menu17 悪魔のお魚のお造り

 悪魔の魚――。


 恐れられている由縁その①。


『ぬるぬるしてて掴みにくい』


 試しにアセルスが掴んでみた。

 仮にも【光速】の聖騎士だ。

 幾多の魔獣を屠ってきた実績があり、どんな素早い魔獣のスピードにも付いていく自信がある。


 悪魔の魚などと大層ないわれようだが、所詮は魚。

 よく見れば、なかなかキュートな顔をしている。

 余裕綽々といった様子で、アセルスは桶一杯に入った悪魔の魚を掴んだ。


 つるつるん!


「のわあああああ!」


 掴んだ瞬間、あっという間に悪魔の魚はアセルスの手から逃れてしまった。


 アセルスも騎士である。

 1度や2度の失敗でくじけたりはしない。


「今度こそ!!」


 つるつるるるん!


 つんつるるん!


 つるっつるっ!


「なんなんだ、この魚は! もしかして、亡霊か! ゴーストなのか!」


「悪魔にゃ! 怖いにゃ!」


 結局、1度も捕まえることが出来ず、ニャリスと手を取り合い、怯えている。


 アセルスのいうように、あまりにも捕まえにくいことから、漁師の間では魚の亡霊といわれていた。また海獣リヴァイアサンとよく似た姿ゆえ、その御使いだと恐れるものもいる。


 女子2人が恐怖する中、見かねて、ディッシュが桶へと手を伸ばした。

 あっさりと悪魔の魚を捕まえてみせる。


「ディ、ディッシュ!」


「すごいにゃ!」


 2人は驚く。


 ニャリスはぞっとした顔でディッシュを見つめた。


「まさか……。ディッシュは悪魔の眷属かにゃ?」


「そんなわけないだろ? コツさえ掴めば誰だって出来るさ。ほら、こうして――人差し指と薬指の上に載せて、中指で挟むように掴むんだよ」


 2人は試しにやってみる。


「おお! 出来た!」


「すごいにゃ! 悪魔の魚を捕まえられたにゃ!」


「それが難しかったら、濡れた布巾の上から捕まえるんだ。そっちの方が簡単かもな」


 ディッシュは説明を付け足した。


 悪魔の魚――。


 恐れられている由縁その②。


『食べようとした人が手を切った』


 まるで呪いの剣とか鎧のような話だ。

 悪魔の魚を捕まえることが出来て、意気揚々としていたアセルスの顔色が、再び青くなる。


 だが、ディッシュは事も無げにいった。


「そりゃあ、悪魔の魚をしっかりと固定していなかったから、包丁かなんかで指を切ったんだろ」


「こんなにぬるぬるして動く悪魔の魚を、固定するのは難しいと思うが」


「なら俺がやってやるよ。台所を借りるぞ」


 ニャリスの許可を得て、ディッシュは台所の方に回る。

 1本悪魔の魚を捕まえると、俎上に載せた。

 未だに魚はうねうねと動いている。

 このしぶとい生命力も、悪魔といわれる由縁だ。


 どちらにしろ、こううねうねと動いては包丁を入れにくい。

 他の魚以上にぬめっていて、押さえておけないのだ。


 ディッシュは懐から竹串を出す。

 それを悪魔の魚の目よりも少し下の付近に狙いを定めると、手で打ち込んだ。


 ダンッ!


 大きな音が静かなネココ亭に響く。

 すると、まな板に縫いつけられるように悪魔の魚は固定された。

 暴れ方も小さくなったような気がする。


 そこから一気だ。


 手で軽く押さえながら、一息で腹を開く。

 内臓を取り出し、長い背骨を切り取った。

 現れたのは、ほのかな桜色をした純白の身だ。


「き、綺麗にゃ……」


 ニャリスはうっとりと眺める。

 その横で食いしん坊のアセルスは、腹を鳴らした。

 側にいるウォンも待ちきれないらしい。

 すでに涎をネココ亭の床にまき散らしていた。


「しょうがないヤツらだな」


 ここからさらに調理するつもりだったが、ディッシュは予定を変更する。


 包丁を入れ、一口サイズに切る。

 それを皿に浸した聖水にくぐらせた。

 若干、血に毒素があるからだ。


 そして綺麗にお皿に盛る。


 悪魔の魚のお造りが完成だ。


「おお……」


 アセルスは生唾を飲み込む。


 肉厚でぷりっぷりの身。

 脂も載っていて、差し込んだ西日を受けてキラキラと輝いていた。

 まるで真珠を並べたかのように綺麗だ。


 魚醤を付けて、2人と1匹は口に入れた。


「ぬほほほほほほほほほほほほほ!!」


「にゃおおおおおおおおおおおお!!」


「わおおおおおおおおおおおおお!!」


 2人と1匹は同時に叫んだ。


 なんだ、このもにゅもにゅとした食感は!

 見た目以上に、身が厚く感じる。

 噛むたびに魚の身が広がっていくようだ。


 さらには旨味。

 最初は淡泊かなと思う味も、咀嚼するたびに旨味がしみ出してくる。

 気が付けば、口内は魚の味に征服されていた。


 魚醤との相性も申し分ない。


 まさか悪魔の魚といわれるものが、こんなにおいしいとは思わなかった。


 ニャリスは軽いカルチャーショックを受ける。

 そこに感動が入り交じり、思わず目に涙を浮かべた。


 だが、ゼロスキルの料理人の真価はここからだ。


「おいおい。そんな在り来たりな食べ方で感動してもらったら困るな」


 ディッシュは笑う。

 あのいつもの子供のような無邪気な笑顔を浮かべた。


 彼は持ってきた荷物に手を突っ込む。

 取りだしたのは、植物の根茎……。


 ガタッ!


 物音を立てて反応したのは、アセルスだった。

 真っ赤な顔をしながら、馬鈴薯よりも小さな食材を見つめる。


「まさか……。それは――ショウガか!」


「さすが、アセルス! よく覚えていたな」


 忘れるはずがない。

 ディッシュの家で初めてご馳走になった薬味の1つだ。


 初めて見るニャリスは興味津々といった様子で近づいた。

 くんくんと匂いを嗅ぐ。

 ツーンとした匂いに、思わず顔をしかめた。


 あの時は千切りにしたが、今回はすり鉢ですりつぶす。

 粉々になったショウガを皿の横に添えた。


「ショウガと合わせて、もう1度食べてみな」


 言われるまま2人と1匹は口にする。


「くうぅぅぅぅううううううう!!」


「にゃにゃにゃにゃにゃあああ!!」


「うぉおおおおおおおおおおお!!」


 再びネココ亭に、三者三様の叫び声が響き渡った。


 味が全然違う。

 いや、先ほどよりも美味い気がする。


 ショウガが持つ爽快感がある味わい。

 それが、ややもっさりとした身に絶妙に合っていた。

 これならば魚の脂も気にならない。

 ベタッとした味も、ショウガの鼻につんとくる匂いと味のおかげで、いくらでも食べることが出来てしまう。


 気が付けば、皿は空になっていた。

 完食だ。


「はあああ……。美味かった……」


「満足にゃあ……。この料理なら商売繁盛間違いなしにゃ」


「うぉん!」


 満足した様子で、それぞれ自分のお腹をさする。


 しかし、1人満足していない男がいた。


 ディッシュである。


 にやり――と再び口角を上げた。


「ほう……。お前たち、もう満足しちまったのか?」


「え?」


「にゃ?」


「うぉん?」


「これからもっと美味しいものを作るんだがな」


 ディッシュはくるりと竹串を指の上で回すのだった。

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