menu6 おミソの秘密

 山鳥の声に、ディッシュは目を覚ました。

 ベッドの上で大きく伸びをする。

 まだ寝足りないらしい。ふわっと欠伸が出てきた。


 柄杓で甕の水を掬い、一口すする。

 軽く手を洗い、そして拭った。

 手早く竈に火を入れると、煙がぽっぽっぽっと噴き上がる。

 火が大きくなるのを待つ間、ディッシュは入口を出た。


 もう1度大きく伸び。

 山の朝の空気を胸一杯に吸い込む。

 煙突から煙が見えると、中へ入り、朝食の準備を始めた。


 家の中へ戻りかけた時、ディッシュはつと足を止める。

 ドタドタと慌ただしい音が、街の方向から聞こえてきた。


 やがて、それは光となって輝く。

 金髪を翻し、繁みの奥から現れたのは【光速】の聖騎士だった。


 タッと軽やかな音を立て、ディッシュの家の前に降り立つ。

 決まったかと思ったが、騎士は勢い余って倒れそうになった。

 それを寸前でディッシュが受け止める。

 だが、勢いは殺せず、そのまま2人は家の前に倒れた。


「す、すまん、ディッシュ。少しはしゃぎすぎた。怪我はないか?」


「重い……」


「な――! そ、そんなに私は重いだろうか。いや、それでも女の子に『重い』は禁句だぞ」


「とりあえず、どいてくれないか」


「わわ……。すまん!」


 顔を真っ赤にしていたのはアセルスだった。

 慌ててディッシュから離れる。

 今まで、男を押し倒していた破廉恥な自分に気付き、ますます顔を赤らめた。


 ディッシュはガリガリと寝癖が残る頭を掻く。

 ぼんやりとまだ眠気が覚めない目を向けた。


「朝っぱらからなんなんだ? えっと……。あ、あ、アザゼル?」


「ア・セ・ル・ス・だ! そんな異界の悪魔みたいな名前ではない! いい加減、覚えてくれ!」


「わりぃわりぃ。人の名前を覚えるのは苦手でよ」


 騒ぎを聞きつけ、ウォンもやってくる。

 大丈夫か、という風に、ディッシュの頬を舐めた。


「おはよう、ウォン」


「うぉん!」


 元気な声が返ってくる。

 おでこの当たりを丁寧に撫でてやると、甘えた声を上げた。

 神獣はすっかりゼロスキルの男に懐いている。


「それよりも、アセルス。朝早いな。どうしたんだ?」


「そう! そうなのだ! 私は速くヽヽなったのだ!」


「お前は元から十分速いだろ」


「違う。これを見てくれ!」


 掲げたのは、ギルドの受付嬢フォンに鑑定してもらったステータス通知表だった。


 名前、年齢、スキル名、スキルレベル、さらに身長や体重などが書かれている。


「お前、体重ちょっと重くないか? 最近、うちによく来て、ばかばか食ってるもんな」


「うわああああああ!! それを言わないで!」


 実際、その通知表を見て、一番ショックだったのは体重だった。

 ディッシュと会う前と後で、かなり――いや、ちょびっとだけ増えていたのだ。


 最近、アセルスはクエストがない時は、毎日のように屋敷から山奥にあるディッシュの家まで通っている。

 普通の人間なら2日の距離だが、彼女ならその時間を20分の1にまで短縮することが出来る。

 今日も、陽が昇らぬ未明に出発し、ここにやってきた。


「それよりも、もっと下を見ろ」


「下?」


 ディッシュの目線が指示通り、渡された通知の下へと向かう。

 下部には主に「力」や「魔力」といった身体の潜在数値が並んでいた。


 そこには一際、目を引く項目がある。


「敏捷性が999!!」


 思わず叫んでしまった。


 数値の上限は999といわれている。

 つまり、アセルスの素早さは上限一杯になっていることを示していた。


「な? な? 凄いだろ?」


「ああ。凄いな、お前。こんな数値初めてみたぞ」


「しかし、よくわからんのだ。スキルレベルも上がっていないのに、何故こんな数値が出たのか。ギルド職員フォンに何度も鑑定してもらったのだが、どうやら間違いはないらしい」


