menu63 即席東方麺(改)
「ぷはぁぁぁあああ……」
スープまですべて飲み干し、アセルスは満足そうに唇を拭う。
表情は恍惚とし、肌は絹のように艶々していた。
今は魔獣に襲われれば絶体絶命だろう。
それほど、【聖騎士】の顔は緩み切っていた。
満足するアセルスの横で、アリエステル王女だけは首を傾げている。
細い指を顎に当てて、何やら考え事をしていた。
「どうした、アリス? 満足しなかったのか?」
「いや、味は申し分ない。温かくもあり、調理も簡単だ。妾が提示した3条件を見事クリアしている。しかし――」
「しかし?」
「妾が思うに、ちと味が薄い」
「薄い……? 私はそう感じませんでしたが」
アセルスはどんぶりの底を見つめた。
骨粉が浜辺の砂のように残っている。
短い麺が縁の所に貼り付いているのを見つけると。箸で摘んで咀嚼した。
横でウォンも犬食いをしている。
1滴の汁も残さず、飲み干した。
アセルスと同様に満足しているらし。
「うぉん!」と威勢のいい声を上げた。
複雑な顔を浮かべているのは、アリエステルだけだ。
「確かに
「もったいぶった言い方だな」
ディッシュは肩を竦めた。
美食家の王女は、説明を続ける。
「だが、即席麺を食べる環境を考慮すると、味は薄いと思う」
「環境……」
「寒い冬……。しかも、豪雪地域だ。そんな環境で食べると、どうしても味覚が鈍る。今こうして美味しく食べても、環境が変われば、印象がガラッと変わるであろう」
「しかし、携帯食ですよ、王女」
「アセルスのいうとおりだ。携帯食としては、十分であろう。これでいいというなら、妾から推薦させてもらう。良いか、ディッシュ?」
「そう言われたら、料理人としては黙ってられねぇな」
「お主ならそういうと思ってた」
「3日……。いや、1日待ってくれ」
「急がずとも良い。妾も予定があるのでな。3日後、城で決めるというのはどうだ? 試食するのは、妾と国から派遣する兵士たちだ」
「上等!」
ディッシュは口角を上げる。
「うむ。楽しみにしておるぞ、ゼロスキルの料理人よ」
こうして3日後、城で携帯食の試食会が催されることになった。
◆◇◆◇◆
2日後――。
ディッシュはアリエステルから出された課題をいまだクリアできていなかった。
試食会は明日だ。
期日が刻一刻と迫っている。
ディッシュはこれまで様々な方法を試してみた。
まず単純に骨粉の量を増やしてみた。
だが、お湯に溶ける量には限界がある。
大量に入れても、だまになるだけだ。
次に試したのが、1度魔骨で出汁を取り、チンチンになるまで熱す。
乾いて出てきた出汁の粒を再び湯に戻してみた。
だが、結果は同じだ。
魔骨スープに醤油、ミソなども試してみたが、パッとしない。
味は濃く感じるが、ハッとなるほどのインパクトがなかった。
やはり、魔骨スープ自体の質を高めなければならない。
1粒の骨粉に、味を2、3倍高めるような方法が必要だった。
「どうすっかなあ……」
削り取った魔骨スープは見ながら、ゼロスキルの料理人は腕を組んだ。
気が付けば夜だ。
明朝には山を下り、麓で待っている馬車に乗らなければならない。
もう時間はなかった。
「おい。小僧」
そんなディッシュに声をかけたのは、マジック・スケルトンだった。
暗くなりつつある山の中で、赤黒い瞳を光らせている。
魔族らしく、どこかおどろおどろしい空気を纏っているが、その頭の上には、いくつもの穴が空いていた。
「どうして、そうやって悩むほど、料理を作ろうとするのだ?」
「はあ?」
「そもそも基準値をクリアしてるのだろ? 悩む必要などあるまい」
「なんで、魔族のお前がそんなことを聞くんだ」
「我が輩としては、これ以上ゴリゴリという奇妙な音を聞くのはこりごりなのだ」
「悪かったな……」
ディッシュはマジック・スケルトンの頭部を撫でる。
