menu32 ゼロスキルの料理人、王宮に行く
ディッシュは聞き慣れない音に目を覚ました。
薄く目を開ける。
顔を上げると、狭い客車の中だ。
カラカラと車輪の音とともに、馬の蹄の音が聞こえた。
どうやら馬車の中にいるらしい。
だが、何故自分がこんなところにいるのか、それがさっぱりわからなかった。
昨日は川で取った魚を干物にし、明朝兎の巣穴を探すため、いつもより早く就寝した。
ディッシュの記憶は、そこまでだ。
寝てから何故、自分が馬車に乗っているのか、まるでわからない。
しかも、馬車はなかなかに高級だ。
前にアセルスの家に行った時に乗車したが、それよりもワンランク上。
轍にはまっても、揺れが少ない。
おそらくスキルか何かで制御されているのだろう。
「起きたか、ディッシュ」
不意にアセルスの声が聞こえた。
横を見ると、本人が座っている。
心配そうに、青い瞳を細めた。
「アセルス……。あれ? 俺はまだ夢でも見てるのか?」
ディッシュは、パンと頬を叩く。
だが、夢ではなさそうだ。
アセルスは表情を曇らせたまま、ゆっくりと頭を振った。
「いや、これは現実だ」
「現実か……。で、この馬車はどこへ向かっているんだ? それと、なんでアセルスがここにいる?」
「馬車は王都へ向かっている。私はお前を迎えに来たんだ。知己としてな」
「迎えに?」
ますますわからない。
何故、王都にというのもそうだが、そのためにアセルスが迎えに来たというのも、色々と繋がらない。
「心当たりもないのか?」
「うーん……。わからん」
「ディッシュ……。お前、先日アリエステル姫に会ったそうだな」
「アリエステル……。ああ、アリスのことか」
「再三の召喚に応じなかったそうではないか」
「そういえば、手紙をもらったな……。でも、俺……文字が読めないからな。精々料理の名前ぐらいだ」
「ああ。そういうことか。納得した」
聞けば、ディッシュは6歳の頃から山で生活している。
6歳といえば、下町の子供でも教会学校に入って、文字を習い始める年齢だ。
文字が読めないというのも、合点がいくだろう。
しかし、そんな彼が、若くして美食家であらせられるアリエステル姫を唸らせた。
初めてアセルスが真相を聞いた時、目を丸くして呆然としたものだ。
「あれって、なんて書いてあったんだ?」
「王宮に参内せよ、ということだ」
「なんで俺が王宮に行かなきゃならないんだよ」
「姫のことだ。お前の料理が食べたいんじゃないか」
「俺の料理が食べたいなら、俺の家にくればいくらでも食べさせてやるのに」
「そうは行かない。彼女は一国の姫だ。それに、あの事件以来、国王によって外出を禁じられている。ストレスが溜まっているのだろう」
アセルスは何度か姫に謁見している。
絵に描いたようなわがまま娘。
終始侍従たちを困らせているということだけが、印象に残っている。
まだまだ子供ではあるが、驚くほど聡明だ。
特に料理への探求心は凄まじい。
まだ見ぬ未知の料理に対する飢えは、大人顔負けといったところだろう。
そんな彼女が、ゼロスキルの料理に興味を持つことは、ある意味至極当然といえるかもしれない。
王宮の私室で、ディッシュの到着を待ちわびる姫の姿が、容易に想像出来た。
「そういえば、俺って半ば拉致されたってことだよな」
「う、うむ。強引な手段を取ったことはすまん。こうでもしないと、来ないと思っていたからな」
「それはいいけどよ。ウォンが暴れたりしなかったか?」
「ああ……。そういうことか。ウォンなら、馬車の外にいるぞ」
ディッシュは車窓から外を覗く。
大きな狼が馬車と併走するように歩いていた。
主の視線に気付くと、「うぉん!」と元気な声を放つ。
すると、ポタポタと涎を垂らした。
目も、料理を前にした時のように輝かせ、毛もモフモフだ。
ディッシュが半ば攫われたというのに、神狼は全くの無警戒だった。
「なんだ、ウォンのヤツ……。そんなに王都が楽しみなのか」
「そ、そそそうかも知れないな……」
アセルスは目を反らす。
ディッシュを攫っていく時、当然ウォンは暴れた。
その説得に当たったのが、アセルスだ。
ゼロスキルの料理人と知人であることから、王国からの依頼で隊長に抜擢された彼女は、見たこともないほど猛り狂うウォンを前にして言った。
『ディッシュが王都へ行ったら、美味しいものを作ってくれるかもしれないぞ』
まさに青天の霹靂――という感じで、ウォンは鼻頭を上げた。
逆立った毛が力をふわりと垂れ下がり、やがて神狼はそっぽを向く。
行けよといわんばかりに、尻尾を2度振った。
気持ちはわかる。
アセルスも同じ思いだからだ。
美食家アリエステル姫を前にどんな品を出すのか。
今から楽しみで仕方なかった。
「あいつ、なんであんなに涎を垂らしてるんだ?」
「な、なんでだろ~~な~~? あは……あはははははは……」
