menu27 東方麺
「さて」
ディッシュは腕をまくった。
珍しく額に布を巻く。
ふん、と鼻息を荒くし、包丁代わりにしている短剣を握った。
「おいおい。まだ何か作るのか?」
「もうスープでお腹一杯ですぅ」
エリザは倒れた木の上に座り、ポンとお腹を叩く。
フレーナも同じらしく、6つに別れた腹筋付近をさすっていた。
しかし、この女だけは違う。
ぐおおおおおおお……。
竜の嘶きのような腹音を鳴らす。
腹ぺこ聖騎士アセルスだ。
「このスープを使って、他にも食べたいだろう」
アセルスは何度もうんうんと頷く。
天井知らずの濃厚さ。
深いコク。
このスープなら、どんな料理にでも使えるだろう。
肉と野菜を入れて、煮込むも良し。
鍋の出汁に使うのもいいだろう。
麦飯を入れて雑炊にするのも悪くない。
朝から食べれば、1日中だって動けることが出来る。
アセルスが出すいくつかの提案に、ディッシュはチッチッチッと指を振った。
「そんな野暮なことはしねぇよ」
「野暮?」
「やっぱ作るなら、東方麺だろう」
「「「東方麺!!」」」
3人の最強の乙女たちは、色めきだつ。
東方麺とは、ここから東方の国で生まれた麺料理だ。
出汁とタレ、もしくは脂をくわえたスープに、麺や肉、野菜をからめて食べる料理。
500年ほど前に、一帯に広まり、今では大衆食堂の定番メニューになっている。
安価ながら、奥の深い料理で、子供から老人、庶民から貴族まで様々な人に愛されてきた。
「東方麺か……。ごくり」
「確かにそれは合う……。ごくり」
「ですぅ……。ごくり」
改めて、鍋の中をのぞき込む。
白絹のスープから現れる小麦麺……。
濃厚な1滴が、箸から垂れる様を思うだけで、お腹が空いてくる。
「食べたい!」
「東方麺食べたいですぅ!」
「頼む、ディッシュ」
「よーし。東方麺、三丁だな。ちょっと待ってろ」
ゼロスキルの料理人はにしし、と悪戯っぽく笑った。
早速、料理にかかる。
3人は大人しく、即席のテーブル作りに取りかかる。
それでも、やはり気になるらしい。
時々、振り返ってはディッシュの一挙手一投足を見つめていた。
まず取りかかったのは、タレだ。
東方では“かえし”などと言ったりするらしい。
タレは魚醤や塩が一般的だ。
ディッシュは塩を選択する。
今回に関しては、タレは補助的な役割でしかない。
出汁に十分味がついている。
塩タレは、どこまで沈んでいってしまいそうな深い味わい出汁の留め金になってもらう。ピリッとアクセントにし、全体的な味を締めるためだ。
水に乾燥させた海草を入れ、塩をくわえる。
煮立てて、海草から出汁が出ると、火を止めた。
海草と溶けなかった塩をこして、タレはこれで終了。
次は具材。
肉だ。
使ったのは、ブライムベアの肉(※プロローグ参照)。
その肩ロースを使う。
脂身もあり、何より部位の中でも1、2を争うほど柔らかい。
あらかじめ別鍋に魔骨スープで煮立てていた肉を取り出す。
白絹のスープをたっぷり吸ったブライムベアの肩ロースは、キラキラと輝き、「はあ……」と湯上がりのように白い湯気をくねらせていた。
それを今度は、魚醤、さらにお馴染みのスライム飴、そしてドラゴンバットの火袋油をくわえたスープに、肉を入れる。
鍋に蓋をし、火を付け、しばし煮立てた。
ディッシュはその時間を利用し、野菜を切り始める。
まな板に広げたのは、青ネギとキクラゲだ。
両方ともアセルスに用意してもらった。
まず青ネギを切っていく。
いいネギだ。
独特の匂いがつんと突く。
タンタンタンタンタン……。
ネギを切る音が、鬱蒼と木が茂る山野に響く。
深い自然の中で、それはとても異質だ。
