menu20 フブキネズミの氷室
暗い山の中をディッシュ、ウォン、そしてアリエステルが列をなして歩いていた。
真っ暗な闇の中。
頼りは貧弱なカンテラの明かりだけだ。
ゆらゆらと揺れる光は、足元の状況を映し出すのが精一杯だった。
そんな中、アリエステルはスライム飴をもくもくと食べている。
「よもや、この妾にスライムの飴なんぞ食べさせおって……うーん、うまい」
「文句いいつつ食べてるじゃねぇか?」
「うるさいうるさい。背に腹は代えられぬ。仕方なく食べているのだ」
さっきまで死にそうな顔をしていた人間とは思えないほど、アリエステルは気力を取り戻していた。
食べ物を口に出来たことも大きいが、人と一緒にいることによって、安心感を得ることができたのがデカい。
相手が見知らぬ青年とはいえ、会話をすることによって、彼女は本来のペースを取り戻しつつあった。
「お前、名は?」
「ディッシュだ。そっちは?」
「ふふん……。聞いて驚け。我が名はアリエステル・ラスヌ・カルバニアだ」
「なげぇ名前だな。めんどくさいから、アリスでいいか?」
「な! ちょっと待て! 妾の名前を知らぬのか!? というか勝手に略すな!」
「知らん」
「なんという田舎者だ。まあ、こんな山奥に住んでいれば、俗世のことに疎いかもしれぬが……」
アリエステルは眉間に皺を寄せる。
料理道具を乗せた背嚢に、熊の毛皮。
櫛が通らぬほど固まった蓬髪を、なびかせた青年を見つめる。
こんな男が、このような至高の飴を作れるとは到底思えなかった。
「よくスライムを飴にしようと思ったの。誰かに教わったのか?」
「いいや。俺のオリジナルだ」
「では、お主のスキルか何かか?」
「俺にはスキルがないんだよ」
「スキルがない?」
「ゼロスキルなんだ、俺は」
「ゼロスキル……。ぷぷ……! つまりは能なしか。なるほど。それでこんな山奥に住んでおるのか。よくもまあ……魔獣がうようよいる場所で生きてこれたものだ」
すると、ディッシュは立ち止まった。
急に止まったため、アリエステルはびくりと肩を震わす。
ちょっと言い過ぎたか、と思った。
だが、ディッシュはおもむろに背嚢を下ろす。
手早く火焚きの準備を始めた。
「何をしておるのだ?」
「なにって? 野営の準備だけど」
「野営!! 妾に野宿せよというのか?」
「別に俺は着いてこいなんていってないぞ。お前が勝手に着いてきたんだ」
「な! 先ほどの意趣返しのつもりか! いやだ。妾はベッドの上で寝たい!」
といっても、ディッシュの家はここからさらに山奥に入った場所にある。
しかも、今は夜だ。
夜道は当然暗く、慣れたディッシュですら迷うことがある。
それに夜は夜で魔獣が活発に動き回る時間だ。
移動を継続するわけにはいかなかった。
ウォンならばひとっ飛び家に帰ることが出来るかもしれないが、鞍なしで狼の背に乗るのは割ときつい。
ディッシュよりも小さな女の子が耐えられるとは思えなかった。
結果、アリエステルは諦めることにした。
むろん納得などしていない。
ムスッとした顔で、スライム飴が入った袋に手を入れる。
だが、どんなに袋の中をかき回しても、飴の感触は皆無だった。
逆さに振ってみるものの、カスすら出てこない。
く~~。
子竜の甘えた声にも似た腹の音が鳴る。
さすがに飴ではお腹は膨れない。
「なあ、ディッシュ。他に何か食べ物はないのか?」
「ない。非常食の飴もお前が全部食べちまった」
観念したアリエステルがごろりと寝転がる。
待っていたのは、柔らかな羽毛のベッドではなく、冷たく硬い地面の感触だった。
とはいえ、もう動くことは難しい。
足はすでに棒になり、魔力を使いすぎて若干頭痛もする。
例え、ここで野宿をし、睡眠がとれたとしても、飛行魔法のように集中力が必要になる魔法は、制御不可能かもしれない。
「(これが冒険というものか……)」
王族の保養地から飛び出していった時、危険を省みていなかったわけではない。
安全な王宮暮らしに入り浸っていたアリエステルは、むしろ危機的状況に飢えていた。
いざ身を置いてみると、自分には何も出来ないことを痛感させられる。