アセルスもまたそっぽを向いて誤魔化すのだった。
◆◇◆◇◆
王宮に着くなり、ディッシュは身支度を整えさせられた。
生涯で初めてお風呂というのものにも入り、櫛を何本もへし折りながら、ガチガチの蓬髪を梳かされた。
感じたこともないほど、袖通しが良い服を纏う。
ようやく外で待っていたアセルスとウォンの前に姿を現した。
「でぃ、ディッシュなのか……」
【光速】の聖騎士はそういった後、言葉を失った。
立っていたのは、端正な顔をした青年だったのだ。
ぼうぼうだった髪を一括りにまとめられ、眉も整えられている。
垢はすっかりと落とされ、白い皮膚が露わになり、終始森の匂いがしていた身体からは、風呂上がりの石鹸の匂いがした。
ワイルドな
「そんな珍獣みたいに見るなよ、アセルス」
聞こえてきた声は、間違いなくディッシュのものだった。
アセルスはハッと我に返る。
見惚れていたのだ、ゼロスキルの料理人に。
普段はその料理に魅了される【光速】の聖騎士だが、はっきりとその姿に見とれてしまった。
「うぉん!」
アセルスの横でウォンが吠える。
こちらはいつも通りだ。
侍従たちが身体を洗おうとしたが、ウォンは逃げ回るばかりだった。
そもそも神獣には強い聖属性が付与されている。
穢れはおろか、ノミや虫が棲み付く余地もない。
常に清潔さは保たれており、逆に触ることによって、触った人間の穢れなどを払う効果すらある。
ディッシュは知らないが、実はモフモフすることによって、身体を石鹸で洗うのと一緒の効果を得ていた。
ともかく、一行はアリエステル姫の私室へと通される。
扉を開けると、ディッシュよりもちっこい姫が、目を輝かせた。
「遅かったな、でぃ――――うん? お主、本当にディッシュか?」
「お前がさせたんだろうが……」
ディッシュは目を細める。
横でアセルスが口元を隠し、プッと吹き出した。
「まあ、よい。遠路はるばるご苦労であった。だが、長旅のところすまぬが、早速料理を作ってくれ。妾の腹はペコペコだ」
「いやだ……」
ディッシュの一言に、場は凍り付く。
く~~。
小さな腹の音だけが響いた。
その主は、声を震わせながら尋ねる。
「い、今なんといったのだ、ディッシュよ!」
「断るといったんだ」
「どうして!?」
「うーん。……なんていうか、気分じゃない」
「はあああああああ!?」
いや、それはおかしい。
普段なら、料理を作ってくれといえば、嬉々として応じる料理人。
それがディッシュ・マックホーンだ。
だが、ディッシュは動かない。
ぽー、と窓の外を見つめていた。
「あ、アセルス!」
「は、はい。姫」
「そなた、ディッシュの知己であろう。お前からも、何かいってやってくれ」
「はあ……。ですが、彼が気分じゃないといえば、気分じゃないのかと」
理由はいくつか考えられる。
まずここに強制的に連れてきたことだ。
それは完全にアセルスの落ち度だった。
とりあえず、城に着けば、料理を作ってくれる。
ディッシュならそうすると、信じて疑わなかったことが裏目に出た。
あとは環境の変化だろう。
今の姿もそうだが、腹づもりもなく、いきなり城に連れてこられたのだ。
山育ちのディッシュは、まだ環境に順応できていないのかもしれない。
「姫……。一旦料理については、保留にさせて下さい」
アセルスは提案する。
アリエステルとしても本意ではないが、受け入れざるを得なかった。
若輩ながら、料理には作り手の魂が必要だと、姫は理解している。
例え、今ディッシュに無理やり料理を作らせたところで、出てくる品が姫の舌を唸らせるようなものになるとは思えなかった。
「わかった。そなたに任せる」
アセルスは、ディッシュとともに炊事場に向かった。
彼の興味は料理だ。
王宮の炊事場に行けば、優れない気分も晴れるかもしれない。
「わぁ……」
アセルスは思わず歓声を上げた。
炊事場に行くと、そこには大小様々な釜、料理道具、そして料理人たちが調理をしている最中だった。
熱気が炊事場に立ちこめる熱とともに伝わってくる。
特に今は夏期だ。
料理人たちの顎の下には汗が浮かんでいた。
時間的にディナーの下ごしらえをしているのだろう。
まだ慌ただしい感じはない。
角の方では料理人が集まって、今夜の料理についてレクチャーをしていた。
さすがにディッシュの顔色が変わる。
見たこともない料理道具などを手に取り、物珍しそうに見つめていた。
すると、料理人たちの話す内容に「アリエステル」という言葉が聞こえる。
彼らは皿の上の料理を囲み、首を傾げ、困り果てていた。
「どうしたんだ?」
ディッシュはアセルスの制止も聞かず、首を突っ込む。
皿に乗っていたのは、真っ白なアイスとチョコレートだった。
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