menu13 竜蝙蝠の骨せんべい
キャリルに案内され、炊事場に行く。
予想していたよりも大きな場所だった。
大小様々な鍋。調味料がひと揃い入った棚。
まだ料理の匂いが残っているが、すでに綺麗に片づけられ、床の清掃まで終わっていた。
パッと見てわかるぐらい整理整頓が行き届いている。水場付近に立てかけられたまな板も、しっかり水分を拭き取られていた。
およそ10年ぶりに踏み込んだ人の炊事場を見ながら、ディッシュは珍しく感心していた。
「すげぇな。竈が4つもある。アセルスはそんなに大食らいなのか?」
「ち、違う! わ、わわわわたしは大食漢などでは……。で、でも、スキルを使うとお腹が空くので……。それにたたかいのあとは、とくに……」
どんどん、声が小さくなっていく。
最後には「はい。よく食べます」と白状した。
思えばディッシュの家でも、アセルスはよく食べる。
相当食いしん坊なのだろう。
見かねたキャリルが主人に助け舟を出す。
わざとらしく咳払いした。
「竈が多いのは、1度に違う種類の料理を作るのに便利だからです。アセルス様が大食らいというわけではありません」
「いずれにしろ。作りがいがあるってことだな」
2人の料理人のフォローに、シュンとなっていたアセルスは蘇った。
ディッシュは腕をまくる。
鍋を1つ借りると、手早く竈に火を付けた。
まるで自分の炊事場みたいに、ディッシュは身体を動かす。
キャリルはつい目で追い、その動きを観察してしまった。
「何を作るつもりですの?」
「骨せんべい……」
「ほねせんべい?」
アセルスは首を傾げる。
キャリルには思い当たることがあるらしい。
「小さな魚を骨ごとパリパリになるまで揚げた料理ですわ」
「パリパリ……」
アセルスはじゅるりとつばを飲んだ。
すでに味と食感を想像してしまったらしい。
【光速】のスキルをもつ聖騎士の得意技は、どうやら食に対する強いイメージのようだ。
「油をご用意しましょうか?」
「大丈夫。こっちで用意してきた」
ディッシュが出したのは、小さな袋だった。
よく見ると、それは動物の胃袋のようで、若干ぬめっている。
閉じていた紐を解き、鍋に入れた。
光沢のあるキラキラとした液体が、サーと沢の水のように流れた。
当然、キャリルも初めて見る食用油だ。
まだ火も通していないのに、サラサラで何より綺麗だった。
油に熱を入れる。
たちまち香ばしい匂いが立ちこめてきた。
これも嗅いだことのない匂いだ。
植物性とも動物性とも違う。
ともかく鼻の奥をつんと刺激する。
じゅるり……。
キャリルの横で、また主人がつばを飲んだ。
「ディッシュさん、これはなんの油ですか?」
「火袋の油さ」
「火袋の油!」
ドラゴンに代表されるような火を吐く魔獣には、たいていの場合燃料を精製する器官を持っている。
総じて「火袋」と呼ばれる中には、大量の油が入っているのだ。
「これはドラゴンバットっていう魔獣の火袋だ。量は少ないけど、良質で何よりこの香りがいいだろう」
「うむ! う、美味そうだ! 早く食べたいぞ」
「わ、わたくしも! この香り……。我慢できませんわ!」
「うぉん!!」
ふんわりとしていて、まるで麦畑の上にごろりと転がったような雄大な香り。
油の香りだけでお腹が一杯になりそうになる。
だが、皆の興味は火袋の油でどんな骨せんべいが出来るかということだ。
アセルスも、キャリルも、ウォンも固唾を呑んだ。
「小魚でも良かったんだが、今日はこれを使う」
広げたのはドラゴンバットの薄い翼だ。
大小様々な骨があり、肉身もある。
ディッシュはこの翼で骨せんべいを作るのだという。
一口サイズに切り、なるべく水気をとって、少々塩を降った。
そして豪快に熱の入った油に投入する。
じゅわじゅわじゅわじゅわわわわわわわわわ……。
突然、始まった油のスタンディングオベーション。
跳ねた油が粒子となって、炊事場に広がり、一層香りを引き立てた。
横でまだかまだかと、瞳を輝かせるギャラリーを尻目に、ディッシュは鼻歌混じりに料理を続ける。
「そろそろかな……」
余計な油を切り、皿に上げる。
現れたのは、飴色をしたドラゴンバットの翼だった。
強い油の匂いを感じる。
混じった空気を深く胃の中に吸い込むと、胎児のように内臓たちが激しく反応した。
テーブルまで待てない。
2人と1匹は手と口を伸ばした。
出来たて熱々。
それでも構わず口の中に運ぶ。
パリッ……。
パリパリ……。
パリ……。
パリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリパリ……。
「やめられない!!」
「とまらないですわ!!」
「うぉん!!」
まず食感が最高だ!
一口食べるたびに、口の中で反響する乾いた音。
確かに噛み砕いたとわかる絶妙な感触も良い。
骨の周りについた薄い肉身もジューシーだ。
わずかに辛みがあり、味に1つのアクセントを与えていた。
さらに油の中にある塩気のようなものがいい。
淡泊だが、しっかり味を感じることが出来る。
それが余計に
もっともっと味を感じたくて、ついつい手を伸ばし、また食べてしまう。
奥深い香りのおかげで全く飽きが来ない。
キャリルは1枚の骨せんべいを見ながら、呟く。
「すごい……。すごいですわ、ディッシュさん」
「うん?」
「わたくしには、火袋の油を使うなんて発想はありませんでした」
「大層なことじゃねぇよ。油がなかったから、魔獣から拝借した。俺には最初から何もなかったからな。だから、手に入れた。食材も、料理も……」
「脱帽ですわ。あなたの料理に対する探求心には」
キャリルはまた骨せんべいをくわえる。
横で夢中になって食べている主を見ながら、少し目を伏せた。
(ディッシュさんなら、アセルス様を――)
ひっそりとキャリルはゼロスキルの料理人を認めるのだった。
なら、自分に何が出来るのだろう――つと考える。
「キャリル!」
「は、はい!」
「麦酒はないか?」
「え? 裏にまだ残ってると思いますが」
「なら、持ってきてくれないか? きっと骨せんべいと合うと思う」
主のいうとおりだ。
この淡泊な塩気と肉の辛みは、麦酒の苦みはよく合うだろう。
「あとお前が作ったチーズも一緒に食べたい!」
「え?」
「ん? ないのか?」
キャリルの瞳が輝く。
チーズは、アセルスが好きな食材の1つだ。
そのためキャリルは1年かけて研究し、彼女好みの自家製チーズを作り上げた。
時々、晩酌する時に出して、主人を喜ばせている。
「お! チーズか。俺も食べたいなあ」
「キャリルの自家製チーズも絶品だぞ、ディッシュ」
「じゃあ、俺ももらっていいか?」
ディッシュは尋ねるが、キャリルは呆然と立ちすくんでいた。
心配したディッシュが、犬獣人のメイドの顔をのぞき込む。
「……キャリル? どうした?」
「は、はい! 今、お出しします」
キャリルはピンと尻尾を立てた。
慌てて取りに炊事場を出る。
ちゃんと自分のやるべきことを見つけた。
自分には自分の料理がある。
「いつか! いつかぎゃふんといわせてあげますわ!」
キャリルはうれし泣きと悔し泣きが混じった涙を払うのだった。
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