menu19 また1人山に呑まれる

 アリエステル・ラスヌ・カルバニアは王女である。


 自然とカールした黄金色の髪。

 大きく星のように輝く青い瞳。

 背は小さく、胸も未成熟だが、肌は真珠のように白く、国の宝石と言われるほど、可愛い盛りの少女だった。


 だが、アリエステルは絵に描いたようなわがまま王女だ。


 右を向けといえば、右を向かせ、左を向けといえば、左を向かせる。

 従わなければ地団駄を踏み、家臣を困らせてきた。


 特に料理になると顕著で、幼少の頃から様々なものを食べてきた彼女は、とても舌が肥えており、13歳の現在に至っては少々の料理で満足しない身体になっていた。

 それどころか、料理人に「味付けが薄い」だの、「塩を入れすぎ」だの、文句をいう始末である。


 そんなアリエステルだが、姫でありながら、超レアスキルの持ち主だ。


 スキル名【全属性習得】。


 様々な属性魔法を習得できる希有なスキルで、行く末は王女よりも天才魔法姫として期待されている。


 だが、王女はすこぶる勉強が嫌いだ。

 じっとしていられないたちなのである。


 今日も山狩りならぬ魔獣狩りに、お供を連れて出かけていた。

 低クラスの魔獣を野に放ち、それをハンティングする社交界ではポピュラーな遊びの1つだ。

 いつものようにゴブリンとスライムを放ち、騎士たちが所定の場所に魔獣たちを追い込んでいた。


 その最中、事件が起きる。


 忽然とアリエステルが消えたのだ。

 近くの教師が少し目を離している隙に、魔法でどこかへ行ってしまったらしい。


 魔獣狩りは一転、王女の捜索へとシフトした。



 ◆◇◆◇◆



「ここで良いか」


 アリエステルは飛翔の魔法を解いた。

 降り立ったのは、緑の深い山野だ。


 何も手入れされていない鬱蒼と茂った森。

 緑の匂いの中に混じった獣臭。

 どこからともなく聞こえる沢の音。

 視界も悪く、方角もわかりにくい。


 整備され、視界がクリアな王族の保養地とは全く違っていた。


 だが、アリエステルは満足そうに頷き、やがて大口を開けた。


「むふふふふ……。あははははははは! これだ。これが妾が望んだ冒険だ!」


 森のど真ん中で高笑いをぶちかます。


 すると、意気揚々と森の中を歩き出した。

 若干鼻歌も混じっている。


 王族が開く魔獣狩りに、彼女は飽き飽きしていた。

 毎回出てくる低クラスの魔獣。

 何重にも安全対策が施された地形。

 結局、騎士が弱らせた魔獣にとどめを刺すだけ。


 なんの面白味もない。


 だから、アリエステルは遊びよりも冒険を望んだ。


 危険なことは百も承知だ。

 しかし、自分にはスキルがある。

 【全属性習得】。

 それによってたいていの魔法を使うことが可能だ。


「さあ、妾の前にでませぇい! 魔獣たちよ!!」


 やあやあ、といくさ場の武将のように名乗りを上げる。

 しかも、アリエステルの装備はすべてピンクで統一されていた。

 遠目から見ても、目立つ姿。

 モンスターに狙われるのも必定だ。


「がおおおおおおおおおお!!」


 現れたのは、熊のようなモンスター。


 ブライムベアだ。


 大きな吠声を上げる。

 空気をビリビリと震わせるけだものの声に、アリエステルは居すくんだ。

 だが、それは些細な時間だけだった。


 ぺろりと舌を舐める。


「食らうがいい!! 妾の魔法を!」


 急に空が暗くなる。

 暗雲から現れたのは、青白い雷精の槍だった。

 大柄なブライムベアの体躯を貫く。

 一瞬にして命を断たれ、巨体はどおと倒れた。


 焦げた臭いが辺りに立ちこめる。


「ぬはははは! どんなものだ! 妾の魔法は! 参ったか、魔獣よ!!」


 死体を足蹴にし、アリエステルは薄い胸を張る。


 どうやらその勝ち気な性格、そして格好。

 王宮だけではなく、山の中でも不興を買ったらしい。

 彼女の前に、次々と魔獣が現れた。

 皆、図鑑でしか見たことのないものばかりだ。


 アリエステルは、得意の魔法で返り討ちにしていく。

 すべて一撃。

 その戦果は、SSクラスの聖騎士アセルス・グィン・ヴェーリンに匹敵していた。


 調子に乗った姫は魔獣を狩り続ける。

 気付いた時には、辺りは暗くなっていた。


