第4話

家に帰ってから僕は、父に受験校を変えることを伝えた。


父は、本当の息子でない僕をここまで育ててくれた恩人だ。そんな父は、僕の言葉をあっさりと承諾してくれた。


父曰く、


「やりたい事をやれば良い。可能な限り金は出してやる。」


だそうだ。

本当に良い父を持ったものである。


そして次の日。


「おはよう」


「おはよう、大輝。突然だけど、同じ高校受けることになったから。」


「おう。そうか…………っは!?」


「どうした?」


大輝は、信じられない、というような表情でこちらに詰め寄ってきた。

眉が寄りすぎて、眉間が凄い事になっている。


「どういう事だ?お前、第一志望一個上だろ?」


「いや……昨日担任に、内申が足りないからレベル落とせって言われて……」


「昨日呼び出されたのはその事か……まあ、良かった。これでお前をちゃんと見張っておける。」


「おい、僕を問題児みたいに言うんじゃない。」


「だってお前、目を離したらどっかに消えてしまいそうなんだよ。」


 大輝はそう言って嬉しそうに笑った。


……これは僕の勝手な妄想なのだが、大輝はもしかするといじめに遭っていた僕を心配して、同じ高校に行くために勉強を頑張っていたのかもしれない。


仮定の話だったとしても、僕は嬉しかった。

だから、大輝にはちゃんとお礼を言う。


「ありがとう、心配してくれてたんだろ?」


僕がそう言うと、大輝はウンウンと頷いて、


「そうそう。あんまり人に心配を掛けるなよ?昨日だって塾休みやがったし。」


と言った。

そういえば、大輝に休むという連絡を入れてなかったなと今更思い出す。


「ごめん、すっかり忘れてた。」


「えぇ?忘れるなよ………今度からはちゃんと連絡しろよ。」


「分かった。」


同じ高校を受ける事になったので、これからも大輝との付き合いは続きそうだ。僕としてはとても嬉しい。


……二人で話していると、とある人物がやって来た。


そいつは意地悪い笑みを浮かべながら僕に問うてくる。


「へえ?結城は志望校を落としたんだ?」


「守山………」


守山春樹。


僕の近所に住んでいて、塾も同じ。

普通なら仲良くなるはずなのだが………


「ま、お前のレベルじゃそんなもんだろ。あんまり背伸びすんなよ。」


こんな風に、僕に対してだけ嫌味な奴だ。

毎度毎度、事あるごとに僕を貶してくる。

僕はそれ以上関わらないように、守山と距離をとる。


幸い守山は言いたい事は言ったようで、フンッと鼻を鳴らして向こうに行ってしまった。


「本当に嫌味な奴だな。そういえばあいつ、どこ受けるんだっけ?」


僕はこの学区で二番目に頭の良い高校の名前を出した。すると大輝は目を丸くして、


「あいつ、確か彼女もいたよな……何処まで人生上手くいけば気が済むんだ……」


と羨んでいた。

そんな大輝に僕は忠告する。


「あいつの事は相手にした方が負けだ。お前もあいつの玩具にされないようにな。」


「玩具って…お前……」


守山は僕に対してだけ当たりが強い。

あいつにとっては僕など取るに足りない存在とでも思っているのだろう。


最近、守山に彼女が出来たという事も

あいつの自信に拍車をかけているようだ。


「まあ、今はあんな奴より勉強に集中だ。レベルを落として試験にも落ちました、とか洒落にならないからな。」


僕は守山の事を思考から追い出すと、大輝に向かってそう言った。


「そうだな。特に俺は本気でやらないとヤバイからなぁ……」


大輝も思考を切り替えたようだ。

皺が寄っていた眉も元通りになっている。


そして、来るべき受験に向けて、僕達は共に頑張る事を決意した。



* * *




……あれから一ヶ月。


私立高校受験を難なく終えて無事に合格した僕は、その余韻に浸る間も無く、一週間前にまで迫った公立高校受験に向けて猛勉強。


…というわけでもなく、普通に塾の自習室で勉強していた。


(今までの模試も全部安全圏だし、細かいところに注意しておけば確実に受かるだろうな……)


