懺悔 前
これは
私の父は作家という自由奔放が売りみたいな職業に就いているにも関わらず、厳格な父親であった。
その厳しさはまさに威風堂々を体現したかのようなもので、テレビ、インターネット、ゲーム、マンガ、諸々の娯楽は禁止され、許された娯楽らしい娯楽と言えば読書ぐらいのものだった。
小学生の頃では門限は午後五時…となっていたが小さいころ、私は体が弱かったため、外で遊ぶこともあまりよく思われてはいなかった。だから泥んこになって帰ってきたり、門限を過ぎて帰宅するとたびたび叱られた。
今になってみると、ただ心配してくれているだけなのがわかるのだが、当時の私にとってはそれは死活問題で。父の叱責が何よりも嫌で、他の子たちみたいに自由にさせてくれない父があまり好きではなかった。
そんな私に良くしてくれたのが隣の家の一つ年上のお姉さんだった。名前は、
正直に言うと、最初は苦手な人だな…と思ったのを今でも覚えている。まあ、彼女のことは最初はというより最後まで苦手だったけれど。
人間関係というものは案外自分と正反対の子のほうが仲良くなりやすいなんてこともある者で。私は明るく活発な隣の霞さんが苦手だったけれど、決して嫌いではなかった。
小学四年生の時、あれは新学期が始まってから少し経った頃のこと。
「お邪魔しまーす」
その日、珍しく霞さんは私を外へと連れ出さずに家で遊ぼうと言った。前来たときは「鏡華ちゃんの部屋、何にもなくてつまんないー」と地味に心に刺さることを言ってきたのにどういった心境の変化なのだろうと思った。
「なんで今日は私の家なの?」
そう聞くと霞さんは目にわかるくらい狼狽した。
「べ、別にいいじゃない。そういう気分だったの」
「…前、『鏡華ちゃんの部屋つまんなーい。もう絶対来なーい』って言ってた」
私が部屋のことをズタボロに言う霞さんの真似をして見せると彼女は少し申し訳なさそうにする。こういう感情表現が豊かなところは少しうらやましいと思ったりもする。学校で「無表情だから親しみにくい」と一人の女の子が陰で言っていたのを耳にして私は少し、というよりだいぶ気にしていた。
「そ、そこまでは言っていない、はず。もーっ、拗ねないでよ鏡華ちゃん」
自分の部屋のドアを開けようとドアノブに手をかけていたところに抱き着かれウリウリされる。その抱き着き行為に私は慣れていてノーリアクションを徹底しながら「拗ねてない」と即座に彼女の勝手な意見を否定する。
それから私の部屋でたくさん話をした。私は口下手だったのでほとんどが彼女が話すのを聞くだけだったが、彼女とはこうして定期的におしゃべりをしていた。それはどこかの公園のベンチで、公民館の空きスペースで、霞さんの家で、色んなところで行われた。
彼女は私に自分のことを話すのが好きらしく、おしゃべりがひと段落したらいつも「鏡華ちゃんは聞き上手だね」って私を褒めてくれていた。私も霞さんの話を聞くのは好きだった。
そして話題は霞さんのクラスのことになり、私は先週ぐらいに霞さんの学年が林間学校を催していたことを思い出した。霞さんは行く前に「帰ったらいっぱい話しするから。私がいなくても泣かないでね」と冗談を言っていたのを思い出す。その時、私は泣くなんてことは絶対しなかったけど多少なりとも寂しかったことは記憶に新しかった。
私は霞さんの前ではとても砕けた口調になる。それはやっぱり霞さんには心が開いている証拠でもあった。それを霞さんに指摘された幼い私は全力で否定していたけど。
「霞さん。林間学校どうだった?」
林間学校。そのワードを聞いた瞬間、霞さんがどきりとはねた。
「あ、え、そ、そう林間学校ではね…」
「?」
口をもにょもにょごにょごにょする霞さん。そんなことをする霞さんを見るのは初めてで、私はそれにどんな意図があるのか察することさえできなかった。
「じ、じつは・・・」
顔を真っ赤にしながら霞さんは話した。
「好きな人が…できた?」
「‥‥‥‥‥うん」
そうやって小さくうなずいた彼女は顔が真っ赤でまさに恋する乙女という感じだった。それは恋だ愛だをぬかすクラスの女子と全く同じに見えた。
