menu3 神狼フェンリル

 アセルスはお気に入りの銀食器を皿の脇に置いた。

 深くため息を吐く。

 皿の上には、大きな肉料理がでんと載っていたが、半分以上残っていた。


「アセルス様? わたくしの料理、おいしくなかったですか?」


 心配そうに【光速】の聖騎士を見つめたのは、獣人の少女だった。

 濃いブラウンの髪。

 そこから飛び出た犬の耳は、若干下を向いている。

 黒のワンピースに、真っ白なエプロンを着て、胸にトレーを抱いていた。


 彼女の名前はキャリル。

 アセルスの屋敷に住み込むメイドだ。

 

 くりくりとした丸い目を細め、主を心配そうに見つめている。

 短めのスカートからは、大きな尻尾を力なく垂らしていた。


「いや、すまない。そういうわけではないのだ」


 アセルスは首を振る。

 慌てて銀食器を握り直すと、ナイフで肉を切り、フォークで口に運ぶ。

 口の中で脂の甘味が広がる。

 塩胡椒の加減もよく、臭みもない。


 キャリルは料理がうまい。


 この辺りで手に入る一番美味しい牛肉を調達し、主の好みに合わせて、最高の状態で調理している。

 しかも、みるみる疲れた身体が回復していく。

 キャリルのスキルは【調合】。

 料理の中に、滋養強壮を促す薬などを調味料とうまく調合させ、主の身体を気遣っている。


 見た目も可愛い獣人の家臣に、アセルスは全幅の信頼を寄せていた。


 だが、気がつけば食器を持つ手が止まる。

 また息を吐きそうになって、慌てて止めた。

 脳裏に浮かぶのは山で食べた魔獣の肉だ。


 アセルスは森であった青年に食べさせてもらった肉が忘れられないでいた。


 芳醇な香り。

 ぷりぷりとした歯応え。

 噛む度に滲み出る肉の甘味。

 思い出すだけで、口の中に涎が溢れてくる。


 食べたい……。

 またあの肉を。

 あの料理を。


 キャリルのご飯を食べながら、彼女の脳裏は、魔獣の肉一色だった。


 いつもの倍ぐらいかかって、ようやく食べ終わる。

 口元を丁寧に拭うと、アセルスは立ち上がって、決意を固めた。


(行こう! 明日、山に! あの青年に会いに!)



 ◇◇◇◇◇



 しかし、山に入ったところですぐに青年が見つかるわけではない。


 そもそもどこに住み、どんな生活をしているか全く知らなかった。

 こんなことなら探査系のスキルを持つ冒険者を連れてくれば良かったと思ったが、もう遅い。すでにアセルスはかなり山の奥深くまで進んでいた。


「ぐおおおおおおおお……」


 という音は魔獣の咆吼などではない。

 アセルスの腹の音だ。

 空腹の方がより美味しいに違いないと思い、朝食を少しにしたのが裏目に出た。

 もっと早く見つかると思ったのだ。


 水は沢で飲めば、事足りる。

 だが、食糧だけはどうにもならない。

 朝、キャリルにもらった握り麦飯めしも、すでに腹の中で消化された後だった。


「うむ……。まずい。目の前がクラクラしてきた」


 如何な【光速】の聖騎士と恐れられ、高位の魔獣を幾度も屠ってきた彼女でも、空腹には勝てない。

 それに、見た目こそほっそりとしているが、これでも大食漢で、とても燃費が悪かった。


 こんな時に、魔獣に襲われたら一溜まりもない。


 そんなことを考えていると、本当に現れた。


 青年と出会った時に、出現した大きな熊の魔獣。

 ブライムベアだ。


 アセルスの胸中に浮かんだのは、魔物への恐怖ではなかった。


(おいしそう……)


 青い瞳に映っていたのは、あの時食べたプリプリした脂身だ。


「にくぅぅぅぅぅぅぅうううううう!!」


 あろうことかアセルスは剣も抜かず、突撃していく。

 口元から涎を垂らし、ブライムベアの肉体に噛みつこうとしていた。


 だが、それは自殺行為だ。

 大熊の魔獣は手ぐすねを引いて、走ってくる冒険者を迎え討つ。

 立ち上がると、大きな爪を振り上げた。


 ガシュッ!!


