menu65 外交員の男

 ルヴァンスキー・アームドは、ギルドの外交員である。


 SSランク冒険者であるアセルス・グィン・ヴェーリン。

 その専属窓口担当フォン・ランドは、ギルド所内で仕事を主とする受付嬢である一方、ギルドにも外で仕事をする部署が存在する。

 それが外交部であり、外交員たちだ。


 彼らの仕事は、辺境の人材発掘や街の人口調査。

 他にもダンジョンや、魔獣の巣窟である山の調査を行っている。

 いわば、外側のスペシャリストだ。


 当然、内勤よりも危険が多い。

 そのため、元冒険者が多く在籍し、ルヴァンスキー自身もそうだった。

 『疾風』という攻撃系スキルを持つ彼は、自在に風を操ることが出来る。

 そのスキルを使って、多くの魔獣を切り裂いてきた。

 現役の頃はAランクの冒険者だった。


 優秀であった彼が、何故ギルド職員をしているのか。

 それは、ルヴァンスキーの性格にあった。


 とかく生真面目なのだ。

 融通が利かず、それ故パーティーを組んでも、仲間とよく衝突した。

 結局、その性格を変えることはできず、冒険者を引退。

 実績と、ギルドの厚意によって、今はギルドの外交員をしている。


 何しろ人員の確保が難しい職場で、万年欠員状態。

 1人で山に入ることもしばしばなのだが、ソロプレイはルヴァンスキーも望むところである。

 真面目ゆえ、報告書に一切の誇張はない。

 上司の受けもそこそこいい。


 初めはどうなることかと周りは心配していたのだが、結局のところルヴァンスキーは天職を見つけることになった。


 今日の彼の任務は、山の調査だ。

 主に違法な魔草などの栽培や、魔導の実験などが行われていないかを確認する。


 【疾風】!


 見えない刃が魔獣に襲いかかる。

 スパッとあっさりと四肢を切り飛ばした。


「ふん……」


 鼻を鳴らし、厚めの丸縁眼鏡を吊り上げる。

 相手はBランクの魔獣だったが、顔色を1つ変えない。

 倒れた魔獣に目もくれず、愛用のマフラーを翻し、黙々と調査を行った。

 担当区域をマークした地図を見ながら、山へと分け入る。


 きゅるるるるる……。


「むむ……」


 ルヴァンスキーはお腹を押さえる。

 身体が栄養を欲しているらしい。

 気がつけば、陽が天頂よりも少し西に傾いていた。


 昼ご飯にでもするか。

 そう思い、道具袋を開く。

 出てきたのは、ナッツをチョコでコーティングした菓子だった。


 ルヴァンスキーは仕事を止めない。

 菓子を頬張りながら、調査を進める。

 食事の時ぐらいは、と思うだろうが、これが彼のスタイルだった。


 引き続き、仕事をする。

 気がつけば、辺りは暗くなっていた。


 きゅるるるる……。


 再び腹音が鳴る。


「むむ……」


 今度顔を上げた時には、枯れ木の幹の向こうに星が出ていた。


 仕事に没頭するあまり時間を忘れてしまったらしい。

 カンテラに火を灯すが、少し先の方しか見えない。

 野生の動物の双眸が、ギラリと光っていた。

 慌てて、地図を開く。

 印をつけながら、ずっと調査していたのだ。

 どこにいるかは把握できている……はずである。


「こっちか……」


 歩き出すも、予定の沢には辿り着かない。

 それどころかかすかに聞こえる水音が遠ざかる始末だ。


「しまった……」


 急にルヴァンスキーは不安になる。

 冒険者がやっている時も、こんな気持ちになることはなかった。


 ともかく歩き回らない方がいい。

 そう考えて、ルヴァンスキーは腰を下ろす。

 朝を待って、下山することにした。


 きゅるるるる……。


 神経質な顔の割りに、随分と可愛げな腹音が鳴る。

 背嚢の中をまさぐったが、食べ物はなかった。

 いつものチョコバーもだ。

 どうやら、いつもより食べ過ぎてしまったらしい。

 寒い中を動いていたから、普段と違ってカロリーを使ったのだろう。


 我慢……。


 と思うのだが、腹音は捨てられた子犬のように音を立てた。


 すると、ルヴァンスキーは匂いを感じる。

 思わず立ち上がり、鼻を利かせた。

 腐葉土の匂いとも獣臭とも違う。

 森の中の香りとは、明らかに異質……。


 煙だ。


 火事……?


 いや、違う。

 煙たさの中に、また別の匂いが混じっていた。


 神経が張り詰めているからか。

 今日の自分の嗅覚は、いつもよりも際立っている。


 きゅるるるる……。


 行け! とでも言わんばかりに、腹音が鳴る。


 普段の生真面目で頑固なルヴァンスキーであれば、動かなかっただろう。

 しかし、背に腹はかえられない。

 1度下ろした腰を、再び持ち上げた。



 ◆◇◆◇◆



 匂いに誘われ到着した先は、巨大な大樹だった。

 その根元にあったのは、テーブルに窯だ。

 明らかに人が住んでいる痕跡がある。

 カンテラを掲げ、よく調べてみると、大樹の中腹に家があった。

 どうやら、煙はその煙突から吐き出されたものらしい。


「こんなところに人家が……」


 ルヴァンスキーは、地図を広げる。

 どこにも載っていない。

 未登録住居で間違いなかった。


 説明するまでもなく、山の中は魔獣の巣窟だ。

 そんな最危険地帯に住む物好きは、そうそういない。

 いるとすれば、やましいことをしている魔女や違法な実験をする魔導士ぐらいだろう。


 調査をせねば……。


 やや薄れ欠けていたルヴァンスキーの闘志に火が付く。

 早速、家主を尋問しようと家に近づいた。


 ザッ……!