 【光速】というスキルを持つ彼女は、元々高い【敏捷性】を持っている。

 だとしても、上限一杯ということはなかった。

 アセルスの言う通り、スキルレベルは、ここ1年以上上昇していないし、何か特別なアイテムを使用したというわけでもなかった。


 すると、ディッシュはようやく腰を上げる。


「なんだ? そんなことか……」


「そんなことって……。ディッシュは原因を知っているのか」


「ああ。わかるぞ。とりあえず中へ入れ」


「な、なな中へ……?」


 アセルスは急にしどろもどろになる。

 ここ数日、何度も通っていて、すでにディッシュの家の中へ入るみそぎは済ませていた。

 けれど、いざ「入れ」といわれると、戸惑ってしまう。


「おいしいミソ汁を作ってやるよ」


「ミソ汁!」


 アセルスの目の色が変わる。

 ここへ通うようになってから、すっかり「ミソ」の虜になっていた。

 豆を潰して発酵させただけなのに、何故あのような旨味と甘みがあるのか。

 アセルスの能力値が急上昇したことよりも、謎だった。


「じゃ、じゃあ……。お邪魔します」


 アセルスはまた1つ大人の階段を昇っていくのだった。



 ◇◇◇◇◇



 アセルスは、落ち着かない様子だった。

 ディッシュおとこの家というのもあるのだが、部屋の中には所狭しと、瓶や甕に入った食材が置かれている。

 そのほとんどが保存食や、ディッシュが作った調味料だ。


 それが一体どんなものかわからないアセルスには、すべて食べ物に見えてしまい、何度も生唾を飲み込んだ。


 2脚ある椅子の1つにちょこんと座り、ミソ汁が出来るのを待つ。

 元々は1脚しかなかったのだが、アセルスが家に通うようになって、ディッシュが作ってくれたらしい。

 太い枝で組み上げた椅子はなかなか頑丈に出来ている。

 料理だけではなく、ディッシュは大工仕事もこなせるようだ。


 しばらくしていい匂いが漂ってくる。

 ミソの匂いだ。そこに肉と野菜の香りが混じった。


「お待たせ」


 湯気ののぼる椀が運ばれ、テーブルに置かれる。

 改めてミソの良い香りが、鼻を直撃する。

 さらに椀の中には、一口サイズに切った肉。根野菜や芋が入っていて、なかなか鮮やかな色をしていた。


 色彩と香りだけでお腹が一杯になる。

 だが、それは許さないと、アセルスの腹が鳴った。


 熱々の椀を握り、まずはミソをすする。

 控えめな音が、家内に響いた。


「ほわぁぁぁぁぁぁ~~」


 ぽぅ、と熱くなる。

 一瞬にして椀の中にある汁が、全身を温めた。

 身体が喜び、腹がとろけていっているのがわかる。


 次に肉だ。

 少し硬い。そういう部位なのだろう。

 でも、しっかりと噛むと肉の旨味を感じる。

 初め口にした時に硬いと思ったが、奥歯で潰すとふっと絡まった糸がほつれるように、味が広がっていく。


 根野菜、芋という順番で箸を運んだ。


 どれもおいしい。

 ミソとの相性もよく、しっかりと味が染みこんでいた。

 野菜本来の甘味と、ミソの塩気が絶妙に絡み合う。


 タタタッターン……。タタタッターン……。


 ああ、4重奏が聞こえる。

 ミソ、肉、根野菜、芋が手を取り合い、口の中でワルツが聞こえるようだ。


「うまい……」


 【光速】の聖騎士の瞳は、半熟の玉子のようにトロトロだった。


 気が付いた時には、椀が空になっていた。


 身も心も満足したアセルスは、思わず唇に残ったミソをぺろりと舌で舐め取った。

 はしたない行動に思わず顔を赤らめる。

 ディッシュが見ていたのではないかと、そっと目線を向けると、彼は背を向け、棚の奥にしまっていた甕を取りだした。


「何をしてるんだ?」


「アセルスは、自分の能力値が上がったことを知りたいんだろ?」


「ああ。まあ、そうだが……」


「その証拠を見せてやろうと思ってな」


 甕の蓋を開ける。

 そこには水に浸かった豆がぎっしりと詰まっていた。


「この豆はな。スピッドって豆なんだ」


「――――ッ!!」


 アセルスの顔が固まる。


 当然だ。

 動植物に特別詳しくないアセルスでも知っている有名な豆だ。


 スピッドの豆。

 別名「素早さの豆」だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る