第3話

「……うき……結城!」


誰かが僕を呼んでいる。


この野太い声は……担任だろうか?


微睡みの中、二つの声がこだましていた。


一つは、この担任らしき人の声。


そしてもう一つは、誰かの最後の言葉。


それは何度も耳に反響して、まるで忘れるなと言うかのように絡みついてくる。


 突如、僕は微睡みから引きずり出された。

見上げると、担任が物凄く焦った表情でこちらを見ている。


「大丈夫……じゃないな。取り敢えず保健室に行くぞ。」


あまりにも担任の様子がおかしかったので、恐る恐る聞いてみた。


「あの……僕、何かしましたか?」


すると担任はこちらを振り返り、


「寝言を叫んでいたんだよ。」


とだけ言った。

顔には未だ焦りの表情が浮かんでいる。


…どうやら、寝ている間の僕は酷い様子だったようだ。


「僕なら心配ありません。どこも悪くないですし。」


 担任を安心させるためにそう言うと、


「ダメだ。……言っておくが、あれは普通の状態じゃない。まるで何かに取り憑かれたかのようだった。」


と、やはり僕の容体を心配し続けるので、僕は諦めて担任について行くことにした。



「失礼します」


 しばらく歩いて到着した保健室には誰も居なかった。養護の先生は既に帰ってしまったようで、鍵だけが置いてある。

 担任は僕にベッドで休んでいるように告げると、また来ると言って何処かに行ってしまった。


(僕がおかしいって、どういう事だろう。)


ベッドに入りながら、そんな事を僕は考えていた。


(夢を見ていた記憶はあるんだよな……でも、どんな夢だったか………)


覚えているのは、最後の言葉のみ。


「自らの境遇を受け入れ、自身の一部とする時、救いが訪れる……か。」


……そのままの意味だろうか。


……確かに、僕は自分の境遇を覚えている。


どんな生まれ方をしたのかも、どのような人生を送ってきたのかも。


今までは思い出したくも無かったが、あの言葉を聞いて、僕は今までのように自分の過去を忘れたままにする事はいけない事だと思った。


 (……あ、そういえば、今何時だ?)


唐突に今の時刻が気になり、保健室の壁に掛けられている洒落たアナログ時計をみた。


 (七時三十分………塾には今日は行けないな………)


