menu14 ゼロスキルの川釣り

 暑い日だった。

 風はあるものの、とにかく日差しがきつい。

 こういう時、外には出たくないものだが、今日は食べるものがない。


 山は夏期を迎えている。

 山野は隅々まで青く染まっていた。


 夏は若々しいイメージがあるが、ディッシュはそうは思わない。

 山で生きる人間にとって、実は夏ほど過酷な時期はないからだ。

 まず実りがない。だから獣や魔獣も脂が薄く、味の質も落ちる。


 だから、ディッシュはウォンとともに川に来た。

 今はイーワスという小さな魚が旬を迎えている。

 彼らの産卵は秋期だ。そのエネルギーを蓄えるために、とにかく食べる。

 結果、脂が乗り、おいしくなるのだ。


 イーワスは塩焼にしてもいいし、煮てもおいしい。


 ディッシュが好むのは、刺身だ。

 この辺りの川は精霊が多く、穢れが少ない。

 生で食べても安心して食うことが出来る。


 魚醤を使うのが一般的だが、ディッシュは岩塩を使う。

 これがまたおいしい。

 魚本来が持つ甘みが一層引き立つ。


 こりこり……。こりこり……。


 食感を思いだす。


 ああ……。涎が溢れる。


 あの歯茎を優しく叩く感触。

 歯の上でころりと転がると、滲み出る旨味。


 焼き魚でも、煮魚でもダメだ。

 刺身でなければ、あの食感も旨味も感じることは出来ない。


 もう一工夫をくわえるなら、前に使った火袋の油を使うのもいい。


 油を少しだけ垂らして食べると、身の風味をより強く感じることが出来る。

 焼いた時と同じように香ばしく、箸が進むのだ。


 ふっくらと炊いたマダラゲ草の白い種実の上にのせて、魚醤と火袋の油を豪快にかけて食べるのも良いかもしれない。


 想像するだけで、お腹が空く。

 じゅるり、とディッシュはつばを飲んだ。


 だが、朝から釣り糸を垂らしているが、全くヒットしない。

 浮きはうんともすんとも言わず、虚しく糸が揺れている。

 出てくるのは、欠伸と涎だけだ。


 対して、ウォンは順調だった。


 川の中に入り、次々とイーワスを捕っていく。

 すでに岸にたくさんの魚が山となって積み上がっていた。


「すげぇなあ、ウォン」


「うぉん!」


 どうだ、と誇らしげに鼻を高々と掲げた。

 さすがは神獣だ。

 獲物を捕るということに関しては、ディッシュは太刀打ち出来ない。


 でも、せめて1匹ぐらいは自分で釣りたい。

 そう思い、ディッシュは竿を強く握る。


 願いが通じた。


 糸がピンと張ったのだ。


「来たぁ!」


 竿を引く。

 なかなかの力だ。

 でも、ディッシュは慌てない。

 強く引けば、糸が切れるかもしれないからだ。


 慎重に慎重を重ねて、魚が疲れるのを待つ。

 そしてようやくその時はやってきた。


「よし! ここだ!」


 思いっきり竿を引く。

 瞬間、夏の太陽の日差しを受け、打ち上がった魚の姿を見た。

 ヒレがキラキラと輝いている。


「イテテテテテテッッッッッッ!」


 突然、聞こえてきたのは人の声だった。


 ディッシュは目を丸くする。

 釣り針にかかっていたのは、手の平サイズほどの人だ。

 正確には、上半身が人間、下半身が魚の尾鰭のようになった人魚だった。


 それが頬の裏側に釣り針を引っかけ、悶えている。


「お、お主! 見てないで釣り針を取れ!」


 なんとも偉そうに指示を出す。

 ディッシュはため息を吐きながら、いわれた通りにした。


 料理人の手の平の上で、人魚は赤く腫れ上がった頬をさする。


 流れるような青い髪。

 色白の肌。胸を2枚の貝で隠しているが、ぺったんこだった。

 けれど、足のヒレはとても綺麗だ。

 エメラルドのようにキラキラと輝いている。


 その人魚は金色の瞳でディッシュを睨み付けた。

 すると、声は別方向から聞こえる。


「ディッシュ、何をやっているんだ?」


 立っていたのは、アセルスだった。

 魔獣討伐の最中だったらしい。

 暑いというのに、装備を纏い、やや血の匂いを漂わせていた。


「よう。アセルス。なんでこんなところにいるんだ?」


「え? あ、いや……。ちょっと通りかかったら、ディッシュの姿が見えたのでな。

声をかけた次第だ」


「ふーん。しかし、お前すごい汗だな。なんかめっちゃ走ってきたみたいな。暑いから水分補給はまめにした方がいいぞ」


「そ、そうだな」


 アセルスは道具袋から水筒を取り出す。

 赤くなった顔を冷ますため、頭からかけた。


 当然、ちょっと通りかかったというのは嘘だ。

 山頂付近で魔獣退治をしていたら、沢で釣りをするディッシュを見つけ、全速力で走ってきたのだ。


「我を差し置いて、話をするでない! ディッシュ!」


「わりぃわりぃ。ウィンデル……。でも、お前が悪いんだぞ。釣り針に引っかかる聖霊ヽヽがどこにいるんだよ」


「せーれい? うぃんでる?」


 名前を聞いて、呆然としたのはアセルスだった。

 急にふらりと身体がふらつき始める。

 1歩、2歩と下がった。


「ま、まさか! その小さな人魚……。水聖霊ウィンデル様なのか!!」


 アセルスはビシィ! と指を差す。


 ウィンデルは目を細めた。


「その通りじゃ。お主は【光速の聖騎士】アセルスじゃな」


「わ、私の名前を!」


「当然じゃ。我は水の聖霊ぞ。水場にいる人間の声はすべて聞いておる。むろん、お主の噂もな」


「ありがとうございます!」


 アセルスは思わず平伏した。

 聖霊は精霊よりも上位階層にいる存在だ。

 その力は天変地異すら起こせるという。

 ウィンデルが本気になれば、川の流れを逆にすることだって出来るだろう。


「し、しかし……ディッシュ。妙にウィンデル様と仲が良さそうだが……」


「昔からの知り合いなんだ、こいつ。アセルスと同じで、よくうちにも来るぞ。俺の料理が好きなんだ、こいつも」


「べべべべ、別に人間の作る料理など……。天界の食べものの方がよっぽどおいしいわい!」


 ウィンデルは諸手を挙げて、抗議する。

 だが、あまりにちっちゃいので迫力が全くなかった。

 逆にディッシュに頭を撫でられ、いじられていた。


 その後も、ぶつぶつと文句は垂れるものの、結局明確に否定することはなかった。

 なんだかんだと、ゼロスキルの料理に魅了されているらしい。


 神獣の次は、聖霊にまで。


(一体、ディッシュは何者なんだ!)


 頭によぎる疑問に、恐怖すら覚えてしまう。


「あ。そうだ、ウィンデル。また例のヤツを頼むよ」


「ほう……。ならわかってるな、ディッシュ」


「はいはい。わかってるよ。俺もちょうど食べたかったし」


「なんの話をしているのだ?」


 意味深げに喋る2人に、アセルスが割って入る。

 食いしん坊の聖騎士の勘に、何かが引っかかった。


 くるりとディッシュは向き直る。


「アセルスも食べたいか?」


「何を?」


「冷たいかき氷だ」


 ディッシュはにししと子供のように笑った。

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