menu56 サケの切り身のミソバター鍋
「ひぇぇぇ……。つめてぇ!」
情けない声を挙げたのは、ディッシュだった。
『長老』の近くを流れる川へと、相棒とともに訪れていたゼロスキルの料理人は、川に手を突っ込むなり、顔を歪める。
まさに身を切るような冷たさとはこのことだ。
つい先日まで、川の中に足を入れて、魚を捕っていたのに、今は考えるだけでも恐ろしい。
すると、ほう……と風が鳴く。
今度は寒風だ。
赤くなったディッシュの頬を突き刺した。
すっかり冬の気配だ。
これで雪でもちらつけば、本格的な冬季が到来する。
今日はその備えのために、ウォンと川にやってきた。
狙いは、ズバリ! サケだ!
この時期、川を上ってやってくる。
ディッシュがいる山の方まで上ってくる個体は少ないが、かなり上流まで来る猛者だけあって、身が締まっているものがほとんどだ。
捕まえたサケを塩漬けにし、雪の中に隠して、冷凍保存する。
冬にどうしても獲物が捕れない時の緊急食料として、重宝するのだ。
いつもなら冷たい川に入り、あかぎれになるまでサケを取るのだが、今のディッシュには頼れる相棒がいる。
「ウォン、寒くないのか?」
すでに川の中に入って、スタンバってる神狼に尋ねる。
手を入れただけで顔をしかめる主と違って、ウォンは四肢を川にどっぷりとつけ、平気な顔で立っていた。
主の質問にも「うぉん!」と元気のよい返事が返ってくる。
さすがは神獣といったところだろう。
早速、ウォンはサケを取り始める。
ギラリと眼光を光らせた。
まずは挨拶代わり、といわんばかりに、1匹のサケをすくい上げる。
さらに、次々と川辺にサケの雨を降らせた。
「あはははは! すげぇぞ、ウォン! 大漁だ!!」
「うぉん!」
まだまだ序の口といわんばかりに、ウォンは回転数を上げる。
ついには、周辺からサケがいなくなってしまった。
その代わり、川辺に魚が山のように打ち上がっている。
「こりゃあ……。冬の内に全部食べられるかな」
ディッシュは腰に手を当て、苦笑いを浮かべる。
だが、今年1年だけで、食いしん坊が
これぐらいでは足らないかもしれない。
「またこんなことをいうと、アセルスに怒られちまうなあ」
ディッシュは息を吐く。
一方、ウォンはまだ川の中だった。
なるべく音を立てないで、ゆっくりと移動し、サケを探す。
すると、それらしき影が見えた。
神狼の瞳が、再び光り輝く。
シャッ!!
水しぶきが舞う。
くるくると空中で回ると、ポテン――と、サケよりも小さな物体が落ちた。
ディッシュはサケの山を覗き込む。
そこにいたのは、半身半魚の小さな少女だった。
「ウィンデル!!」
ディッシュは水の聖霊の名前を叫んだ。
目を回していた聖霊は、声に気付き、顔を上げる。
ディッシュと川の中に入ったウォンを交互に見て、事態を察知したらしい。
途端、水の聖霊の顔が、赤くなった。
「ディッシュ! 何をしとるんじゃ! 飼い主なら、飼い神獣のしつけぐらいちゃんとしろ!」
「悪かったよ、ウィンデル。でも、ウォンだって、まさか水の中で漂ってるのが、聖霊だってわからないだろう」
「うぉん!(※ 捕まる方が悪い。聖霊なら、それぐらいよけろ)」
「なんじゃと、犬っころめ!」
神獣と聖霊はバチバチと火花を散らし、睨み合う。
類は友を呼ぶ。
同じ神格があるもの同士。
いけ好かないところがあるのだろう。
仕方なく、ディッシュは場を収めた。
「まあまあ……。今度、美味いメシを食わせてやっから」
