menu75 ネココ亭の実力と前菜

「ノーラのあじフライ……。楽しみだな」


 ディッシュはカウンターの向こうをのぞき込む。

 わくわくする気持ちを示すように、ぷらぷらと足を動かした。

 だが、その瞳は料理人の目をしている。

 少しでもノーラの技を盗もうと、目線を送った。


 ディッシュに見つめられ、ノーラは少し緊張した面持ちだった。

 表面上こそ「あらあら」ととぼけた感じだが、彼女とて料理人としてのプライドがある。


 さりとてノーラはベテランだ。

 必要以上に気負ったりはしない。

 いつも通り。

 さっきまでそうであったかのように。


 普段通り、おいしい料理を作るだけだった。


 まな板に、今日魚河岸で仕入れたあじを置く。

 すでに絞められた後の魚は、ピクリとも動かない。


 利き手には包丁を。

 逆の手で、そっと魚を押さえた。

 狙いを定める。


 すると、あじの解体ショーが始まった。


 細い目の奥が光る。


 シャンと包丁が空気を滑った。

 その瞬間、あじのぜいごヽヽヽが舞う。

 それも2枚……!


 ほんの刹那の間に、両方のぜいごを切り裂いていた。


 ノーラの動きは止まらない。

 尾を摘まみ、頭を切り取る。

 しかも頭を取ると、同時に中の臓器まで綺麗に抜き取ってしまった。


 簡単そうに見えて実は難しい。

 いや、見る人が見れば、神業であった。


 ディッシュは思わず「おお」と感嘆する。

 ヘレネイとランクは呆然と見つめた。

 正直、早すぎて何が起こっているかわからなかったのだ。


 背を手前に向ける。

 フライは腹開きではなく、背開きが基本である。

 その方が、一口目の歯応えが違うからだ。


 ここでノーラは技を見せる。

 なんと背を上に向け、魚を立てたのだ。

 間髪入れず、スッスッと包丁を入れる。

 すると、衣を剥ぐように魚が開いた。


 現れたのは、見事な桜色をした身である。

 しかも、中骨まで綺麗に取れていた。


「すげぇ!」


 これはディッシュにはできない芸当である。

 ノーラ個人が、長年店を切り盛りするうちに身に着けた技だろう。


 残った細かな骨を取り、最後に尾骨を抜き取る。


 あっという間に、あじの開きができあがってしまった。


 ぷんと匂いが漂ってくる。

 当然だが、魚の匂いだ。

 さらに磯の香りが、強くディッシュの鼻を刺激した。


 店の香りと似ている。

 そうか……。

 ディッシュは気付いた。

 店の匂いと同じなのだ。


 ネココ亭に染みついた匂いは、魚をさばいた時に出るものだったのである。


 ノーラはさらに動く。

 あじに塩を振りかけた。

 魚の臭みを取るためだろう。

 下ごしらえとして、必要な処置だ。


「それを今から氷室に入れて、冷やすのか?」


 少し冷やすと、塩が浸透して、旨みがアップする。

 だが、それだとちょい時間がかかってしまうのだ。


 ノーラはニコリと笑う。

 魔石を握った。

 【時短】というスキルが入った高価な魔石なのだという。

 これを使えば、短時間であじを冷やし、旨み成分をアップさせることができるのだそうだ。


 便利な魔石だな、とディッシュは感心した。

 だが、残念ながらゼロスキルの料理人には使えない。

 ちょっと悔しかった。


 氷室の中であじを冷やし、しっかりと水分を拭き取る。

 パン粉と卵、さらに粉チーズを用意した。


「粉チーズ?」


「チーズとあじって、実は相性がいいの。おいしくなるわよ」


 ノーラは「うふふふ」と笑う。


 さすがのディッシュも粉チーズというのは、盲点だった。

 思わず舌なめずりしてしまう。

 味が想像できない。

 今から食べると考えると、反射的にギュッとお腹が縮まったような気がした。


 ノーラはパン粉の中に、粉チーズを混ぜ込む。

 溶いた卵に開いたあじを付け、先ほどのパン粉にまぶした。


 いよいよクライマックスだ。


 鍋の中には、すでに蜂蜜のような油が待機していた。

 火を入れ、菜箸を入れてこまめに温度を確認する。

 適温になった時、ノーラは雪をまぶしたようなあじの開きを持ち上げた。

 油を張った鍋に、そっとシーツを敷くように投入する。


 じゃああああっわわわわわわわわわわわ!!


