menu16 悪魔のお魚
アセルスにはディッシュの家以外にも行きつけがある。
ネココ亭といって、ネココ族の母子2人で切り盛りしている定食屋だ。
店主で料理人のノーラの料理は、ディッシュに負けない程のおいしさで、特に魚料理が絶品だった。
その秘密はなんといっても、ノーラのスキルだ。
スキル名は【魚料理】。
あらゆる魚料理を習得し、おいしくすることが出来るスキルだ。
魔獣討伐の後、仲間のフレーナとエリザと一緒にネココ亭に行くのが、いつものルーティーンだった。
「まったく……。頼むぜ、アセルス。魔獣討伐の最中に抜け出さないでくれよ」
「そうですよ~。心配したんですからぁ、ふわぁ……」
フレーナが口を尖らせる。
一方、心配と口にしながら、エリザは眠そうだ。
すでにうつらうつらとしている。
2人が言っているのは、先日の魔獣討伐のことだ。
山頂付近で魔獣を撃退した後、いきなり「ちょっと用事を思い出した」といって、アセルスが飛び出していったことを、咎めていた。
アセルスは困り顔だった。
さすがに「ディッシュを見つけたから飛んでいった」とは白状しにくい。
「す、すまん。……だから、ほら! こうしてネココ亭の料理をご馳走するといっているのではないか」
「ふーん。本当は別のところの料理を食べたかったんじゃないのか、アセルス」
「ふふふ……。アセルスが夢中になっているのはぁ、別の殿方のぉ――」
「だあああああ! うるさいうるさい! それ以上いうと、奢りを取り消すぞ」
慌てて眠そうなエリザの口を塞いだ。
【光速】の聖騎士の顔は真っ赤になっていた。
ともかく3人でネココ亭に向かう。
可愛い猫がスヤスヤと眠っている看板を目指した。
「あれ?」
アセルスは首を傾げる。
同時にフレイアも一緒にだ。エリザは立ったまま寝ていた。
ネココ亭のドアに『準備中』という札がかかっていた。
ちなみに営業時間は朝早くから夜遅くまで。
空は見れば、太陽はど真ん中にある。真っ昼間だ。
普段なら常連客が列をなしているのだが、店の周りは閑散としていた。
「おかしいなあ?」
アセルスは扉のノブを回す。
不用心なことに施錠はされていなかった。
思い切って店に入ってみる。
声をかけようとした瞬間、机の上に突っ伏すネココ族を見つけた。
「ニャリス……?」
声をかける。
耳をぴくぴくと動かすと、ネココ族の少女は顔を上げた。
黒毛と白毛が混じった髪がゆっくりと揺れる。
薄い紫色の瞳は赤く腫れ上がっていた。
彼女の名前はニャリス・ナーム。
ネココ亭の主人の娘であり、店の看板娘でもある。
いつも元気な声で出迎えてくれるはずの少女が、見たこともないほど憔悴しきっていた。
「アセルスさん?」
「ニャリス、どうした? 店を閉めているようだが」
周りを見渡すも、客はいない。
カウンターにはたくさんの惣菜が盛られた器が並んでいるのに、料理どころか皿も上がっていない。いつも店内に漂っている香ばしい魚の匂いも、なりを潜めていた。
1番気になるのは、店主のノーラがいないことだ。
「実は……」
ニャリスは涙ながらに語る。
ノーラは無理がたたって、風邪を引いてしまったらしい。
命に別状はないそうだが、しばらくは安静にしておかないとダメだと医者に釘を刺されたそうだ。
大事ではない、と聞いて、アセルスはホッと胸を撫で下ろす。
「しかし、ニャリス……。何故、そんな顔をしているのだ? しばらくすれば、ノーラは元気になって戻ってくるのだろう?」
「うん。でも、ママにいわれたんだ?」
あたしがいない間、ネココ亭を頼みますよ。
「――って。けれど、ニャリスは料理が出来ないにゃよ」
「そういうことか」
ニャリスはノーラと違って料理が苦手だ。
子供の頃から、看板娘として頑張ってきたのだが、料理はからっきしだったらしい。
すると、ニャリスはアセルスの手を掴んだ。
