menu58 蟹です、みなさん! 蟹が来ます!!
秋期は過ぎた。
太陽が頂点へ来ると、後はつるべのように落ちていく。
朝の空気は肌寒く、寒風は肌を刺すようだ。
夜長に虫の音も聞こえなくなってしまった。
もう冬期なのだ。
随分と寒くなり、山では雪が降った。
だが平地の方では、ここのところ小春日和が続いている。
特にギルドの一角に設けられた会議室には、たくさんの冒険者が集められ、むんとした空気が漂っていた。
部屋の温度は明らかに外気温より高い。
さらに冒険者たちは殺気立っており、一触即発な雰囲気を醸していた。
「すっげぇなあ……。よくもまあ、こんだけ雁首を揃えたもんだ」
感心したのは、フレーナだった。
周りをキョロキョロと見渡す。
フレーナの声に気付いて、1人の冒険者が振り返った。
【炎帝】というスキルとSランクという実績を持つ女性冒険者は、ひと睨みする。
すぐに冒険者は眼を背けてしまった。
「冒険者だけじゃないですよぉ。ほら~。あれ……」
フレーナの横の席に座ったエリーザベドが指を差す。
冒険者が集うギルドの一角に、様相の違う人間たちが固まっていた。
頭にねじりはちまきを巻き、足は長靴、手には銛を持っている。
恐らく漁師だろう。
暑く、殺気立った空気の中で、泰然としていた。
「あれって【白鯨討ち】のおっさんじゃねぇか!?」
「今回のクエストはぁ、漁師さんたちにとってもぉ、死活問題ですからね~」
「2人とも、お喋りはそれぐらいにしておけ。始まるようだぞ」
仲間2人をたしなめたのは、アセルスだった。
こちらも椅子に座り、腕を組んだ姿勢で堂々としている。
ただやはり暑さには敵わないらしい。
じっとりと汗を掻いていた。
首筋から流れた汗が、防具と胸の間に出来た谷間へと吸い込まれていく。
騒がしかった会議室が静かになった。
聞こえてきたのは、小さな足音だ。
がたいの大きい冒険者のせいで、アセルスたちからよく見えなかったが、狐の耳とピンと立った尻尾が、ゆさゆさと壇上に向かって歩いていくのが見えた。
ギルドのエース受付嬢と名高いフォン・ランドの登場である。
見た目こそ癒し系の彼女だが、屈強な冒険者からは絶大な信頼を得ている。
逆らう者も、「暑い」と罵声を浴びせるものもいなかった。
居ずまいを正し、背筋を伸ばす者も少なくはない。
フォンは簡単な挨拶する。
その後、今回の集団戦クエストについて説明を始めた。
集団戦クエストとは、参加する冒険者人数を限定しないクエストである。
ランクに関係なく参加可能で、登録さえしていれば、実績などは問われることはない(ただし治療費などは自己負担となる)。
パーティーでは対処が出来ない探索クエスト。
魔獣が集団で攻めてきた時の防衛クエストにおいて発動されることが多い。
ちなみに今回、冒険者が集められた理由は、どちらかといえば後者である。
防衛クエストは緊急性が高いことが多い。
しかし、こうして会議室まで取り、内外問わず冒険者を集めたのは、魔獣の接近をあらかじめ予期していたからだ。
そして、その魔獣とは……。
「蟹です、みなさん! 蟹が来ます!!」
フォンは冒険者たちがひしめく会議室で言い放った。
その言葉は大きな波紋となる。
部屋に集まった冒険者たちを揺るがした。
「とうとうこの季節がやってきたか……」
「なんか冬が来たな~って感じがするよな」
「よっしゃ! 今年も稼ぐぞ!」
「その前に報酬を聞かせてくれ。今回は1体に付き、いくらなんだ?」
早くも報酬の話を始める者までいた。
「静まれ!!」
席を蹴ったのは、アセルスだ。
金色の髪が翻す姿は、戦士を従える美しい戦乙女のようだった。
このギルドで【聖騎士】アセルスの名前を知らないものはいない。