 瞬間、事態は急転する。

 アセルスの視界に割り込んだのは、大きな狼だった。

 真っ白な毛を針のように逆立てた獣は、魔獣の喉元に食らいつく。

 獰猛な牙を深く突き入れると、パッと血が飛び散った。

 温かな血と匂いを浴びて、ようやくアセルスは正気に戻る。


 すると、狼は一気に魔獣を絶命に追い込んだ。

 どうと巨体が倒れ、やがて瞳から生気が失われる。


 ブライムベアはBクラスの魔物だ。

【光速】のアセルスにとっては敵ではないものの、一撃で葬るのは難しい。

 つまり、この狼がとんでもなく強いのだ。


「この狼……。もしや……」


 考え込むのだが、お腹が空きすぎて頭が回らない。

 というか、今すぐにでも意識を失いそうだった。


「ウォン、よくやったぞ!」


 パタパタと足音が近づいてくる。

 振り返ると、青年が立っていた。

 あの時、山で極上の魔獣肉を振る舞ったあの時の青年だ。


 視界が歪む。

 感極まり、アセルスの青い瞳に涙が浮かんでいた。


「あれ? あんた、どっかで?」


「お、お忘れですか? この前、肉を食わせてもらった」


「えっと? 悪い。名前なんだっけ……。こ……【拘束】の……」


「【光速】のアセルスです。光のほうですから!」


「わりぃわりぃ。俺、頭があんまよくなくてさ」


「それよりも、ディッシュさんですよね」


「お! 名前、覚えててくれたんだ。あんた、頭良いな」


 忘れるわけがない。

 あれほど美味しい肉を作ってくれた料理人だ。

 名前どころかサインすらほしかった。


 そんな憧れの人物は、例の狼の腹を撫でている。

 狼は目を細め、気持ちよさそうに愛撫を受けていた。

 仲睦まじい様子に、一方のアセルスは顔をこわばらせている。


 恐る恐る尋ねてみた。


「その狼はディッシュさんが契約してるんヽヽヽヽヽヽですかヽヽヽ?」


「妙な言い方をするヤツだな。ウォンは俺が飼ってるんだぞ」


「飼ってるって……。ちょっと待ってください! その狼は神獣ですよ」


「ん? 神獣?」


 ディッシュは首を傾げる。

 今だ要領を得ていないようだ。

 対してSSクラスの聖騎士の額からは、滝のように汗が流れていた。


 おそらく今目の前にいる狼は、神狼フェンリル。

 神獣の一種で、その強さはSクラスの魔獣すら圧倒する。

 体躯からしてまだまだ子供のようだが、成体となれば今の5倍ぐらいの大きさの大狼になるはずだ。


 成獣ともなれば、たとえSSクラスのアセルスでも太刀打ち出来ない。

 たった1歩だけで、5つの山を越えたとか。

 世界最大の大蛇竜ミドガルズオルムと互角に戦ったとか。

 その手の話は枚挙にいとまがなかった。


 そもそも――。


「神獣は絶対に人間になつかないのに……。どうやって飼い慣らしているんですか?」


 如何に優秀な魔獣使いや幻獣使いとて、神獣を飼い慣らすことは出来ない。

 そもそもコミュニケーションを取ることすら困難なのだ。


「うん? 飴を上げたら、なついてきたぞ」


「あ、あめぇぇぇぇぇぇぇえええ!????」


 アセルスは思わず叫んだ。


 今目の前にいるのは、間違いなくフェンリルの子供だ。

 だが、子供は子供でも、飴を上げて飛び上がって喜ぶような子供ではない。

 神獣――それも、人類がいまだ契約できていない獣。

 それを飴だけで飼い慣らすなんて……。


「一体、どんなスキルを使ったのですか?」


「は? あの時もいったろ? 俺はスキルをもっていない。ゼロスキルなんだって」


 ややムスッとした顔で、ディッシュは反論する。


 ぐおおおおおおおおお……。


 再び腹が咆吼を上げる。

 忘れていた空腹が蘇り、アセルスはお腹を押さえた。


「なんだ、お前? お腹空いてるのか?」


「実は、朝から何も食べてないんだ」


「おいおい。もうすぐ陽が沈むぞ」