「なあ、アセルスぅ。誰か料理人を紹介してくれないかにゃ?」
「料理人を紹介って……」
「今のままだとママをがっかりさせちゃうにゃ! この通りだにゃ」
ニャリスは床に膝を突き、床に額が付くぐらい頭を下げた。
◆◇◆◇◆
「――というわけなんだが……」
アセルスは事情を話し終える。
その顔は真剣だった。
料理の後かたづけを終え、ディッシュは聖騎士に向き直る。
「何が“というわけ”なんだよ。飯粒つけながらする話か?」
アセルスの口元についた飯粒を取ると、自分の口に放り込んだ。
急に姫騎士の顔が真っ赤になる。
計らずともディッシュと目が合うと、光の速さで逸らした。
「だ、だから、その料理人をディッシュが引き受けてくれないかと相談しているのだ」
「俺が? 街の定食屋で料理をするのか?」
「ダメか? ノーラが元気になるまででいいんだ」
「でも、そのノーラっていう店主に頼まれたのは、その……」
「ニャリスだ」
「わりぃわりぃ。そのニャリ
「う……。確かに……」
アセルスは思わず喉を詰まらせた。
まさか料理以外のことで、ディッシュがここまで核心をついた返答をかえしてくるとは思わなかった。
彼の言うとおり、ニャリスはもうすぐ16歳になる。
ノーラとしても、そろそろ料理を覚えて、調理場を手伝ってほしいという気持ちもあるのかもしれない。
店を頼む、というのも、ノーラのエールなのだ。
「でも、まあ……面白そうだし。手伝ってもいいぜ」
「いいのか?」
「正直にいうと、今獲物が捕れなくて暇なんだ。街で料理するのも悪くないかなって思っただけだよ」
「ディッシュ、ありがとう!」
反射的にディッシュの手を取る。
すると、アセルスの顔はまた赤茄子みたいに赤くなった。
◆◇◆◇◆
「こちらがいっていたディッシュ・マックホーンだ」
アセルスはディッシュを紹介する。
動物の毛皮を纏ったワイルドな青年を、ニャリスは見つめた。
しばし呆然とした後、大きな黒目とかち合う。
慌てて頭を下げた。
「ニャリス・ノームにゃ。よろしく頼みますにゃ」
「うん。よろしく頼む。しかし、いい店だな」
ディッシュは定食屋の空気を吸い込んだ。
しばらく料理をしていないようだが、店に染みこんだ料理の香りはなかなか消せるものではない。
魚の焼いた匂い。
跳ねた油の匂い。
新鮮な魚の匂い。
ちゃんと店に染みついている。
ディッシュぐらいになると、匂いだけで料理人の腕がわかる。
ノーラは相当な腕前の持ち主なのだろう。
1度、食べてみたいものだ、と密かに思った。
「んで? とりあえず料理を作るけど、俺が作るのは1品だけだ」
「え? どういうことにゃ?」
「1品だけだったら覚えられるだろう?」
店に来て、ディッシュは確信した。
きっとノーラは色々なレパートリーを持っているのだろう。
それをいきなりニャリスにすべて教え込むのは難しい。
だから、ディッシュは一品だけに絞ることにした。
「でも、うちは定食屋にゃ。1品だけというのはちょっと……」
「大丈夫。1品だけでも、それがむちゃくちゃおいしかったら、他のメニューなんていらないだろ?」
「そんな料理あるかにゃ?」
「ある」
ディッシュは歯を見せ、子供のように笑った。
すると、先ほど魚河岸に行って、買ってきた食材を見せる。
桶一杯に入っていたのは、蛇のように尾の長い魚だった。
表面はぬめり、テカテカと光っている。
「ひゃあああああああ!!」
それを見た瞬間、ニャリスは飛び上がった。
もう2度と見たくないと走り出し、店の隅の方へと逃げる。
耳を押さえ、顔を伏せた。
「ど、どうしたのだ、ニャリス」
「あくまにゃ……」
「え?」
「悪魔の魚にゃ!!」
目に涙を溜めながら、ニャリスは喚き散らすのだった。
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