 闇が動いた。

 同時に「うぉぉぉおおおお……」と低い唸りが聞こえる。


「魔獣か……!」


 ルヴァンスキーはすかさず【疾風】を解き放った。


 ガキィン!!


 【疾風】は見えない刃のはずだ。

 だが、その魔獣はかわすこともしなかった。

 ただ大きな尾で払ってしまったのである。

 無論、無傷だ。


「れ、レベルが違う!」


 こんな魔獣が、まだ山に住んでいたとは……。


 依然と低い唸りを上げながら、徐々に近づいてくる。

 カンテラの明かりの範囲に入った。

 獰猛な大狼の姿が露わになる。


 銀色の獣毛を逆立て、牙を剥き出していた。


 ルヴァンスキーは息を呑む。

 威厳に満ちたその姿を見て、思わず呟いた。


「美しい……」


 瞬時に悟る。

 これは魔獣などではない。

 その逆――神狼フェンリルだ。


「何故、神獣がこんなところにいるのだ?」


 一瞬、首を傾げたくなった。

 が、それどころではない。

 フェンリルは敵意をむき出す。

 1歩1歩、ルヴァンスキーに近づいてきた。


 相手は神獣。

 如何な元冒険者といえど、勝てるわけがない。

 下手に逆らえば、あっという間に踏み潰されて終わりだ。


 いや、もう既に逆らっている。


 とにかく謝罪を……。


 森の主とも言うべき、威厳に満ちた神狼を前に、ルヴァンスキーは膝をつこうとする。


 だが――。


「どうした? ウォン」


 声が聞こえた。

 まだ若い。

 ルヴァンスキーは視線を送る。

 調査しようとしていた家の前に、青年が立っていた。


 黒い蓬髪を寒風に靡かせた16、7歳の青年。

 褐色の肌に、獣の毛皮を肩から羽織っていた。

 髪と同じ色の瞳はカンテラの明かりを反射している。


 如何にも野生児といった風采だ。

 少なくとも知性を感じられない。

 とても違法な実験をしている魔導士には見えなかった。

 当然、魔女でもないだろう。


 逆に正体が不明すぎて、ルヴァンスキーの身体は一層硬直する。


「あんた、誰だ?」


 青年はころりと首を傾げ、質問してきた。


「わ、私はルヴァンスキー・アームド。ギルドの職員だ」


「ギルドの? なんでギルドの人間が、こんな時間に、こんなところにいるんだ?」


 もっとも質問だった。


「実は――――」


 ルヴァンスキーは説明しようと口を開く。

 その間も、神獣は牙を収めようとしない。

 じっと、縄張りに入ってきた侵入者を睨んでいた。


 すると……。


 きゅるるるるる……。


 可愛い腹音が鳴る。

 ルヴァンスキーは慌ててお腹を隠した。


 それを聞いて、カラカラと青年は笑う。


「あんた、お腹が空いているのか?」


「あ、ああ……」


「わかった。ちょうど遅い飯を食うところなんだ。一緒にどうだ?」


「い、いや……。しかし――」


 ルヴァンスキーは、神獣を見つめる。


 視線に気づき、青年は言った。


「ウォン。いいぞ。不審者じゃないみたいだ」


「うぉん!」


「大丈夫だって。それよりも飯だぞ」


「うぉ~ん」


 急に甘えた声を上げる。

 針金のようだった毛が、途端モフモフになった。

 すぐに青年の方へと駆け寄る。

 催促するように、青年の頬に鼻を擦り付けた。

 一方、青年はモフモフになった神獣の毛を弄ぶ。

 まるで何かを補給するように堪能していた。


 フェンリルと戯れる青年。


 神獣が人になつかないのは、周知の事実だ。

 だが、神狼は完全に青年に餌付けされているように見えた。


「あ、あの……。つかぬ事を聞くが……」


「なんだ?」


「そ、その神獣と君は契約をしているのか?」


「なんか前に同じような事が聞かれたな。誰だったっけ。アセルスか?」


 青年は蓬髪を掻く。


 一方、ルヴァンスキーは息を呑んだ。

 アセルス、という言葉に激しく反応する。

 よもやここに来て、あの【光速の聖騎士】の名前を聞くとは思わなかった。

 もしかして知り合いなのだろうか。


(いや、ルヴァンスキー。落ち着くのだ。かのSSランクの冒険者が、こんな山の中で暮らしている浮浪児と知り合いなわけがない)


 頭を振って否定する。

 1度落ち着いたものの、再びルヴァンスキーの心を乱す台詞が聞こえてきた。


「ウォンは俺が飼っているんだ」


「か、飼う?」


 そんなまさか――。


 飼い犬を飼うのと訳が違うのだぞ!!


 しかし、確かにそんな風に見える。

 ならば、一体どうやって?


「うん? 飴を上げたら、なついてきた」


「あ、あめぇぇぇぇえええ!!」


 ルヴァンスキーは山にこだまするほど絶叫する。


 再び青年は笑った。

 なんだか懐かしいなあ、と、にしししと口角を上げる。


 これがルヴァンスキーと青年ディッシュ・マックホーンの出会い。


 そしてギルドの外交員が、ゼロスキルの料理人の運命を大きく変えるとは、この時の2人は夢にも思わなかった。

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