 山の稜線にすでに陽がかかっている。

 東の空は若干暗くなっていた。


「ディッシュ殿、何か食糧はないか?」


「今は、飴しかないぞ」


「飴? もしかしてフェンリルを飼い慣らした飴か!?」


「そうだよ」


「是非、食べさせてくれ!」


「仕方ないなあ……」


 ポケットから青い飴を出す。

 ディッシュから受け取ると、アセルスは手の平に載せて宝石でも愛でるかのように掲げた。

 食べるのももったいないぐらい綺麗な飴だが、今は空腹を満たす方が先だ。


 アセルスは飲み込み、舌の上で転がした。


「はわわわうぅぅぅううぅぅぅうう……」


 至福……。

 アセルスが分泌した唾液が飴にまとわりつく。

 すると、まろやかな甘味が口の中に広がり始めた。


 夢中になって舌の上で転がす。

 一舐めする度に、味が波のように打ち寄せた。

 自然と頬が緩む。

 トップの冒険者として常に緊張を保っていた。

 そんなアセルスの顔が、童心に返ったかのように赤くなっていた。


 唐突に、ディッシュはくすりと笑う。


「お前たち、同じ顔してるぞ」


 アセルスとウォンを指さす。


 ウォンもディッシュから飴をもらっていた。

 キリッとしていた目と体毛が、まるで溶けた飴のようにふにゃふにゃになっている。


 どちらも目を細め、幸せそうな顔をしていた。

 お互いに見つめ合うと、ディッシュは腹を抱えて笑う。


 さすがにアセルスは怒り、顔を赤くした。


「わ、私はこんな獣の顔をしていないぞ!」


「わりぃわりぃ。美味しいだろ?」


「うまい。これは一体どんな砂糖を使っているのだ?」


 通常の砂糖では、これほどのまろやかさは出せないだろう。

 かといって、何か他に添加物を入れている様子もない。

 ただ素材をそのまま飴にしたような味がするのだ。


「スライムだよ」


「す、スライム!! スライムってあの……?」


 アセルスはちょうど通りかかったスライムを指差す。


 ディッシュはウォンに指示を出した。

 神獣はあっという間にスライムの核を潰す。

 粘状の部分をバケツで拾い上げると、ウォンと出会った時のようにディッシュは水を沸かし始めた。


 沸騰するのを待つ間、ブライムベアを捌き始める。

 握った刃にいささかの迷いも乱れもない。

 前回の焼き直しを見ているかのようだった。


「うぉん!」


 神獣は吠える。

 水が沸騰したらしい。

 キリのいいところで作業を止めると、ディッシュは沸騰した水に小鍋を入れると、そこにスライムの一部を入れた。


 次第に、甘い香りが周囲に漂い始める。


 アセルスは生唾を飲み込んだ。

 竜の嘶きのように音を出し、腹が催促してくる。


「見たことがない調理方法だ」


「湯煎といってな。素材を傷つけないようにするための調理だ」


 なるほど、とアセルスは得心した。

 火に直接炙れば、スライムの肉体は消滅する。

 熱い湯で沸かせば、水に溶けてしまう。

 だが小鍋を挟み、直接熱を素材に伝えないことによって、ゆっくりとスライムを溶かすことを可能にしていた。


 出来たのは、青く透明な色の飴だ。


 まるで南の海を思わせるように綺麗だった。


「凄いスキルだ!」


「だから、スキルじゃないって」


「なら、ディッシュ殿にはきっと【誰も考えつかない料理を作る】スキルがあるのだろう」


「なんだよ、それ」


 ディッシュは笑い飛ばす。


「なあ、食べていいか?」


「まだ熱いぞ。ちょっと冷めてからだ」


「うーむ。待ちきれないぞ」


 アセルスは唾を飲み込む。

 横でウォンも、我慢できない様子で「はっはっはっ」と息を切らしていた。


 1人と1匹を見ながら、ディッシュは本当にそっくりだとまた笑うのだった。

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