自然と涙が出た。
急に父と母が恋しくなる。
一瞬、甘えた声が出そうになったのを、寸前のところで押さえた。
すると、顔を上げたのは、ウォンだった。
梢を縫い、風が吹く。
その空気の中に何か感じ取ったらしい。
魔獣か……。
緊張感が走る。
ウォンはタッと駆けた。
闇の中に飛び込んでいく。
「もしやあの狼……。妾たちを置いて逃げたのか?」
「ウォンはそんなヤツじゃねぇよ」
ディッシュの言うとおりだった。
しばらくしてウォンが戻ってくる。
鼻の周りを泥だらけにし、口に何かを掴んでいた。
それは氷の塊だ。
中に何かが入っている。
ディッシュは慎重に割ると、芋が出てきた。
「麦酒芋だな」
普通の市場に売っているような芋だ。
身が麦酒のような色をしているため、麦酒芋といわれている。
当然、酒精は入っていない。
しかし、不可解だった。
何故、麦酒芋が凍らされていたのか。
アリエステルが首を傾げて考えていると、ディッシュが答えた。
「たぶん、これはフブキネズミの氷室だな」
「フブキネズミって魔獣のか?」
犬や猫ぐらいの大きさで、主に秋期から春期の始めに活動する魔獣だ。
身体が異常に冷たく、こちらから触れたりしなければ害はない。
こうして秋期に集めた作物を氷漬けにして、森のあちこちに隠す習性があり、それを食べて冬期を過ごしている。
ウォンが見つけたのは、その1つだろう。
「よくやったぞ、ウォン」
ディッシュは神狼を撫で回す。
すでに食糧の期待から、ウォンの毛はモフモフになっていた。
うーん……。やわらかい……。
実は、アリエステルと同様に、ディッシュもウォンも腹ぺこだったのだ。
一方、アリエステルはがっかりしていた。
この際、腹に入ればなんでもいいが、出てきたのは芋とは……。
肥えた舌をもつ彼女は、がっくりと肩を落とす。
「なんだ? アリスは芋が嫌いなのか?」
「別にそうではない……。ただ食材としては、在り来たりすぎて――って、だから妾の名前を略すな! 慣れ慣れしい!」
「食材としては在り来たりか。……なるほど。じゃあ、俺がお前を満足させるように調理してやるよ」
ディッシュはにししと笑う。
その笑みはゼロスキルの料理人の自信の現れだ。
アセルスやキャリルが見たなら、きっと舞い上がったことだろう。
それを知らないアリエステルは、ぼうと調理を見つめる。
しかし、ディッシュのやったことといえば、あまりにシンプルなものだった。
まず鍋の中に石を入れる。
軽く焚き火に当て、石を熱した。
すると、ウォンが持ってきた麦酒芋を熱い石の中に埋めたのだ。
たったそれだけ……。
ますますアリエステルはトーンダウンする。
彼女がこれまで食べてきた料理の種類は、千数種類にも及ぶ。
その中に芋を使った料理は、100種類ほど。
麦酒芋も勿論含まれている。
美味しい料理もあった。
だが、そこには複雑な料理手順が存在していた。
石を入れ、その熱だけで食べる料理が、姫の舌を唸らせるとは思えない。
だが……。
「(あれ? すごくいい香り……)」
漂ってきたのは、芋の風味が混じった香ばしい匂いだった。
強い。とても強い芋の匂いがする。
かつてこれ程強い香りがあっただろうか。
そんな料理手順など存在しないはずだ。
次第にアリエステルの興味を引く。
井戸の底のように暗かった瞳が、星のように瞬き始める。
く~~。
腹の音が鳴る。
胃が蠕動し、他の内臓を蹴るのがわかった。
静かに待つ。
ウォンはダラダラと涎を無造作に垂らしている。
アリエステルも何度も唾を飲み、鍋を凝視していた。
ただ1人ゼロスキルの料理人だけが腕を組み、鍋の中をつぶさに観察している。
1つ息を吸う。
芋が隠れて見えないため、匂いで判断しているのだ。
やがて竹串を取り出す。
そっと石の中にある芋に突き刺した。
まるで吸い込まれるように串が入っていく。
「頃合いだ」
ディッシュは芋を取り出す。
石焼き麦酒芋を召し上がれ!
差し出されたのは、ホクホクの芋だった。
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