だが、そのリズムに合わせて、遠くから音が聞こえる。
キツツキが木を叩いているのだ。
不意に風が吹き、梢がしなる。
まるで、山全体が東方麺を楽しみにしているかのようだった。
ぐぅぅぅぅううううううう……。
腹の音が鳴った。
アセルスだけではない。
3人同時にだ。
乙女たちは、苦笑した顔を突き合わせた。
ブライムベアに味が馴染んだら、鍋から取り出す。
鍋に残ったスープは捨てない。
そのままキクラゲを入れて、同じように味を馴染ませる。
それが終わると、まな板に戻し、ネギと同じように切る。
今度は、肉だ。
でん、と肉塊をまな板に置いた。
迫力がある。
だが、これはまだブライムベアの一部に過ぎない。
すべて使うと、鍋に入れられないほど、ブライムベアの肩ロースは大きい。
匂いもいい。東方麺に入れるのがもったいないほどにだ。
そのまま両手でがっしりと捕まえて、豪快に噛みつきたくなる。
横でアセルスが涎を吸い込む音が聞こえた。
ディッシュは淡々と肉を薄くスライスしていく。
染みこんだ出汁、タレ、さらには肉の脂質が、蜜のように垂れた。
滲みだしたエキスがまな板の縁へと流れ、ぽとりと地面に落ちる。
その様をマジマジと見つめていたフレーナもまた、思わず涎を拭う。
その時、エリザがはたと気付いた。
「ディッシュさぁん……。麺はどうするんですかぁ?」
東方麺にとって、麺は必要不可欠な要素だ。
麺のない東方麺など、もはや東方麺ではない。
当たり前だが……。
小麦、でんぷん粉、あるいは卵黄などが一般的だ。
ゼロスキルの料理人が選んだのは、そのどれでもなかった。
背嚢の中から取り出す。
それは一見、小麦で作った乾麺のように見えた。
ディッシュは説明する。
「アラーニェの糸を天日干しにして、乾燥させたものだ」
「アラーニェ!!」
アセルスは叫んだ。
アラーニェとは、下半身は大蜘蛛、上半身は女の姿をした魔獣だ。
女の姿をしているので、一見知能が高そうに見えるが、それは擬態。
本体は、蜘蛛の方だ。
その女の姿で、男を惑わせ、糸で絡めるのが、狩りのやり方だ。
「以前、近くで糸を張ってたから拝借したんだ」
「そ、それ……! 食べられるのかよ!」
フレーナは目を白黒させながら、アラーニェの糸を見つめる。
ディッシュはにししし、と笑った。
「当たり前だ。おいしいぞ、アラーニェの糸は……。歯ごたえがあって、スープによく絡むんだ」
珍しくディッシュが唾を飲み込む。
1度、試しているのだろう。
鍋を前にして、珍しくぼんやりとしていた。
これまたアセルスに持ってきてもらった大鍋に、大量の水を入れる。
そこに麺を投下した。
まるで燕の巣のようにかさかさになっていたアラーニェの糸が、お湯にくぐった途端、白糸のようにほぐれる。
沸騰するお湯の中で、くるくると踊り回った。
そこからディッシュの動きが慌ただしくなる。
どんぶりを用意すると、作っておいたタレを投入。
満を持して、魔骨スープを入れた。
鍋の中にあっても、どんぶりの中にあっても、女性の柔肌のようなスープは変わらず、輝いていた。
60拍も数える間もなく、ディッシュは麺を開ける。
竹ざるに移し、勢いよく湯を切った。
その動作も見事だ。
ほとばしる湯は、美しい放物線を描き、虹を映した。
均等になるように、3つのどんぶりに分け入れる。
そしてネギ、キクラゲ。
最後に肉を入れる。
「ふー……」
ディッシュは思わず汗を拭う。
熱々のどんぶりを天に掲げた。
魔骨スープの東方麺の出来上がりだ!
高らかに宣言したゼロスキルの料理人の顔は、達成感に満ちあふれていた。
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