第三章
menu62 即席東方麺
山は冬の様相を呈してきた。
真っ赤に染まっていた山肌には、ところどころ抜けがある。
気がつけば、落ち葉が溜まり、その下になった栗の実を見つけた小動物が、忙しそうに走って行った。
冬支度を始めた獲物達は、丸々と太っていた。
それを見逃すディッシュではない。
ザバッと落ち葉の中から現れる。
狙っていたのは、魔獣ではなく単なる猪だ。
驚き飛び上がった猪は、転進する。
ディッシュとは反対方向に逃げようとした。
だが、それは罠だ。
「ウォン! 行ったぞ!!」
足を伸ばして必死に逃げていた猪に、影が覆い被さる。
大きな狼が顎門を開けて、飛来した。
一噛みで猪の喉笛に食らいつく。
どす黒い血が噴き出す。
ウォンの銀色の体毛に赤い線が引かれた。
抵抗する猪。
しかし、その度に血が流れる。
やがてゆっくりと息を引き取っていった。
「よくやったぞ、ウォン」
鼻の頭を撫でてやる。
くぅん、と甘えるような声を上げた。
身体が大きくとも、神狼はまだまだ子供だ。
ウォンが取った獲物を、その場で手早く解体していく。
魔獣の解体と比べれば、容易い。
魔力の漏出を考えなくていいのが助かる。
ゼロスキルの料理人は、何も魔獣だけを食べているわけではない。
猪や鹿、熊なども食う。
特に冬眠や越冬前は、総じて栄養を蓄える傾向にある。
そのため脂肪分が多く、肉が甘い。
美味しさは決して魔獣に引けを取らないのだ。
基本、ディッシュは、春夏は魔獣、秋冬は通常生物と決めている。
ケースバイケースではあるが、そうやってバランスを取っていた。
解体が終わり、ウォンとともに凱旋する。
神狼は獲物が気になるらしい。
仕切りに臭いを嗅いで、急かしてくる。
「家に帰るまではダメだ」
ウォンの背中に乗ったディッシュは毛を撫でて、なだめた。
もう少しで家だという時に、突如相棒は立ち止まる。
ピンと耳を立てると、くりくりと動かした。
長老の家に、2人の女性が立っていた。
「なんだ、アセルスとアリスじゃねぇか」
金髪の【聖騎士】と、コロネスライムみたいな髪の毛をした王女が立っていた。
アリエステルは早速、ムクッと頬を膨らませる。
「遅い! 遅いぞ、ディッシュ」
「うん? 今日、何か約束をしていたか?」
「そんなものはない。だが、王女の妾を待たせるとは何事だ!?」
わがまま王女は、その健在ぶりを見せつける。
横でアセルスが苦笑していた。
ディッシュはウォンから降りる。
獲物を、切り株の上に下ろした。
「また飯を食べに来たのか? 今から作るからちょっと待ってろよ」
「それは楽しみだ。――して、レシピはなんだ? 猪のようだが……。妾としては、そうだな。寒い故、ポトフなどはどうだろうか……」
「姫……。それが来た理由ではないでしょ?」
アセルスがたしなめる。
アリエステルはハッとして、口を閉じた。
顔を真っ赤にするが、お腹は正直だ。
くぅうううんん……。
子犬のような音を響かせる。
ますます顔を赤らめた王女は、開き直った。
「妾の予定には、ディッシュの料理を馳走になると書いておるのだ。文句があるか、アセルスよ」
「文句はありません。私もそのつもりでしたから」
ニヤリと笑う。
「謀ったな、聖騎士。いや、詐欺師だな、お主は」
「飯を食べたいのはわかったけどよ。他に何か用事があったのか?」
「うむ。実はな……」
アリエステルは説明を始めた。
◆◇◆◇◆
カルバニア王国から北方へと向かう街道は、重要な交通網の1つだ。
特に街道沿いを流れる河川では、灰鮭が産卵のために川を上ってくるため、冬の貴重なタンパク源となっていた。
商材としては固い商品であるため、たくさんの仲買人が近くの河岸で仕入れ、王都や主要都市へと運ぶ。街道沿いに多くの馬車が並ぶ姿は、冬の風物詩となっていた。
ここで問題なのは、街道沿いの除雪だ。
河岸と王都を繋ぐ街道には、標高が高い箇所があり、毎年身の丈ほどの雪が積もる地点がある。
その除雪は、カルバニアの兵士が、雪原訓練の一環として行っているのだが、いつも1つの問題が浮上する。
