menu66 ゼロスキルのお漬け物
彼はディッシュ・マックホーンと名乗った。
6歳の頃、とある理由で街を追い出され、以来山で暮らしているらしい。
フェンリルと出会ったのは、つい最近のことのようだ。
飴で餌付けしたという。信じがたいこことだが、現にディッシュ・マックホーンが差し出した飴を、フェンリルは随分嬉しそうになめている。
何より信じられないのが、ディッシュが『ゼロスキル』であることだ。
ゼロスキル――つまりは能力なし。
そんなこと聞いたことがない。
聞けば聞くほど、信じられない話ばかりだ。
だから、ギルドの外交員であるルヴァンスキーは、そのすべてを信じないことにした。
きっと何かがあるはずだ……。
そもそも説明が付かない。
6歳から山で暮らした?
馬鹿な。どうやって生きていける。
ここは魔獣の巣窟だ。
きっと協力者がいるに違いない。
神獣を飼い慣らしているというのも嘘だろう。
おそらく神獣を無理矢理束縛しているのだ。
皆目見当も付かないが、きっと違法な実験に手を染めているに違いない。
ゼロスキルというのも、もちろん嘘だ。
暴いてやる……。
義侠心に狩られたルヴァンスキーは、勧められた椅子に座り、周囲を油断なく見回した。
見れば見るほど、普通の家だ。
若干とっちらかってはいるが、怪しいものはない。
あと、すっごくいい匂いがするが、これもきっと魔薬を焚いたものなのだろう。
「なるべく吸わないようにしなければ」
口元を抑えながら、ルヴァンスキーは息を殺す。
「うん? なんか言ったか?」
台所に立ったディッシュが、くるりと振り返る。
その手にはお玉が握られていた。
鍋の中で、何やら茶色のスープをかき混ぜている。
おそらく匂いの元は、そこからだろう。
反応したのは、ディッシュだけではない。
外で待機するウォンも同様だった。
ルヴァンスキーの心根に気付いているのか。
むぅと鼻頭に皺を寄せて、牙を剥きだしている。
ルヴァンスキーは慌てて目を反らした。
(落ち着け……。まずは証拠を押さえねば)
今、この状況に至っても、ルヴァンスキーに逃げるという文字はなかった。
とことん職務に忠実な男。
それが彼の
ディッシュは料理を運んでくる。
どれも見たことがない。
(白い麦飯に、先ほどの茶色のスープ。焼き鮭はわかるが、この黄色い根菜のようなものはなんだ? 大根? いや、それにしては細い……)
「いただきます」
横でディッシュが手を合わす。
入口に立つ神狼もぺこりと頭を下げた。
飼い主と飼い狼は、揃って食事を始める。
箸が器を叩く音が聞こえる。
鼻を突く香りは、実に美味しそうだ。
普通……。
あまりに普通の食卓だった。
ここが山奥で、側にいるのが得体の知れない青年と神狼を除けばだが……。
「どうした? 食わないのか?」
ディッシュは口元に白い粒を付けて振り返る。
もぐもぐと口を動かしながら、言った。
実に野蛮。行儀が悪い。
ルヴァンスキーは生真面目ゆえ、とても行儀にうるさい。
こみ上げてきた怒声をぐっと押さえ、ギルド職員は尋ねた。
「でぃ、ディッシュ殿。これは?」
指を差したのは、茶色のスープだ。
中には海草だろうか。
その他にも東方で食べられている豆腐が入っている。
冒険者時代に、1度だけ豆腐を食べた経験があり、ルヴァンスキーは覚えていた。
まさかこんな山奥で食べられるとは……。
問題はこの茶色が何で出来ているかということだ。
(まさかアレで出来ているとはいわんよな)
どうやら、毒ではないらしい。
ディッシュも、ウォンという神獣も実に美味しそうに食べている。
「それはな。ミソだ」
「ミソ?」
「ああ。スピッドの豆を発酵させてだな……」
「スピッドの豆で出来ているのか!?」
いやいや、ちょっと待て。
スピッドの豆で出来たスープ?