そんな風に楽観的に捉えるのも仕方ないと思う。


この時期になってネガティブに考えるのは、僕にとって逆効果だと思っているのだ。

そんな時、後ろから見知った声がかかった。


「拓海、そろそろ帰ろうぜ。」


「ん?ああ、分かった。すぐに準備する。」


手に持っているカバンをブラブラと振り回している大輝をチラリと見て、僕は勉強道具を片付ける。


時刻は午後七時。

帰るのには丁度いい時間だ。


準備が整った僕は、大輝と一緒に自習室を後にした。外に出ると、空から白い物が降って来る。


「おお、雪だ。珍しい。」


「確かに、久しぶりに見たな。」


ここ最近は空気だけが冷たく凍り付いていて、雪を見るのは丁度二週間ぶりだった。

はらりはらりと降ってくる雪を見て、僕はある事を思い出す。


「そう言えば、楽ドナルドに新商品が出たってな。」


「へえ……あそこ大分行ってないからな。今日行ってみるか?」


「そうだな。久しぶりに行ってみるか。」


僕と大輝は少し歩く速度を上げた。



* * *



「いらっしゃいませー」


ドアを開けると、店員さんの明るい声と共に暖かい空気が流れてきた。思わず息を吐く。

店内は意外に空いていて、思ったより解放的だった。


「何処に座る?」


「あそこだろ。一番端の窓際。」


取り敢えず座る場所を決め、商品を注文する。


「えっと……雪降りミルクティーをお願いします。」


「はい。代金、150円になります。」


財布の中に小銭が溜まっていたので、丁度を用意できた。


「丁度頂きました。彼方で少々お待ちください。」


「はい。」


自分の番号が書かれたレシートを確認して、横の受け取りスペースで待つ。ほんの二分程で注文の品は出てきた。





「……うまっ。」


「絶妙な甘さだな。」


受験を目前に控えた中学生が、ファーストフード店の新商品を試し買いしている……


そんな背徳感を感じながら、カップに注がれた甘くて暖かいミルクティーをちまちまと味わう。


「後七日だな。」


「そうだな。……早いな。時の流れって。」


「部活の大会前よりも早かった。」


「こっちは人生かかってるからな。」


やはり受験の話題しかないが、少なくともその事で軽口を言い合えるくらいには僕達は実力を付けている。


そのまま言い合っていると、店内のドアが開いて客が入ってきた。


「いらっしゃいませー」


店員さんが営業スマイルを浮かべて出迎える。


その微笑みの先に立っていたのは……


早川さんだった。

女子を二人ほど連れて早口でお喋りしている。


幸いな事に、まだ僕達の事に気付いてはいないようだ。


「おい、拓海………」


大輝が心配そうにこちらを見る。

大輝の認識では、僕が早川さんに告白してこっ酷く振られたという事になっている。


………実際はもっと酷かったのだが。


「……店出よう。」


僕は大輝にそう言って、二人で他人の振りをしながら店を出た。


「拓海、大丈夫か?顔真っ青だぞ。」


店を出てこちらを向いた大輝が、驚きの表情で聞いてきた。


自分の手を見ると、小刻みに震えている。血の気も引いていて、顔色が悪い事もよくわかる。


…どうやら、失恋のショックは隠れていただけで、全く衰えてはいないようだ。


「……取り敢えず、近くの公園にでも寄ろう。」


「……分かった。」


少し震える声で大輝の提案を受諾した。



* * *



ベンチに座った僕の首筋に、暖かい何かが押し当てられる。


振り返ると、両手にコーンポタージュを持った大輝がいた。その内の一つを放り投げて来たので、慌ててキャッチする。


「サンキュ。」


「どういたしまして」


スチール缶の少し硬いプルトップを開け、クリーミーな液体を喉に流し込んだ。


「……上手い。」


「甘い後に甘い味は嫌だからな……」


「よく分かっていらっしゃる。」


僕達は楽ドナルドの時のように、ちまちまとポタージュを飲みながら沈黙を貫いていた。


僕がポタージュを飲みきった頃、大輝が喋り始めた。


「お前……なんか俺に隠してる事あるだろ……」


一発でそれを言い当てられると、動揺して誤魔化そうにも誤魔化せない。

僕は肯定の返答をしてしまった。


「……まあな。」


「取り敢えず、話せ。楽になるから。」


「…………分かった。」


渋々僕は了承した。

そして、一ヶ月前に起きた出来事を話し出す。


「…………………」


話している間も大輝は沈黙を守っていたが、全てを話し終えた後も大輝は黙っていた。

何かを考えているようにも見える。

……と、そこで大輝が口を開いた。


「I’m as angry as ever.」


「『私は今までに無いくらい怒っています』……昨日の授業でやったな。」


どうやら、大輝は本当にブチ切れているようだ。また眉間の皺が凄い事になっている。


「一体、どっちに怒ってるんだ?」


「………早川九割、拓海一割だ。」


「おおう……」


少ないな……


「まず、何故俺に言わなかった?普通に噂を信じてしまっただろ。」


「いや………それは………」


「……まあいい。俺がブチ切れているのは、早川に対してだからな。」


大輝はそう言うと、ポタージュの缶を握りしめた。


バコッ、という音がして、缶が潰れる。


ここまで怒っている大輝を見るのは初めてだ。…もしかすると、取り返しのつかない事をするかもしれない。


だから、僕はお願いした。


「……早川さんに何かするのは、辞めてくれよ。」


「どうしてだ?」


大輝は何を言っているんだ、と言いたげな顔をしている。


「一応、僕の好きな人だったから。それに、あの人に何かしようとしたらまずい気がする。」


これは僕の直感だ。

彼女は恐らく中学生ではあり得ないくらいの腹黒さを持っている。

下手に手を出したら、自ら破滅への道を進んで行くような気がするのだ。


「…まあ、お前がそう言うなら………」


 幸いにも、大輝は了承してくれた。


「……ありがとう。」


「お礼を言われる筋合いなんてねぇよ。一番辛い時に慰めてもやれなかったんだからな。」


「……いや、こうして話を聞いてくれるだけでも気が楽になったよ。」


大輝はそれを聴くと、そうか、とだけ言い、少しだけ黙った。

僕はそんな大輝に、明るい声で言った。


「まあ、取り敢えずもう大丈夫。受験が終わったらまたゆっくり話そう。」


「……そうだな。今が正念場だからな。」


僕と大輝の方針は、取り敢えず受験を乗り越える、という事に決まった。


……今までのように、辛いことを無かった事にはしない。考える事を先延ばしにしただけだ。


そう僕は思い、また一歩、歩みを進めようとした。


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