menu59 軍隊蟹のミソ

 冒険者たちは武器を振るう。

 剣を、槍を、斧を……。

 足肢を斬り裂き、次々とアームドキャンサーの動きを止めていく。

 蟹魔獣の甲羅は硬く、Aランクの戦士でも叩き壊すのは難しい。

 アームドキャンサーの数は1万体以上。

 いくら手勢を揃えたといっても、いちいちとどめを刺していられない。

 とにかく今は、魔獣の侵攻を抑えるのが先決だった。


 その中で、一際目を引く異色のコンビがいた。


 ディッシュとウォンだ。

 アームドキャンサーの甲羅の上を飛び回っている。

 冒険者たちが肢を斬ると、飛散した体液をパクリと飲み込んだ。


「うめぇ……」


 絶妙な塩加減。

 たっぷりと染みこんだ旨み。

 口の中に広がっていく風味も最高だ。


「当たりだぞ、ウォン」


「うぉん!」


 主がにししし、と笑えば、神狼は元気よく吠えるのだった。



 ◆◇◆◇◆



「状況終了!」


 大声を張り上げたのは、ギルドの受付嬢フォンだ。

 ふわふわの山吹色の尻尾を振りながら、戦場となった海岸に近付いていく。

 その周りには、肢をもがれたアームドキャンサーが沈黙していた。


 まだ口をパクパクと動かしているものがいる。

 が、概ね死にかかっていた。

 海の生物だけあって、彼らは長時間の陸地で生活することはできない。

 海水の中に含まれる魔力を吸って生きているからだ。


 陸に上がる場合、お腹の中に大量の海水を飲み込むのだが、斬られた肢から水が漏れ出て、通常よりも早く死にかかっていた。


 そのアームドキャンサーに囲まれながら、冒険者たちは手をついて休んでいる。

 顎が上がり、激しく息をしていた。

 もう1歩も動けないといった様子だ。


 朝から始まった戦い。

 気が付けば昼を過ぎている。

 あと数時間もすれば、綺麗な夕日が見えることだろう。


「お疲れさま、フォン」


 くるりとフォンは小さな身体をターンさせた。

 アセルスが立っている。

 手に持った細身の剣には、アームドキャンサーの無色透明の体液が付いていた。


「お疲れさまでした。さすがは【聖騎士】。タフですね」


 フォンは感心する。

 ほとんどの冒険者の息があがっているのに、アセルスは飄々としていた。

 撃ち漏らしがないか確認していたのだろう。

 いまだ身体から発せられる気は、ピリピリしている。


「1万1千といったところか」


「はい。正確な数字はまだわかりませんけど……」


 フォンは憂鬱そうな顔をした。


「これをまた片づけるとなると、頭が痛いです」


 魔獣の侵攻は止まったが、残されたアームドキャンサーの撤去が問題だ。

 甲羅は硬く、高熱の火でも燃え切らない。

 一部素材屋が買ってくれるもの以外は、すべて海に返すことになっている。


「心配しなくても、手伝うさ。それに少しは少なくなるかもしれないぞ」


「へっ……」


 アセルスが視線を向けた先を追う。


 そこにいたのは、動物の毛皮を羽織った青年だった。

 如何にも山育ちで、山賊に見える。

 だが、側に立つ獣はあまりに雄々しい。

 白い毛並みには気品が漂っていた。


 戦場を観察していた時に、チラチラと視界に入っていた。

 けれど、ギルドでは見かけない顔だ。

 おそらく冒険者ではないのだろう。


「ディッシュ、どうだ?」


 青年に声をかける。

 作業に集中しているらしい。

 アセルスが呼んでも振り返ろうとはしなかった。


「ディッシュ?」


「そういえば、フォンに紹介していなかったな。彼がディッシュ・マックホーン。前に話さなかったか? スライムを飴にした……」


「ああ……! あの方が、アセルスさんの恋人……」


「ち、ちちちちち違う。……そ、そそそそそういう関係じゃなくて、わ、わわわ私とディッシュは、その……なんというか…………食う食われる……じゃない……。料理人と…………試食係? ……いや、なんか違う。とにかく一緒なんだ」