「ふん。その手にはのらんぞ。いつもいつもお前の料理に――」
「サケが一杯獲れたんだ。今度、鍋にして一緒に食べようぜ」
「鍋じゃと!!」
「前にケンリュウサイの爺さんから聞いてな。野菜と豆腐と一緒に煮込むんだ。東方では醤油を使うらしいんだが、俺はミソが合うと思う。どうだ?」
「そ、そんな食べ物に、わわわ我はなびかんぞ」
「涎一杯垂らしながらいう台詞かよ」
「じゅるるる……。よ、良かろう」
「ウォンも、もういいだろう。そろそろ引き上げようぜ」
「うぉん!」
ウォンは返事する。
川の中から出てくると、ぶるぶると身体を振るわせた。
すると、飛沫がディッシュのところまで飛んだ。
「ちょっ! 冷たいではないか!!」
「ウォン……。お前、わざとやっただろう」
ディッシュはやんちゃなウォンを睨む。
神狼の子供は、にやりと口を開いた。
どうやらまだ暴れ足りないらしい。
ディッシュと遊びたいようだ。
だが、飼い主は応じない。
少々生意気に育った神狼に、強烈な天誅を食らわせた。
「ウォン。あんまり俺を困らせると、ご飯抜きだからな」
「うぉぉぉぉぉおおおんん!!」
ウォンは悲しみの声を上げるのだった。
◆◇◆◇◆
『長老』の周りには、すでにいい匂いが漂っていた。
香りに気付いた野生動物が集まってくる。
だが、遠巻きに見るだけで、入って来ようとはしなかった。
神獣、そして聖霊……。
彼らにとっても神様である存在が、1つの所に留まり、夕餉を始めている。
まさしく神々の晩餐であった。
それを仕切るのは、スキルを持たない青年だ。
ゆっくりと鍋をかき混ぜている。
そこには、海草で取った出汁と、酒、そしてミソをくわえたスープが出来上がっていた。
そこにサケの切り身、豆腐を入れる。
しばらく煮て、火を通すと、青菜と茸を、そして白菜を豪快に突っ込んだ。
さらに待つこと数十拍。
ディッシュは満を持し、蓋を開けた。
ぐつぐつぐつぐつぐつぐつぐつぐつぐつぐつぐつぐつぐつぐつ……。
鍋の行進が聞こえた。
気泡が吹き上がり、野菜と一緒にダンスを始めている。
純白の豆腐。
その横には、生娘のように頬を染めたサケの切り身が浮かんでいた。
匂いも申し分ない。
ミソの香ばしい香り。
さらにサケの匂いが、むぅんと加わる。
目一杯吸い込んだ。
川を上ってきたサケの魂が乗り移ったかのように、香りがお腹の中でぐるぐると渦を巻く。
「おお。うまそうじゃのぅ!」
水聖霊は瞳を輝かせる。
ディッシュに作ってもらった小さな箸を、パチパチと鳴らした。
「頃合いだな」
ディッシュはウィンデルでも食べやすいように具材を切る。
箸と同じく特製の木皿の中に並べた。
「いっただきます!!」
やはり最初はサケだろう。
うまく箸で摘むと、聖霊は大口を開けた。
はっふ……。はっふ……。はっふ……。
熱い。
しかし――。
「うんまぁぁぁぁああああいいいいい!!」
ウィンデルは絶叫した。
サケの身自体から感じられる塩気。
そこにミソの甘さが加わることによって、絶妙な調和を生んでいた。
ほくほくとした身の食感も申し分ない。
ディッシュの予感通り、身がしまっていて、鍋の中で煮立てても、十分歯ごたえが感じられる。
汁自体も申し分ない。
丁寧に出汁を取っているため、味に層が生まれ、旨みは癖のあるミソの甘みを抑えることに成功している。
よって、野菜や茸本来の味を楽しむことが可能だ。
素材とミソの味が、ここでも美味く調和していた。
ウィンデルは幸せそうな顔を浮かべる一方、少し離れたところに鎮座するウォンを見やった。