恋…私には縁もゆかりもない単語だ。恋愛小説はよく読むし好きな部類に当てはまるが、現実では興味の微塵もなかった。クラスの女の子がよく話しているのは耳にするが会話に入っていったことは一度もない。記憶によれば霞さんも私と同種で、恋愛には疎い組だったはずだけど…
「でも霞さんはクラスの男子は全然異性として見れないって。前に」
「い、言ったけど…気づいたらこうなってたんだから仕方ない、じゃない…」
もじもじする霞さんは不覚にも同性の私でも可愛いと思ってしまった。
「あ、あの鏡華ちゃん?なんで私の頭を撫でているの?」
私は気付かぬうちに霞さんの頭を優しく撫でていたようだ。
「あ。ごめんなさい。つい…」
「いや、別に悪くはないんだけど…やっぱり年上としての威厳が」
「?そんなものは最初からないわよ」
「え?」
「え?」
疑問が疑問を呼ぶ。終わりの見えない論争が始まろうとしていた。でもそれを今ここで始めてしまうと今日のうちに終わらないと私は直感的に理解した。
「…まあ、その話は置いといて」
「置いとかれるのね。私の威厳」
「どうしてそれを私に?私がそういうことに疎いことは霞さんも知っているでしょ」
「だ、だって…こんなこと話せるのは鏡華ちゃんだけだし…鏡華ちゃんは恋愛小説をずっと読んでるし…ってなんでまた頭を撫でる⁉」
「あ、ごめんなさい。つい反射的に」
また脊髄反射並みのスピードで霞さんの頭を撫でてしまっていた。
そうして撫でられる霞さんの姿には威厳のかけらも見当たらない、私はそう思った。
しかし、恋愛相談か。と私は眉を小さくひそめる。霞さんに信頼を寄せられるのはうれしいことだけれど、恋愛ごととなると私は其処らの一般女子小学生よりはるかに劣っていると断言できる。私の辞書には恋愛の「れ」の字すらも見当たらなかった。
「ちなみに相手はどういう?」
「…そ、それは言わなきゃ…ダメ?」
「恋愛相談なのだから当たり前でしょう」
というより、今更何を恥ずかしがることがあるだろうか。年下に相談している時点でもう色々と今更なのではないかと私は思っていた。
よほど恥ずかしいのか、何度か深呼吸してから。最後に彼女は大きく息を吸い込みぷはぁーと吐いて、ようやく話し始めた。
まとめるとこういうことらしい。霞さんが恋をしている相手は彼女と同じクラスの男の子。その子はアホっぽい男子から頭一つ抜けているらしく少し大人っぽいらしい。そして面倒見がよく人気者で多くの人から慕われているというのだ。きっかけは聞くまでもなく林間学校。困っているところを助けられてから…うんたらかんたら、だと。
…ふむ。恋愛小説というより冒険小説とかに多くありがちなパターンだと思った。特に助けられて困っているところを、という部分に。
「高嶺の花…という奴なんじゃないかしら」
いや男性に対して言う場合は違うのだろうか。そこら辺の定義はよくわからない。
「やっぱそうだよね…」
あからさまに落ち込む霞さん。その落ち込み具合と言ったら暗いオーラのようなものが資格で感じ取れるぐらいには落ち込んでいた。そして「私なんかが…」とか「やっぱガサツだし」なんてブツブツ言い始める。
面倒くさい…と私は思った。ついでにため息も吐く。
ゴンっと音が鳴るくらいに少し強めにチョップして霞さんをこちらの世界に帰ってこさせた。
「ったーい!な、なにすんー!?」
「あっちの世界に行ってたみたいだから」
痛む頭を抑える霞さん。その全体像をもう一度見直してからまた霞さんの頭を撫でた。
「大丈夫。霞さんは可愛い…私が保証してあげる」
「…玉砕したら、鏡華ちゃんが責任取ってよね」
責任とは小学生の恋愛で大きく出たものだ。いや、存外バカにできたものではない。彼女はいつも目の前のものに全力で、努力して手を伸ばそうとしているのだから。そんな彼女が少し、いやとても羨ましかった。
霞さんが家に駆けこんできたのはそれから二週間たってからのことだった。話によると霞さんはその男の子と今度遊ぶ約束をしたらしい。素直にすごいと思った。
「良かったね。霞さん」
「うん…えっと、それでね。鏡華ちゃんに一つ頼みがあって」
「頼み?」
「え、えーと。その非常に言いにくいんだけど…」
どうしたのだろうか。いつもはこんな遠慮せずにぐいぐい来るのに…またそっち方面のお悩み事の相談だろうか、と予想していたが。結果から言うとそうの予想は的ずれもいいところだった。