 結局、訳のわからない言葉で締めくくられた。

 相棒と言いたかったのだろうか。

 ともかく、堅物の聖騎士の心を溶かすほどの人物らしい。


「ところで、あの方は魔獣の前で何をやっているんですか?」


 フォンは首を傾げる。


 アセルスは思わず笑みを浮かべた。

 ゼロスキルの料理人のように「にししし……」と声を漏らす。


「彼は冒険者ではない。料理人だ。料理人がすることといったら、1つだけだろ」


 アセルスは走った。


 フォンは戸惑いつつ、聖騎士の背中を眼で追うに止める。

 【光速】のアセルスを射止めるほどの人物。

 興味はあったが、日が暮れる前に冒険者の手柄を確認しなければならない。


 だが、そこにフレーナとエリーザベドがやってくる。


「お疲れ、フォン」


「お疲れですぅ、フォンさん」


「お疲れさまです、フレーナさん。あ、あの……。エリザさん、早速私の尻尾で遊ぶのをやめてくれますか?」


「これが~。わたしの何よりの回復薬なのですよぉ」


 エリーザベドは、フォンの尻尾をモフモフと弄ぶ。


 すると、フレーナがディッシュたちの姿を見つけた。


「お! ディッシュがいるじゃん!」


「お2人も知っているんですか!?」


「そうだぜ。この前のミノタウロスのステーキは最高だったなあ」


「ミノタウロスのステーキ!!」


「スケルトンで出汁を取った東方麺もおいしかったですぅ」


「スケルトンの出汁!!」


 全部魔獣じゃないか!

 フォンは心の中で突っ込む。


 魔獣はマズい。

 それは一般常識だ。

 しかし、料理を思い出した2人の顔は、煮込んだ豚肉のようにトロットロになっていた。


「あいつがここにいるってことは!」


「ディッシュくんがぁ、いるってことはぁ~」


 フレーナとエリーザベドは、海水浴に来た女性客みたいに駆けだしていった。


 一体何なのだ?


