menu4 ブライムベアの〇〇煮

 アセルスは冷えて固まった飴を割る。

 一口サイズにすると、再び舌の上で転がした。

 上品な甘味が口の中に広がっていく。

 溶けた飴のように頬が緩んでいった。


 しかし、如何に飴が美味しかろうと、空腹を埋めるほどインパクトはない。

 定期的にアセルスの腹は、抗議の声を上げていた。


 青い瞳は、ブライムベアを捌くディッシュに向く。

 解体は大方終わっていた。

 ヨーグの大葉の上には、赤備えの鎧のような肉の身が置かれている。


 どれもこれも、赤い宝石のようだ。

 舌の中で飴を転がしながら、さらなる唾が溢れてくる。


「ディッシュ殿……」


「ディッシュでいいぞ。堅苦しいのは嫌いなんだ」


「で、では、私のこともアセルスと呼んでくれ。ところで、この肉も以前のように調理するのか?」


「ああ……。蒸し焼きか。今日は無理かな」


「え? どうして!?」


「お前、蒸し焼きが食べたかったのか?」


 アセルスは何度も頷いた。

 ディッシュは魔獣の血で汚れた手を、肩にかけた毛皮で拭う。

 そしてちょっと困った顔を浮かべた。


「今日はダメだ。この辺りにはテールがないからな」


「竹が必要なのか?」


「ああ。竹にはな。蒸し焼きにするには、ちょうどいい水分が含まれているんだ」


「竹に水分? あんなにカラカラなのにか?」


「竹も植物だぞ。地面の水を吸い上げて生きてる」


 ほう、とアセルスは唸った。

 知らなかった。

 そもそも植物が地面から水を吸い上げていることも、今初めて知った。


 冒険者でありながら、貴族である彼女には、教養を求められることがある。

 だから難しい書物にも一通り目を通していた。

 けれど、植物が地面から水を吸い上げているなんて初めて聞いた。


「植物も人間と同じだ。水をあげれば、とっても喜ぶんだぞ」


「私が読んだ本には、魔力がいいと聞いたが」


 そのために【植物士】という職業があるぐらい、一般的な知識としてルーンルッドに浸透している。

 農作業は、魔力を扱うスキルがなければ、成り立たないのだ。


「確かに魔力も栄養になるぞ。でも、山の草木はどうだ? 樹木の1本1本に人間が魔力を送ってるのか?」


「確かに、その通りだが……」


 自然に生える野草は、魔獣が持つ魔力を吸って生きていると考えられていた。

 だから、山は不浄な場所として考えられている。

 そのため一般的に、冒険者以外の人間が立ち入ることはない。

 ディッシュは例外中の例外だ。


「植物は、十分な水分さえ与えれば、大きく育つんだよ」


 聞けば聞くほど、知らないことだらけだ。

 さしずめこの山は、ディッシュにとって知識の宝庫なのだろう。


「うぉん!」


 ウォンが吠えた。

 鼻をひくつかせている先は、ブライムベアの肉身だ。

 神獣も早く食べたいらしい。


「どうやら、あんた以外にも食いしん坊がいるみたいだ。どうだ? 俺の家に来るか?」


「ディッシュの家に……」


 姫騎士の顔がほんわりと赤くなる。

 太股でしなを作り、何故かモジモジしはじめた。


 さすがに淑女が1人で男の家に行くというのは、抵抗がある。


 答えを躊躇うアセルスだが、次の一言で撃墜された。


「うまい飯を食わせてやるよ」



 ◇◇◇◇◇



 ディッシュの家は、さらに山奥にあった。

 人が分け入らないであろう奥地には、巨人が手をついたように根を生やした大木が立っている。

【長老】とディッシュが呼んでいる木には、何故か魔獣が寄りつかない。

 料理ぐらいしか取り柄のない人間には、絶好の場所だった。


 その住み処は【長老】の幹にできた空洞の中にある。

 扉があり、しっかり屋根までついていた。

 しかし、雨滴は漏れてくるし、寒期になると隙間風が寒いのだと、ディッシュは不満を漏らす。


 家に到着しても、アセルスはなかなか入ろうとしなかった。

 入口で立ち止まり、またモジモジしている。


「どうした、アセルス。入ってこいよ」


「いや、その……。他に、人は?」


「俺の1人暮らしだ」


 軽く中を覗いたが人の気配はない。

 それにいつの間にかウォンの姿も消えていた。

 彼にも住み処があって、一時的に戻っているらしい。

 料理の匂いが嗅ぎつければ、自ずとやってくるのだ、とディッシュは説明した。


 ディッシュと2人。

 つまりは、男と2人っきり。


 アセルスはぽふっと顔を赤くする。

 ますますモジモジし始めた。


 まだ未婚の女が、男の家に上がり込むなど、まるで逢い引きのようだ。


 アセルスのちょっと時代遅れの貞操観念が、踏み込むのを躊躇わせる。


「仕方ねぇなあ。外で食うか」


「い、いいのか?」


「天気もいいしな。その代わり、鍋とか出すの手伝えよ」


「あ、ああ……! もちろんだ!」


 目を輝かせるアセルスだったが、ディッシュの家の中を見られなくて、ちょっぴり残念だった。


【長老】のお膝元で、ディッシュは調理を始める。

 あっという間に即席の竈をくみ上げると、気がついた時には薄い煙が立ち上っていた。


 先ほどのブライムベアの肉を一口サイズにカットする。

 見ているだけで生唾が出てきた。

 魔獣の肉とは思えないほど、プリプリしている。


「あ、あの……。手伝おうか?」


「アセルスは料理ができるのか?」


「切ることなら得意だ」


