menu34 極寒味アイスクリーム

 アリエステルは自室で落ち着かない様子だった。

 靴音を鳴らしながら、右に行ったり左に行ったりしている。

 かと思えば、扇子を広げ、パタパタとドレスの襟元を開けて未成熟な胸に風を送っていた。


 考えていることは1つ。


 ディッシュのことだ。


 実は彼女は反省していた。

 多少強引でもいい。

 「料理を作れ」といえば、ディッシュは調理を始めると、アリエステルもまた思っていた。


 だが、結果は最悪だった。


 ディッシュは自分の申し出を断り、今もその腕を振るっていない。


 最初こそ怒りがこみ上げてきたアリエステルだったが、ここに来て、自分の落ち度を探り始めた。

 超わがまま王女と思われがちな彼女だが、意外と繊細な心の持ち主なのだ。


「妾は……。ディッシュに嫌われてしまったのだろうか」


 はたと立ち止まり、アリエステルは肩を落とす。

 その瞳は揺れ、今にも泣き出しそうだった。

 歪んだ視界に浮かんでいたのは、ゼロスキルの料理ではない。

 ワイルドな山育ちの青年だった。


 姫君の心は本人が思っているように千々に乱れていた。

 おかげで、さっき使用人たちに所望したアイスを、1口食べただけで下げさせてしまった。


 何故、1口しか食べていないのか、と問われたので、「インパクトが足りぬ」と適当なことをいってしまったが、良かっただろうか。


(いや……。今はそんなことよりも、ディッシュにどう謝るべきか……)


 また部屋の中を右往左往しはじめる。


 バンッ!


 突然、勢いよく扉が開いた。

 アリエステルは猫のように飛びすさる。


 扉を開けたのはディッシュだ。

 驚いたか、といわんばかりに、にししし……と笑った。

 わざとなのは明白だった。


 その後ろにはアセルス。

 さらにアリエステルのお抱えの料理人が控えている。


 聖騎士はともかく、自分の料理人まで何故いるのだろうか。

 お姫様は小首を傾げる。


 疑問に終止符を打たれることなく、早速と進み出たのは、お菓子専門の料理人だ。

 かなり年老いた料理人だが、仕事がとても丁寧でアリエステルも気に入っている。

 世界でも10本の指に入る高名な料理人だ。


 もしかして、先ほどの食べかけたアイスを下げさせた件のことを怒っているのだろうか。


 料理人はプライドが高い人種だと、若い姫君は理解している。

 年を取っているならなおさらだろう。


 先ほどはすまなかった。


 人の上に立つものとして、ここは謝罪せねばならない。

 姫は頭を垂れようとした時、差し出されたのは銀色のプレートだった。

 皿の上には、ドーム状のものが乗っかっている。

 それを開くと、冷ややかな白い煙が漏れ出した。


「おおおおおおおおおおおおお!!」


 アリエステルは叫ぶ。


 一瞬、老料理人の後ろに控えるディッシュが、口角を上げたような気がした。


 なんだ、これは? と姫は目を丸くする。

 すると、老料理人は穏やかに口髭を動かした。


「どうやら、驚いていただけたようですな」


 アリエステルは素直に頷くしかなかった。


 見た目は丸いアイスだ。

 だが、そこに小さなチョコの粒が混ぜ入れられていた。

 刺さっていたチョコを砕き、アイスに投入したのだろう。


 それだけでも十分おいしそうなのだが、それだけに留まらない。


 純白のアイスが、ライトなグリーンに変色していたのである。


 全く見たことない色のアイスに、アリエステルは固まった。

 あ、あ、あ、と喉を鳴らすだけだ。


「先ほどのアイス……。姫様のご指示通りに作り直してみました」


「指示……?」


 アリエステルは首を90度に傾げそうになる。

 だが、唐突に気付き、ハッと背筋を伸ばした。


 あの適当な指示を真に受け、老料理人はその通りに修正してきたのだ。


 家臣の熱意に、アリエステルは目頭が熱くなる。

 同時に自分の指示が、割と適当であったことを言い出せなくなってしまった。

 自分で蒔いた種とはいえ、これからはもう少し言葉を選ばねばならない。

 わがまま王女は珍しく自省した。


「ご試食いただけませんか、姫様」


 勧めてくる。

 横で給仕がスプーンを差し出してきた。

 すでに準備万端というわけだ。

 渋々、アリエステルはスプーンを受け取った。


 お気に入りの桃色の食器を握り、アリエステルはごくりと唾を飲み込む。


 視覚にこそ訴えかけるものがあるが、どうも緑色のアイスには何か抵抗がある。

 真っ黒なチョコと相まって、余計グロテスクだった。

 さすがに優雅とはいいがたい……。


 正直にいって、食指が動かなかった。


 しかし、折角自分のために作ってくれた料理である。

 食べないとは、とても言えない。


 それに見た目はともかく、味が気になる。

 アイスの中に入れたチョコの破片。

 さらに、何故緑色なのか?