僕の入っている塾はとても時間に厳しく、遅刻をする者はやる気が無いと見なされ、その日の授業に出る事は出来ない。

厳しいと思うかもしれないが、要は時間を守ればいいだけの話だ。


僕が塾について色々と考えていると、担任が戻ってきた。


「具合はどうだ?」


「……良好ですね。」


僕がそう言うと、そうかと担任は呟き、僕のベッドの横の椅子に座った。


「それでだな、進路指導室での話なんだが……」


……担任の話を要約すると、僕は志望校が受験できないと知り、少し考え込んだ後突然叫び出したと言うのだ。


「なんと言うか………叫ぶんだが、次の瞬間には落ち着き払った声で返答するんだ。もう本当に気味が悪かった……」


 なる程。僕が起きた時、こちらを見る目が少し怖かったのもそのせいだろう。


…だが、僕にはその夢の記憶が無い。


僕が覚えているのは、意識が切れた瞬間にあの声が聞こえ、担任に叩き起こされた事だけだ。


その間に何が起こったのかは知らない。

だが、その内に思い出すだろう。


夢について自分で納得すると、僕はもう一つ気になる事を訪ねた。

進路の件だ。


「あの、僕の進路はどうなるんですか?」


それを聞いて担任は少し表情を和らげた。


…どうやら、そこまで悪い事にはならなさそうだ。


「そうだな……レベルが一つ下の県立高校を受けてみればどうだ?ほら、この高校だ。」


担任はスマホを取り出すと、とある高校のホームページを開いた。


「……偏差値はさほど変わらず、お前なら簡単に合格できるはずだ。それに、この高校は生徒に対するサポートがしっかりしている。大学への進学実績もそこそこだ。」


第一志望は諦めざるを得なかった。


 担任が提示してきたこの高校は確かに魅力的だ。それに、第一志望にしか行きたくないなどという感情も無い。


「この高校は他に誰が受験するんですか?」


「それがなぁ、聞いて驚くなよ?」


 担任は突然ニコニコしだした。


「九条大輝。一人だけだ。」


「………は?」


いやいや………異常な点がいくつもある。


…まず、受験する人数が現時点で一人という事だ。これだけ魅力的な高校なのに、一人という事はおかしい。


そして次に、大輝がこの高校を受験する、という事だ。


確かに大輝が勉強を頑張っている事は知っているが、ここまでとは知らなかった。この高校は、一般的に見るとかなり頭の良い学校なのだ。


「どうして受験者が一人しか居ないんですか?」


 流石に大輝の学力が分相応だと言うのは親友としても言ってはいけない事だと思ったので、最初の疑問だけを聞いた。


「まあ、単純な理由だな。遠いからだ。」


「遠いから、ですか。どのくらい?」


すると担任はまたもやスマホを取り出して、マップ機能を起動させた。検索欄に高校名を打ち込む。


それを見た僕は、予想外の距離に驚いた。


「……えっ?遠くないですか?」


そこに表示された僕の在住県の地図には、市を二つも跨いで青いラインで繋がった目的地があった。距離は約二十五キロと書いてある。


「この地区の学区はな、縦に細長く出来てるんだ。そのお陰で、こんなド田舎にある高校も受験可能という訳だ。」


 遠い高校、という事に憧れを抱いた。


 中学校のしがらみから解放されて、新しい生活をゼロから始める事ができる事は、中学校に良い思い出があまり無い僕にとって、魅力的な提案だった。


 故に、僕が担任の申し出を受けるのも簡単だった。


「……分かりました。この高校にします。」


「うん。俺もそれが良いと思う。それともう一つアドバイスをしておくと、この高校は部活動が盛んだ。何か言われても、無理はするなよ?」


その心配は無用だ。先輩達からのいじめがトラウマになってしまっているので、僕はもう部活に入る気は無い。


それに……


(流石に今度は、大学に行けなくなってしまうかもしれないからな………)


僕はそう決心すると、担任に言った。


「大丈夫です。部活に入るつもりはありません。」


とだけ言った。

担任はやはり僕の身を案じているのか、


「分かった。詳細はまた明日伝える。取り敢えず、今日は家に帰って寝ろ。」


と言われたので、素直に帰る事にした。



* * *



帰り道、日が暮れた暗青色の空を見上げながら、僕は自分の人生について考えていた。


 強姦魔の息子で、両親は離婚済み。小学校ではその事から軽いいじめを受け、卒業アルバムは真っ白。


更に中学校では入った剣道部で親友を見つけるも、先輩から陰湿で時に過激ないじめを受け、不登校に。


そして、好きだった女の子にも告白する前に振られて、進路も上手く行かない。


 常に世の中は僕に対して理不尽かつ攻撃的で、だから僕は常に厭世的な考えをこの世界に抱いている。


“人の一生の、幸せと不幸の数は同じ”


という言葉を聞いたことがあるが、果たして本当なのだろうか?


世界で飢餓に苦しんでいる子供達の人生はどうなるのか?

苦しみと同じ量の幸せが与えられるのだろうか?


冤罪で逮捕された人はどうだろうか?

五年も十年も牢に捕らえられ、冤罪だったと証明されても、得られるものは莫大な補償金だけ。牢屋に置き去りにした、自由の日々は帰ってこない。


僕は、この言葉を使えるのは他人の幸福を生贄にして自分の人生に色を付けた人だけだと思う。


でも……。


結局、僕は妬ましいのだ。

平凡に生まれて平凡に生きていける人が。


何時ものように自分を卑下する結論に辿り着き、僕はまた暗い空を見上げる。

ポケットに手を突っ込んで、ボーッと空を眺めていると、不意に今日聞いたあの言葉を思い出した。


『自らの境遇を受け入れ、自身の一部とする時、救いが訪れる』


……もう充分に受け入れているだろう。と、僕は思った。

だが同時に、過去を理由に変わろうとしない僕がいる事にも気が付いてしまった。


(悩んでも仕方がない。……取り敢えず、僕が今するべき事からやって行こう。)


そう決心した僕は、止まっていた歩みを進め始めた。




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