menu7 素早さの豆のミソ
スピッドの豆はとても貴重だ。
食べるだけで、敏捷性が上昇する魔法の種。
ごく限られた場所でしか発見できず、栽培方法なども全くわかっていない。
そんな豆が、今アセルスの前にある。
甕一杯に詰まっていた。
「これを茹でた後に磨りつぶして、後は発酵させるとミソが出来上がるんだ」
ディッシュは説明する。
だが、アセルスの耳には全く入っていなかった。
聞きたいのは、そういうことではないのだ。
「でぃ、でぃでぃでぃディッシュ! こここここんなにたくさんの豆どこに?」
手も口も震える。
掴んだ甕がちゃぷちゃぷと揺れ、水面に映った聖騎士の顔が歪んだ。
ディッシュは首を傾げる。
あっちと指をさした。
「裏の畑に一杯あるぞ」
「はあぁぁぁぁぁあああ?????」
早速、大樹の裏側へ行く。
そこは山の中にあって、幾分開けていた。
遮る物もなく、陽光が当たっている。
その場所にディッシュの畑があった。
きちんとした畝に、背の低い青葉が生い茂っている。
そこには殻に詰まった豆が垂れ下がっていた。
「こ、これ? 全部スピッドの豆なのか?」
「ああ。そうだ。他にも畑はあるけど、ここはスピッドだけだな」
一体、これだけで何個の種があるのだろうか。
軽く1000粒――いや、5000粒ぐらいなら優にあるかもしれない。
当然のことながら、希少な豆ゆえ、その取引額は高い。
1粒でも、属性効果が付与された魔法剣の1本なら買える値段だ。
つまり、ここにあるものを売れば、家はもちろん、貴族の屋敷程度なら即金で買えてしまうかもしれない。
普段忙しすぎて、金を余らしてしまうほどのお金に執着のないアセルスも、さすがに生唾を飲み込んでしまった。
すぐに雑念を払う。
金のことよりも、これほどのスピッドの豆があれば、冒険者の身体能力向上に繋がるかもしれない。
皆が【光速】のアセルスのようになれば、より多く魔獣を討伐できるだろう。
ひとまず冷静になる。
まず気になるのが、スピッドの豆の栽培方法だ。
スピッドの豆は人工的に増やすことが出来る。
例えば、スキル【複写】【増殖】などと使えば、容易に増やすことが可能だ。
またスピッドの豆も、他の植物と同じく魔力を栄養源にしているため、魔導士が延々と魔力を込めることによって、成長させることが出来る。
だが、どれも量産に向かない方法ばかり。
スキルの限度は限られているし、貴重なスキル持ちしか出来ない。
魔力を込めるのも、かなり強大な魔力が必要となるため現実的とはいえない。
こんなに大量に栽培できているのは、アセルスが知る限り、ディッシュ以外にいなかった。
「そりゃ普通に栽培してたら無理だろうな」
ディッシュは手で軽く土を掬った。
土の中に何かが入っている。骨を細かく砕いたようなものだ。
「魔獣の骨を細かく砕いたものだ。これを土に混ぜてる」
「魔獣の骨……!」
「魔獣の骨には魔力の残滓が残ってる。それを使って、育ててるのさ」
昔、ディッシュが山で彷徨っていた時に、魔獣の死体にスピッドの豆がなっているのを見つけて、この方法を思いついたのだという。
「すごい! すごいぞ、ディッシュ!」
アセルスは思わずディッシュの手を握る。
ぶんぶんと振り回し、挙げ句その場で踊り始めた。
やがて、自分の醜態に気付く。
顔を真っ赤にしながら、手を離した。
気を取り直す。
「是非! その栽培方法を皆に教えてやってくれ」
「え~。めんどくせぇなあ」
「頼む、この通りだ」
アセルスはディッシュに向かって合掌し、頭を下げる。
「そこまでいうなら、仕方ねぇなあ」
「やった!」
アセルスは飛び上がった。
豆を作ることが出来れば、ミソも作る事も出来る。
市場にミソが出れば……。
(あれ? 市場にミソが出回れば……)
屋敷でミソを食える。
↓
ディッシュの家に来る理由がなくなる。
↓
ディッシュに会えなくなる。
「だめだ!」
「え? 何がダメなんだ?」
「それはダメぇ! やっぱ豆の栽培を教えたらダメだ。いいな、ディッシュ」
「お、おう……」
がっちりと姫騎士に肩を掴まれたディッシュは頷くしかなかった。
そのアセルスは話題を変える。
「ところで、ディッシュがずっとスピッドの豆を使ったミソを食べているなら、さぞかし自身の身体能力は高いのではないか?」
少なくとも敏捷性が高いだろう。
どれくらいの時期から食べ始めたのか知らないが、もしかしたら【光速】のアセルスに匹敵するぐらい速いかもしれない。
そもそも彼は普段から野山をかけずり回っているのだ。
足腰は絶対に強いはず。
だが、意外にもディッシュは首を振った。
「それがな。全然なんだ?」
「なんで?」
「ミソにはもう一種類あってだな」
「ミソに種類があるのか」
「そっちはデロイの豆を使ってる」
「デロイの豆!!」
スピッドの豆と似ているのだが、効果は全く逆。
つまり、食べると敏捷性が落ちるのが、デロイの豆だ。
身体能力が落ちる食物のことを、俗に「はずれ豆」といったりする。
デロイの豆はその一種だった。
「食べてみるか?」
「え?」
さすがにアセルスは迷った。
デロイの豆で出来たミソ。
興味はあるが、折角増えた敏捷性が下がってしまうことになる。
けれど、アセルスは結局ディッシュにいわれるまま、家の方へと戻ってきた。
デロイの豆で作ったミソ汁を差し出される。
「赤い……」
そう。
スピッドの豆のミソは、白っぽいのだが、こっちは赤い。
だが、スピッドのものよりも香りが強く、先ほどあれだけミソ汁を食べたのに、またお腹が抗議の声を上げた。
ずずっ……。
一口すする。
「はうぅぅぅぅぅうううう……」
おいしい。
先ほどよりもコクがあって、舌触りもまろやかだ。
具も、先ほどよりも強く味が染みこんでいるような気がする。
うまい。
はっきりいって、スピッドの豆のものより、こっちの方が好みかもしれない。
「うまいだろ?」
「うまい!」
「だろだろ?」
ディッシュの顔がほころぶ。
だが、アセルスの胸中は複雑だった。
これがデロイの豆なら、自分の身体能力は今この時も、どんどん下がっていっていることになる。
けれど、やめられないとまらない!
いくらでも食べてしまう。
「おかわり!」
結局、アセルスは3杯も食べてしまった。
◇◇◇◇◇
ある日の戦闘。
アセルスは今日も剣を振るい、【光速】のスキルで魔獣の群の奥まで斬り進んでいた。
いつも通りに思えたが、仲間たちが彼女の中にある変化に気付く。
「ねぇ~。フレーナぁ」
「なんだよ、こっちは後方とは違って忙しいんだよ、エリザ」
「なんだかぁ、今日のアセルスってぇ、この前より遅くないですか~」
「そうか? うーん、今日は力をセーブしてるとか?」
「ふーん。そうでしょうかぁ」
エリザは首を傾げる。
その横でフレーナは炎がついた戦斧を振り回した。
「格好いいじゃねぇか! あいつにとって、この程度の魔獣。100の力も使う必要がないってことだ」
もちろん、2人は勘違いしている。
アセルスの身体能力は、デロイ豆のミソの食べ過ぎて、能力値が元に戻っていた。
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