「端的にいえば、食糧だ」
アリエステルは深刻な顔で告げた。
カルバニアでは、各兵士に携帯食が配給されている。
その他にも、簡易的に料理を作れるように給仕班が用意されているが、凝った料理は作れない。
しかも、寒冷地ゆえ調理が難しく、冷たい水でしもやけや凍傷になり、包丁を握れなくなったものが続出しているのだという。
これまで様々な方法で試してきたが、有効な方法は見つかっていなかった。
だが、除雪を辞めるわけにはいかない。
街道の行き来が出来なければ、商売云々の前に孤立する集落が出てくる。
冬場のライフラインを断たれることは、国としては避けたかった。
「そこで白羽の矢が立ったのがお主じゃ、ディッシュ」
アリエステルは、ビシッとゼロスキルの料理人を指差した。
以前、ディッシュが作った燻製肉。
味もよく、保存性も悪くないことから、軍に正式採用されていた。
その知恵を借りたいと、軍の担当者からアリエステルに相談があったのだという。
「出来れば温かく、満足感を得られるものがよい」
「さらにいえば、調理が簡単なものがいいんだろ?」
「そうだ。何か思いつかないか?」
ディッシュはしばらく考える。
すると、いつものように笑った。
「ちょうどいいものがあるぜ」
一旦家に戻る。
すると、何やら食材を持ってきた。
テーブル代わりにしている切り株の上に載せる。
干し椎茸に、乾燥海草。さらに燻製肉といった定番の保存食。
だが、食材の中で一際目を引いたのは、麺だった。
「東方麺……!」
アセルスの瞳にハートが宿る。
昔食べた東方麺の味を思いだし、じゅるりと唾を飲み込んだ。
だが、よく見れば少し違う。
アラーニェの糸で作られた麺は、前は銀糸のように綺麗だった。
だが、今は茶褐色になっている。
干したものよりも、さらにカサカサして、固まっていた。
「東方麺を作るのか? しかし、スープはどうする? 豚や鳥の骨を持っていくというのか?」
「いや、スープはこいつを使う」
取り出したのは、豚の骸骨だった。
おぞましい髑髏に、アリエステルは思わず身を引く。
すると、その眼に赤黒い光が宿った。
くわっと口が動く。
「ぬははははは! 我は魔族! マジック・スケルトン! さあ、人間どもよ。我に恐怖せよ! その恐怖こそ、我が輩の力となろう!!」
「な! 魔族だと! ディッシュ、お主は魔族と結託しておったのか?」
「ふははははは! 初めまして小さき者よ。そうだ。この男は、すでに我が輩の傀儡。人間をおびき寄せる餌だ。さあ、我が輩に差し出せ。その小さきいの、ぢ――!!」
突然、ウォンはマジック・スケルトンをくわえる。
カクカクと口の中で回し始めた。
「やん! ちょっと! ウォン! ウォン
さっきまでの威勢はどこへいったのか。
情けない悲鳴を上げながら、マジック・スケルトンは哀願する。
魔族のあられもない姿を、2人の乙女は呆然と見つめていた。
「ウォン。それぐらいで勘弁してやれ」
「うぉん……」
名残惜しそうに、ウォンは元の位置に戻す。
唾液でベトベトになったマジック・スケルトンを、ディッシュは水で洗う。
水を浴びながら、心底ほっとした感じで「死ぬかと思った」と、本気なのかジョークなのかわからない一言を呟いた。
「このスケルトン、まだ生きてたのか?」
「うるさい! この食いしん坊【聖騎士】め。我が輩もいたくていたわけじゃないわい!!」
「こやつが前に東方麺の出汁に使った魔族か?」
アリエステルはしげしげと眺める。
無害だと気づいた姫は、つんつんと骨を指先で叩いた。
「ところで、我が輩を封印から解いて(甕の中から出した)一体何をしようというのだ? まさかまたあのおぞましい食べものを作ろうというのか?」
「まあ、そんなところだ」
「お断りだ! 釜茹でになるぐらいなら、死んだ方がマシだ!」
ふん、と顔を背ける。
誰も突っ込まなかった……。
「心配するなよ。魔族様に、そんな恐れ多いことできねぇよ」
「ふん。小僧、ようやく己の立場を理解したようだな。ところで……」
手に持っている擦り金はなんだ?