おかしいだろう。
スープにするには、大量の豆が必要だ。
こんな山奥に住んでる青年が、高価なスピッドの豆を持っているわけがない。
(ははん……。なるほど)
本当はスピッドの豆などではない。
おそらく別の豆なのだ。
何か違法な方法で作られた。
説明しようとして、咄嗟にスピッドの豆といったに違いない。
ふふふ……。
墓穴を掘ったなディッシュ・マックホーン。
後で徹底的に追究してやる。
ともかくスープを確認しよう。
違法な効果があるかもしれない。
あと、美味しそうな匂いがするしな……。
……。
長いモノローグの末、ようやくルヴァンスキーは口を付ける。
木の椀に手を掛け、一口すすった。
ずず……。
「うんめぇぇぇぇぇぇぇえええぇぇぇぇえぇえぇえぇえぇえぇえぇ!!」
ルヴァンスキーは絶叫した。
(なんだ、この豊かな甘味は……。
今度は、具の海草、そして豆腐を摘まんだ。
(スープが絡んだ海草と豆腐との相性もいい。海草の塩気とミソの甘さがベストマッチだ。豆腐の独特の食感に絡んだミソも悪くない。よく染み込み、素朴な味に強いアクセントを与えている)
美味い。
山の中で味わえるものとは思えない。
それほど、料理の底が深い――と、そう思わせる食べ物だった。
この時から、ルヴァンスキーの目の色が変わる。
その目が次にターゲットとして選んだのは、白い麦飯だった。
「こ、この白い麦飯は一体?」
「それは麦飯じゃねぇよ。マダラゲ草の種実だ」
マ……。
マダラゲ草の種実だとぉぉぉぉおおおおおおお!!
メラリ……。
すると忘れかけていた使命感が再燃する。
ルヴァンスキーは己の仕事のことを思い出した。
間髪入れず、微笑む。
(くくく……。鬼の首、獲ったぞ!!)
心の中で勝ち誇る。
ミソスープで濡れた口元がわずかにつり上がった。
マダラゲ草は別名「痺れ草」。
つまりは毒草だ。
確かに毒があるのは、葉の中だ。
種実には少ない。
だが、毒草であることは間違いない。
「ディッシュ殿、一体あなたは私に何をしようというのですか? マダラゲ草は毒草。如何に種実といえど、毒草を私に食わそうなど……」
ルヴァンスキーは静かに反論を始める。
が……。
「心配するな。聖水で洗ってる。毒は消えてるぞ」
「え? 聖水? そんなものどこに?」
「そこの甕に一杯入ってる」
ちょっとお行儀悪く、ディッシュは箸で指し示す。
ルヴァンスキーは立ち上がり、甕の中を見た。
思わず、ごくりと喉を鳴らす。
間違いない。
聖水だ。
それが、甕の縁のギリギリところまで入っている。
「こ、こんなせ、聖水どこで?」
「うちによく現れる
「せ、聖霊!!!!」
そんな馬鹿な。
聖霊って!
神獣と同じくらいレアな存在なんだぞ。
それが……。
え? なんで?
(なんで? この正体不明の山男に、聖水を授けているのだ?)
ルヴァンスキーは何か打ちひしがれた気分になる。
すとん、と椅子に座り直した。
眼鏡のレンズに映ったのは、白いマダラゲ草の種実。
白い湯気が、女の腰のように揺れていた。
もぐもぐとディッシュは食べている。
明らかに毒草なのに、その効果が身体に出る気配はない。
神獣も同様だ。
実に美味しそうに白い種実を食べている。
ルヴァンスキーは意を決した。
お椀を取り、箸を握る。
いよいよ毒草マダラゲ草を実食する。
これも職務のうちだ。
(願わくは、我が犠牲によって、目の前の青年の罪が明らかにならんことを……)
ままよ!
