懺悔 中
「そういえば、かおるちゃんたちはキャンプに来たんだったよね?」
「うん。ここの近くのキャンプ場だよ」
「いいねー。私も久しぶりに行きたいなー。BBQとか」
「あ、今日ちょうど夕飯はバーベキューなんだよ。いいでしょー?」
「羨ましいなー。家から近いのに行ったことないんだよね、そこのキャンプ場…あー、いいなー私もしたいなBBQ」
「ま、竜兄も来るしね」
「ちょっ。それは今関係ないでしょ!」
楽しそうな二人の会話。私は全くその中に入れずにいた。
キャンプ…というよりアウトドア全般、私は経験したことがなかった。
そもそも私はこういう話題に入っていくことができない。なぜならば私は生まれてこのかた父にも母にもどこへも遊びに連れて行ってもらったとがなかった。キャンプなんてもってのほか、旅行だって行ったことがないし、遊園地だって、水族館だって、動物園だって、ゲームセンターだって、お買い物だって、植物園だって、図書館だって、川だって、海だって、山だって、温泉だって、映画館だって、実家に帰省することだって、私はしたことがなかった。
そのことを私の数少ない友達に話すと「つまらなくないの?」と問われた。つまらない…不思議とそう思ったことはなかった。そもそも私は霞さんと出会うまでは家族以外の人たちとあまり会ったことがなかった。本当の意味で『本は友達』だった。私は眠っては本を読み眠っては本を読む、その生活があまり嫌いではなかった。
世間が私みたいな人のことをなんて呼ぶのかは本に書いてあった、箱入り娘、深窓の令嬢、無菌室育ち 、温室育ち、世間知らず、ひどい意見では軽い軟禁状態だと。
私はそういった散々な評価を知っていた。それでも、その生活を少なからず気に入っていた。
霞さんと会って、学校に行き始めてからその考えは変わった。誰とも話が合わなかった。誰の話題にもついていけなかった。
『孤独』の意味は知っていたが、初めてその時『孤独』を感じた。自分のことをつまらない人間だと感じた。本当の意味で私が異常であることを実感した。
それからだろう。私はあの生活が、あの部屋が、あの牢獄が、少しづつつまらなく感じるようになり、少しづつ好きじゃなくなり始めた。
「そうだ。霞ちゃんもバーベキュー来る?」
「え。いいの?」
「うん。ちょっと余分に買っちゃったってママ言ってたから。大丈夫だと思う」
「じゃ、じゃあお言葉に甘えて行かせてもらおうかな」
完全に話が分からない私はただただぼーっとしていた。
「ゆーちゃんも来る?」
「…」
無視しているわけではない。反応がないのだ。完全なる無反応。彼女は自分がついていけない話題になるとそうやって無の境地へと達する癖があった。こうなった私はなかなか反応しないと霞さんは言っていた。
「ゆーちゃん!」
「…え?あ、ごめんなさい。少し考え事をしてたわ」
無視されたと思ったかおるが少し怒り気味に私の名前を呼ぶと私はやっと現実の世界に帰ってきた。
「もーっ。ゆーちゃん、人の話はちゃんと聞かないとめっ!なんだよ」
そう軽く私を叱ってぷんぷんとご機嫌斜めな心情を腰に手を当て体で表現する。かおるちゃんはこういうところはちゃんとしていた。親のしつけがいいのだろうか。ぜひ会ってみたい気持ちはあったがそれは絶対にかなわないことを私は知っていた。
「それで今、何の話を?」
「ゆーちゃんもご一緒にバーベキューどうですか?って話だよ」
バーベキューのお誘い。それはアウトドアの経験がに等しい私にとっては非常に魅力的なお誘いだった。でもそれは叶わぬ儚い願いであることを私は知っていた。
「私も行きたい」そう口が先走るのを抑えながら私はあくまでも淡々と、悲しい気持ちなんて一欠けらも見当たらない声音を意識して言った。
「…私は駄目だと思う。お母さんが夕飯を作ってるから。気持ちだけ受け取っておくわ」
「そうなんだ…残念」
視線を感じてそちらの方を見ると私の事情を知っている霞さんがこっちを悲しそうな目で見ていた。
私は彼女にいらぬ心配を与えぬよう「無理してないよ」というサインを出すようににこりと微笑んだ。
「あ、あのかおるちゃん…」
「ん?どうしたのカスミン?」
「か、かすみん?それって私のこと?」
「うん。霞ちゃんだからカスミン!」
私の心が腐っているのだろうか。どうしてもそのあだ名はかす:原料となる液体や固体などから目的の成分を取り除いた後に残る不純物やあまりの部分。絞り残りなど。という意味を含んでいるようにしか思えない。
霞さんも私と同じ考えなのか、さっきから眉毛がぴくぴくと痙攣している。
「? どうかしたの?二人とも」
でも彼女は悪気なんか一つもないといった純粋な表情でこちらを曇り亡き眼で見てくる。なんだか彼女の笑顔が一段とまぶしく見えた。
「かおるちゃん。カスミンはやめようね」
「? なんで?」