「謝罪を聞きたいわけではない。我が輩の質問に答えよ」
「うーん。そうだな。出された課題をクリアしたいってのはあるけどよ」
でも、俺が一番食べてみたいってのがあるかな……。
アリエステルに、もっと濃いスープを作ってほしいといわれた時、ディッシュの胸に去来したのは、「無理だ」「不可能だ」という否定的な言葉ではない。
俺も食べてみたい……。
そういうポジティブな気持ちだった。
「料理に絶対はねぇ。それがあるなら料理人なんていらねぇ。未知の食材や調理法を切り拓くのが、料理人の勤めだって俺は思う。絶対なんて言葉に、俺は足を止めるわけにはいかないんだよ」
鍋に入ったスープをかき回す。
骨粉と各種野菜を入れたものだが、正直うまくいくかは自信がなかった。
マジック・スケルトンは、鼻を鳴らす。
「人間はよくわからん……。小僧、お前は人間の中でも特にだ」
「ゼロスキルだからな、俺は……」
「だが、お前がまだ我が輩をゴリゴリしようとしていることはなんとなくわかった」
魔族の赤い眼が閃く。
ただならぬ雰囲気を察したのだろう。
横で寝そべっていたウォンが、顔を上げた。
「なんだ? また抵抗しようってのか?」
「そんなことはせん。ただ、お前の認識を少し改めさせようと思ってな」
「認識?」
「お前は、我が輩の骨の味を濃縮させたいと考えておるのだろう」
「ああ……」
「ならば、いくら我が輩の骨を煮立てたところで無駄だ」
「なに?」
「お前は根本的なところで勘違いしている」
マジック・スケルトンから強い魔力を感じる。
黒い霧のようなものを纏い、赤い瞳を光らせた。
ウォンはとうとう立ち上がる。
「うぅぅぅ」と低く唸った。
神狼の臨戦態勢を見ても、マジック・スケルトンは怖じ気づくことはない。
自分の眷属を誇るように、黒い殺気を放ち続ける。
「我が輩は魔族だぞ。熱湯などで煮立ててどうするのだ?」
ウォンはとうとう飛びかかる。
「待て、ウォン!」
飼い主の声に、ウォンは寸前のところで攻撃を止める。
何故止める? という風に、ご主人の方に踵を返した。
そのディッシュは何か考え事をしている。
複雑に絡み合った糸がほどけるように、料理人の顔に笑みが戻ってきた。
「そうか。俺――。勘違いしていた。骨粉の味を濃縮する方法……。簡単な事じゃないか!」
にししし……。
ゼロスキルの料理人は、また1つの料理の神髄を暴くのだった。
◆◇◆◇◆
試食会当日がやってきた。
大食堂には、将校や兵士、各部門の料理長が椅子に座っている。
仕切役のアリエステルと、ディッシュの後見人ということで、アセルスも参加していた。
そのディッシュを先頭にして、料理が運ばれてくる。
多数の審査員の前に出されたのは、どんぶりに入った奇妙な乾麺だ。
そこに干し椎茸と海草、燻製肉、骨粉がかかっていた。
「じゃあ、今からお湯を配るからよ。自分でお湯をかけてくれ」
自分で料理を作るのか。
将校の一部が戸惑いを見せるが、言われた通り作業をこなす。
蓋をして、約90拍待った。
「よし。じゃあ、蓋を開けていいぜ」
ふわり、と湯気が浮かぶ。
濃厚なスープの香りが、審査員たちを魅了した。
「すごい!」
「きちんと東方麺が出来てる」
「しかも、熱々……」
「うまそう!!」
第一印象は上々のようだ。
早速、気付いたのはアリエステルだった。
麺が太くなっている。
色も黄色で、普通の麺と似ていた。
「麺を変えたのか、ディッシュ」
「そうだ。アラーニェの糸だと、数量が限られてくるからな。でも、その麺も美味いぞ。小麦粉に、でんぷん粉を混ぜた自信作だぜ」
「ふむ。楽しみ……だが……」
アリエステルはしげしげと東方麺を眺めた。
他に目立った改良は加えられていない。
3日前に、王女が食べたものと変わらないように思えた。
(ディッシュでも、あの味を濃くすることは出来なかったか)
致し方がないことだ。