「遊びに付いてきてほしい…?」
「そ、そうなの」
その腑抜けた頼みに寛容な私も冷ややかな視線を向けざるを得なかった。
「ち、違うの。鏡華ちゃん、これはその子に頼まれたからであって…別に私が心配だから付いてきてほしいわけじゃないよ!ホントだよ」
詳しく説明を聞くとどうやらその男の子から「いとこといこいの森で遊ぶから良かったら来ない?」と誘われたらしい。その時に「同年代の子がいた方がいいと思うから」という理由で例の男が後輩の男子を一人、霞さんが後輩の女子を一人、誘うということになったらしい。いとこも一つ年下の男女一人ずつらしいからそれでちょうど人数が揃うんだとか。
「いこいの森か…」
個人的にはあまり行きたくない場所ではある。明らかに汚れそうな場所だ。父に叱られるリスクが高まる。ただでさえ最近は外出が多く目をつけられているのだ。正直、あまり私はこの話に乗り気ではなかった。
「ダメ、かな?」
うるんだ瞳で霞さんが上目遣いをしてきて私はうっと狼狽える。何だかんだ言って霞さんのこうした頼みごとに弱い。私は自分でも甘いな…と思いながらもこの頼みを承諾することにした。
「わかった。行くよ…今回だけだからね」
私は父の叱責を覚悟でこれに同行することにした。
「
小麦粉色の健康的な肌に、好青年と表現すべき笑みはこの人の人柄の良さを表していた。霞さんには悪いけど正直、苦手なタイプだ。
「初めまして。夢宮鏡華です。今日一日お世話になります」
私がそういうと彼は驚いた口調で言う。
「おー。霞が連れてきたのに礼儀正しい子じゃん」
「? 私はいつも礼儀正しいでしょ?」
「え?」
「え?」
お決まりの流れを挟んでからいとこの子が自己紹介をした。歳は私と一緒だった。それから浜津さんはもう一人の子を迎えに行ってくると言ってどこかへ行ってしまった。
その間、いとこの子たちと軽く話す。女の子の方は明るく元気で霞さんと話が合いそうな子。男の子の方はちょっと言葉が乱暴でガサツといったイメージに定着した。
「あ。竜輝たち帰ってきた」
やはり恋する乙女と言ったところか、霞さんは浜津さんにいち早く気づき大きく手を振る。浜津さんがそれを返してきたところで私はその居場所を把握した。そして浜津さんの後ろに付いてきている男の子に気づいた。
「卯月一実です。よろしく」
その男の子は不愛想にそう名乗った。小学生の割にはませている、とどこから目線な感想が第一印象だった。でもその印象はすぐに崩れることとなる。
「兄ちゃん」
その男の子が竜輝さんをそう呼んでいるのをとある神社に向かっている途中で見た。そして呼びかけられた浜津さんも「どうした?」とすぐさま駆け付けていた。
そして直感的に悟る。ああ、この子は私に似ているなと。感情が顔にあまり出ないところとか、クールっぽく見えるところとか、親愛をあまり表に出さないところとか、何だかんだ年上の友達を慕っているところとか、すごく。
「どうかした?鏡華ちゃん」
霞さんはぼーっとしている私をみてすぐにそう気遣う。ああ、こういうところはやっぱり年上には敵わないな、そうなんとなく思った。彼もきっと浜津さんのそういうところが居心地が良いのだろう。そう勝手に決めつけてみたりする。
「何でもない。それより浜津さんと一緒にいなくていいの?さっきからずっと浜津さん、あの子の隣にいるよ」
「そ、そんなこと言われても…ど、どうすればいいか」
「なになに何の話ー?」
「ほわぁっ!?」
私たちの間にひょっこりと顔を出してきた、いとこの女の子。それに驚いた霞さんが奇声を発した。それが前方の男子組にまで届いてしまい、何があったのかと浜津さんが後ろを振り向く。
「どうした霞ー?虫でもいたかー?」
「な、なんでもない!なんでもない!」
慌てて取り繕う霞さん。それは事情を知らない他の人から見ると怪しさ満点だったが、事情を知っている私から見るとただただ微笑ましかった。
だが、浜津さんは「そう」と言って自分より少し小さな男の子二人の会話に混ざっていった。
いとこ(男)は身振り手振りで激しく卯月君(?)に話しかけているのに対し、卯月君はそれを軽く頷いたり、意見を言ったりしている。それを浜津さんは一歩後ろから見守り、時には意見を求められたりしている。どうやらもう仲良くなったようだ。男の子は単純だから楽でいいな…と心底思う。