神に祈る気持ちで、一気に掻き込んだ。
「うんんんんんまあああぁぁぁぁぁぁぁあぁあぁあぁあぁあぁ!!」
美味い。
なんだ、このモッチリとした食感は?!
それに噛めば噛むほど甘味が湧き出てくる。
他に形容する言葉が見当たらない。
なのに、箸が止まらない。
胃が喜んでいるのがわかる。
まるで歯や舌ではなく、腹で食べているような気分になる。
ルヴァンスキーはむしゃぶりつく。
スープを飲み、マダラゲ草の種実を掻き込む。
焼き鮭をほぐし、また掻き込む。
鮭の塩気と、素朴な味わいの種実が絶妙にマッチしていた。
ルヴァンスキーのたがが外れた。
思いの外、お腹が空いていたのだ。
そしてついに限界を迎える。
職務に対する忠誠心が、ゼロスキルの料理によって、破壊された。
食の権化となり、一心不乱に食に没頭し始める。
恍惚とするルヴァンスキー。
その横で奇妙な音を聞いた。
しゃくしゃく……。しゃくしゃく……。
何とも腹をそそらせる咀嚼音。
横を見ると、ディッシュがあの大根のようなものを噛んでいた。
少し硬いのか。
ゆっくりと咀嚼している。
その顔を見るだけで、ルヴァンスキーには美味しそうにみえた。
もういい。
これが何かなど、もう――どうでもいい。
とにかく今は食べたい。
この未知の料理を食したい!
ルヴァンスキーは何も聞かず、箸を伸ばす。
根菜を口の中に入れた。
しゃく……。
「むほほほほほほほほほほほほほ……!!」
ルヴァンスキーは絶叫した。
漬け物だ!
一般的には塩漬けが主流だが、これはどれも違う。
塩、あと砂糖を使っている。
おそらく甘味があるのはそのためだろう。
しかし、それとは別に何か酸味のようなものを感じる。
これは一体?
「マダラゲ草の種実の表皮で漬けてるんだ。こんな風にな?」
ディッシュは『ヌカドコ』という壺を見せてくれた。
ふんわりと何か甘酸っぱい匂いがする。
この中で、例の大根を漬けているのだという。
「まさか……。マダラゲ草の種皮で、こんな美味しいものを作れるとは……」
再びルヴァンスキーは、漬け物を頬張る。
しゃくしゃく……。しゃくしゃく……。
塩気と甘味、そして酸っぱさ。
この3つの味がいい配合具合で舌を刺激してくれる。
食感もいい。
特別硬いわけではなく、むしろ歯に気持ちいい。
噛んだ瞬間、口の中いっぱいにしみ出す味も最高だ。
何よりこの小気味良い音が、空かしたお腹をさらに刺激する。
「いやあ、美味しい。この大根の漬け物は最高だ」
「それ、大根じゃないぞ?」
「へ?」
これだ。
ディッシュが取り出したのは、一本の根菜だった。
やはり大根ではないか。
そう思ったが違う。
少し小さい。
ちょうど大根と人参の中間ぐらいだ。
「んん?」
ルヴァンスキーは眼鏡を吊り上げ、よく観察する。
根菜の部分に、目と口のようなものがあったのだ。
やがてわなわなと、ギルド職員は口を震わせる。
顎を大きく開き、しまいには閉じられなくなった。
「ま、まさか……。それって――」
「そうだ。マンドラゴラの漬け物だ」
ま、まんどらごらあああああああああああああああああ!!
抜いた瞬間、死に至らしめるほどの悲鳴を上げる魔獣マンドラゴラ。
その魔獣もかくやというほど、ルヴァンスキーは絶叫した。
翌朝、彼は無事下山する。
関係者の話によれば、何か人が変わったかのように落ち込んでいたという。
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