 美食家として、自らの舌で確認せねば、気が済まなかった。


 いよいよスプーンをアイスに突き立てる。

 暑さ故か。すでに溶け始めているアイスは、姫の乏しい力でも十分すくうことが出来た。


 少し躊躇いがちに、口の中へと運ぶ。


 勇気を持って、舌の上に載せた。


「ふほふほほほほほおお~~」


 姫は再び悲鳴を上げた。


 寒い……。


 脳内に浮かんだのは、『極寒』だった。

 先ほどまでうだるような暑さの中にいたはずだ。

 だが、急に身体がぶるりと震える。


 何故なら、口の中に広がったのは、アイスの甘みでも、チョコの苦みでもない。


 爽快感だ。


 夏の火照った身体に、涼風が吹き抜けていく。


 否――。


 涼風などという生やさしいものではない。


 もはやこれは吹雪だ。

 暴風雪に匹敵する爽快感だった。


 しかし悪くはない。


 その証拠に、気が付けば2口目を食していた。

 口の中が凍っていくような感覚がする。

 心なしか持つ食器も冷たく感じた。


「いかがですかな、姫様?」


「うん。……美味い!」


 認めないわけにはいかなった。

 同時に、老料理人は「ありがとうございます」と頭を垂れる。

 給仕たちも元気を取り戻した姫を見て、ほっと胸を撫で下ろした。


 そうだ。

 美味い……。

 美味いのだ。


 頭がチカチカするほどの爽快感しか感じないのに、このアイスは美味いのだ。


 おそらくアイスとチョコの甘みだろう。


 はっきりいって、爽快感は味とは言い難い。

 無味といってもいいだろう。

 故に、そこに甘みがあると、よりはっきりと味が浮き出てくる。


 おそらく糖度は先ほど出されたデザートと変わらない。


 先ほどよりも強く甘みを感じることができる。

 そんなことを可能にしたのは、この謎の爽快感であることは間違いない。


 チョコの苦みも勿論強く感じる。

 さらにチップ状になったチョコレートは、爽快感で麻痺した口内に、ガツンとした食感を与えてくれる。

 曖昧模糊とした非現実的な味が、その苦みと食感によって、現実に引き戻してくれるのだ。


「ふあああ~~」


 アリエステルは恍惚とした表情を浮かべる。


 瞳に映っていたのは、360度真っ白な大雪原だった。

 そこに現れたのは、黒い毛皮の小熊たち。

 甘い香りがする小熊たちは、姫君を取り囲み、「えいっ。えいっ」と口の中にこれでもかと甘い味を突っ込み続けていた。



「はあああああ~~。もう、もう食べれ~ん」



 食べきる瞬間、アリエステルは陥落する。

 寒気がするのか。

 自分の肩を掴み、お姫様は震えた。

 はっと吐いた息は、気のせいか白く見える。


「美味かったか、アリス?」


 にししし、と笑い声が聞こえた。

 目の前に立っていたのは、ディッシュだ。


 キッとアリエステルは顔を上げる。

 青い瞳は、若干潤み帯びているような気がした。


「ディッシュ! そなたが作ったのだな」


「作ったのは、このおっさんだ」


 老料理人を指さす。

 おっさんとはいったが、これでも世界で10本指に入る名料理人なのだが、その非礼を咎めるものはいなかった。


「俺はちょっとしたアドバイスをしただけだよ」


「そうなのか?」


「はい、姫様。恐れながら、私が作りました。とはいえ、ディッシュ君のアイディアがなければ、姫様をここまで驚かせることは出来なかったでしょう。さすがは姫様が認められた料理人ですな」


 手をディッシュの肩を置いた。


 世界で10本の指に入る料理人が、山で浮浪者のように暮らす青年を、もうすでに認めているような口振りだった。


 それがどれほど凄いことか。

 この場でわかっていないのは、本人ぐらいだった。


「教えるのだ、ディッシュ! 一体、あのアイスをどうやってここまで劇的に美味しくしたのだ?」


「なんだ、アリスもわからないのか?」


「むむぅ……」


 アリエステルは渋々頷いた。


 にしし、ディッシュは笑う。

 そして――。


「実は、これはな……」

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