menu72 魔手の手袋揚げ

 有無も言わさなかった。

 まだ食べるともいっていない。

 だが、ディッシュは調理を始めてしまった。


 まずマッドフィンガーを人数分、聖水で洗う。

 桶の中で泥が落とされていく様は、何度も見ても不思議だ。

 ウォンの分も含めて、4つのマッドフィンガーが並ぶ。

 桃色の肌はどれも艶々しており、脂身も感じる。


「揚げるってことは、ここから油で揚げるのかい?」


 尋ねたのは、ランクだ。

 多少料理に心得があるらしい。

 家ではよくヘレネイに手料理を振る舞っているそうだ。

 だから、つい料理工程を気になってしまった。

 それがマッドフィンガーだとわかっていてもである。


「素揚げでも十分美味いけど、ちょっと臭みがあるから、下味を付けた方が美味いぞ」


「なるほど」


「何を感心してるのよ、ランク。それ! 魔獣なのよ」


「うん。でも、見ろよ、ヘレネイ。なんか美味しそうじゃないか。それに――」


 ぐぅ、ぐぐぐぐ……。


 なんとも遠慮しがちな音が鳴る。

 ランクらしい腹の音だった。


 すると――。


 くぅぅぅうううんんん……。


 まるでタイミングを合わせるように、また腹の音が聞こえる。

 慌ててヘレネイはお腹を隠した。


「ヘレネイだって、お腹空いてるじゃないか?」


「あは……。ははははは……」


 ヘレネイは顔を赤くする。

 ランクはディッシュに向き直った。


「何か手伝うことはあるかい?」


「じゃあ、近くの川へ行って、この鍋を洗ってくれ」


 ディッシュは大きめの鉄鍋を背嚢から取り出す。

 手渡すと、ランクは指示に従った。


「じゃあ、私はウォンちゃんと遊んでいればいいのね」


 ヘレネイはサボる気満々らしい。

 その彼女を、ウォンは鼻で小突く。

 何事かと思って振り返ると、大きな顎に薪がくわえられていた。


「え? 私に焚き火を起こせってこと?」


「うぉん!」


 吠えると、ボロボロと薪が落ちた。

 ちょうどヘレネイの足の上に落ちる。

 痛ッ、と悲鳴を上げると、ケンケンと飛び上がった。


 ディッシュは笑う。


「ウォンが1人だけサボるなんてダメだってさ」


「うぉん!」


「もう……。ウォンちゃんのいけず」


「何かしていた方が、飯はうまくなるぞ」


「わかったわ。えっと……。種火石はあったかしら」


 ほんわりと温かい石で、木や草に長時間当てると燃やすことが出来る。

 【火】のスキルを持たない冒険者には、必携のアイテムだった。


「そういえば、ヘレネイのスキルってなんなんだ?」


「言ってなかったっけ。私のスキルは【植物操作】よ」


「へぇ。それって凄いんじゃないのか?」


「まあね。でも、このスキルって冬は使えないのよね」


 植物も冬になり、寒くなると冬眠する。

 その冬眠時期に【植物操作】を使うと、植物がへそを曲げるそうだ。


 ディッシュは笑った。


「植物がへそを曲げるなんておもしれぇなあ」


「ホントのことよ。ランクが聞いたんだから、間違いない」


 ランクのスキルは【解聴】という珍しいスキルだ。

 花や昆虫などと言葉を交わすことができる。

 人間の言葉に訳すと、非常に拙い単語の連続なのだそうだが、時々人間にとって有益なことを呟くらしい。


「実際、春よりも冬の方が断然いうことを聞いてくれないんだもん」


「へぇ……。そりゃ面白いなあ」


「良いわよねぇ、ディッシュくんは。こんな大きな狼を【魔物使いテイマー】できるなんて。羨ましいわ」


「俺はゼロ――――じゃなかった。……ま、まあな」


 危なくいつもの台詞が出かかるのを、ディッシュは寸前で止めた。


 フォンとの約束があるのだ。

 それはディッシュがゼロスキルであることを口外しないということ。

 冒険者になる条件の1つとして、「スキルを持っていること」とある。

 もし、ディッシュがスキルを持っていないことを知られれば、冒険者を廃業しなければならなくなる。

 そうなれば、山で住めなくなってしまうのだ。


(悪いな。ヘレネイ)


 ディッシュは心の中で謝った。

 根が正直ゆえ、あまりウソに慣れていないのである。


 下ごしらえが終わる。

 ちょうどランクも戻ってきた。

 洗った鍋の中に、ディッシュは油を入れる。


 でんぷん粉を万遍なくかけ、木の枝を入れて適温を計った。

 しゅわっと細かな泡が立つ。

 頃合いと見ると、豪快にマッドフィンガーを入れた。



 じゃぁぁああああぁぁぁぁぁぁああああぁぁぁんんんん……。



 油が勢いよく跳ねる。

 その音はまるで銅鑼だ。

 細かい泡、大きな泡が沸々と現れる。

 良い音だ。

 思わず、目をつぶりたくなる。


「ねぇ、ランク」


「なんだい、ヘレネイ」


「揚げ物の音ってさ。幸せの音だよね」


「ああ……。わかる。音を聞くだけで、美味しそうだもんね」


 2人の冒険者は、肩の力を抜いて、目をつぶる。

 まるで夜想曲でも聴くかのようにゆったりと……。

 何より両者とも幸せそうな表情を浮かべていた。


 1本目が出来上がる。


 器に載ったマッドフィンガーは黄金色に輝いていた。

 見るからに衣がサクサクしている。

 油から引き上げたばかりの揚げ物は、神々しく光っていた。


 そこに魔獣だった姿はない。

 一見して鳥の姿焼きのようだ。


 ランクは思わず喉を鳴らす。

 ヘレネイは唇から垂れた涎を隠すこともしなかった。

 お腹は警報を鳴らし、胃が蠕動して、戦闘態勢に入る。


 身体が叫んだ。


 食べさせろ!