「さすがに長居をしすぎたようだな」


 そろそろ帰るか。

 家臣たちも心配しているだろう。


 魔法を使って飛び立とうとした瞬間、ぷすんと魔力が切れた。


「ふん。こんなこともあろうかと、魔力補充の薬を……」


 鞄を開く。

 だが、薬はどこにもない。


「あ……」


 アリエステルは穴の開いた鞄を広げた。

 どうやら魔獣によって傷つけられていたようだ。


 し、しまった。


 さしものアリエステルは慌てる。

 右を見る。左を見る。

 どっちを見ても、深い闇が横たわっているだけ。

 どこにいるか、さっぱりわからなかった。


 パニックになったアリエステルは走り出す。

 真っ暗になった森で何度もこけそうになりながら、駆け抜けた。

 わがまま王女の目には涙が浮かんでいる。


 しばらくして……。


 ぐ~~。


 お腹が抗議の声を上げた。

 同時にアリエステルは盛大にズッコケる。

 珠のような肌がいつの間にか土や泥に汚れていた。


「お腹が空いた……」


 そう呟けば、すっ飛んでくる家臣たちは、どこにもいない。

 叫ぼうとしたが、もはやその気力さえなかった。


 意識を失う瞬間、アリエステルは一対の光を見た。

 ゆらゆらと揺れ、獣の息づかいが聞こえてくる。

 現れたのは、見たこともない大きな狼だった。


「魔獣……」


 失いかけた意識が、危機を察知して再びはっきりとし始めた。

 逃げなきゃ、と思ったが、もはや体力はどこにもない。

 このままでは死ぬ。

 ならいっそ意識を失えば良かったと思った。


「パパ……。ママ……。助けて」


 アリエステルは生涯で1番といっていいほど、恐怖を覚えた。


 すると、予想外なことに声が聞こえる。


「なんだ? また行き倒れか?」


 最初、狼が喋ったのかと思った。

 その背後から男が現れる。

 王女よりも少し年上の青年だった。


「おーい。大丈夫か……」


「…………」


 返事をしようとしたが、「あ」とか「う」とかしか言えない。


 ぐ~~~~。


 アリエステルの代わりに反応を返したのは、そのお腹だった。


 青年はケラケラと笑う。

 一方、王女の顔は野苺のように赤くなった。

 なんという屈辱……。このまま本当に死んでしまいたかった。


「食べ物か……。何かあったかな」


 青年が手の平の上に出したのは、飴だった。


 すると大狼が興味を示す。

 青年が鼻面を押さえて制止すると、アリエステルの口に入れてくれた。


 飴か……。


 背に腹は変えられない。

 今なら、その辺に生えてる植物の根っこだって食べられそうなのだ。

 むしろ贅沢といえるだろう。


 なんの期待もせず、適当に舐めたら飲み込もうと、アリエステルは考えていた。


 だが――。



「うまあああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!」



 絶叫した!!


 な、なんだ、この豊潤な甘みは!

 しかも香ばしく、舐めれば舐めるほど口の中で煙のように広がっていく。


 しっかりと野性味があるのに、上質な砂糖のようにとろける。


 小さな舌を何度も動かす。

 転がし、はたまた口内の隅に寄せて、じわりと甘味を感じてみた。


 だが、さっぱりわからない。


 果実とも違う。

 肉や野菜の甘みとも違う。


 アリエステルは古今東西、様々なものを食してきた。

 その舌に刻まれた味、食感は、千数種類にも及ぶ。

 しかし、そのどれとも合致しない。


 新種の甘みとでもいうべきか。


 味のことよりも、初めて体感する甘味に、アリエステルの意識は完全に回復した。


 ぐ~~。


 お腹はもっと寄越せという。

 アリエステルも同じ気持ちだった。

 もっと知りたい。

 もっともっとこの甘味のことを知りたい。


 13歳にして、食の大辞典ともういうべき少女は、堪らず尋ねた。


「い、一体この甘味の正体はなんなのだ!!?」


「ん? スライムだけど」



「す、スライムぅぅぅぅぅぅぅうううううう!!???」



 アリエステルの素っ頓狂な声が山野に響き渡るのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る