SSランク冒険者の一喝は、たちまち場内を静めてしまった。
「続けてくれ、フォン」
促されると、フォンはホッと胸を撫で下ろした。
「では、アームドキャンサーについて、ご説明します」
アームドキャンサー。
別名『軍隊大蟹』と呼ばれる魔獣である。
背丈は人の約1.5倍。横はさらに大きく、中には10倍以上の大きさを持つ者まで存在する。
性格は比較的温厚。普段は遠浅の海や湿地帯に棲む。
人間を捕食対象とは見なさず、浜に上がった魚や貝を主食としている。
それでも敵意があれば、人間や魔獣関係なく襲いかかり、特に蟹という名前に相応しい大きな2つの鋏は、小型の鯨をあっさりと両断する能力を持っていた。
こちらから手を出さなければ、無害に等しい魔獣だ。
が、冬になると、陸に上がり、産卵するという習性を持っていた。
その数1万以上……。
人よりも大きな蟹が、一斉に襲いかかってくるのだ。
想像するだけで恐ろしい。
特に海に隣接する港町の被害は甚大だ。
【白鯨討ち】のロドンら――漁師がいるのも、そのためだった。
「今回も国からの兵の派遣はないのか、フォン?」
アセルスの質問に、狐族の受付嬢は頭を振った。
国もこの問題には頭を悩ませている。
兵の派遣は毎回、会議の俎上に載るのだが、王宮と周辺地域の警戒で精一杯で、派兵は出来ないというのが、決まり文句だった。
そのため、ギルドは夏期の終わり頃から、冒険者の募集を始めている。
国からの依頼でもあるため実入りが良い。
人を襲うタイプの魔獣と比べれば、リスクが少ないため、人気のクエストだった。
会場にいるだけで、約500人。
他のギルドでも同様の会議が行われていて、合計1800人の冒険者が集まっていた。
単純計算で1人5、6匹倒せばいいことになる。
報酬は1体に付き、60小銀貨と発表された。
安い鎧ならフルで新調できる。
6体倒すことが出来れば、3金貨60小銀貨だ。
それだけあれば、最新式の鎧に、武具だって付けられる。
冒険者たちのテンションは否が応でも上がった。
「皆さんの健闘を祈ります」
フォンの言葉によって、会議は締めくくられた。
◆◇◆◇◆
「よう。【聖騎士】様、久しぶりだな」
会議の翌日、冒険者たちはアームドキャンサーが上陸すると思われる地点に、集結していた。
石積みで作られた防波堤の上で、待ちかまえる。
緊張が張りつめる中、アセルスに声をかけてきたのは、ロドンだ。
「久しぶりだな、ロドン殿」
「ドクブクロの一件以来だな。今日はよろしく頼む、隊長」
アセルスは今回の集団クエストの隊長に任じられていた。
その中には、ロドンたち漁師たちも含まれている。
「こちらこそ。白鯨を討ったという手並み、見せていただきます」
「期待してくれといいたいが、若い者に任せるさ」
「任せてもらってもいい。あなた方の港町は私が守るゆえ」
「頼もしいなあ、【聖騎士】様は。町を守るか……。まあ、それもあるんだがな」
「ロドン殿?」
ロドンは空を見上げる。
生憎と曇り空だった。
波も少し高い。
だが、天気が悪くともアームドキャンサーはやってくるだろう。
「来たぞ!!」
【遠視】のスキルを持つ【狩人】が叫んだ。
波間が光る。
初めは魚かと思ったが違う。
武骨な甲羅が、曇天から差し込んできた光を受けて、キラキラと光っていたのだ。
思ったよりも、上陸時間が早い。
恐らく荒れた海のおかげだろう。
アセルスはすぐに布陣を敷くように伝達する。
冒険者たちは手慣れていた。
毎年の事なのだ。
今年で12回目というベテラン冒険者もいた。
やがて砂浜が甲羅に埋め尽くされる。
引っ込めていた足をにょきりと突きだし、アームドキャンサーは立ち上がった。
ガチャガチャと鋏を動かし、口から泡を吐く。
身体を横に向けると、一斉に陸に向かって走り出した。
