menu60 軍隊蟹の身
剣閃が閃いた。
パカッと割れたのは、アームドキャンサーの肢だ。
「おお……」
観衆は驚く。
ディッシュが持つ包丁。
その腕前にもだ。
言うまでもなく、アームドキャンサーの肢も硬い殻に覆われている。
いくら良い包丁を持っていても、一息で斬ることは至難の業だ。
彼らはきっとディッシュが【剣豪】などのスキルを持った料理人などと思っているのだろう。
しかし、違う。
ゼロスキル……。
その料理人だということを、知るものは少ない。
ディッシュは相棒のウォンに手伝ってもらいながら、硬い殻を開く。
現れたのは、白絹のような美しい身だった。
ぬらぬらと輝き、冒険者を誘うようにプルプルとしている。
まるで濡れた衣を纏った女のようだ。
「おおおおおおおお!!」
先ほどよりも大きな歓声が沸く。
集まった冒険者は等しく喉を鳴らした。
ディッシュは身に手をかける。
股ぐらでも開くかのように、身を縦に裂いた。
柔らかな身は、音もなく裂けていく。
透明な体液が垂れた。
地面に落ちて弾けると、強い磯の香りが冒険者の鼻腔に届く。
海の近くにいるのに、より海を感じることが出来た。
耳を澄ませば、穏やかなさざ波でも聞こえてきそうだ。
ディッシュはアームドキャンサーの身の一部を、ウォンに確認させる。
しきりに鼻を利かせた神狼は、「うぉん!」と鳴いた。
どうやら大丈夫らしい。
ウォンも早く食べさせてくれと、舌で要求した。
「まったくお前は、食いしん坊だな」
にししし、ディッシュは笑った。
ポンッと放り投げると、ウォンはナイスキャッチする。
カクカクと音を鳴らし、咀嚼した。
「うぉぉぉぉぉおおおおお!!」
遠吠えを上げる。
その口から感想が漏れることはない。
が、間違いなく美味しいことだけはわかった。
「お前らも食うか?」
切り裂いた身を摘み、これ見よがしにぶら下げる。
べろりと垂れた白い魔獣の身を見て、冒険者たちは生唾を飲み、やがて頷いた。
1人の冒険者が口に入れる。
「うんめぇぇぇぇぇぇえ!!」
叫んだ。
その反応を見た冒険者たちは、蟹ミソの時と同じく飛びついてくる。
柔らかな白絹のような身を堪能した。
「ディッシュ、私も食べたいぞ!」
振り返ると、アセルスが立っていた。
先ほどまで蟹ミソを食い散らかしていたのだろう。
口の周りどころか、何故か額にまで蟹ミソがついている。
犬食いする淑女の姿が、容易に浮かんだ。
ディッシュは思わず笑ってしまう。
「仕方ねぇなあ」
他の肢を次々と切り裂く。
海で培った白絹が次々と現れた。
身を裂き、アセルスに差し出す。
ところが聖騎士の手は、例の蟹ミソで汚れていた。
これでは蟹ミソの風味が身に移るかもしれない。
「ちょっと待っててくれ。海で手を――」
「仕方ねぇなあ、食べさせてやるよ」
「食べ――! させ――――!!」
「ん? いやか?」
「そそそそそそ、そんなことはないぞ!!」
聖騎士は首がねじ切れるぐらい頭を振った。
その顔は当然真っ赤だ。
「じゃ、行くぞ。ほら、口を開けろ」
「う、うむ。こ、こうか……」
アセルスは口を開け、少し顎を上に向けた。
身を受け入れるため、チロリと舌を出す。
そこにディッシュはアームドキャンサーの身を慎重に下ろしていった。
なんだか、ちょっと恥ずかしい……。
何故かディッシュと目が合う。
思わず瞼をギュッと閉じてしまった。
(こ、これでは……。まるできききき、キスでもねだっているようではないか)
心の中で叫ぶ。
けど、満更ではない。
不意に多幸感が胸の中から噴出してきた。
が、身が聖騎士の舌にのった瞬間、すべてを忘れる。
海風を感じた……。
アセルスの金髪を揺らす。
振り返ると、見たこともないような青い空。
そして白い砂浜と、海原が広がっていた。
纏っていたのも鎧ではない。
白いサマードレスだった。
海面に反射した光に照らされ、幻想的な柄模様を生み出している。
アセルスは、思わずビーチへと駆け出した。
飛沫を上げながら、海に飛び込む。
たちまち深海へと誘われた。
たくさんの小さな魚、蛸、烏賊、大魚が自由に泳ぎ回っている。
海草が手を振るように揺れていた。
海の中にいるのに苦しくない。
身体の中にじゃんじゃん海水が入っているのに、もっと……もっと飲み干したくなる。
アセルスは、海の中で叫んだ。
「うまぁぁぁぁぁぁああああああいいいいいいい!!」
舌にのった瞬間、広がる海に驚かされる。
この大海で生まれ、熟成された風味、旨みが身体を突き抜けていった。
まるで脳が射抜かれたようだ。
塩気も程良く、むしろ上品。
口の中で風味や旨みと一緒に攪拌され、柔らかく渦を巻いていた。
食感も忘れてはいけない要素だ。
歯で噛んだ瞬間、プチプチと繊維がほどけていくのがわかる。
魚卵を食べているみたいに、口の中で鳴る音が楽しい。
咀嚼すると、ふわっと磯の香りが広がり、繊維の中に隠れていた旨みが歯の上を滑っていった。
風味、旨み、塩気。そして、食感。
海という味をそのまま凝縮させたかのような味だった。
「はうぅぅぅぅうう……」
アセルスはとろっとろだ。
酒を飲んだかのように赤くなり、ぺたりとその場に女の子座りをしてしまった。
その横でウォンも座る。
満足したかのように「うぅぅぅ……」と喉を鳴らしていた。
神狼と聖騎士の顔は、ディッシュに指摘されるまでもなく、似通っていた。
「ふぃ~。ウォンのモフモフの毛はいやされるなあ……」
身のおいしさに、モフモフの毛となり、ウォンは飼い主に弄ばれる。
料理人はしばしの休憩。
けれど、神狼はくんと鼻を動かす。
どこからか匂ってきた香ばしい匂いに反応したのだ。
「さすがはウォンだな」
ディッシュはにししし、と笑うのだった。
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