menu57 星降る金平糖

 ウィンデルは目を覚ました。

 ミソバター鍋を食べた後、神獣の腹の上で寝ていたのは覚えている。

 だが、いつの間にか甕の中に移されたらしい。

 星のように輝いた瞳に、ディッシュ家の天井が映っていた。


 ひょっこりと顔を出す。

 ディッシュが朝ご飯の支度をしていた。

 昨日のお鍋の残り汁を使って雑炊を作るらしい。


 家にはすでにあの聖騎士アセルスがいた。

 マイ銀食器を握りしめ、雑炊が出来上がるのを待っている。

 昨日、お鍋を食べられなかったことを、とても悔やんでいた。

 魔獣の討伐依頼があって、ここに来る時間がなかったという。


 雑炊が出来上がる。

 テーブルの中央に置かれた。

 ミソと牛酪の混ざった匂いが、家の中に立ちこめた。

 匂いに反応して、ウォンが自分のねぐらから降りてくる。

 入口から顔だけ覗かせた。

 神獣にはややディッシュの家は狭いのだ。


「「「いただきます!」」」


「うぉん!」


 手を合わせ、あるいは頭を垂れる。


 同時に、雑炊を掻き込んだ。


「はっふ! はっふ!」

「むほおおおおおおお!!」

「うぉおおおおおおお!!」


 熱い。

 舌が火傷しそうだ。

 でも、食べてしまう。


 甘いミソと牛酪。

 それを吸ったマダラゲ草の白い種実。

 さらにディッシュは卵を落としていた。


 薄茶色に染まり、高脂質食品の権化と成り上がった雑炊。


 内臓が熱い。

 お腹の中にどんどん、何か脂っこいものが溜まっていくのがわかる。

 明日、ちょっと胸焼けがするかもしれない。

 身体に悪いとわかっている。

 それでも、この背徳感がたまらない。


 どこか罪深いことをしているような料理。

 でも、箸を止めることはできなかった。

 何より身体が、かっかしてくる。

 体温が下がる朝には、たまらなく癒やされる料理であった。


「ふー。ごちそうさまじゃ」


 昨日、あれだけ鍋を食べたというのに、また何杯もおかわりしてしまった。

 ウォンも同様。牙にこびり付いた汁を、舌でなめ取っている。

 アセルスなどは、最後は鍋を抱え、直接口に掻き込んでいた。

 昨日の鍋を食べられなかったのが、よっぽど悔しかったのだろう。

 若干、やけ食い気味だった。


 一息吐く。

 口を開いたのは、ウォンのもふもふの腹の中で横たわるウィンデルだ。

 同じ釜の飯を食ったもの同士。

 いつの間にか仲良くなっていたらしい。


「ディッシュよ。馳走になったので、お主に褒美をやろう」


「褒美ならもらってるぞ」


 ディッシュは甕を見つめる。

 一晩、ウィンデルを漬けておいたおかげで、甕の中の水は聖水に変化していた。

 今日のマダラゲ草も、その聖水で洗ったのだ。


「まあ……。それも良いが、お主を招待したいのじゃ。同じ山の住人としてな」


「招待……」


「聖騎士よ。お主も特別に許可してやろう」


「あ、ありがとうございます」


 鍋を置き、アセルスはぺこりと頭を下げた。

 口の端に種実がぺたりと貼り付いている。


「うぉん!!」


「わかっておるよ。ウォンも、招待する」


 ウィンデルが許可する。

 ウォンはベロリと聖霊を舐めた。

 神獣は友好の証として舐めたのだろう。

 が、小さな聖霊の身体はよだれまみれになってしまう。


「ところで、どこに招待してくれるんだ?」


「お主に会わせたいヤツがおるのだ」


 ディッシュ一行は出かけることになった。



 ◆◇◆◇◆



 随分と冷えてきた。

 吐く息が白く濁っている。

 陽はもうすぐ天頂にさしかかっているはずだ。

 なのに、気温はどんどん寒くなってきている。


 原因は、空に垂れ込めた分厚い雲だ。


 光が遮られ、普段でさえ薄暗い森の中は、夜のように暗い。

 大気が不安定となり、少し風も出てきた。

 時折、山の中を駆け抜けていく突風は、針を刺すように冷たい。


 ウィンデルが案内したのは、山奥にある小さな湖だ。

 鏡のように綺麗で、わずかな陽の光でも金剛石のように輝いている。

 その縁の部分は一部凍っていた。

 寒いわけだ。


 ウィンデルは夜までここで待つという。

 何か待ち合わせをしているらしい。


 焚き火をし、昨日捕った鮭を使って、ディッシュはミルク汁を作る。

