駆ける

「え?今、そこに夢宮さんいなかった?」


「いたような気がするけど…」


「ドア勝手に開いたよね?今…」


「や、やめてよ。私そういう話、あんまり好きじゃない…」


 ざわめく教室を背にして僕は駆けた。今の彼女はきっと精神状態が普通ではない。だから早く見つけ出さないと大変なことをしでかす可能性があった。


『ここから消えちゃいたい』


 確かに彼女はそう言った。実際、彼女は持ち物だけを残し忽然と消えた。

 『ここから』って言っているから存在ごと消滅したみたいなバトル展開はないだろう。それならば彼女の瞬間移動先は、完全ランダムか、彼女に縁がある場所に限られる。前者ならば、見つけるのはほぼ不可能となるが、後者ならばしらみつぶしに探せばまだ何とかなる。


 僕は階段を全力で上る。何人かの生徒と肩が接触しそうになるがそんなこと構わず僕は走った。そしてすれ違いざまに聞こえる声の一つにこんなものがあった。


『今、なんか屋上に人いるらしいぞ』


『マジか…やっぱ自殺かな?』


 僕の足取りはより一層速いものになる。

 一番上へと辿り着いた僕は扉にタックルするように突っ込んだ。


 バンと扉はいとも簡単に開く。開けた視界から太陽の光が突き刺して眩しい。

 眩んだ眼を強引に見開くと屋上にあるはずのない人影が見えた。


 その人影は屋上の縁に立っていた。眩んでいた視界が徐々に鮮明になり、そこにいる人影が夢宮であることを認めた途端に僕は叫んでいた。


「勝手に死んでんじゃねええええええ!!!!!!」


 彼女は僕が後ろから叫んだことでこちらを振り向き、心底驚いたように目を見開いた。


 その間にも僕は彼女との距離を縮める。


 その行為は『関わる』行為だと判断されたのか、右腕に一つ刃物で切られてみたいな大きな切り傷ができた。血が噴き出る。痛みが走った。


 それでも足は止まらない。そして僕は彼女に手を伸ばした。


 彼女の口が動く。今度はその願いが神様だけでなく僕の耳にも聞こえた。


「―


 ひゅんと夢宮の姿が消えた。


「あ―ぶっな!」


 僕は屋上の縁ぎりぎりで止まり切る。そしてすぐに切り返し今はもう見えない標的に向かって啖呵を切った。


「ぜってえー逃がさねえ」


 僕はまた走り出した。なんとなく目的地は分かっていた。彼女が死に場所として選ぶならあそこしかないと思った。


 僕は開きぱなしのドアをくぐり階段を転がるような速さで下る。


「卯月‼ゆーちゃんは?」


 その声が聞こえて目だけをそちらに向けた。どうやら夕暮が夢宮の心配をしているらしい。


「多分、いこいの森!来るなら適当に信頼できる大人とっ掴まえてから車で来い!よろしく!」


 走りながらそう言い残す。伝わっているだろうかと不安になるが、そんな不安は走るのに邪魔だ。ただただ目的に向かうことだけを考えて走れ!そう自分に活を入れた。


 二階から一階へと降りる階段で二人の体育の教師が待ち構えていた。


「お前か!屋上に無断侵入したという奴は!」

 

 こちらを拘束しようと狭い廊下を陣取っていた。そしてこちらをいち早く捕獲しようとラグビーのタックルのような体勢で迫ってきた。僕は今、そんなものを相手取っている場合じゃなかった。