「それはね。カスって言う言葉は汚い言葉だからカスミンってあだ名は汚く聞こえちゃうのよ。友達からつけられたあだ名が汚かったらかおるちゃんも嫌でしょ?」
悪気がないと知った霞さんは対応に奮闘。しかしせっかく名付けたカスミンをあっさりあきらめるほど彼女は甘くはなかった。
「でも、霞ちゃんにも、カスって汚い言葉付いてるよね?カスみちゃんだよね。それとカスミンがどう違うの?」
この子、言ってはならないことを…と心の中で私はかおるちゃんのその怖いもの知らずさにまたもや戦慄する。
私は知っていた。霞さんが全く同じ道理で学校の男どもから『カス』とバカにされているのを。そして霞さんがそれを結構気にしていることを。
「かおるちゃん」
少し真剣な声でその名を呼ぶ。その変貌ぶりにかおるちゃんも少しは怯えたのか「は、はい」と珍しく狼狽えながら返事をする。
「世の中には知らない方が幸せなことがたくさんあるのよ・・・だからカスミンはやめときなさい。わかった?」
「う、うん。よくわからないけどわかった」
素直でいい子なかおるちゃんはその圧に負け、カスミン呼びを撤回することに調印した。
「それで霞ちゃんは結局、何を言おうとしてたの?」
「うんとね。私もバーベキューは遠慮しとこうかと思うんだ…」
「え!?なんで!?」
「…私も多分、お母さんが夕飯作っちゃってると思うんだ。それに鏡華ちゃんだけ抜きってのもなんか悪いし」
「気遣わなくていい。私は平気だから」
そういうと霞さんは私の頬を両側からむぎゅうと挟んだ。そしてこう言う。
「平気な人はそんな寂しそうな目、しないよ」
そう言い当てられ、私はすごく胸の中がムズムズした。この胸のムズムズをなんて言い表したらいいのかわからなかった。でもこれだけは断言できた。私が無理をして我慢しているということ。それと…
「霞さん」
この無理を人にも共有させるのが何よりも嫌だということだ。
「なに?」
霞さんは静かだった。私に反対意見を言わせないように無言で威圧する。でも私は…霞さんに嘘だけはつきたくなかった。嘘をつかないということは信頼の証であるとも思うから。
「私は確かに、我慢してる。ホントは行きたくて行きたくてたまらない。でも、私は多分行けない。でもだからって霞さんが我慢していい理由にはならない」
私も静かに。でも確かに抑揚の、感情のある声で言った。
「私を、我慢する理由にしないで」
それは紛れもない私の本心だった。いつも私に合わせて我慢する霞さんを見るのが嫌で嫌で仕方がなかった。霞さんには遊園地にも、水族館にも、動物園にも、温泉にも、植物園にも、ゲームセンターにも、映画館にも、川にも、海にも、山にも、お買い物にも、図書館にも、バーベキューにも、どこへでも誰とでも行ってほしかった。私を我慢する理由にしてほしくなかった。
だって彼女は、少なくとも私よりかは、自由なのだから。
「わかった。鏡華ちゃんがそういうなら私はバーベキューにも行く…でも一つだけ条件がある」
「条件?」
「そ。条件。それはね『今日中に必ず一回以上は我慢せずにわがままを言うこと』だよ」
「我が儘を、いう…それは誰でもいいの?」
「うん。私でも、かおるちゃんでも、もちろん…ご両親でも」
それは難易度が高い条件だ。そう私は思った。特にご両親にもという部分。
「約束できる?」
でも、断る理由はなかった。
「うん。約束する」
結果的にはこの約束は叶うことになる…およそ彼女たちが望まぬ形で…
「神社着いた~!」
階段を降り公園を出て橋を渡り切って少し坂を下りたところ。そこに目的地である神社はあった。
「ってちっちゃい!?」
そうその神社は想像していた大きさよりもとても小さかった。神社というよりも小屋と言った方が正しい、それぐらいのミニマムサイズだった。
私たちが遠慮なくこの小さな神社についての感想を述べていると先についていた男子組からこんな会話が聞こえてきた。
「というか、なんで神社来てるの?」
「なんか霞さんって人が行きたいって言ってたからって。兄ちゃんが言ってた」
「霞さんって?あのおっぱいが一番でかい人?」
「多分。てか一番歳が上なんだから一番なのは当たり前だろ」
「そんなことないぞ。現にうちのクラスの乙敗なんかは…」
一部下世話な会話が入ってきたがそこは軽蔑の視線を向けておくとして。今、彼らは聞き逃せないことを言った。そう神社に行こうといい始めたのは霞さんであるということである。
私はぐるりと霞さんの方を向き、じっと視線を浴びせる。
「な、なに鏡華ちゃん?」
「…神社に行こうって言いだしたの、霞さんなの?」
ギクッと霞さんはいとも簡単に狼狽える。霞さんはもっとポーカーフェイスというものを学んだ方がいい気がする。
「そう、だけど…な、何?」
「ううん。私はちょっと霞さんに気を遣わせすぎかなーって思っただけ…霞さん」
