、全身の毛をビリビリと逆立てる。
ピンと耳と尻尾を立てた後、拳を天へ突き出した。
「やったにゃ!」
その場で小躍りする。
一応言っておくが、ニャリスが作ったわけではない。
それでも、母親が作った料理をうまいといわれるのが、嬉しかったのだろう。
しかも、それを口にしたのが、名だたる人間の舌を魅了してきたゼロスキルの料理人なら尚更のことである。
一方、ディッシュはもう1度あじフライにかぶりついた。
サクッ! サクッ! サクッ!
気持ちのいい音が、口の中で響き渡る。
まずこの食音が食欲をそそられる。
耳に残るこの音は、おいしいものの証のようなものだ。
そしてちょっと厚めの衣。
ちょうど良い食感が歯にとても気持ちよい。
音と相まって、脳髄にまでおいしさが伝わってくる。
だが、何よりは魚の身だろう。
当然、中まで火が通り、ぷりぷりの真っ白な身が顔を覗かせている。
衣の食感と、身の柔らかさがまた絶品だ。
肉を揚げたものとは、また違う一体感を生んでいる。
何より身の旨みが、全然違う。
口の中で咀嚼すればするほど、身の旨みを歯茎に滲み、ぱあと広がっていく。
ディッシュでも、魚の旨みをここまで引き出せない。
塩と冷やしただけでは、ここまで旨みがアップしないはずだ。
ディッシュは、はたと気付く。
脳裏を駆けめぐったのは、ノーラの言葉だった。
『チーズとあじって、実は相性がいいの』
「そうか! チーズによって、あじの旨みが引き出されているのか!!」
「ふふふ……。その通りよ、ディッシュくん」
正解、という風に、ノーラは手で丸を作った。
ディッシュはチーズを入れることによって、衣の食感が変わるのだと思っていた。実際、その効果も狙っているのだろう。
衣のサクサク感に、チーズも一役かっているはずである。
しかし、ノーラは『チーズとあじ』と口にした。
これはつまり、チーズが影響を与えたのは、衣ではなく、あじにあるということだ。
すなわち、あじの旨みを指しているのだろう。
「昔、パン粉と粉チーズを間違えちゃって、そのまま揚げちゃったの。当然、失敗しちゃったんだけど、食べてみたら案外おいしくて」
うふふふ……と、ノーラは微笑む。
ディッシュは激しく同意した。
同じような経験を何度もしてきたからだ。
料理というのは、失敗の産物といっていい。
思いも寄らない組み合わせが、想定外のおいしさを引き出すことがある。
だから、料理は難しい。
けれど、失敗も成功であるからこそ、また楽しいのだ。
その時だった。
こりっ……。
あじフライを食べていると妙な食感が伝わってきた。
骨でも食べたのだろうか。
それにしては妙に柔らかい。
しかも、噛むと、ぱあと塩気が広がっていく。
それが、あじとマッチする。
衣のサクッ、あじのプリプリ、そして謎のこりっ……。
3種の音が、渾然一体となって、ゼロスキルの料理人に襲いかかっていた。
「なんか食べたことある味なんだよな」
ディッシュは、半分食べかけたあじフライを見つめる。
注目したのは、黄色いソースだった。
恐らく卵黄と酢、からし、塩、さらに油を混ぜたソースをベースに、何か茎のようなものが絡んでいる。
あ……。
ディッシュは思わず頷く。
「これ……。大根の甘漬けか!」
「さすがはディッシュくん。よくわかったわね」
「俺も作るからな」
以前、ルヴァンスキーがディッシュの家にたまたま訪れた時に、出した料理の一品だ。
それを細かく刻み、黄色のソースと絡めているのだろう。
もう1度、味を確かめるように咀嚼する。
いい……。
あじと大根の甘漬けの塩気と、甘みがあっている。
細かく刻んでいるから、あじの旨みの邪魔をしていないのが良い。
おかげであじの味に集中することができる。
だが、間違いなくこのソースと大根の甘漬けは、いい仕事をしていた。
「はあ……」
やがてディッシュは完食する。
大盛りの麦飯も、すっかり空になっていた。
キャベツの千切りも、1本も残さず、腹の中に収める。
満足だった。
誰かさんのように思わず腹鼓を鳴らす。
横を見ると、ヘレネイとランクも、幸せそうに食休みをしていた。
ニャリスは熱いお茶を出しながら、ディッシュに質問する。
「どうにゃ? ママのあじ定は?」
「うまかったよ。あじとチーズが合うなんて思わなかった。今度、試してもいいか?」
「もちろんよ、ディッシュくんには、私が寝込んでいた時にお世話になったしね」
ノーラに尋ねると、快諾してくれた。
それを横で聞いていたヘレネイとランクが反応する。
「ディッシュくん、お世話になったって? どういうこと?」
「昔、ママが寝込んだ時に、ディッシュにこの店を手伝ってもらったにゃ」
「ディ、ディッシュくん、ネココ亭で働いていたことがあるの!?」
ヘレネイは素っ頓狂な声を上げる。
彼女にとって、ネココ亭は伝説であり、憧れの聖地である。
そこで働いたことがあると聞けば、驚くのも無理からぬことだった。
「働いたというよりは、単にニャリスに料理の指導を行っただけだよ」
「それでも凄いわよ」
「そういえば、ニャリス。久しぶりにお前の悪魔の魚の蒲焼きも食べたいなあ」
「にゃははは……。何をいってるにゃ。ディッシュはお腹いっぱいにゃろ?」
「半切れぐらいなら食べられるぜ」
ディッシュはにしし、と笑う。
「私も食べてみたい」
「じゃあ、僕も――」
ヘレネイとランクが手を上げる。
すると――。
「俺も1つ」
「なら、わしも」
「こっちもお願いできるかしら」
「ぼくも!」
次々と追加注文が入る。
ニャリスの顔からサァッと血の気が引いていくのがわかった。
こきこきと首を動かし、助けを求めるようにノーラを見つめる。
ノーラは「ふふふ」と不敵な笑みを浮かべると、1本の竹串をニャリスの方に向かって差し出した。
「はい。ニャリス、お願いね」
「でも、今ホールは忙しいにゃよ」
「大丈夫。私が代わるわ」
「ママ……。助けて……」
「うん。む・り。頑張って、ニャリス」
こうして再びニャリスは厨房に着く。
シチリンの煙に巻かれ、泣きながら彼女は、悪魔の魚を焼いた。
美味しそうな匂いに反応したのは、お客だけではない。
ウォンも悪魔の魚の蒲焼きの匂いに魅了されていた。
「うぉん!」
早くしろ、とばかりに吠える。
まだ飯を食べていないウォンは、若干殺気立っていた。
ディッシュたちは、さらに悪魔の魚の蒲焼きで舌鼓を打つ。
甘いタレは、ちょっぴり塩味が利いていたという。
◆◇◆◇◆
ネココ亭を出たディッシュたちの顔は、非常に満足げだった。
余韻に浸るように、ヘレネイとランクはお腹をさする。
まだ料理の温かさが残っていた。
「2人とも付き合ってくれてありがとな」
「感謝するのはこっちの方よ」
「そうだね。貴重な体験をさせてもらったよ。ありがとう、ディッシュくん」
ランクが腕を差し出す。
それを見て、ディッシュはがっちりと握手した。
「またパーティーに入れてくれるか?」
「もちろんよ。お互い頑張りましょ」
ヘレネイとも握手を交わす。
こうして冒険者ディッシュの初クエストは終わるのだった。
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