料理のレベルを上げるというのは、一朝一夕で出来るものではない。
意味ある経験と、食材との出会いが必要になってくる。
「どうぞ……。食ってくれ」
ディッシュは促す。
アリエステルの思いとは裏腹に、料理人の顔には自信が満ちあふれていた。
恐る恐る箸を付ける。
麺を持ち上げた瞬間、王女は異変に気付いた。
「なんじゃ、このドロドロは!!」
アラーニェの糸よりも太い麺に、スープが絡んでいた。
いや、絡んでいたというよりは、へばり付いていたという方が正しいだろう。
スープがまるで泥のようになっていた。
アリエステル以下、他の兵士や将校たちが固まる。
料理人たちも目を丸くしていた。
いまだかつて、こんなにドロドロしたスープがあっただろうか。
審査員たちの手が止まる。
果たしてこれは食べていいものなのだろうか。
もしや腐っているのでは? と思うものさえいた。
だが、勇敢――というか、割と脳天気に食べる勇者が存在した。
ずずず……。ぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞっっっ!!
豪快な音を響かせる。
「うんまぁぁぁぁぁぁぁああああぁあぁあぁあぁあぁあ!!」
悲鳴を上げたのは、アセルスだ。
皆が【聖騎士】の方に視線を向け、呆気に取られている。
当人は全く意に介さず、美味しそうな音を立てて食べていた。
顔は満面の笑み。
心なしか肌艶がよくなっているような気がする。
ごくり……。
ある将校が喉を鳴らした。
料理よりも、アセルスが食べている姿を見て、今目の前に差し出された未知の東方麺を食べてみたいと思った。
止めていた箸を動かす。
ゆっくりとドロドロスープに絡んだ麺を口に近づけていった。
「むほぉぉぉぉぉぉおおおおおおおお!!」
将校は椅子に座った状態で、エビ反った。
うまい……。
無茶苦茶うまい。
美味すぎて、思わず最敬礼したくなった。
「なんだ、これは! この美味さはなんだ」
感動する。
兵士や他の将校たちも倣うように口にした。
瞬間、大食堂に稲妻が走る。
「「「「「うっっっっっっっまあああああああああああ!!!!」」」」
城がひっくり返るのではないかと思うほど、声が響き渡った。
家臣たちが諸手を挙げて歓声を上げる。
それを呆然と見ていたアリエステルは、慌てて麺を啜った。
「はうぅぅぅぅぅううううううう……」
濃いスープの味が、全身を貫く。
カリュドーンにぶつかったような衝撃に、美食家の頭はクラクラした。
濃い……。
ひたすら濃い!!
これはもう
食べ物だ。
豚骨スープにも似た太い味のスープ。
もちろん、豚とは比較にならない味が濃い。
まるで溶けた骨を流し込んでいるかのようだ。
対して、小麦粉とでんぷん粉を混ぜた麺が絶妙にあっていた。
アラーニェの糸より3倍ほど太い麺は、弾力があり、もちもちとしている。
はっきりとした歯ごたえがあることによって、スープの濃い味に全く負けていないのだ。
咀嚼すればするほど、スープが染みこんだ麺から味が広がり、とどめと言わんばかりに、口の中で主張してくる。
お腹の中で、スープが溜まっていくのがわかる。
子を孕んだのかと思うほど、胃が重い。
けれど、濃厚なスープの前に頭が痺れる。
すべてを忘れて、とにかく貪り続けた。
結果、食堂は静かになる。
皆、だまってどんぶりの中を飲み干した。
「どうだ? アリエステル……」
アリエステルはそっとどんぶりをテーブルに下ろした。
完食だ。
どんぶりの中には、一切れの麺も、一滴のスープも残されていなかった。
「参った! そなたの勝ちだ」
美食家アリエステルの口から、とうとう敗北宣言が漏れる。
しかし、その顔は多幸感に満ちあふれていた。
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