一ついい案を思いついた。
「今度は何?」
「我が儘、霞さんは私にもう気を使わないでくださいっていうのは」
「却下」
秒で却下されてしまった。せっかく抜け道を思いついたのにと私は少し舌を噛む。
「ねえねえ、ゆーちゃん。お願い事何にする?」
「お願い事…ああ、神社だから?」
「そう。神社だから!鐘をごんゴン鳴らして、手を合わせて、目をつぶってお願い事したら願いが叶うの!」
願い事…それは我がままに入るのだろうかと思案していたところに霞さんからひと言。
「願い事は我がままに入らないからね」
「チッ」
「舌打ち⁉ねえ、鏡華ちゃん、今舌打ちしなかった⁉」
「してませんよ。何言ってるんですか霞さん?」
「なんで急に敬語⁉ねえ今絶対したよね、ねぇ」
「ちなみにかおるちゃんは願い事何にするの?」
「話を逸らすなぁ⁉」
「ふふーん。かおるはねえ、恋愛成就にする‼」
かおるちゃんの突然の暴露に男子組も含めてシーンとなる。沈黙が重い。
「か、かかかかおるちゃーん⁉ちょっと何言ってっっっ」
「かおるちゃん。世間一般的にはお願い事は声に出して言わない方がいいらしいよ」
「え⁉そうなの?」
「うん。でも、声に出した方が叶いやすいって説もあるから安心して」
「そっかー。よかったー」
「ちっとも良くないんだけどー⁉」
そんな私たちの光景をわかっているのかわかっていないのか、浜津さんはニヤニヤしながら見守っていた。卯月君?は興味がないのか、手元のゲームをピコピコしている。
そして男子陣でただ一人かおるちゃんの暴露にわなわなと体を震わせているものがいた。
「か、かおる…お前」
「ん?何ゆうじ?」
「す、好きなやつが…いるのか?」
「は?…あんた何」
霞さんがかおるちゃんの後ろから肩にそっと手を置いた。それには尋常じゃないほどの圧力がかかっていることがここからでもわかる。
「う、うん…いるわよ。ちょーいる。むしろいないとダメなくらい」
恐怖でめちゃくちゃなことを口走っているが、基本いつもめちゃくちゃなことしか言わないので彼にはバレなかったようだ。
「そ、それってさ…」
「?」
真っ赤な顔をしながら少年は問う。絶対に将来トラウマに、黒歴史になるだろう一言を。
「…俺だったりする?」
「はっ。何言ってんのきも」
バッサリとかおるちゃんは切った。
その後、泣き出して走り出す彼は私たちから見ても可哀そうだった。
ゆうじ?の後を追いかけて男子組が去って行ったあと。
「よし。これで心置きなくお願い事ができるね」
かおるちゃんの鬼畜さに若干引いていた私たちはやる気満々な彼女に「そ、そうだね…」と生返事を返す。
邪魔者がいなくなったら早速。とでもいうようにさっさとかおるちゃんは神社の前に行ってパンパンと手を合わせる。そして大声で言った。
「かすみちゃんが竜兄とうまく」
バッとすぐさま霞さんがかおるちゃんの口をふさいだ。その速さと言ったら音速を超えるのではないかというスピードだった。恋する乙女は畏るべしとはよく言ったものだ。
「かおるちゃん。お願いしてくれるのは嬉しいんだけど、もう少し音量落そうねー。ていうか声に出さないでいいよー」
「もごもごー(はーい)」
そして静かに霞さんと浜津さんの恋を願ったところで、私たちの方を見て振り向く。
「二人は結局、何をお願いするのー?」
「うーん。私は…」
そう言いながら霞さんはこちらの方を見ると私の頭にポンと手を置いた。
「この子のわがままが叶いますように、かな」
本しかない部屋の中でも、林間学校の前でも、恋をしているときでも、いつでも私のことを考えてくれているその手は。頭の上に置かれているその手は、やっぱり少し暖かった。
「ゆーちゃんはどうするの?」
私の願いなんて考えたこともなかった。願い事なんて小学生に聞いたら手足の指の数では足りなくなるものだろうけれども。
「難しく考えなくていいんだよ。ただ羨ましいって思うものを欲しいって思うだけなんだから」
霞さんはそう私の髪の毛をくしゃくしゃにしながら言った。
羨ましいと思うことがあった。羨ましいと思うものがあった。羨ましいと思う人がいた。羨ましいと思う願いがあった。
ああ、ダメだ。羨ましいって思うものがいっぱいある。願いは一つって小学生でも知っている決まり事なのに…そんな我が儘言ったら…
「‥‥‥ねえ、霞さん」
「…なに?」
暖かな優しい声が響く。
「私、
二人並んで小さな神社の前で軽く一礼した。お賽銭を献上し、小さな可愛らしい鈴を鳴らす。からんからんと明るい音は耳に心地いい。
そして二礼してぱんぱんと二拝する。私は小さく神様だけに聞こえるように
「私の願いがすべて、叶いますように」
これは
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