 皆でゼロスキルの料理に舌鼓を打ちながら、夜まで待った。


「さすがに冷えてきたな」


 アセルスは手を擦る。

 外套にすっぽりと身を包んでいた。

 その下はいつもの格好だ。

 彼女が纏う鎧は、魔法合金ミスリルだ。

 温度変化に強く、常に定温であるため気温が少々下がっても、暖かい。

 それでも、今日の寒さは応えるらしい。

 身体を小刻みに震わせていた。


 そんなアセルスを発見すると、ディッシュは自分が巻いていた毛皮を差し出した。


「アセルス、これを着ろよ」


「いや、しかしディッシュ。お前が寒いのではないのか?」


「山の寒さには慣れてるからな。それに厚着するのもダメなんだ。汗を掻くと、その汗が凍っちまって、逆に寒くなる。今ぐらいがちょうどいい」


「そ、そうなのか……。じゃ、じゃあ……。お言葉に甘えて」


 恐縮しつつ、毛皮を受け取る。

 首に巻いた。

 ぽうと温かくなってくる。

 人肌のぬくもりを感じられた。


 毛皮なので、もっと獣臭がするのかと思ったが違う。

 聖騎士の鼻腔を吐いたのは、別の匂いだった。


(ディッシュの匂いがする)


 ちょっと幸せな気分になるアセルスだった。



 ◆◇◆◇◆



「そろそろかのぉ……」


 夜天を見上げながら、ウィンデルは呟いた。

 曇り空は相変わらずだ。

 星も月も見えない。

 今にも落ちてきそうな雲が、広がるのみだった。


「見ろ」


 ディッシュは少し興奮した様子で指を差した。

 湖面が薄らと膜に覆われている。

 凍り始めているのだ。


 同じ方向を見ていたアセルスが、はたと気づいた。


 星も月も見えない夜。

 当然、真っ暗闇である。

 それでも光の聖騎士は指を差した。


 凍り付いた湖面の上に、人影があることを……。


 アセルスは直感的に剣を握った。

 止めたのはウィンデルだ。


「良い。大丈夫じゃ、聖騎士。それよりも静かにしておれ。始まるぞ」


「始まる?」


 影が動いた……。


 段々と目が暗闇に慣れてくる。

 視界に移ったものは、少年だった。

 ディッシュと同い年ぐらいだろうか。

 まだまだあどけない顔をしている。


 真っ白な肌に、真っ白な髪。

 目は薄い水色で、唇は青紫色をしている。

 白い粉を纏ったような不思議なデザインの服を纏っていた。


 少年は氷上でくるくると舞っていた。

 シャッと鋭い音を立てて、滑っている。

 その洗練された動きに一同は、声を失った。

 実に楽しそうに踊る少年を見つめ続ける。


 少年が通ると、白い筋が残った。

 それがふわりと風にさらわれる。

 白い氷の粒だ。

 どんどん天に昇っていく。


「ウィンデル、あいつは誰だ?」


「あれは、氷の聖霊よ」


「「氷の聖霊!」」


「うむ。とはいえ、氷は水でもある。我も氷の聖霊ではあるのだが……。まあ、あやつは我の別人格だと思ってくれれば良い」


「聞いた事がないのですが……」


「馴染みがないのも当然であろう。あやつは期間限定の聖霊であるし、この辺りでは、この湖にしかおらん」


「難しいことはわからないのですが、彼は何をしているんですか?」


「冬を知らせておるのだ」


「冬を?」


「今にわかる。見ておれ」


 こうしてる間にも、どんどん氷の粒が空へと上がっている。

 雲の中に吸い込まれると、黒雲が星のように瞬き始めた。


 それを見て、ウィンデルはニヤリと笑う。


「そろそろ頃合いかのう。お主ら、顔を空に向けて、口を開けるのだ」


「口を?」


 とにかく言われるままやってみた。

 アセルス、ウォン、そしてディッシュは口を開けて、空を見上げる。


 すると、空が瞬き始めた。

 その輝きは、さらに増す。

 やがて光は近づいてきた。


 こつん……。


 アセルスの額を叩く。


「痛ッ!」


 反射的にアセルスは手で押さえた。

 地面に落ちたものを拾い上げる。

 それは爪の先ぐらいの小さな氷の粒だった。


 若干イガイガしている。


「これは、もしや……」


 アセルスは再び顔を上げ、口を開けた。

 降ってきたものを口でキャッチする。

 そして舌の上で転がしてみた。


「むぅぅぅぅうううううううんんん!!」


 頬を膨らませ、アセルスは悶絶する。


 甘い!

