menu61 軍隊蟹の甲羅酒

 ウォンの毛に埋もれたままの飼い主が導いた先にあったのは、巨大な甲羅だ。

 それを火で炙っていた。


「ディッシュ、甲羅なんて焼いてどうするんだよ?」


「でもぉ、とっても美味しそうな匂いがするのですよぉ」


 反応したのは、ウォンだけではない。

 フレーナとエリーザベドのペアが近付いてくる。


 ディッシュは口角を上げた。


「すぐにわかるさ」


 宣言する。

 それからさして間を置かず、声が港の方から聞こえた。


「おーい。ディッシュ!!」


 やってきたロドンだ。

 手には瓶を掲げている。

 中に入っているのは、酒だろう。


「ちょうどいいところに来た、おっさん」


「おうおう。頃合いじゃねぇか? 入れていいか?」


「おう。じゃんじゃん入れてくれ」


 瓶の栓を抜く。

 酒を甲羅の中に入れ始めた。

 酒精の匂いがたちこめる。

 その香りだけで、酔ってしまいそうだ。


 甲羅の中で酒が温められる。

 沸騰する前に甲羅を火から離した。


「おっさん、呑んでみてくれ」


「一番酒か……。へへ、願ってもねぇなあ」


 ロドンはペロリと舌で唇を舐める。

 すでに1杯引っかけてきたのだろう。

 やや赤ら顔だった。


 四角い“升”といわれる杯を入れる。

 漁師たちが好んで使う酒杯だ。

 冬期に船内で仕事する時、身体を温めるために酒を飲む。

 だが、丸い杯では船が揺れた時に転がりやすい。

 そこで開発されたのが、四角い“升”だった。


 ロドンはなみなみと升に甲羅酒を注ぐ。


 漂ってくる磯の香りは申し分ない。

 あとは味だ。


 【白鯨討ち】という異名を持つ漁師は、豪快に呷った。


 ごきゅ……。ごきゅ……。ごきゅ……。


 喉が蠕動する。

 升の端からちょろちょろと酒が漏れた。

 その垂れる一滴すらうらやましそうに、観衆たちは見つめる。


「かぁぁぁぁぁああああああ!!」


 飲みきったロドンは、叫んだ。

 満足そうに息を吐く。

 まるでドラゴンのブレスのように白い息がもやっと上がった。


「うまい!!」


 鼻の頭を赤くしたロドンは、空になった升を掲げた。


 甲羅の香ばしい匂いが、酒によく移っている。

 飲むとふわりと口の中に広がり、全身へと行き渡った。

 蟹の風味も十分だ。


 さっき食した蟹ミソが、エキスとなって胃に溜まっていった。


「たまらん!」


 ロドンはすかさず2杯目の升を甲羅の中に突っ込んだ。

 完全に虜になっていた。

 【白鯨討ち】の胃袋が、蟹の鋏に討ち取られる。


 固唾を呑んで様子を伺っていた冒険者たちも、我先にと升や杯を甲羅に入れた。


「うめぇ……」

「蟹のこの香ばしさがなんとも」

「こんなうまい酒、初めてだよ」


 幸せそうな顔をしていた。


 ロドンはフォンを見つける。

 自分の升を差し出した。


「フォン殿。一献いかがですか?」


「わ、私は職務中ですので……」


「そういわず。……結構いける口なんでしょ」


 ロドンは白い歯を見せて笑う。

 思わずフォンは唾を飲み込んだ。

 【白鯨討ち】の言うとおり。

 こう見えて、結構お酒は好きだった。


「じゃあ、ちょっとだけ……」


 升を拝借し、口を付ける。



 んん!?



 フォンの尻尾と耳がピンと立つ。

 たちまちの黒い鼻が赤くなった。


「おいしい……」


 升に注がれた透明な酒を見つめる。

 見た目は普通の醸造酒だ。

 しかし、漂ってくる香ばしい香り。

 舌の上で主張する蟹の風味。

 キュッと鼻を貫く酒精に混じって、全身がふわり軽くなったようだ。

 まるで見えない蟹に挟まれているかのようだった。


 戦場は一転して、蟹祭りになっていた。


 ディッシュはその腕を振るい続ける。

 包丁で何十、何百という蟹の甲羅や肢を開き続けた。

 たぶん、彼にとって今が戦場なのだろう。

 その顔は生き生きとしている。


 騒ぎを聞きつけ、避難していた住民までも参加しはじめた。


 茹で、焼き、あるいは他の食材と合わせて……。

 ディッシュが斬ったアームドキャンサーを、思い思いの方法で調理していく。

 存分に腹を満たしていった。


「まさかクエストに出て、こんな美味しいもんを食べられるとはな」

「そういえば、俺たちこのアームドキャンサーを討伐しにきたんだっけ?」

「こんなことなら、毎日来てほしいぜ」

「いや、それは困るだろう」

「がははははははははははは!」


 疲れを吹っ飛ばし、冒険者たちに笑顔が灯る。


 フォンは升を片手に、楽しそうな冒険者たちを見ていた。

 ギルドに入って数年。

 彼女は様々な冒険者を【鑑定】してきた。

 頭の中には、新人からベテランまで、そのすべてのステータスが入力されている。

 冒険者のことなら、誰にも負けない自負があった。


 けれど、こんなにも無邪気に喜ぶ冒険者を見るのは初めてだ。


 そのことに、フォンは少しショックを受けていた。


「まだまだ知らないことが一杯あるんですね」


 フォンは杯を掲げる。

 そう。このお酒のおいしさのように……。

 うっとりと眺める。

 正気は失っていないものの、フォンはメロメロになっていた。


「うまいか?」


 振り返ると、ディッシュがいた。

 傍らには、大きな狼もいる。

 手には升を持っていた。

 フォンの横に座ると、ぐいっと呷る。


 うっめぇぇぇ、と自分で作ったお酒に感動していた。


 フォンは無意識のうちに、ディッシュを【鑑定】していた。


 噂通りだ。

 彼のステータスが見えない。

 それはディッシュが、本当にゼロスキルであることを示していた。


 それでも、彼は多くの冒険者を感動させるほどの料理が作れる。

 間違いなく、【ゼロスキルの料理】こそが、ディッシュのスキルなのだろう。


「もうちょっと捌いてやりたいところだったけど、さすがに全部ってわけにはいかなかったなあ」


「全部捌くつもりだったんですか?」


「その方が撤去に時間がかからないだろ?」


「え?」


「お前、なんか困ってたじゃないか。撤去に時間がかかりそうだなって」


「聞いてたんですか!?」


 言ったつもりはない。

 けれど、もしかしたら口に出ていたかもしれない。

 それほど、アームドキャンサーの撤去は頭の痛い問題なのだ。


「ありがとうございます、ディッシュさん。十分です」


 ざっと数えて、400体近くの魔獣を捌いてくれた。

 殻だけなら、撤去は簡単だ。

 素材屋に売れば、ギルドの資金となり、冒険者にも還元できるだろう。


「ごちそうさまでした、ディッシュさん。あとは任せてください」


 あとは、ギルドの仕事。

 フォンの仕事だ。


 ギルドの受付嬢は立ち上がる。

 その顔は、とても満足そうだった。

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