 油のオーケストラが始まる。

 おいしそうな音だ。

 ディッシュはつい瞼を閉じて、聞き入る。

 それはディッシュだけではなかった。


 ヘレネイもランクも……。

 そしてネココ亭に食べに来た他の客まで、食事を止めて聞き入っていた。


 くん、とディッシュの鼻を刺激したのは、花の香りである。

 おそらくだが、菜種油を使っているのだろう。

 これもネココ亭に染み付いた匂いの1つだ。


 衣が飴色に染まっていく。

 ノーラは「よし」と頷いて、あじを油から引き揚げた。

 よく油を切り、ニトリ草の葉の上に添えた。

 ニトリ草の葉は、よく油を吸う。

 揚げ物にはしばしばこの葉が使われる。


 ノーラはそこにキャベツの千切りを加え、麦飯、鶏ガラスープを付けた。

 最後に卵黄を溶いたようなソースをあじフライにかける。


「ニャリス、あじ定上がったわよ」


「はいにゃ!」


 元気良い返事が返ってくる。

 カウンターの向こうで、ニャリスはあじフライ定食が載ったトレーを受け取り、ディッシュのところに運んできた。


 熱々の湯気を御旗にして、あじフライがお客の前を横切っていく。


「おいしそうだな」

「俺もあじ定が良かったかな」

「うまそう!」

「ノーラのあじ定は、やっぱ最高だからな」


 客たちの声援ヽヽを浴びる。

 まるであじフライのファッションショーだ。


 ようやくあじフライ定食は、ディッシュの前に降り立った。



 あじフライ定食、召し上がれにゃ!



 ニャリスがディッシュの前にサーブする。

 確認するが、ニャリスが作ったわけではない。

 だが、彼女のドヤ顔は妙に決まっていた。


 しかし、ニャリスの表情が気にならないくらい、あじフライ定食は極まっていた。


 ディッシュは早速、箸を握る。

 まずは鶏ガラスープに手を伸ばした。

 あじフライに行きたいところだが、まずは舌を潤してからだ。


 半透明のスープの中には、一口サイズの鶏の胸肉、ほうれん草が入っていた。

 派手さはないが、どこか趣がある。

 おそらくスープこそが、主役なのだろう。


 ディッシュはお椀に口を付ける。

 ずずっ、と趣深い音を立てた。


「むぅほぉっ!!」


 うまい。

 見た目も上品だが、味も上品だ。

 鶏ガラに、少し塩を加えているだけなのだろう。


 そのシンプルさが逆に良い。

 鶏ガラの出汁はよく出ていて、過剰に脂っこくも感じない。

 清らかに喉を流れ、内臓を芯から温めてくれる。


 この熱さが堪らない。


 山の中のクエストで緊張しきっていたお腹を、程良く温めてくれる。

 直接、胃を湯たんぽで温められているようだった。


 具材も良い。

 胸肉は柔らかく煮込まれ、軽く奥歯で噛むと、ぱあとほつれていく。

 ほうれん草はしゃきしゃきしていて、歯ごたえがたまらない。

 あとのせとは思えないほど、スープによく絡み、その旨みとほうれん草の苦みが、うまくマッチしていた。


 定食の前菜とは思えないほどのクオリティ。

 すでに打ちのめされた感がある。

 けれど、まだ主菜が残っていた。


 アップは十分。

 冷えたお腹もスープによって温められ、万全の準備を調えていた。

 いよいよディッシュは実食する。

 あじフライに箸をかけた。

 ゆっくりと口に近づけていく。


 そして……。



 サクッ!

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