ディッシュはにしし、と笑う。
マジック・スケルトンにとって、それは悪魔の微笑だった。
「や! やめろ! 何をする!」
「ウォン、抑えてろよ」
「ぎゃああああ! やめてぇぇぇぇええ!! 我が輩が! 我が輩が犯される!!」
「変な声だすな。行くぞ」
「ぎゃあああああああああああああ!!!!」
ごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごり……。
マジック・スケルトンの悲鳴と「ごりっ」という音が、交互に響き渡るのだった。
◆◇◆◇◆
しばらくして、アセルスとアリエステルの前に出されたのは、骨粉だ。
当然、それはマジック・スケルトンのものである。
ちなみに当人は顔を背け、シクシクと泣いていた。
頭の上には、擦られた痕がある。
「我が輩、お嫁にいけない……」
訳のわからないことを呟く魔族は哀れだった。
感傷に浸るマジック・スケルトンは捨て置き、料理の話に戻る。
「なるほど。骨粉をスープの素にするのか」
アリエステルは満足そうに頷く。
ディッシュはどんぶりの中に、先ほどの乾麺、さらに干し椎茸と乾燥海草、燻製肉を入れる。最後に、骨粉をたっぷりとふりかけた。
そこに熱々の熱湯を注ぐ。
皿で蓋をして、しばらく待った。
「これぐらいでいいか」
蓋を開ける。
白煙の中から現れたのは、紛う事なき東方麺だった。
即席東方麺の出来上がりだ!
「「おお!!」」
アセルスとアリエステルは、同時に歓声を上げた。
白絹のようなスープ。
銀色の美しい麺。
具材はたっぷりと水を吸い、出汁を放出していた。
臭いは前に食べた東方麺と遜色ない。
あの感動が蘇り、アセルスの腹の竜が嘶いた。
「食べていいか?」
「おう」
待ちきれないという様子で、アセルスは手を差し出す。
器を受け取ると、箸を使って一気に吸い込んだ。
ずぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞっっっ!!
麺が跳ねながら、【聖騎士】の口の中に消えて行く。
アセルスは目を大きく開いた。
「うまぁぁぁああああああいいいいいいいいいい!!!!」
嘘偽り無く東方麺だった。
濃厚なのに、優しい味のスープ。
細くとも、しっかりと歯応えのあるアラーニェ麺。
前と違うのは、具材だ。
干し椎茸と海草の出汁は程よくスープに加わり、深い味の層を生んでいた。
さらに燻製肉からしみ出した脂が、重みを与え、舌や胃をがつんと叩く。
当然、具材も美味い。
魔骨粉のスープがしみ込み、素材本来の味と絡まって、絶妙なハーモニーを生んでいた。
「妾も食べさせよ!!」
アセルスの前にあったどんぶりを手元に引き寄せる。
アリエステルもまた、一気に啜った。
ぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞっっっ!!
王宮の淑女が、豪快な音を立てる。
くしゃくしゃと口を動かし、こくりと小さな喉を動かした。
「はうぅぅぅぅううううううう……」
し・あ・わ・せ……。
13歳の少女は艶っぽい声を上げる。
「これはすごい!」
美食家王女が特に誉めたのは、麺だ。
乾麺を水や熱湯で戻すという調理法は、すでに存在する。
だが、出来てすぐには、麺に味は染みこまない。
時間をかければ染みこむが、それでは麺がふやけて美味しくなくなる。
だが、ディッシュが熱湯に麺を入れていた時間は、ごくわずかだ。
なのに、麺には魔骨スープの味がしみ込み、咀嚼する度に火花のようにスープが口内で飛び散る。
これは十分味が染みこんでいる証拠だった。
一体、何故?
アリエステルは答えを求めた。
「簡単だ。これは天日干しじゃなくて、麺を1度油で揚げているんだ」
「麺を油で揚げているだと!!」
聞いたこともない調理方法だった。
だが、理に叶っている。
麺に味が吸い込まないのは、水分が残っているからだ。
それが蓋をして、染みこんできたスープの邪魔をする。
要はその水分を飛ばせばいいのだが、天日干しだけでは不十分だ。
しかし、高温の油なら別だ。
麺に残っている水分をすべて吹き飛ばすことが出来る。
「お、お主! この調理法をどうやって思いついたのだ?」
「はじめは麺を揚げて、バリバリと食ったら美味そうだなって思ったんだ。けど、これを熱湯で戻すとよ。よくスープに絡むことに気づいたんだよ」
ゼロスキルの料理人は、どの料理人も思いつかなかったことを、楽しそうに語りはじめるのだった。
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