 飴だ。

 飴が空から落ちてきている。


 パタパタパタパタパタパタパタパタパタパタパタパタパタパタパタパタ!


 ドンドンと小さな飴玉が落ちてきた。

 そこら中の木の幹や、葉に当たると、音を鳴らす。


 ウィンデルもその小さな口で飴を受け止めた。

 こうやって食べるのだ、と言わんばかりにガリッとかみ砕く。

 アセルスも倣った。


 ガリッ!!


「はうぅ!!」


 蜜のような甘味がとろりと飛び出す。

 上品な甘さは、たちまち聖騎士を虜にした。


 ディッシュとウォンも同じらしい。

 口の中に一杯詰めると、ガリガリとかみ砕く。

 頬がとろけそうな甘味に、ディッシュの顔がほころんだ。


 神獣も待ちきれない様子だ。

 ピョンピョンとジャンプしながら、飴を受け止める。


 しかし、肝心の理由がわからない。

 むちゃむしゃと飴を食べながら、ウィンデルは答えた。


星雪ほしゆきといってな。氷の聖霊が降らせる氷と魔力が結び付いて出来たものだ」


 氷の聖霊は、冬の到来を告げる存在だ。

 そのために水源の氷を、空へと巻き上げる。

 その際に、聖霊の膨大な魔力と氷が結び付き、甘くなるのだ。


「我ら水聖の聖霊は、神が飲む甘露水から生まれた。味の属性において“甘”に位置する。つまり、この飴は神が飲む飲み物に近いということじゃな」


 魔獣にも、その属性によって味が変わるように、聖霊にも似たような性質があるのだろう。


 ウィンデルの説明を聞きながらも、ディッシュたちは顔を上げ続ける。

 首が痛くなっても、神の甘味を食し続けた。


 やがて、飴の雨ヽヽヽが止まる。


 気がつけばお腹いっぱいになっていた。

 アセルスはペタンとお尻を付ける。

 飴で一杯になったお腹をさすった。


「今日は、ここで野宿だな」


 ディッシュは持ってきた大葉を広げる。

 簡易的な天幕を張り始めた。


 アセルスはぼんやりと凍った湖面の方を見つめる。


「氷の聖霊が消えてる」


「ヤツの役目は終わった。いよいよじゃな」


 何を? と言いかけた時、アセルスの鼻先に白いものがふわりと落ちてきた。


 飴ではない。

 肌に付くと、染み込むように消えてしまった。


 アセルスは手の平を上に向ける。

 顔を上げると、視界一杯に広がった光景を見て、呟いた。


「雪だ……」


 音もなく、大きな牡丹雪が空から降ってくる。

 静かに辺りに降り立った。

 すでに木の根元には、白く薄らと積もっていた。


 アセルスは感慨深げで、雪に埋もれていく景色を見つめる。

 冬期の始まりは、ルーンルッドでは新年の始まりを意味するからだ。


 今年は、ある意味激動の年だった。

 色々なことがあった。

 その中でも、ディッシュと、その料理との出会いは特別だった。

 目を閉じれば、すぐにでも思い出せる。

 その数々の料理を、舌で感じた味覚と、鼻で覚えた香りを。


 ぐおおおおおおおおお!!


 竜の嘶きのような音が鳴る。


「なんだ、アセルス。あんだけ飴を食べたのに、もうお腹が空いたのか?」


 すると、横で聞いていたディッシュはにしししと笑う。


 一方、アセルスは顔を真っ赤にした。


「仕方ねぇなあ……」


 ディッシュは包丁を握る。

 料理を作り始めた。


 ゼロスキルの料理人は出会った頃と何も変わらない。

 その腕を振るい続ける。

 今も、そしてこれからもだ。


 顔を赤くして、硬直していたアセルスに笑顔が灯る。


 そして、ペロリと唇を舐めるのだった。

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