「ふんぬっ!」


 だから危険も承知で二人の教師を跳び越す勢いで大きく跳んだ。


「「なっ!」」


 二人の教師を跳び越し、転がりながら着地した。そしてじんじんと痛む足を振るえ立たせ、すぐさま駆ける。


「待てぇ!」


 しつこく追ってくる教師を後ろにしながら下駄箱で靴も変えずに外を出る。


「うづっきー何やってんの?」


 外に出てサッカーをしたのだろうか、汗だくになりながら校門へ向かって走る僕を松本が下駄箱前のドアで見ていた。


「松本手広げろ!」


「? こう?」


 ごんと松本の太い腕に何かが当たる音がした。その音を最後まで聞きもしないで南無さんと心の中で唱えながらそちらを背にした。


「卯月ー!」


 上から呼ぶ声がして見上げた。すると落ちてきた何かが太陽の光に反射した。慌ててそれをキャッチする。手を開いてみるとそれは鍵らしきものだった。


「前から二番目の黒いチャリだ!どこに行くのか知らないが捕まらないよう頑張れよ!」


 にひっと笑いながら親指を立てる山下にこちらもグッと返しながらも一歩も止まらず進んでいく。


 そして警備員をかわし、校門をくぐり抜け、駐輪場で前から二番目の黒い自転車に鍵を差し込み鍵を開け、高速でペダルをこいだ。


 汗が風で飛ばされる。ペダルをこぐごとに体に当たる風圧が強くなるのを感じた。それに加えて先ほどからぽつぽつとてにぬるい水が当たっている。これは一雨くるといわんばかりの雨雲が僕の進行方向に立ちふさがっていた。

 

 山のふもとに来る頃には雨はもう土砂降りと呼んでも差支えがないぐらい激しくなっていた。雨風が強いせいで目がうまく開けられず、視界を狭める。汗や水が切り傷にしみ込んで痛い。それでも構わずペダルを強く踏んだ。

 左の道を行って颯爽と緩やかな坂を駆け上がる。そして斜面がきつくなり、ペダルが重くなるのを感じた。


「走った方が早いな」


 自転車を降り、山下に心の中で謝罪しながら捨てるように自転車を道路の端っこへと置いた。

 それからは雨に打たれながらもかすむ視界にも気にせず進む。足が悲鳴を上げていたが見て見ぬふりをして足を動かした。息はぜーはーと続かない。それでも足は止まらない。

 かすむ視界のせいか、先日まで吐き気を抑えてみていた光景も何も感じず、ただ通り過ぎる。

 とにかく足を動かした。それ以外は何も考えず、足に全神経を集中する。

 ようやく橋が見えた。橋の真ん前の道路には三つのお供え物の花が見えた。

 息を切らしながらも辿り着く。霞む視界の奥には少女の影が見えた。


 一歩二歩と歩を進めると、うずくまる少女を見つけた。

 こちらに近づいてくる足音に気づいて少女は顔を上げた。

 少女と僕の目が合う。間違いない。間違えるはずもない、その少女は正真正銘追いかけてきた相手だった。



「やっーーと、追いついたぞ…‥‥夢宮」


 動揺した夢宮の顔はここにまで来る労力にお釣りがくるくらい見ものだった。


「ど…し、て?」


「どうしてもこうしてもねえ。ただの勘だ」


 僕が一歩を踏みだすと彼女は大きく声を張り上げた。


「来ないで!」


 彼女の拒否する言葉に呼応するかのように右腕に一つ切り傷ができる。神経が痛みで身体の損傷を教える。滲んだ血が雨と汗と混ざり合った。


 一歩、また一歩と震えている夢宮に近づく。一歩踏み込むごとに左腕、胸、右足、腹、といたるところに傷ができる。その傷は彼女に近づくごとにつれて深く、大きくなっていく。それでも僕は歩みを止めない。


「…えて」


 左腕に大きな切り傷ができる。けれど、僕は足を止めない。


「…消えて」 


 右足に大きな切り傷ができる。けれど、僕は歩みを止めない。


「消えて」


 胸に大きな切り傷ができ、服に血がしみ込んだ。けれど、僕は歩みを止めない。


「消えて!消えて!消えて!消えて!消えて!消えて!消えて!消えて!消えて!」


 ほおに大きな切り傷ができる。けれど、僕は歩みを止めない。


「私の前から…消えて!」


 おでこに大きな切り傷ができる。けれど、僕は―


―僕は、夢宮の前で歩みを止めた。


「ど…し、て?」

 

 困惑す夢宮に向かって僕は真っすぐ目を合わせて言った。


「お前が、いや、お前も言っただろ。


「嘘ついてんじゃねーよ。バーカ」


 そう言って夢宮の頭にポンと軽くチョップをした。


「ほら、さっさと帰って一緒に説教されるぞ」


 くいくいとお供え物がある方向を示す。するとそっちには車が一台今まさに止まったのが見えた。


 その車からは一人の女子生徒と数人の教師が下りてくるのが見えた。


 雨雲が過ぎ去り、太陽が顔を出す。もう梅雨も過ぎ去る季節だ。


 

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