 といっても、彼女が切ったことがあるのは、魔獣だけだ。

 切るというよりは、斬るヽヽだった。


「まあ、座ってろよ。アセルスはお客さんなんだから」


「う、うむ。なら、お言葉に甘えよう」


 ディッシュは水を張った鍋に、肉を入れる。

 火をかけ、煮立ち始めると、浮かんできた灰汁を掬い始めた。


 いくら料理に疎い、アセルスでも灰汁取りの意味はわかる。

 肉から出る“けがれ”だ。


「聖水で清めないのか?」


「うん? ……そうか。あんたたちは灰汁を取る際、【浄化】するんだったな?」


 灰汁を取る際、【浄化】のスキルを使って取るのが一般的だ。

 スキルを保有していないものは聖水で清めてから調理する。


「あれはダメだ。刺激が強すぎる。灰汁以外の旨味まで消しちまう」


「美味しくなくなるということか? だが、それでは臭みが抜けないだろう」


「だから、これを使うんだよ」


 取り出したのは、植物の根茎だ。

 馬鈴薯に似ているが、一回り小さく、さらにゴツゴツしている。


 それを千切りにした。

 ディッシュは1本摘み、アセルスに差し出す。


「食べてみるか?」


 恐る恐る口にする。

 すると、ツーンとした独特の辛みが舌を直撃する。

 涙が滲んだ。けれど、うまくないわけではない。

 喉の辺りがスッキリとして、噛めば噛むほど甘みが滲み出てくる。


「この辺りに生えてる植物の根だ。俺はショウガって呼んでる。煎じて飲むと、身体が温まるぞ」


 確かに、身体がポカポカしてきた。


「浄化作用があってな。肉の臭みとかを消すには、もってこいなんだ」


 説明すると、ディッシュもパクリと摘まんだ。


 ショウガを鍋に投入する。

 鍋の中の水が少なくなってきた頃合いをみて、またディッシュは動いた。

 家から持ってきた瓶の蓋を開ける。

 出てきたのは、ペースト状の茶色い物体……。

 アセルスは思わず立ち上がった。


「でぃ、でぃ、ディッシュ! その物体はもしや――」


「お前、ミソを知ってるのか?」


「み、ミソ?」


「ああ。これはな。煮た豆を潰して、発酵させたもんなんだよ」


「豆を発酵!」


 酒にはそういった種類のものがあるのを聞いた事がある。

 だが、さすがに豆を発酵させるという話は初めて聞いた。


 見た目が悪すぎる。

 どう見ても、あれヽヽにしか見えない。

 食べてみるか、とディッシュは勧めるのだが、アセルスは首を振る。

 匂いは悪くないのだが、やはり見た目に抵抗がある。


 ディッシュはそのミソをあろうことか、鍋の中へ大量に投入していく。

 さらに先ほど作ったスライム飴を加えた。

 砂糖の代わりになるという。


 水気が無くなるまで煮込むと、鍋から取り出した。


「ブライムベアのミソ煮のできあがりだ」


 柔らかくぷりぷりとした肉が皿に並ぶ。

 香りもいい。

 あのショウガとミソの匂いが、つんと鼻腔を刺激する。

 ディッシュの言うとおり、臭みは皆無に近い。


 あとは味だ。


 やはり肉にかかったミソには抵抗がある。


 肉が載った皿。そして一般人には馴染みの深い箸を渡されても、アセルスの食指は動かなかった。


 ウォンは慣れているのだろう。

 皿に載った肉を牙に引っかけるように摘まみ上げ、咀嚼した。

 「うぉぉんん」と神獣とは思えないほどの甘えた声を上げる。

 毛も極上の羊毛のように柔らかくなった。

 ディッシュは狙ったかのようにモフり出す。

 ミソ煮を食べながら、モフモフの毛を触った。

 今にも溶けて消えてしまいそうなほど、顔を緩める。


 よっぽど美味しいものなのだろう。


 アセルスは腹をくくった。


 パクリ……。


 肉の切れ端を一口入れる。


「うううぅぅぅぅぅまあああぁぁぁぁぁぁぁぁああい!!!!」


 思わず絶叫した。

 山野にこだますと、びっくりした野鳥が一斉に飛び出つ。

 それほどのオーバーアクションだった。


 うまい……。うまい! ……うまい!!


 ああ……もう――ともかく、うまいしかいえない。


 長い時間、コトコトと煮込まれた肉の柔らかさが素晴らしい。

 ちょっと歯に力を入れただけで、ほろりと溶けていく。

 そこから肉本来の旨味がじわりと浸透し、舌を直打した。


 あのショウガの辛みも効いている。

 肉の臭みをうまく消すどころか、肉のもやっとした後味を爽やかに感じさせてくれていた。


 そしてミソだ。


 甘く、程よい塩気が最高だった。

 肉の旨味と絡まって、相乗効果を生んでいる。

 味の層が幾重にも重なり、噛むごとに色々な味の姿を舌にもたらせてくれた。


 おそらくこれ以上の肉の相棒はいないだろう。

 むしろ肉と絡めるために生まれてきたような調味料だった。


 気づけば、アセルスの皿の上から肉が消えていた。


「お、おかわりをいただけるだろうか?」


「食うの早いな、アセルスは。よく噛まないとダメだぞ」


「……す、すまない」


 だが、アセルスは止まらない。

 空腹という最高のスパイスが、彼女の食い気を刺激する。

 結局、鍋の底についたミソがなくなるまで、アセルスは皿と箸を手放さなかった。


 触れることさえ困難な【光速】の聖騎士は、ゼロスキルの料理人に胃袋を掴まれていた。

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