「少し可哀想ではないか、ディッシュ」
「うん。そうだな。……ウォン」
ディッシュは呼びかける。
とぼとぼとウォンは、近寄ってきた。
随分、反省しているらしい。
がっくりと首を垂らし、体毛にもいつもの張りがなかった。
「まずウィンデルに謝れ。そしたら、食わせてやる」
すると、ペタペタと音を鳴らし、ウォンはウィンデルの前に立った。
頭を垂れる。
言葉を発することはない。
が、「ごめんなさい」ということなのだろう。
「ま、まあ……。謝るなら、許してやる。それに、食事は1人で食べるより、みんなで食べる方が美味しいからな。そうであろう、ディッシュ」
「ああ。そうだ。……良かったな、ウォン」
「ウォン!!」
ウォンの元気な声が、山にこだます。
ディッシュが椀に盛ってあげると、いきなりむしゃぶりついた。
それを見て、ウィンデルが笑う。
「くはははは……。さしもの神獣も、主の料理の前では形無しだな」
「ウォン!(※ お前にだけはいわれたくない!)」
「なにぉぉぉおおお!!」
再び、聖霊VS神獣の睨み合いが始まった。
すると、ディッシュはお互いの頭をポンと叩くと、ニヤリと笑う。
「お前ら、ちゃんと仲直りしないと、秘密兵器が食べられないぞ」
「な! こんなに美味しいのに、まだ何かあるのか、ディッシュ」
「うぉん?」
「ふふふ……。そうだ。この鍋には、これを入れなければならないのだ」
ディッシュが取りだしたのは、真っ白な1本の棒だった。
そこはかとなく癖の強い匂いがする。
ウィンデルは、はたと気付いた。
「ま、まさかそれはぁぁぁぁぁぁああああ!!」
「そうだ」
「「うぉぉぉぉおおおおおおおおおおおお!!」」
ウィンデルと神獣は歓声を上げる。
2つの神格を尻目に、ディッシュはまだぐつぐつと煮えた鍋の中に投入した。
真っ白な牛酪が、茶色のミソ鍋に溶けていく。
次第に、サケや野菜、あるいは豆腐に絡んでいった。
これがサケの切り身のミソバター鍋だ!!
早速、ウィンデルとウォンは鍋をつつく。
仲良く同時に、口の中に入れた。
「はわはわはわはわはわはわはわはわわわわわわ……!!」
「うぉおおおおおおおおおおおおんんんんんん!!!!」
1人は天に召されるほど恍惚とし……。
1匹は天に向かって咆哮を上げた。
たった1つ牛酪を入れただけだ。
だが、味が激変していた。
牛酪が持つ独特の甘み。
それがミソが持つ甘みと喧嘩することなく、渾然一体となり、具材に絡んでいる。
やや素朴な味わいだった鍋が、いきなりステーキでもぶち込んだかのように高蛋白になり、腹の中を殴りつけた。
夏場に食べたなら、胃が凭れただろうが、寒い日となれば別だ。
この時季の牛酪のインパクトは
お腹にボッと火を点けると、一気に芯まで身体を温めてくれる。
牛酪のまろやかさが、舌に心地よく絡む。
味全体がよりマイルドになっていた。
胃に重く感じるのに、気がつけば椀の中が空になっている。
からん……。
鍋の中はあっという間に空になっていた。
締めにアラーニェの糸を使って、東方麺にしようと思っていたのだが、どうやらウィンデルもウォンも、満足してしまったらしい。
お腹が一杯になったウィンデルは、そのまま眠ってしまった。
今は、ウォンの腹の上だ。
その神狼もお腹が一杯になり、眠っている。
2つの神格の持ち主は、ミソとバターのように仲睦まじく眠りについていた。
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