 フォンは首を傾げるだけだ。

 その目の前には、沈黙したアームドキャンサーがいる。

 口元を引きつらせ、受付嬢は「まさかね」と呟いた。


「フォン殿。今回のギルドのご尽力ありがとうございました」


 ぬっと大きな影が、フォンを包む。

 立っていたのは【白鯨討ち】のロドンだった。

 後ろには漁師たちを従えている。


「いえいえ。こちらこそありがとうございます。危険なクエストなのに手伝ってもらって」


「海のことですから、漁師が手伝うのは当然ですよ」


「漁港の被害は?」


「多少ありましたけどねぇ。問題はないレベルです」


「それは良かった。……ところで、ロドンさんお聞きしたいのですが」


「……?」


「アームドキャンサーって食べられると思いますか?」


 フォンは指差す。


 しばし沈黙した。

 すると、突然ロドンは笑い出す。

 海岸で豪快に響いた。


「そりゃ無理でしょうな」


「ですよね……」


「けれど――」


「けれど……?」


「あいつならやるでしょう。ゼロスキルの料理人ならね」


 ロドンは明後日の方向を見る。

 やはり向いたのは、ディッシュの方だった。

 いつの間にか人だかりが出来ている。

 冒険者たちが吸い寄せられるように、彼の周りに集まりつつあった。


「ロドンさんもディッシュさんの料理を食べたことがあるんですか?」


「失礼だが、フォン殿はいけるヽヽヽ口か?」


 手で杯を持つような形にして、口へと傾けた。

 酒のことをいっているのだろう。


「多少は……」


 すると、ロドンはフォンの小さな背中を叩く。

 真っ白な歯を見せ、【白鯨討ち】の漁師は笑った。


「ドクブクロのひれ酒は最高ですぞ」


「ドクブクロ!!」


 フォンは眼を丸くする。

 呆気に取られた。


 ロドンは「がはははは」と笑い声を上げる。

 漁師たちを引き連れ、ディッシュの方へと向かっていった。


 フォンだけがポツンと残される。


 仕事を続けようとした。

 でも、何故かうら寂しい気分になってくる。


「私も……」


 フォンは振り返り、ゼロスキルの料理人の方へと吸い寄せられていった。



 ◆◇◆◇◆



 ディッシュの周りには、たくさんの冒険者が集まっていた。


 疲労困憊で、歩くのもやっとだ。

 早く家に帰るか、このまま酒場に繰り出したい。

 そんなことを考えていた冒険者たちが、ディッシュの下に吸い寄せられていく。

 何か異様な雰囲気に勘が働いたからだろう。


「おいおい。何やってんだ?」

「わかんねぇよ、俺も」

「おい。押すなって!」

「なんか食うらしいぞ」

「何を?」

「もしかして魔獣?」

「冗談だろ?」


 異口同音の台詞が、あちこちから聞こえてくる。

 やがて魔獣は食えないという結論に至るのだが、皆は離れようとしない。

 いつしか妙な空気を纏った料理人の背中を追いかけていた。


「ディッシュよ。どうやって食べるんだ? 手伝うことがあるなら、手伝うぜ」


 ゼロスキルの料理人に尋ねたのは、【白鯨討ち】のロドンだった。


 アームドキャンサーを食べる。

 そうなると、この硬く大きな甲羅をどうにかしなければならない。

 如何にも普通の蟹のように食べられそうな形状だが、刃物を入れられる場所はどこにもない。割るにしても、ただの筋力だけで壊せるほど柔な甲羅ではなかった。


「もちろん、捌いて食うさ」


「けどよ――」


 ロドンが反論する前に、ディッシュはサッと何かを掲げた。


 包丁だ。


 思わず息を呑む。

 ただの包丁でないことは、ロドンはすぐにわかった。

 漁師である彼は、よく魚を捌く。

 必要であれば、船の甲板で調理し、食べることもあった。

 言ってみれば、包丁は漁師にとっては仕事道具なのだ。


 だから、わかる。


 しぶきのような白い刃紋。

 “平”は黒く、重厚さを感じる。

 よほどの業物なのだろう。


「ディッシュ、その包丁は?」


 集中するディッシュは、ロドンの質問に反応しなかった。

 代わりにアセルスが答える。


「【剣神】ケンリュウサイ殿が、作刀したものだ」



「「「「ケンリュウサイ!!?」」」」



 ロドンだけではない。

 横で聞いていた漁師、冒険者が同時にひっくり返った。


 【剣神】ケンリュウサイの名前は、冒険者のみならず、漁師や料理人至るまで知れ渡っている。

 その武器や包丁を持つことは、1つのステイタスであり、一流の証なのだ。

 喉から手が出るほどほしい包丁を、山から生まれたような野生児が握っている。

 皆が驚くのも無理はなかった。


 一方、ディッシュはじっとアームドキャンサーを観察していた。


 包丁の入れる場所を探っているのだ。

 如何に【剣神】の作品といえど、硬い甲殻がバターのように切れるわけではない。

 甲羅の柔らかい部分を狙わなければ、はじき返されてしまうだろう。


 空気が張りつめていく。

 横で見守っていたアセルスは、いつの間にか指を組んで祈っていた。

 聖騎士と同じく、冒険者も固唾を呑んだ。


 やがてディッシュは、アームドキャンサーに触れる。


「ここだな……」


 一言をいう。


 すると、一息で捌いた。


 速い。

 まさに電光石火だ。

 今の一瞬ならば、【光速】の騎士を越えたかもしれない。

 それほど、鋭い斬撃さばきだった。


 こぉぉぉぉんん!