「…男の子は単純でいいよねー」
いとこ(女)が言った。まさか思考が一致するとは思わず、一瞬心が読まれたかと思ってドキリとする。
「そうね。何も考えてなさそうだわ」
「だよねー…ところでさっき何の話してたの霞ちゃん」
いとこ(女)はさっきの話を盛り返す。
「な、なんでもないよー。ねえ、鏡華ちゃん?」
「…え、あ、ごめんなさい。聞いてなかったわ」
急に同意を求められるが、仮にも年上で、しかも初対面なのにちゃん付け…と一人戦慄していた私は話をしっかり聞いていなかった。まあ、仮にもと言っている時点で私も相当失礼なのだけれど。
「もーっ、しっかりして鏡華ちゃん♪」
なんだか♪が怖い。言外に威圧された気がした。
「あ。わかった。霞ちゃんたち、もしかして恋バナしてたでしょー?」
「そ、そそそそそそんなこと、ななななななないよー」
意外にもいとこ(女)ちゃんは鋭かった。やはり一般女子小学生の恋愛サーチ能力は半端ではないと確信する。
これはもういとこ(女)ちゃんを頼った方がいいのでは…そう思うぐらいだ。
「あははっ。霞ちゃん動揺しすぎーっ。面白ーい」
「どどどど、動揺なんて…し、しししてないよ、よよよ」
我がお隣さんながらわかりやすぎる。それが霞さんのいいところでもあるのだが…今回ばかりはそうはいかない。
「で、相手は誰ー?あの三人の中のどれか?ゆうじはないから、あの二人のどっちか?…あ、でもさっきちっちゃい方は初めましてって言ってたから、もしかしてりゅう兄?」
…すごい。またもや私は戦慄する。この一瞬で三人の中から霞さんのターゲットを特定するなんて。この子には探偵の素質があるのかもしれない。と私はのんきなことを考えていたが、言い当てられた本人はたまったものではない。
「ち、ちち違うよ。私は別に竜のことなんか好きでも何でも」
「うん。正解だよ。いとこちゃん」
「霞ちゃんっ!?」
「ふふん。私は『てまた』では有名な恋愛マスターだからね」
「『てまた』じゃなくて『ちまた』だよ。いとこさん」
「いとこちゃんなんて肩悔しい。かおりんでいいよ。ゆーちゃん」
「『肩悔しい』じゃなくて『型ぐるしい』よ…ってゆーちゃん?それ私のこと?」
「うん。そーだよ」
「ちょっっっと!待ったぁぁぁ!」
親睦を深めていたところ霞さんの大きな声が轟く。
ちなみにいこいの森から神社に行くにはダムの上にかかる大きな橋を渡らなければならなく、私たちは今ちょうど橋の上にいた。だから霞さんの謎の叫びはよく響いた。
それはもちろん前方の男子メンバーにも聞こえる。
「どうした霞、でかい声出して?」
「あ、えっと…何でもなくはないけど…そう何でもないの。うん。だからさっさと向こう向いて!」
「ええっ…なんでそんなに怒ってんの?」
「いいからっ」
突然の霞さんの怒りに浜津さんは困惑してブツブツと文句を言いながらも命令通り前を向いて歩き始めた。
「ああー。やっちゃったー。好感度下げちゃったー」
「はぁ」
私とかおりん?は一緒に肩をすくめる。
「いや『はぁ」じゃないわよ、鏡華ちゃんなんで、かおるちゃんにばらしてるの!?」
浜津さんの目を気にした霞さんは小声で私に抗議する。なんで…と言われてもより成功確率が高くなるからとしか言いようがなかった。
「かおるちゃん慣れてそうだったから。恋愛マスターとも言ってたし」
「かおりんだよ。ゆーちゃん」
「あ。ごめんなさい、かおるちゃん」
「だからかおりんだってー」
あはははっと笑うかおるちゃん。
「あははっじゃない。ばれたらどう責任取るのよ!」
その光景に霞さんは憤慨。
「む。死刑な。バラすなんてつまんないことしないよ」
「かおるちゃん。『死刑』じゃなくて『失敬』よ」
「ゆーちゃんこそ、『かおるちゃん』じゃなくて『かおりん』だよ」
あはははっとかおるちゃんは笑う。つられて私も少し笑った。
「笑い事じゃなーい!!」
霞さんの声はまたダムの中でよく響いてやまびことなって消えた。
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