menu64 即席麺の秘密

 すべての将校、兵士、そして料理人が完食していた。

 名残惜しそうに空になったどんぶりを見つめる。

 腹は一杯だ。

 これ以上、食べれば、胃が破裂するだろう。

 それでも、足りないと思ってしまう。

 ある意味、悪魔の料理だった。


 皆の意見は一致していた。


 ゼロスキルの料理人――ディッシュ・マックホーンの即席麺を採用する。


 異論は出なかった。 

 あえていうなら、もう1杯食べたいということだ。


 しかし、すべて納得できたわけではない。

 特に即席麺の雛形を食べていたアリエステルにとっては、1つ腑に落ちない事があった。


「ディッシュ、教えてくれ。どうやって、これほど濃厚な東方麺を作ることができたのだ?」


 そうだ。

 ドロドロになるまで濃くなったスープ。

 これの秘密を知るまで、責任者たるアリエステルは「うん」とはいえなかった。


 長年熟成させたスープなら理解できる。

 だが、骨粉にお湯をかけた時間は、ごくわずか。

 それでも、これ程の濃厚なスープに化けたのは、何か秘密があるはずだ。


 熱湯をかける前に出されたどんぶりの中身に変化はない。

 唯一違ったのは、麺だけだ。

 その麺のおかげかとも考えたが、おそらく違う。

 もっと根本的に違う箇所がある。

 アリエステルはそう確信していた。


 ディッシュはにししし……といつものように笑った。


「秘密はこれだよ」


 持ち上げたのは、熱湯が入った鍋だった。


 アリエステルは鍋の中を覗き込む。

 何か特別に出汁を取ったのかと思ったが、違う。

 透明度の高い水が、湯気をくねらせているだけ。

 指を付けて、味を確かめたが、特に変わった味付けはされていない。


「このお湯が一体なんなのじゃ?」


 王女は首を傾げる。

 本人は真剣なのだが、その所作はなかなかにキュートだ。


 ディッシュは笑みを浮かべたまま答えた。


「これはエーテルだよ」



「「「「「「エーテル!!!!」」」」」」



 アリエステルだけではない。

 会話を聞いていた人間すべてが、度肝を抜かれた。


 エーテル……。

 平たくいえば、魔力回復薬である。

 各種魔草を入れ、魔力を水に溶かした薬だ。

 水よりも高価だが、量産化が成功しており、比較的安価で手に入る。

 魔法兵には必須アイテムで、1人につき2個ないし3個装備するのが常だ。


 さして珍しいものでもない。


 皆が驚いたのは、そのエーテルを薬ではなく、食材の1つとして扱った事だ。


「ど、どういうことだ、ディッシュ! 何故、エーテルを――いや、エーテルが秘密の正体というなら、どうしてこんな濃厚なスープになるのだ? 材料は麺以外変わっておらんのだろう?」


 あえていうなら、骨粉は変わっている。

 さすがに、食堂にいる全員に行き渡るには、ディッシュが捕らえているマジック・スケルトンだけでは足りない。

 アリエステルにも協力してもらい、あらかじめスケルトンの骨を用意してもらっていた。

 若干、味に差異はあったが、問題ない。

 それは美食家王女も認めている。


 そんな差異など、些細なほど味は変わっていた。


 その答えを、ディッシュは一言で答える。


「魔力だよ、アリス」


「魔力……じゃと?」


「実に簡単な答えを俺は忘れていたんだ。既存の料理方法に囚われすぎて、食材の性質を見誤っていた。牛でもなければ、豚でもねぇ。魔獣の骨だってことをな」


「そうか……。そういうことか」


 アリエステルもようやく気付く。


 魔獣の栄養分は、魔力だ。

 それは血液と言い換えても良い。

 それほど重要だ。


 かつてディッシュは、魔骨スープがどうして濃厚であるかを語った。

 その答えもまた、魔力だった。


「だったら、スープをより濃厚にしたいなら、骨に魔力を与えてあげればいい」


 そのためのエーテル。

 骨の中にある魔力を、その回復薬で増幅させたのだ。

 沸騰したエーテルをかけられ、魔骨は反応。

 結果的に、ドロドロになるまで濃厚になったスープが生まれたということだ。


「ディッシュ、1つ質問なんだが……」


 アセルスが手を挙げる。


「エーテルってレモンっぽい味がしたと思うのだが、この熱湯は……?」


 ディッシュに代わって答えたのは、アリエステルだった。


「エーテルは元々無味無臭だ。既存に販売されているものには、少し果汁が加えられている。これは、水と間違えないようにするためだ。この熱湯は、その果汁を加える前のものだろう。しかし――」


 飛んでもない料理を作ったと思ったら、その食材まで飛んでもないものだった。


 料理にエーテルを使う……。

 理には適っているが、十中八九そんなことをする料理人はいない。

 発想すら頭にないだろう。


 これがゼロスキルの料理人。

 ディッシュ・マックホーンが作る天衣無縫の料理だった。



 見事だ、ディッシュ!



 アリエステルは称賛する。

 小さな拍手は、万雷に変わる。

 立ち上がり、派手に指笛が鳴った。


 すべての賛辞がたった1人の青年に向けられる。


 ディッシュは照れくさいのか、鼻の頭を赤くした。

 蓬髪をガリガリと掻く。


「お待ち下さい、姫」


 挙手したのは、1人の将校だった。

 兵站部門の責任者だ。

 実は、彼が「うん」といわないことには、いくらアリエステルが承知しても、軍では使われない可能性がある。


 祝意ムードの中、水を差した将校は、姫の前に進み出た。


「この食品には重大な欠点がありますぞ」


「重大な欠点だと? それはなんだ?」


 アリエステルは身を乗り出し、尋ねた。


「美味しすぎます!」


「はっ?」


「美味すぎて……。作業地点に着く前に全部食べてしまいそうです」


 にやりと笑う。


 ジョークだった。


 すると、ドッと沸いた。

 万雷の拍手は、笑い声に変わる。

 その中心にいたのもまた、ゼロスキルの料理人だった。


 こうして、またカルバニア王宮にディッシュ・マックホーンの名は刻まれるのだった。

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