 鉄が切れるような音がした。

 アームドキャンサーを一文字に斬り裂く。

 ちょうど上顎と下顎の境目を狙った一撃。

 徐々に上顎部分がズレ、横にスライドしていった。


 どん、と重い音を立てて、地面に転がる。

 丁度、中身の部分が上を向いた。


 現れたのは、強い磯の風味。

 そして宝石のように輝いたアームドキャンサーのミソだった。


「「「「うおおおおおおおおおお!!」」」」


 歓声が上がる。

 同時に腹の音が鳴った。


 ぐおおおおおおおおお!


 これはアセルスの音だ。

 だが、彼女だけではない。

 あちこちからお腹の悲鳴が聞こえてくる。

 各所で、冒険者たちは唾を呑んだ。


「おいおい……」

「アームドキャンサーを斬ったぞ、あの坊主」

「いや、それよりも……」

「あ、ああ……。なんか……」

「うまそうじゃないか、あれ?」

「魔獣なのかよ、ホントに……」


 冒険者たちは戸惑っていた。


 魔獣は不味い……。


 小さい頃からそう教えられてきた。

 けれど、宝石のような眩いミソはなんだ?

 鼻を直撃する香りはどうだ?


 眺めているだけで、お腹を刺激される外見。

 頭の裏にまで届きそうな豊かな磯の香り。


 美味しくないなんて絶対にいえなかった。


 その感想は冒険者だけではない。

 ギルドの受付嬢フォン・ランドもまた唾を飲み込んだ。


 彼女のスキルは【鑑定】。

 どれだけそのスキルを駆使しても、アームドキャンサーが「美味しい」なんていう結果は出ない。


 でも、きっとこれは美味しい。


 そう勘が告げている。

 いや、むしろ美味しくなくても本望だ。

 今、ここで食べないという選択をする方が、間違っているような気がした。


 何より蟹ミソは、大好物だ。


「ディッシュさん、食べてもいいですか?」


 フォンは名乗り出る。

 予想外の1番手。

 一瞬ディッシュは驚いた。

 が、すぐに口角を上げる。


「いいぜ」


 手で示す。


 フォンはペンをポケットにしまい、持っていた書類を背中の背嚢に直した。

 空いた両手を殻の中に差し入れる。

 大きな蟹ミソだった。

 普通の蟹と比べると、10倍、いや100倍はあるかもしれない。

 とにかく、フォンの小さな手では収まらないような大量のミソを掬う。


 ひやりとした感触が、少し気持ち悪い。

 でも、磯の香りが一層強くなる。

 まるで海に潜っているかのようだ。


 仰々しく両手に持ったフォンはゆっくりと蟹ミソを口に近づけた。


 小さなお口を大きく開ける。

 ハムッと一気に食べた。


「はうぅぅぅぅぅぅうううう!!」


 絶妙な塩加減。

 濃縮された旨み。

 舌の上で飛沫のように広がっていく。


 食べる前から感じていた磯の香りは、長い航海を終え、終着点である胃袋を制覇していった。


 まるで「海」そのものだ。

 優しく、豊か……。

 眼を閉じれば、さざ波すら聞こえる。

 ゆっくりと狐族の受付嬢を天鵞絨ビロードのように包んだ。

 鯛が踊り、平目が舞う。

 海の中のオアシス……。



 ああ……。なんと満ち足りた気分にさせてくれるんでしょうか?



 顔が自然ととろけていく。

 海と一体になったかのようだった。


「フォン!」


 アセルスに声をかけられ、ようやく我に返った。


 気を失うほど美味しかった。

 とても魔獣とは思えないほどに。


「どうだ、うまいか?」


 ディッシュは尋ねる。

 口角を上げていた。

 答えなんてもうとっくにわかっている。

 そんな顔だ。


「美味しいです。皆さんもどうぞ……」


 フォンが勧める。

 すると、我先にと冒険者たちは飛び出していった。

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