 ――――と。

 もう2人の脳内からは、これが魔獣である認識が吹き飛んでいた。


 ウォンと同じく、ヘレネイとランクは涎を垂らす。

 双眸は無邪気な子どものように輝いていた。


 その表情を見て、ディッシュはにしし、と笑う。


「先に食ってろよ」


「いいの?」


「ああ。今、切り分けてやっから」


 取りだしたのは、包丁ではない。

 大きめの鋏だった。

 複雑に骨が絡み合っているから、こっちの方が切りやすいらしい。


 パチパチと音を鳴らす。

 何故か、油の音と似ていた。

 条件反射か。

 何故か、また腹が鳴る。


 そうしてようやく、料理が2人の前に差し出された。



 マッドフィンガーの手袋揚げ、召し上がれ!



 ヘレネイは我慢できなかった。

 食べやすい形に切られたマッドフィンガーを手で掴む。

 一気に口に入れた。


 バリッ!


 いい音が鳴る。

 衣の感触は最高だ。

 しかし、驚くのは速かった。


「うぅぅぅもわいいぃぃぃいぃいいいいいいぃいいぃいぃいぃ!!」


 埴土色の髪を振り回しながら、ヘレネイは絶叫する。


 パリッと上がった衣。

 その中にあったのは、弾力あるお肉。

 けれど決して噛みにくいわけではない。

 歯を食い込ませると、ほろりと解けていく。


 とろりと滲み出てきたのは脂である。

 口の中をゆっくりと侵略していき、腰から崩れそうになるほどの強い甘みを感じさせてくれる。

 鶏肉以上の弾力。

 鴨のような上品な脂。

 とても魔獣とは思えなかった。


 ディッシュは臭みがあるといったが、全く気にならなかった。


 下ごしらえのおかげだろう。


「魚醤と大蒜カルナン、お酒かな……。あと、このピリッとしたのはなんだろう?」


「ショウガっていって、この山に生えてる植物の根だ」


「ああ……! なるほど。それは多分、イルミ草っていう……」


 植物の声が聞こえるランクが話し始める。

 ディッシュも真剣に聞いていた。


「ちょっと! ディッシュくん! 次は?」


「うぉん!」


「ほら。ウォンちゃんも怒ってるよ!」


「もう食ったのかよ。悪い悪い」


 分けて食べたとはいえ、結構な量のはずだ。

 しかし、皿は空になっていた。

 衣の破片すらなく、脂も綺麗に舐め取られている。

 大した食欲だった。


(誰かさんみてぇだなあ……)


 ディッシュは鍋の油の温度を確かめる。

 すると、2つ目のマッドフィンガーを投入するのだった。



 ◆◇◆◇◆



 食事が終わる。

 それぞれ満足そうだった。

 ヘレネイは膨らんだお腹をさする。

 行儀が悪いと、ランクに怒られていた。


 ウォンも満足そうだ。

 脂が付着した牙を舐めている。

 もちろん、毛がモフモフになり、ディッシュはそこに飛び込んだ。

 実に気持ちよさそう……。

 先ほどまで料理で人の顔をトロトロにしていた料理人の顔が、モフモフの毛の前でトロトロになっていた。


「私も!!」


 ヘレネイも同じ事をしようとする。

 しかし、ウォンは尻尾を立てて威嚇した。

 まだまだ信頼が得られていないらしい。


「ところでさ」


「なに?」


 ディッシュの声に、ヘレネイが振り返る。

 口元に手袋揚げの衣が付いていた。


「なんで俺をパーティーに入れてくれたんだ?」


「ああ。それはね」


 ヘレネイはおもむろに語り始めた。


「昔、新人だった頃にね。似たようなことがあったの」


 もう3年前のことになる。

 ヘレネイの母が病気になったそうだ。

 それを治すためにはある薬草が必要だった。

 だが、市場では滅多に売られていない薬草で、手に入るのは難しい。

 だったら、山で探すしかないと考えた。


「ランクのスキルなら、薬草が手にはいると思ったの。けど――」


「まだ僕たちはまだ新米でね。山に入ることを許されていなかったんだ」


 そこに現れたのが、ある冒険者だった。


 事情を聞いた冒険者は、一緒に山に入ろうといって、ギルドを説得してくれた。

 おかげで、無事薬草も見つかり、母は助かった。


「お礼をしようと思ったんだけど、その人がこう言ったの」



 もし、君たちのように困っている新米冒険者がいたら、助けてやってくれ。それが私へのお礼だと思ってくれればいい。



「へぇ……」


 ディッシュは感嘆する。

 世の中には、そんなカッコいいヤツもいるんだな、と感心した。


「ディッシュくんを見た時、運命を感じたわ。だから、何も考えずに声をかけたのよ」


「助かったよ。あの時のあんたたちは、格好良かったぞ」


「そんな大層なもんじゃないわよ。それに、その人はSSランクの冒険者。私たちはEランクの冒険者だしね。ごめんね。なんか頼りなくて」


「SSランク……?」


 朧気にしか記憶にない。

 でも、確かこの辺でSSランクの冒険者といえば、1人しかいないはずだ。


 ディッシュはふわりとその姿を思い浮かべる。

 頭の中に出てきたのは、勇ましい冒険者ではない。

 竜の嘶きのような腹音を鳴らし、豪快に飯を食い、底なしの胃袋を持つ――ある1人の姫騎士だった。


(はは……。まさかな)


 ディッシュは苦笑いを浮かべる。


 こうしてディッシュの初クエストは、無事終了するのだった。

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