「かかれぇ!!」
アセルスの声が響き渡る。
同時に鬨の声が上がった。
先陣を切ったのは、やはり【光速】のアセルスだった。
迫り来る巨大蟹の動きを見ながら、緩やかに剣先を動かす。
見事、足の関節に刃を滑り込ませると、一気に斬り裂いた。
どすん……。
足を失ったアームドキャンサーなど、達磨に等しい。
彼らが厄介なのは、剣などが通りにくい硬い甲羅だ。
だが、たとえ魔獣を討伐できなくても、足を止めることは出来る。
今回のクエストは、アームドキャンサーを水際で止めることだ。
討伐が主目的ではない。
魔獣の動きを封じると、アセルスはさらに【光速】移動を繰り返す。
あっという間に、7体の【軍隊大蟹】を無力化してしまった。
「いそげぇ!!」
「【聖騎士】様に手柄を取られちまうぞ!」
「いけぇぇぇぇええええ!!」
遅れて冒険者たちがやってくる。
アセルスが開いた楔に雪崩れ込んだ。
一気にアームドキャンサーを押し込む。
「おらあああああああ!!」
炎を纏った戦斧を、フレーナは振り回した。
思いっきり甲羅の上に叩きつける。
【軍隊大蟹】はぺしゃんこになった。
さらに【炎帝】のスキルを発動。
亀裂が入った甲羅に、炎を叩きつける。
一気に焼き切った。
アセルスと比べれば優雅さの欠片もない。
が、その圧倒的な膂力は、冒険者たちをさらに熱狂させる。
普段お目にかかれないSランク冒険者の戦いに、見とれるものもいた。
アセルスたちが善戦する横で、傷つくものもいる。
特に漁師たちは苦戦していた。
集団で大蟹を囲むと、関節部に銛を突き入れる。
なんとか1体のアームドキャンサーを駆逐した。
「は~い。頑張った人には、ご褒美ですよぉ」
【聖女】の異名を持つエリーザベドが、回復魔法を唱える。
かなり広範囲に広がると、浅い傷も、深手も問題なく治療してしまった。
「すげぇ……」
「これがSランク冒険者の実力か」
他の冒険者は目を見張った。
それがまた勇気になる。
怪我でおののいた心に、再び火が点いた。
戦場に戻り、大蟹たちと対峙する。
「うららららららら!!」
一際大きな声が、戦場となった港町に突き刺さった。
1本の銛が投擲される。
見事、アームドキャンサーの大きな眼を貫いた。
それは脳幹にまで達し、魔獣の機能を停止させる。
「ふん! まだまだ俺の腕もさびついちゃいねぇようだな」
【白鯨討ち】のロドンは、少し照れくさそうに鼻の頭を掻く。
だが、そこにアームドキャンサーが背後から現れた。
ロドンを踏みつぶそうと迫る。
大きな影に気付き、振り向いたが、投げる銛がないことに気付いた。
「やっべ!!」
ロドンの顔が青くなる。
瞬間、アームドキャンサーは何者かに踏みつぶされた。
大蟹は砂浜に叩きつけられる。
光刃が閃くと、足が斬り裂かれた。
タンと軽い音を立てて、ロドンの前にそれは現れる。
銀毛を逆立たせた大きな狼。
油断のない瞳を光らせていた。
さらに、その狼に跨った人物と眼が合う。
「よう。おっちゃん」
「ディッシュ!!」
真っ黒な蓬髪をなびかせた青年は、笑っていた。
ディッシュ、という声に反応したのは、アセルスだ。
その姿を認めると、【光速】の動きで近寄ってきた。
「ディッシュ! お前、何をしにきたのだ? 危険だぞ」
「何をしにって……。おかしなことをいうヤツだな」
「おかしなことって……」
ディッシュはにししし……と笑った。
途端、アセルスの腹が疼く。
【聖騎士】の第七感が、ご馳走の予感を感じていた。
「俺は食料を調達しにきただけだぜ」
ゼロスキルの料理人が指差したのは、まだ周囲に何千といるアームドキャンサーだった。
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