兄ちゃん

「おい、卯月。あれはどういうことだ?」


 卯月の懺悔から少し経ったある日の昼休みのこと。俺はまた吉田から空き教室へ来いと呼び出しを受けていた。

 

「どういうこと…と言われてもな」


 あれから夢宮は自分から他人を遠ざけようとわざと振舞っているらしく、夕暮から聞いた話によるとあいつも同じように「私にはもう関わらないでくれ」と真剣な様子で言われたらしい。

 それからというものようやく解決の糸口が見えてきた『夢宮鏡華は誰が見てもクラスで孤立していないようにする』っていう吉田からの依頼は難航するどころか、夢宮のクラスでの状態は悪化していた。


「一時期は夕暮に心を開いてきたと思ったんだがなー。喧嘩しちゃったみたいでさ」


 夕暮はそれでも喰らいつこうとしたそうなのだが、あまりにも真剣な様子で切に頼まれるものだからいったん距離を置いているらしい。

 普段の夕暮ならそれでも喰らいつくとは思うのだけれど、夢宮にはあの『言霊』っていう能力、もとい呪いがある。彼女の願いは例え望んでいなくてもすべて叶う。そういう呪いなのだ。


「クソッ。昔っから使えねえなあいつは…」


 吉田は本当に悔しそうに「クソッ」という。それを見て俺は何だか珍しいなと思う。吉田は俺の中でいつ何時もけがるくめんどくさそうにしているイメージがあるので、いくら内申点のためだとは言っても吉田が夢宮にそこまでこだわる理由が俺にはよくわからなかった。


「昔っから?…お前、夕暮と昔から仲良かったのか?」


「あ。ちげえよ。あいつは俺のいとこってお前も知って‥‥‥ってお前、もしかして昔のこと覚えてねえの?」


「む、昔のこと?」


 何のことだかさっぱりわからん。俺は吉田とは今年が初対面…のはず。なんだけどなんだか記憶の中に吉田って苗字のやつがいた気がする。


「いや、覚えてねえならもういい。というか思い出すな。思い出したらコロス」


…ん?この乱暴な口調。どこかで聞いたことがあるような…


「あーっ‼吉田ってもしかして、いとこに振られて泣いたゆ…グハッ‼」


「言わせねえよ‼」


 吉田の黒歴史を思い出しナチュラルに暴露しようとした俺は吉田から渾身のアッパーをくらい大ダメージを受けた。これが格闘ゲームなら多分画面にKOと文字がでかでかと映し出されているだろう。

 そのあとみぞおちを射抜かれた俺は五分間ほど痛みに悶えた。


「いやー、まさか吉田があのゆうじだったとは…人って変わる者なんだな」


「あの面子の中ならお前がダントツだけどな」


 まあ、一番色々あったのも多分俺…って言おうとしたけどやめた。こんなブラックジョーク自分でも笑えない。


「となると、かおるちゃんってのが夕暮?」


「ああ」


「じゃあ、おっぱいの霞さんは?」


「おっぱいの霞さんは…竜兄と同じ高校に行ってる。県内の公立」


「兄ちゃん、か…懐かしいな」


「お前…恨んでないのか?」


「は?誰を?」


「竜兄だよ。その…なんか色々あったって聞いた」


 兄ちゃんのことを恨むというのはちょっとお門違いなのではないかと俺は思った。ちょっと嫌な思い出もあるけれどお世話になったことには変わりはない。邪険に扱われようが俺はどうしても兄ちゃんのことは嫌いになれなかった。


「別に…恨んでなんかねえよ。ちょっと嫌なこともあったけど…お世話になったことに変わりはねえからな」


「そう…か」


 俺が本心からそう伝えると吉田は少しほっとしたように息を吐く。


「竜兄はずっと気に病んでたよ…お前のこと。助けてやれなかったって…後悔してた。だから俺が高校でお前を見つけて。元気になってたって言ったら竜兄、泣いてた。やっぱひとみは強い奴なんだなって」


「…そうなのか」


 やっぱり兄ちゃんはあんな化け物どもとは違った。うすうす感づいてはいた。

 だって兄ちゃんは俺の父親が新聞に載っても何にも言ってこなかったから、多分、俺が「兄ちゃん」って呼んでたから俺の家族だと勘違いされて嫌がらせを受けていたんだろう。その嫌がらせは兄ちゃんだけでなく兄ちゃんの家族にも被害が及んだはずだ。だから、俺との縁を無理やり切った。


「竜兄、謝りたいけど会うのが怖いってビビってた。それも震える小鹿みたいにさ。それがもう傑作で。だから、会いに行こうぜ。夢宮と夕暮も連れて四人で。お前も話したいこと、あるだろ?」


 正直、俺も兄ちゃんと会うのは怖い。また拒絶されるんじゃないか。そう考えたら不安で心が押しつぶされそうだ。

 でも、それよりも久しぶりに兄ちゃんに会いたいって気持ちが大きかった。会って話がしたかった。また前のようにいろんなところに連れて行ってもらいたかった。


「…でもそれなら、夢宮もさっさと連れてこねえとな」


「それがおめえの仕事だろ」


 バンと背中をたたかれる。それは何だか兄ちゃんに背中を押されたような気がして、とても懐かしい気分になった。


「行ってこい。俺みたいに振られて泣いて帰ってくんなよ」


「ああ、任せろ。俺はこう見えても」


 思えば、あの彗星を見に行った日も。あの雨の匂いがした日も。あの雪解けの日も。俺・僕はずっとあいつを論破してきた。


夢宮おんな口説くの得意なんだぜ」


 俺・僕は廊下を駆けだした。


 誰もいなくなった教室であいつの背中を見送りながら吉田は独り呟いた。


「はっ。ほざけ。my cherry frend 」


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